昨年、済州4・3追悼式場で全国民の涙を誘った4・3事件のエピソードの主人公、キム・ヨノクさん(79)の祖父母、両親、兄と弟の6人は、1949年1月22日に西帰浦市の正房滝付近で兵士たちに集団虐殺された。最後に引きずられて行った父親が目の前で足で踏まれ、棒で殴られる姿を見た当時8歳のキムさんを誰かが捕まえ、キムさんは石垣に頭をぶつけて気絶した。
孤児になったキムさんは息を吹き返したが、一生鎮痛剤を手放せない体となった。「今も痛みで眠れない日には、目の前で引っ張られていった父の姿が鮮明に思い出される」というキムさんの頭には、赤ちゃんのこぶしほどの大きさの、ぼこっとへこんだ傷がそのまま残っている。
東京都荒川区に住むキム・ジョンアさん(75)は、4・3事件の頃の1948年11月、済州市涯月邑(エウォルウプ)古内里(コネリ)の自宅に侵入した武装隊によって父親と母親が犠牲になった。2歳を過ぎたばかりのキムさんは、腕と胸、耳にひどいけがを負った。当時けがをした跡が全身に残っているキムさんは何度も手術を受けたが、右耳は音が聞こえない。
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/36185.html
東京都荒川区に住むって?ナマポですかぁえっ?
韓国人て全員障害者で無いか?
あれで普通なのか???在日コリアンは、帰国しろよ。
補償は欲しいけど、日本で暮らしたい等甘えた考えは止めろ。言い方きついけど、日本人からすると知るかっボケッ!!ですよね。
とりあえず1人は日本に強制連行された朝鮮人じゃなかったんだね。
めでたし、めでたし。補償じゃなく帰国させろよ
何度も手術ってさぁ。
日本でやったんだろ。
多分無償でぇ。なんで日本に住んでるの
出ていけよクソババア>>2
じゃあ、小沢もか?朝鮮人の密入国者がやみ市で荒稼ぎ
戦後のゴタゴタに混じり不良朝鮮人は極悪非道を繰り返す 警察では対抗出来ず 不良朝鮮人狩りをヤクザに依頼
暴力には暴力で対抗 寄せ集めの朝鮮チンピラ集団を日本のヤクザが暴力で制圧
そこまでは良かったのだが 不良朝鮮人を子分にしてしまったのが日本のヤクザの失敗キム・ヨノクさん(79)
当時8歳のキムさんを誰かが捕まえ、キムさんは石垣に頭をぶつけて気絶した。孤児になったキムさんは息を吹き返したが、一生鎮痛剤を手放せない体となった〜
キムさん、71年間も痛みと戦ったんですね。
でもあれです。よっぽどのヤブ医者か、鎮痛剤が合わなかったのですね。71年経ってからこの事をお知らせするのは可哀想なので黙っておきます。>>1
その医療費は誰が負担したのか?日本の保健制度から支出されたものなら、韓国政府に返してもらいたい。速やかに返せ。普段偉そうなこと言ってるなら、すぐに返金を実行できるはずだ。青瓦台、早くしろ>>1
俺ならその話を疑うな。
朝鮮人に障害者と来れば、十中八九詐欺だ。また朝鮮人同士でころしあえ!
軍事政権下の韓国で、帰国した在日韓国人らが北朝鮮工作員にでっち上げられた…苦渋の記憶「語り継ぐ」
韓国で1960~80年代、軍事独裁政権の情報機関が、日本から帰国した在日韓国人らを北朝鮮の工作員にでっち上げる「スパイ捏造ねつぞう事件」が相次いだ。再審で無罪判決が出たが、拷問のトラウマ(心的外傷)が残る被害者も多い。南部の済州島で、名誉回復に挑む男性を訪ねた。 (済州島で、相坂穣、写真も)
「怪しい家」。風変わりな名のゲストハウスが、済州の市街地の外れに立つ。「スパイとしてずっと怪しまれた私の家だから、この名を付けた」。家主の姜光保カンクァンボさん(80)が語り始めた。
41年に済州島で生まれた。45年に韓国は日本の植民地支配から解放されたが、48年以降、韓国軍などが済州島民を反体制勢力として虐殺 する「4・3事件」が起きた。絶望して日本に渡る若者が多く、姜さんも20歳で密航した。
朝鮮半島出身者が多く暮らす大阪市生野区のメッキ工場などで働いた。同じ密航者の韓国人と結婚し、2男1女をもうけたが、79年に、不法滞在で摘発された。長女と長男は小学生になっており、永住権を申請すれば認められる可能性があったが、両親が残っていた済州に、帰郷した。
だが、済州空港で飛行機を降りてすぐ、当時の情報機関だった韓国中央情報部(KCIA)に拘束された。情報部員たちは、姜さんが日本で事実上の北朝鮮大使館の機能を持つ在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の影響を受け、韓国国民を扇動する工作活動を仕掛けるために帰国したと決めつけた。
服を脱がされ、警棒で殴打されるなどの拷問を受けたが、身に覚えはなく、答えようがなかった。3日後に釈放された。>>18
1カ月後、今度は、警察に連行された。電気拷問で痛めつけられた。捜査員たちが24時間、交代で出入りし、睡眠を許されなかった。意識がもうろうとする中、2カ月後の79年10月26日、朴正熙パクチョンヒ大統領が暗殺されたという新聞記事を読んだ。拷問は突然やみ、まもなく釈放された。
朴政権は北朝鮮との間でどちらの体制が優れているかで競争していた。KCIAや警察、軍などが、北朝鮮の工作阻止の実績を競うなか、無関係の市民を摘発するスパイ捏造が起きた。
79年にクーデターで実権を握った全斗煥チョンドゥファン氏も80年5月の光州事件を手始めに、大統領就任後も民主化運動を弾圧し、情報機関は活性化した。
86年、姜さんは、軍情報機関に拘束された。強要された自白調書により、懲役7年の判決を受け、刑務所に入った。出所したのは91年。50歳になり、長く離れた家族と、再び同居はかなわなかった。
再審を申請し、2017年に無罪判決を受けた。政府から支払われた補償金を使い、自宅を改築し、宿泊客を受け入れるゲストハウスを19年に開いた。「事件で人間関係を奪われた人生だから、やりがいのあることをやりたい」。訪れる旅行者らに事件の実態を伝える展示室を併設した。
姜さんは、情報機関の取調室を模した部屋の机に座り力を込めた。「なぜ、国家が罪なき市民を不法に監禁し、拷問したのか? 国からは、まだ満足な謝罪も答えも受けていないが、ここで語り続けていく」さあ、韓国に帰ろう。
>>19
◆被害者の心身の後遺症、今も…名誉回復へ条例成立
済州島を行政区域内に収める済州特別自治道(県に相当)の道議会で今年6月末、スパイ捏造事件の被害者の名誉回復や支援のための条例が成立した。条例案を代表発議した共に民主党の姜成旼カンソンミン議員に意義を聞いた。
◇
済州で確認された被害者は39人で、うち35人が再審で無罪判決を受けた。人権団体によると、全国の被害者の34%を占める。済州の人口が70万人弱で韓国の全人口の約1.3%であるのに対し、割合が高い。生活苦などで日本に渡った島民が多いためだ。
被害者は今も、心身の後遺症に悩む。家族離散で孤独な生活をする人も多い。
条例は全国の自治体に先駆け、済州道が被害者の生活や病院治療、葬儀の支援、実態調査を進めると定めた。今後、国会で法制定が進む契機としたい。(談)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/123477/朝鮮戦争の韓国人慰安婦への謝罪と賠償を
韓国政府が無視するのはなぜ(?_?)>>22
都合が悪いことは無かったことになってる
生涯苦痛の中で生きてきた済州4・3事件の被害者たちを「後遺障害者」に認定
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