その前に徴用は強制であるから徴用というのであって雇用じゃない。それに強制付けてどうする?欠陥文字ハングルの仕様なのか知らんが、言葉は覚えようぜ。
漢字は読めないと思うがよく自分で調べてね。海外の文献や朝鮮半島でも大学に死蔵されている文献や資料は今韓国の若者が教え込まれてることと逆だから。中国人は政府の言う事を信じない。しかし韓国の人たちは60年間も反日教育を受けてきて正しい歴史とは逆のことしか教えてもらっていない。
>>1
徴用者や徴兵者の子孫がいないとは言わないが、ほとんどが李承晩から逃げてきた済州島出身者と把握している。
日本の学校に通ってきた在日韓国人は割とマトモな場合が多いが、朝鮮学校・韓国学校に通って過ごしてきたヤツは話にならんほど頭がおかしいしメチャクチャ嘘つきだ。
日本学校に通った在日でもDNAがそうさせるのか時折感情が爆発するヤツは多い。
実際、韓国語が全く話せない在日韓国人も多いが、それでも犯罪率は日本人より高い。帰還事業があったにも関わらず 帰国しない
自由の身なのに 帰国しない
何故だと思う?今さら何言ってんだ、この馬鹿は。
ヨーロッパにいるアフリカ難民。これが在日だよ。
それで、逃げ損ねて今でもhell朝鮮に住んでいるのが、お前ら韓国人だ。>>1
例えば納税は国民の義務だけど、君はそれを強制納税とは言わないだろう?
当時、徴兵も徴用も国民の義務だった。そして、朝鮮人よりもはるかに多くの日本人が、義務を果たし時に命を落としたりもした。自国の徴兵に関して文句言ってからにしろよ
>>1
祖国捨て日本へ「済州島虐殺」という地獄
現在は美しいリゾート地として知られる韓国最南端・済州島。だが、朝鮮戦争と前後して、李承晩大統領による徹底的な弾圧を受け、人口が9分の1になる「地獄」を経験した島でもある。島民の多くは、祖国を捨てて日本に渡り、大阪・鶴橋のコリアタウンに集まるようになった。当時の韓国大統領は、なぜヤクザ崩れの暴力組織まで使って、自国民を虐殺しつづけたのか――。
統一か独立かで国論が二分
いつも観光客でにぎわう、大阪・鶴橋のコリアタウン。おいしい焼肉店や各種の韓国食料品店、美しいチョゴリを売る店など、本場の韓国さながらの雰囲気が人気です 。
一方で、実はこの街の成り立ちそのものが、韓国の悲しい歴史と深く関係しているのです。
今の在日韓国・朝鮮人の人々のうち、済州島の出身者が大きな割合を占めると言われます。済州島は韓国の最南端の島で、福岡から100km程度、対馬から50km程度の距離にあります。現在では観光リゾートとして人気を集めている場所です(昨今、中国人や中国企業が島の不動産を買いあさり、森林の伐採を進め、水資源などを大量に採取して、深刻な問題が生じています)。
この美しい島が、第2次世界大戦が終わった後、2度も地獄と化しました。1948年の済州島虐殺事件(済州島四・三事件)と、1950年からの保導連盟事件に連動した大弾圧です。これらは私たち日本人にとっても関係の深い出来事なので、よく見ておきたいと思います。
まず、済州島での大量虐殺がなぜ生じたのかという政治的な背景を見ておきましょう。第2次世界大戦後、朝鮮半島はアメリカとソ連により、北緯38度線を境に南北分割占領されました。冷戦の対立の深まりとともに、米ソ両国は傀儡政権をそれぞれ樹立します。南部では李承晩が、北部では抗日パルチザンで活躍したとされる金日成が首班となります。
李承晩は北部との対立を後回しにして、南部単独で国家樹立を先行させるべきと考えていました。一方、そのようなことをしてしまえば、民族が分断されることになりかねないとして反対する者もかなりいました。その代表が金九や金奎植や呂運亨でした。(金九と呂運亨はその後、李承晩派とみられる 人物によって暗殺されます)。>>1>>11
反体制派への「ヤクザテロ」の恐怖
民族分断に対する抵抗は、一般世論としても、大きく巻き起こります。危機感を強めた李承晩は、統一派をけん制するため、彼らを共産主義のスパイとして取り締まりました。1948年の段階で、統一派を消すために李承晩が主にとった手段は、暗殺と「ヤクザによる恫喝」でした。
日本統治時代の朝鮮半島には、日本の統治法制に服しない「ならず者」の集団があり、闇市でさまざまな物資を流通させて稼いでいました。中国経由でアヘンなども扱っていたようです。実質的には一種のヤクザ組織で、朝鮮全土に広範なネットワークと巨大な組織を形成していました。
戦後、李承晩政権は彼らを取り込み、「大韓民主青年同盟」を結成させ、共産主義に対する白色テロの組織として、半ば公然と支援します。大韓民主青年同盟の実質的な指導者となったのが金斗漢という裏社会の大物で、後に国会議員になる人物です。さらに李承晩政権は、北の迫害を受けて南に流れて来たヤクザ たちを、同様に北から逃げてきた若者たちとともに「西北青年団 」という組織にまとめます。
李承晩政権は大韓民主青年同盟や西北青年団を利用して、共産主義者や政権に批判的な者を暗殺したり、恫喝したりしていました。警察や軍などの正規実働部隊には行動させず、住民票もろくにない(つまり、不法行為の手がかりが残りにくい)ヤクザに、反対派への示威行動をさせたのです。李承晩の番犬のような役割を演じた大韓民主青年同盟や西北青年団は、アメリカからもその存在を認められていました。亡くなった曾おばあちゃんの話です、
大量の朝鮮人が勝手に日本に渡ってきて、山や河原、空き地などに住みついたそうです。
そして、ゴミを拾って売ったり、また盗みをしたりなどして生活してたみたいです。
当時を経験した老人なら皆さん知っているのではないでしょうか。>>1
強制連行なら、
韓国政府は在日を韓国に返せと日本に訴えるはずでしょう。
ところが、
韓国政府は在日韓国人の帰還を拒否した。
これだけで、
在日韓国人が言ってる強制連行説は嘘だと分かるはずです。>>1>>11>>12
政権基盤の弱さゆえの暴走
李承晩が1948年に入り、南部単独での国家樹立を打ち出すと、統一派の反発が南部全域で強まりました。特に、済州島民は政権批判を強めました。済州島は李王朝の時代から弾圧と迫害の歴史を有しており、反体制的な色彩の強い地域でした 。
李承晩は自分に歯向かう「生意気な」地域の代表として、済州島を選び、見せしめに島民を大量処刑することに決めたのです。
この時、済州島に軍や警察とともに派遣されたのが西北青年団でした。ヤクザ者の彼らは島民を略奪・性的暴行・虐殺「自由」を与えられ、その結果、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺されて、済州島の村の大半が焼き尽くされます。
当時の国防長官の申性模は済州島民の虐殺について、「西北青年団」が島民に乱暴を働いたことであると答え、軍や警察の関与を平然と否定しています。
済州島虐殺事件は、この連載でも前に触れた「漢江橋爆破事件」「保導連盟事件」と並ぶ、韓国当局による自国民の虐殺事件です。しかし、李承晩政権下の自国民虐殺事件はこれだけではありません。主なものだけでも、以下のようなものがあります。
・高陽衿井窟民間人虐殺事件(1950)
・江華良民虐殺事件(1951)
・山清・咸陽事件(1951)
・居昌虐殺事件(1951)
これらは共産主義者やそのスパイ、北朝鮮に協力したと見なされた一般民間人を、当局が処刑・虐殺した事件です。ただ、それは建前上の理由であり、実際には、政府に批判的な人々やその家族を消すということが目的でした。日本統治時代の親日派も処刑されています。
当時の大統領李承晩は政権基盤を持っていませんでした。戦前、アメリカに亡命していた経歴があったため、アメリカ人のコネで、アメリカ人によって担がれた傀儡政治家でした。戦後、臨時政府の首班となり、そのまま、韓国大統領となります。李承晩は自らの政権基盤を固めるために、反対派を大量処刑・虐殺します。政治経験の未熟な李承晩は、恐怖政治という古典的な手段以外に頼れるものがなかったのです。>>1>>11>>12>>15
さらに、1950年に朝鮮戦争が起こると、前回この連載で解説した保導連盟事件に連動し、済州島での取り締まりが強化されました。刑務所に収監されていた容疑者まで含め、大量処刑・虐殺が1953年の休戦の時を超えて54年まで続き、約28万人いた島民は3万人弱にまで激減したとされます。
死体は海に投げ捨てられ、その多くが対馬や北九州に流れ着き、対馬や北九州の人々が埋葬し、供養しました。
コリアタウンの賑わいの陰に
また、この期間、小さな船で命からがら済州島を脱出する者が絶えず、対馬や北九州、山口県の海岸から日本へ入り、彼らは在日韓国人となります。彼ら済州島出身者の多くが、大阪市生野区の鶴橋に定住し、コリアタウンを形成していきます。
どうして、鶴橋だったのでしょうか。1920年代から大阪市の市域拡大開発が続き、生野区などの西部地域で大規模な土木工事が展開されました。朝鮮人の出稼ぎ労働者もこの土木工事に積極的に受け入れられ、当時から朝鮮人集落の原形がいち早くできていました。その後も集落は発展していき、1948年の「済州島虐殺事件」後、多くの済州島民が鶴橋を頼り、移り住んだのです。事情を理解していた大阪市側も、彼らにさまざまな行政的支援を与えています。
鶴橋のコリアタウンは、その存在そのものが、韓国の凄惨な戦後史の証人なのです。韓国人は満州地域へ出て行った住民についても調査するべき、鉄道技術により大量に移動した、
その数は日本内地へよりも多いが統計は無い。移動の制限には限界はある。また併合後は日本人になっているので内地人と区別が出来ていない場合も。平和条約国籍離脱者及びその直系卑属。
俗に在日と呼ばれる特別永住資格者の大半は、特別永住資格を持つのに必要な上記の条件を満たしていない。
少し考えたら答え出るだろ。>>9
50年後には「強制旅行だった!謝罪と賠償を要求する!」と言い始めるでしょうww
全世界で活動する遠征売春婦達も50年後には強制慰安婦に変身して被害者になりますww1959年に外務省は、
朝鮮への国民徴用令適用による朝鮮人徴用は1944年9月から下関-釜山間の運行が止まる1945年3月までの7か月間であり、
また、戦時中に徴用労務者として来た朝鮮人の内、
そのまま日本に留まった者は1959年時点で245人に過ぎず、
日本に在住している朝鮮人は、「大半が自由意志で来日・在留した者」とする調査結果を発表している。WW2の終戦直後に日本人に成りすまして入国
朝鮮進駐軍と名乗って土地の不法占拠、レイプはもちろん盗み殺人あらゆる残虐非道を働いたのをお忘れではないか?(´・ω・`)もっかい在日朝鮮ゴミの処分方法検討した方がいいよ
あれホント要らん韓国人が強制というのは、国民の義務であり、協調性がない奴の逃げ口上、後付の言い訳。
日本人は非常時に、国民の代表たる政府のお達しに従うのは強制性とは言わない。
なぜ韓国人男性は徴兵されるの? ⇒ 戦時下の国の強制性か?
なぜ働かないといけないの? ⇒ 社会の役割は強制性か?
なぜ娯楽を求めて日本旅行するの? ⇒ 日本が誘惑する強制性か?
韓国人は強制性という言葉を吐かない方がいい。まるで自己責任がないようだ。
その時代、日本に組みする結論を下したのは、朝鮮人の代表である。
組みして日本人となった朝鮮人が、国のために働くことがごく当たり前だ。
二等国民に国民の義務を求めない方が差別だと、運動を起こしたのは朝鮮人だ。
差別が無かったからこそ、内地に働きを求め、海を渡って来たのが在日の先祖。
韓国人は、誰かに強制的に生かされていると主張しているに過ぎない。
だから歴史が育まれないんだよ。自分たちで生きていると言えないから。>>24
絶対に許さない。>>1
はい、嘘です。>>1
厳密には嘘ではない。
嘘ではないのだが、300人未満なのだ。
その300人未満の当該人物に便乗して、同じだと言い張ってる密入国者や工作員の屑が数十万もいるという事だ。本人の意思に関係なく連れて行くのが連行
任意で行くのは、(任意)同行
強制じゃない連行何てない
「強制連行」って
「頭痛が痛い」って言ってるようなものだ。
ぱよくも南の人間もバカだね何を今さら!?
>>1959年 外務省発表
「在日朝鮮人の徴用者は245人」
・終戦直前、日本には200万人の朝鮮人がいた。
・その内、140万人は終戦直後に朝鮮に帰った。
・更に北朝鮮帰還事業などで10万人が朝鮮に帰った。
・つまり200万人のうち、150万人…つまり75%が帰国した。
・国民徴用令は1939年7月から施行された。(日本人と台湾人)
・しかし朝鮮人には1944年9月まで適用されなかった。(つまり優遇されていた)
・1945年3月には日韓フェリーが停止されたので、徴用が可能だった時期はたったの7ヶ月。
・1959年の調査では在日における「徴用者」の人数は…たった245人だった。
・現在、日本に残留している朝鮮人は「自由意志」による残留である。(犯罪者を除く)強制徴用者の子孫で、いまだに日本で差別されていると言っている在日を自国に保護しないのは人道上おかしいし人権問題だ
韓国政府及び北朝鮮政府は自国民保護の為に帰還事業を再開しないとな
あっ、ついでに不法滞在者を連れて帰れ
ヽ(・∀・)ノ>>24
本当にその通りだ。
終戦の時に韓国に戻った事を未だに後悔する韓国人が多いと聞く。
また終戦のドサクサに日本に密入国して財を成した人も多い。
強制などとはとんでもない。日本から帰る事を制限した事など無い。>>1
韓国に追い返されないように、日本によって強制連行されたという嘘を吐くしかしょうがないだろう
朝鮮戦争の時手段を選ばず命がけで密航、不法入国した難民が、特別に滞在してるんだからさ
まあ日帝残滓観では、広義の強制連行と言えるかもしれないな(1910年に強制的に日本国籍へ、そして1952年日本国籍喪失)
そして在日は自分たちの出自(もとは難民)を肯定するために、
現在では韓国同胞相手だけに限らず、様々な外国人入国ビジネスをやっている>>27
韓国なんて大嫌いだよ。ぶっ潰してやる。君が代丸で入国したニダyo-
在日のナマポ費を韓国に請求しても良くね
戦後からの合計でさw>>1
今からでも遅くないから韓国で引き取ってくれ>>1
보도연맹 학살
일본의 재일조선인, 한국인들이 자신들이 강제징용 된 사람들 및 그 후손들이라고 거짓말했어?
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