(1)1781年に製作された日本の古地図。
地図上段の円で囲んだ部分が鬱陵島(ウルルンド)と独島(トクド、日本名・竹島)だ。日本の領土を示す色が塗られていない。日本官庁認証地図という意味の「官許」表記がある(上の写真)。
(2)1844年に製作された古地図で、現在日本外務省のホームページに掲載されたものと同じもの。鬱陵島・独島に日本の領土である意味の黄色で塗りつぶされている。「官許」という文字がない。
独島財団は「鬱陵島・独島が自国の領土でないことをすでにかなり前から知っていたということ」としながら「日本外務省に掲載された古地図が公式の地図ではない『海賊版』の地図であることを意味する」と明らかにした(下の写真)。
https://japanese.joins.com/article/630/254630.html?servcode=A00§code=A10ここで馬鹿チョンに一言。
日本じゃないなら韓国だと言うなら、世界の海は韓国の海になる。
おめでとう。朝鮮人は目が細過ぎて見えないようだが
色が塗られてないところなら他にもあるよwしかしまぁ、何でも思いつくね韓国人は。
その独創性には舌を巻くよ
あぁ、韓国人は2枚舌だから難しいか1905年に編入したんだから、それより前に書かれていないのは逆に当然だろ?
1781年て田沼意次の頃だぞ。
なんで「官許」?>>1
古いネタだなと思ったら、今日付けの記事w
一体いつになったら「日本が編入する前から韓国領であった根拠」を示すんだよ。
いつもの詐欺の手法には飽きたぞ。
この記事で喜ぶのは、騙されやすい韓国人ぐらいだろう。
根拠が無いまま「我が領土」と歌って踊るんだから。
---竹島の「真実」と独島の《虚偽》---
「日本の公式地図に独島は存在しない」のは当然
https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima04/takeshima-dokdo/takeshima-dokdo_1.html
>現在、竹島問題の争点は、竹島が日本領に編入される1905年以前、竹島が韓国領であったかどうかにある。韓国人はゴリ押ししないと死ぬ病気www
https://news.joins.com/article/23501133?cloc=joongang|article|tagnews
前日の記事によると「21日に学術行事で暴露する予定」
暴露するのは、漆崎英之牧師だそうです。
「日本の独島領有権主張について謝罪」
https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=61311韓国の古地図は、「鬱陵島と独島が左右逆になっているが、印刷の段階で逆になってしまったのだろう」と無茶苦茶な言い訳してしてたのにねw
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/pdfs/takeshima_point.pdf
ほかにもあるかもしれないが、ここらへんで引用されてる地図だな
引用としては「日本が古くから竹島を認識していたことは各種の地図や文献から確認できる」根拠としてだ。まるで>>1の記事では配色から日本の領土として表記していた根拠としてるような言い方だけど、日本の立場は>>7にある通り、1905年以前に領有を認識してたかどうかは関係ない。>>1
パンフに載ってる地図のこと言ってんのかな。ラスク書簡を無視して韓国が強奪した領土。
そんな昔から日本の領土だと誰が言ったんだよ
無主地な事を確認してその後編入したんだろ
当時は国際的な認識も無主地だったね
日本はきちんとした手続きを踏んで何の問題も無く編入してるけどな
韓国の実行支配は国際認証ときちんとした手続きしてますか?>>1
そもそも韓国側が示した地図は本物なのか>>14
朝鮮人の会話にありがちだよね
あっちこっちに話が飛んで
結局、何の話をしているのか自分でもわからなくなる
要するに
朝鮮人はバカ
バカチョンw公式地図として“官許”の記載を主張してるけど、1779の長久保赤水の改正日本輿地路程全図そのものが幕府の公式図として作成されたものじゃないじゃん
普通に出版物だよね
許可を得て出版されたしるしに過ぎないね
“官許”の意味を勘違いしている可能性が高いな>>14
基本的にはどちらも李承晩時代から始まっているんだけど再燃したのはここ20年間ぐらいから>>1
まあ、ご立派な海賊版の地図だことww韓国はいつも古地図とか古文書を証拠だとか言って
提示してくるけど絶対に法的根拠だけは提示してこないね
なぜだろう?www
なぜ法的根拠を提示しないのだろう?www「改正日本輿地路程全図」(安永8年(1779年初版)の発行は、10代将軍の治世下になる。この地図は、伊能忠敬の実測図が幕府の機密とされたのに対し、普通に出版されていた。
もし、発行年月に近い1781年版で、幕府の出版許可印を受けたにしても、「極」などという文字であって、「官許」という明治以降の用語は使わない。
1844年(天保15年)は12代将軍治下になるが、1837年のモリソン号事件などを受け、全国的に海防論議が非常に盛んになっていた時期であって、幕末の志士たちが使っていた日本地図は、機密の伊能版ではなく、まさにこの地図だった。
幕府が元々許可していた地図の重版に、出版許可印がないは当たり前。
何を言いたいのだろうな。また日本の史料では日本領土とはなっていない、か。
朝鮮の史料で朝鮮領土と書いてある史料はいつ出てくるのか。
「竹島は日本の領土」 外務省の古地図は海賊版
24
ツイートLINEお気に入り
240