韓国国内では光復後の初期には、この桜遊びが日本の桜種である「ソメイヨシノ」の開花時期と連携していて、これが日本の象徴であり日帝強占期に入ってきた残滓と考え、否定的な見方が強かった。
日本軍は、1905年の日露戦争以降、駐屯地である南山やソウル一帯、鎮海港一帯に、日本居留民の花祭りを目的として桜の木をたくさん植えた。
よって、光復後にソウルや南山、昌慶宮、鎮海一帯に植えられていた桜の木は、日帝残滓清算を目的として切られて行った。
しかし、現代となっては、桜自体が韓国、日本、インド、中国など様々な原産地から自生的に育ったものであり、我が国でも八万大蔵経板に桜の木が多く使用されていたなど、単に日帝の残滓だけではないことが知られて、否定的な見方が大きく消えた。
日本国内でも、ソメイヨシノは昔に渡来人が持ってきた外来種という伝説が伝えられて、1932年には、日本の植物学者の小泉源一がソメイヨシノの原産地は済州島という論文を発表したことで、むしろ韓国と関連が多い花として認識されている。
韓国原産のソメイヨシノの今年の桜前線
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