「壬辰倭乱(※文禄・慶長の役)当時、倭長の加藤清正が略奪していった希少なツバキの木の後裔3本が約400年ぶりに故国の元に戻ってくることになった」
1992年5月26日付、日本東京で書いた聯合ニュース記事の一部。主人公は「五色八重散椿」と呼ばれるツバキの木だ。
五色八重散椿は加藤清正が自生地である蔚山鶴城で偶然に発見した。加藤清正は、花があまりにも美しくて日本に持っていき、豊臣秀吉に捧げて、豊臣秀吉は(京都)地蔵院にこの木を寄贈した。
五色八重散椿は1992年6月、蔚山市庁の広場に植栽され、以降は『蔚山椿』と呼ばれた。韓国内に入ってきた3本は蔚山市庁、独立記念館、慶南・泗川市(サチョンシ)の耳塚にそれぞれ植栽された。2017年、蔚山中区は区花を桜から蔚山椿に変えた。蔚山椿をテーマにした祭りも開かれた。
蔚山椿は、地域社会の一部で30年以上蔚山を代表する花として位置づけられたが、起源に関する論難は絶えなかった。結局、蔚山歴史研究所は『蔚山椿』起源説の検討に乗り出し、最近、起源説の根拠がないという結論を出した。
加藤清正が五色八重散椿を蔚山から持っていったというのは、口伝えの話だけで、歴史的事実としてみることは難しいということだ。五色八重散椿の蔚山起源説が言及された日本文献にも事実的誤謬があり、信憑性に欠けるとした。
蔚山歴史研究所は、「現在、日本の地蔵院で育てている、いわゆる『蔚山椿』と呼ぶ五色八重散椿について、明確な歴史的史料と学問的根拠が明らかになったものが見つからない」とし、「五色八重散椿を『蔚山椿』と呼ぶことも控える必要がある」と明らかにした。
現在、蔚山市庁の広場には蔚山椿10本が育っている。蔚山市は蔚山椿を知らせる標識を取り除く方案を検討中だ。(蔚山市)中区は区花を変える方向で方針を示した。中区は新しい区花候補を定めて、住民選好度調査を経て最終区花を選定する予定だ。
蔚山市の関係者は「今後、蔚山椿関連の名称を使用する時は、より慎重にする」と話した。
ソ・デヒョン記者
ソース 毎日経済(韓国語)
https://n.news.naver.com/mnews/article/009/0005291761>>1
南朝鮮の場合、一応こうやって南朝鮮内の正当な機関が、発表したとしても
自分たちに都合が悪いので、発表者と機関を名指しで批判しつるし上げ
『無かった』という事実を無かったかのように振舞う
なので、基本的には意味がない>>1
文禄・慶長の役では、加藤清正、加藤嘉明、藤堂高虎、福島正則、黒田長政、細川忠興、宗義智、小西行長、宇喜多秀家、立花宗茂、島津義弘、島津忠恒、島津豊久、島津忠長、毛利輝元、毛利秀元、毛利元康、毛利秀包、小早川秀秋など、戦国オールスター級だったみたいですけど、朝鮮の武将で自分が知っているのは、李舜臣だけで、他の武将は全く知りません。
中国の武将については三国志の武将達や項羽と劉邦や鄭成功などが有名みたいですけどね~八重椿自体が元々韓国に自生してないという顛末。
>>1
今回は映画や小説や動画を作らないの?
韓国ではそれ等を作れば証拠になるんだよね?>>1
観光客集めの眉唾話にのかった間抜けな朝鮮人って話。
青森にあるキリストの墓を本気で信じるようなもんやな。加藤清正ばかりだと小西行長が怒るぞ❗(笑)
>>1
最後は「韓」を下ろすのだろう
「韓」って何?
加藤清正が略奪していったと思ったら根拠なく…「蔚山椿」標識板外して、象徴花は変更へ 蔚山市
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