>>1
朝鮮半島はロシアに任せればよかったね韓国にインフラ代を請求しても良い気がする。
徴用工詐欺も、もとはとりっぱぐれがこっそり補償してもらっていたものを、義務化、制度化してきたものである
温情をかけたことが裏目なるとか、ゾセンジングは怖いね>>5
第一次乙巳条約の保護国を世界では植民地と呼ぶ。
5年だけ植民地。但し日帝35年に含まれないw
併合を植民地と言い張る為に認められない真の植民地時代>>4
日本のインフラや在韓資産放棄は、1965年の日韓基本条約の話し合いの中で放棄されたと思ってる人が多いが
実はこれは間違い。
韓国はサンフランシスコ平和条約で日本が主権回復する直前という絶妙な時期に、李承晩ラインを一方的に
宣言して、日本の漁船を攻撃して日本人を殺害し、本国に拉致したことは知られているが
当時、軍隊の無かった日本は、韓国との厳しい交渉に挑むことになり、非人道的な韓国の収容所で
次々と日本人が命を失っていく中、最終的に日韓交渉で在韓資産の返還や賠償を日本側が持ち出さない
という条件で、拉致された日本人が韓国から帰国することが出来た。
帰国した日本人は、厳しい収容所生活で精神がおかしくなっている物も多数おり、ある漁師家族は数年ぶりに
帰国した夫と再会した物の、夫の精神は完全に破壊されており、悲観した妻が自殺したという事例もあった。
又日本側はこの交渉の中で、日本国内で犯罪を犯した韓国人の送還を韓国政府に要求したが、李承晩はこれを拒否。
そればかりか、日本の刑務所に収容されていた数千人の韓国人の即時釈放と日本の市民権付与を要求した。ソ ユ スン
14歳で来日 兄弟・強制連行のおじさんと 徐 類順さん
「私が最初に来たのは、東京の五反田でした。五反田にいたのは2年
足らずです」
「先にお兄さんが二人来ていたんです。上のお兄さんは小さな電球を
作っていました。下のお兄さんは旋盤工場で働いていました」
「その当時は収入も少ないし、生活も苦しいものでした」
「お父さんの弟の叔父さんが徴用で日本に来ていました。叔父さんは
畑で仕事をしている最中に強制的に徴用されました。
家族も叔父さんが徴用されたことを知りませんでした」
「行く先も分かりませんし、叔父さんから連絡が来ないと探しようが
ありませんでした。強制的に連れて行かれた事は分かっていました
けど、どこへ行ったかは分かりませんでした」
(以下、省略)
もう、この時点でツッコミどころ満載なのは言うまでもないでしょう。
「強制的に徴用」は勿論、家族にも知らされない徴用なんて有り得ません。
例えば徴兵。召集令状による徴兵は赤紙配達人によって令状を渡されて
いました。徴兵令という法令に基づいているからこそ、文書にして通達、
執行したのです。徴用も、また然り。>>10
保護領と言ってもいいけど、そうすると
フランスがもっと酷いようになっちゃうけど>>6
さすがパリやかれて国土を一度すてて再建したフランス様やで!>>15
だなww>>14
賠償する理由が存在しない。
統治に悪政が有ればそれが名目になる。しかし、それすら無かったのが日本統治。
どう頑張っても賠償を払った過去にはならないよ。
植民地賠償について
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