世界の陶磁器文化を紹介する展示イベント「南原国際陶芸キャンプ」が、19日から21日まで韓国南部、全羅北道・南原の春香テーマパークで開催される。
7回目の今回は「朝鮮陶工、韓流を夢見る」をテーマに、韓国や米国、インド、ギリシャなど13カ国の陶芸家約110人の陶磁器を展示する。伝統陶磁器製作のデモンストレーションや陶芸体験なども実施する。
このイベントは南原の陶磁器文化を紹介し、各国の伝統陶芸文化を学び合う目的で開催されている。
世界にも知られる日本の薩摩焼の陶芸家、沈壽官家の初代・沈当吉は朝鮮王朝時代の1598年、丁酉再乱(慶長の役)の際に南原から鹿児島に連れていかれ、直系子孫が420年にわたり代々薩摩焼をつくり続けている。
陶芸キャンプの主催側はイベントについて「日本に連れていかれた陶工を追悼し、朝鮮陶磁器の源流である南原の立ち位置を確認する場になる」と説明した。
聯合ニュース
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/10/17/2018101702622.html>>1
つまり、もし有事の際、韓国人が日本に難民としてやって来たとしたら、後世では、この記事のように日本に連行されたと表現されるから、決して受け入れてはいけないって教訓だね。陶工が帰りたくないと言ってたんじゃないの?
現代の在日はどうなのかね>>1
500年以上前の事を、まるで昨日の事の様に扱う朝鮮人達wwww
現在を生きる朝鮮人達が受けた被害では無いのに大騒乱www
本当に理解に苦しむねwww強制連行された筈の陶工も在日も帰らないんだよね。
>>1
「もう帰っていいよ!」って言ったのに、なぜ陶芸家は
帰らなかったのか?を、韓国は真摯に考えてほしい。朝鮮陶工、韓流を夢見る・・・
奴隷階級だったのに、韓流とか名乗れちゃうのか。それよりも他国からわざわざ参加してくれた陶芸家に
感謝した方がいいんじゃないか。
反日活動に利用されたと思う人もいるんじゃないか。徳川時代になって朝鮮への帰還事業をやっていたのに自分の意志で
帰らなかった朝鮮人陶工たち。
そりゃ、奴隷に戻りたくないわな。日本を招待したけど、断ってきたnida
南朝鮮では何かイベントを催す時反日要素を盛り込むと助成金でも出るんじゃないと思わせるぐらいだな。
本国で途絶えている伝統を寧ろ420年代々伝統を守り続けてもらっていることを感謝すべきなのに。。。
現在の反日の源流思想がよくわかる話だわwwwどれだけ馬鹿にしようが、
連中の主張のみが世界に広がるのが事実。
誰も疑いなんて持たない。>>12
>南朝鮮では何かイベントを催す時反日要素を盛り込むと助成金でも出るんじゃないと思わせるぐらいだな。
それ本当で、何かイベントをする時に反日入れたら政府からワンクッション置いた所から協賛とかしてもらえる。朝鮮陶磁器の源流を確認したいなら中国に行けよ。
朝鮮人は起源主張するのは大好きだけど
自国の起源を探る作業は嫌いだよね
朝鮮鉄道の起源・朝鮮建築の起源・朝鮮仏教の起源・朝鮮文化の起源・・・>>16
日本に渡って尊敬される夢を見るwまぁ、戦争に慣れば捕虜が出るのは当然のこと。当時の朝鮮は日本のような専門の武士階級がいたわけではなく、一般の庶民をかり集めて軍隊を作ってたから、中にその手の職人がいたってだけの話なんだよね。で、すでに書かれてるとおり、戦争が終わった後に護衛をつけて本国に返してやるって言ってたのに、一向帰ろうとしなかったのが彼ら。
>>3
そうだよ。
↓
李景稷「扶桑録」
人情とは祖国を思うのが摂理である。
ただ、都主が刷還(日本に連れ去られた儒家、陶工などの捕虜を朝鮮へ連れ帰ること)に力を注いでいないことが憂慮されるだけで、我が国民が帰国を喜ばないはずがないのではないか。
あなたたちは朝廷の優待を受けているゆえ、刷還に誠意を示すべきだ。
日本に到着した後、面会のために訪れる者は多かった。
しかし、帰ることを希望する者はとても少なかった。
10歳以前に捕虜とされた者は、言語や行動がまるで日本人である。
ただ、自分が朝鮮人だということを知っているがゆえに、使臣が来たという話を聞き、興味本位で面会するだけで、祖国を思う心は全くなかった。
生計が少しでも豊かで、日本に根を下ろした者たちは、帰る気が全くなかった。
刷還した者は殺されるか、無人島に送られるか、もしくは使臣が自分の奴隷にするという噂が広まっており、それは違うと丁寧に説明しても、その疑惑を払拭することはほとんどできなかった。
姜弘重「東槎録」
日本は物資が豊かで国民が安らかで生利が豊かで労働者も数年で数百金を集める。
このため、帰る意向はなかった。
皆、野蛮人に染まり、親子も親族も忘れた。
日本はルールを守る国民であり、経済力の国。
山と川は美しく土地が肥沃で市場には物が山のように積まれている。
村里には穀物があふれ、裕福さと豊かさが朝鮮とは比べものにならなかった。李参平
朝鮮忠清道金江(現・韓国忠清南道公州市反浦面)出身。金ヶ江の姓はこれに由来する。1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)の文禄・慶長の役で、有田を含む肥前国の実質的な領主であった鍋島直茂により日本に連行された(後述)。日本で初めて白い肌の陶磁器「白磁」を作ったとされる。
陶工達を連れ帰った鍋島であったが、言語や習慣の異なる朝鮮人陶工の処遇に頭を悩ませ、重臣多久安順に預けた。小城郡多久に移り、ここで1599年(慶長4年)から陶芸を始めたとされる。しかしながら納得のいく陶器を作るに至らず、多久の支援のもと磁器生産に適した白磁石を求めて鍋島領内各地を転々とする。
はじめ西高麗谷に12年ほど住み、のち西多久、藤の川内に移る。最後に有田西部地区の白川山に落ち着き築窯。その後、1616年(元和2年)に良質で大量の白磁石を発見し、天狗谷窯(白川)の地で日本初の白磁器を産業として創業した。これが有田焼の起こりである、という。
有田の龍泉寺の過去帳には、明暦元年8月11日(1655年9月10日)没、戒名・月窓浄心居士と記されている。李参平の墓所は長らく忘れ去られていたが、1959年に天狗谷窯付近で戒名を刻んだ墓石が上半分を欠いた形で発見された。現在は墓石は白川墓地に移され、「李参平の墓」として有田町指定史跡となっている。
尚、今現在も直系子孫が李参平の名前を継ぎ陶器を作っている。(現在は14代目)>>1
「追悼」って、日本に来た、陶工の職人は、お金もくれるし、大切にされるし、何より評価してくれる所だとみんな喜んで、帰った人も使い慣れた道具を取りに戻っただけで、喜んで帰化したのにね。>>20
と、いまだに下水処理もできずに海に垂れ流す自称先進国人が呻いています。>>1
未だ言ってるよ。中国発祥のものを伝えただけのくせに。
『韓国人「日本陶磁器の源流は、朝鮮から拉致して連行して来た陶磁器の技術者だった‥」 韓国の反応』
http://blog.livedoor.jp/sekai minzoku/archives/54945048.html(スペース削除)これ要は
朝鮮では開花出来なかった!
日本が認めてくれたから日本の職人気質で発展したのだろ?
李氏朝鮮時代から有名な職人や技術て何よ?
日本の鍛冶職人や名刀とか宮大工みたいな人は居るのか?
結局、朝鮮では開花出来ないんだよ。
日本が奪ったのでは無く朝鮮は活かせなかったのだよ。>>23
お前等のじいちゃん、ばあちゃんにトイレの躾したのは誰だと思ってるんだ?w別に陶磁器なんて元から日本にあるっちゅーねん
朝鮮から来た陶工がすべて発明したわけじゃねー>>1
500年前の事なのに、まだ憎悪情緒を育成するのか?w
本当に朝鮮人の憎悪情緒は全世界が理解に苦しむねw>>28
磁器の最初は朝鮮から連れてきた人で正解
その人が土から探した。
陶器は土器の発展形で世界中にある。
韓国語では陶器と磁器をあまり区別してないので陶器まで伝えたと勘違いする。
世界陶磁器イベント「日本に連行された陶工を追悼し、朝鮮陶磁器の源流を確認する場」
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