舛添要一氏の論説から。
《韓国国防省は自説を訂正しようとはせず、韓国マスコミも「安倍首相が支持率回復という政治的目的で行った」などとピント外れの論評を繰り返している。
このような対応には、日本に対する甘え、植民地支配で苦しめられた日本に対してはどんな報復も許されるといった考えがある。それこそが「恨」の思想である。》
「恨」が、怨念や被害妄想につながることも忘れてはならない。日本による植民地支配に関しての感情がそうである。
韓国駆逐艦の上空を旋回したP1哨戒機は「加害者」であり、自分たちは「被害者」である。植民地支配をした日本のP1哨戒機は、自分たちに「怨念」を抱かした「憎悪」の対象なのである。
自衛隊と協力関係にある韓国軍くらいは、「恨」の思想から自由であってほしい。》
ttps://blogos.com/article/348428/ウリに恥をかかせたチョッパリが悪い!だろ(´・ω・`)
>>1
舛添の都知事時代は権力で中韓に媚びて勝手なことをして、私腹を肥やしやりたい放題やっていたくせに
都知事を辞めてから嫌韓寄りにシフトしたねずみ男っぷり大嫌い。「被害妄想」
この一言で説明が付く。そんなんで軍隊やられちゃ
ってところは大目に見なさいって事?>>1
嫁が層化の幹部と聞いていたけど、相変わらずな感じがする
>韓国軍くらいは、「恨」の思想から自由であってほしい
であってほしいではく、でなければならないだろうに
生きる中では大嫌いな相手とも、一緒に仕事をしなければ
ならないなんて事は珍しくもない話今さら舛添か笑笑
引っ込んでろって言いたいな。駆逐艦「広開土大王(クァンゲトデワン)」と漢文が読めない朝鮮人と朝鮮文化について。
ご自慢の好太王(広開土王)の石碑には、「新羅も百済も倭人が治めていた」と書かれています。
高句麗の第19代の王である好太王(広開土王)の碑は、倭人を撃退した功績を讃えるために作られました。
この碑は、鴨緑江(おうりょくこう)を渡った中国よりにあり、1880年に清国の集安の農夫が発見しました。翌年、関月山により拓本が作成されました。好太王碑は現在の吉林省集安市の好太王陵の近くに位置しています。高さ約6.3メートル・幅約1.5メートルの角柱状の石碑で、その四面に計1802文字が刻まれ、碑文は漢文で記述されています。
碑文は三段から構成され、一段目は朱蒙(チュモン)による高句麗の開国伝承・建碑の由来、二段目に好太王の業績、三段目に好太王の墓を守る「守墓人烟戸」の規定が記されていました。
それには「ここまで倭人が来た」「新羅も百済も倭人が治めていた」と書かれています。
本物か偽物かと揉めたことがありましたが、後にこの拓本が清国の時代の拓本と一致したため、本物だと証明されました。くだらねぇ
併合を経験してもいない世代が恨とかちゃんちゃらおかしい
それは教育だよ、ありもしない恨を拡大再生産する教育>植民地支配で苦しめられた日本に対しては
まだ言うか!>>1
何が植民地支配だよ。
朝鮮半島・韓国なんて奴隷制度の土地だったろうが。
https://kaikai.ch/board/43873/
https://kaikai.ch/board/51180/
韓国には地下奴隷制度が今もあるけどね。
レーダー照射事件と朝鮮文化の「恨(ハン)」の思想
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