歴史の教科書?
いつの時代の話ですかね
日本の記事では見たことが無いです- 5名無し2018/06/17(Sun) 12:00:02(1/1)
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>>1
聞いたことは無いけど、外国産の珍しい物なら人気はあったはず。
そして新羅の剣が日本で宝物扱いなら正倉院で見つかるはず。
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%AD%A3%E5%80%89%E9%99%A2+%E5%AE%9D%E7%89%A9&rlz=1C1AVNE_jaJP714JP714&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiu4oSV29nbAhUHbrwKHaRxAGcQ_AUICigB&biw=995&bih=573#imgrc=_大化改新とかその頃の話しかな
草薙の剣とかもしかすると新羅の剣だったのかも>>1
聞いたこともないし出土品もない
何を根拠に書かれたんだろうね?752年、新羅王子で韓阿きん(官位17等の第5位)の金泰廉(きん・たいれん)、
貢調使で大使の金喧(きん・けん)、王子を送る使いの金弼言(きん・ひつげん)ら7百余人が7艘の船で来朝した
新羅王子の金泰廉(きん・たいれん)らが天皇にお目にかかり調(みつぎ)を献上した
金泰廉次のように言上した
新羅国王から言上します
新羅は遠い昔の王から代々絶え間なく天皇に奉仕してきました
新羅国王が自ら来朝すべきですが、1日でも主がいないと国が緩むので、王子泰廉を名代として種々の御調を貢進させます
天皇は次のように述べられた
新羅王の忠誠を朕は喜んでいる
今後も末永くいたわり慈しみを加えよう
新羅は神功皇后がかの国を平定して以来我が国を守る垣根の役を果たしてくれた
ところが前国王の孝成王は礼儀を失って来た
そこで罪を攻めようとしていたが、景徳王は以前の過ちを悔いて王子泰廉を遣わして御調を貢進した
朕はこれを大変喜ばしく思う
今後は新羅国王みずから来朝し直接ことばで奏上するように
もし代わりの者が入朝するなら必ず上奏文を持参するように七支刀をもって人気があったと言ってるんじゃないのかね
でもあれは倭と百済の同盟の貢ぎ物というものであって
百済のナイフの人気があったなんてのは自分は聞いたことない事実とするなら舶来品だからだろ
心配するな
別にそれは朝鮮に限らない
ずっと日本はそうだから>>1
その人気が有ったってする説はいつの時代の事なのか書かないと意味が無い。
ただ俺の記憶が確かなら画像の様な刀剣が人気になったって時代は知らない少なくとも500年は人気になって無い(現代〜江戸時代)
もっと遡って調べても、おそらく画像の様な刀剣が出てくる様な資料は出て来ないだろう。おそらく、支那が起源で朝鮮と日本にあった環頭大刀を高麗剣 (こまつるぎ) と呼んでたことがあった事から妄想ブーストがかかったんだろうね。
「消防署の方から来ました。」と本文販売で消火器を打った故事を思い出すね。>>14
訂正:「消防署の方から来ました。」と訪問販売で消火器を売った故事を思い出すね。>>1
何処の何時の日本だ?
聞いた事も無いわ>>1
これのことか?
西域系遺物は30点余りが展示される。最も注目される遺物は、1973年慶州鷄林路(ケリムノ)古墳で出土した装飾宝剣だ。金製の刃物の取っ手に赤いメノウをあしらって太極模様などで飾られたこの遺物は、当時のペルシャの装飾デザイン要素が明確にあらわれ、韓国の代表的な西域系遺物と評価される。イラン博物館関係者も必ず展示したい遺物として最初にこの宝剣を名指しした程に関心が大きいという。
http://www.hani.co.kr/arti/culture/music/805851.html>>6
聖武天皇が建立した東大寺(奈良市)の大仏殿内で明治時代に出土し、国宝に指定された金銀荘大刀(きんぎんそうたち)2振が、聖武天皇の遺品「陽宝剣(ようほうけん)」「陰宝剣(いんほうけん)」と分かり、同寺と元興寺文化財研究所(同市)が25日発表した。2振は、聖武天皇没後に正倉院に献納された後に持ち出され、約1250年間にわたり行方不明だった。
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2504S_V21C10A0CR8000/全然知らん
聞いた事が無いぞ。
>>1出てこい!>>7
ない。>>1
新羅の剣? 初耳だね。
そもそも、古代史ファンでもなければ、新羅だの百済だのに
強い関心を抱く日本人は、ほとんどいないから。>>1
煽りではなく始めて聞きました
初めて見ました
存在さえ認知されてません>>1 看上去样式很像隋刀。
中国の刀とよく似ているねw
日本が尊重するのはコピーではなくオリジナル書き込みが無いところを見ると韓国人も知らないんじゃないの?
>>33
隋ナイフと異なるスタイル。
唐ナイフ?
銘文は、光明皇后の大仏への献納目録「国家珍宝帳」に記された刀100点の筆頭の「陽寶劔(ようほうけん)」「陰寶劔(いんほうけん)」と名前、長さや装飾の特徴がほぼ一致。珍宝帳の2刀の項目には、正倉院に納めた後に取り出されたことを示す「除物(じょもつ)」の付せんがあり、別の記録から光明皇后が亡くなる約半年前の759年12月26日に取り出されたことが分かっています。
http://nmzk.blog.so-net.ne.jp/2010-10-28-1>>35
調べました。
正倉院のは「金銀鈿荘唐大刀」で、唐大刀は唐風の大刀を意味し、外装に豪華な装飾が施され、儀式用とされる。環頭大刀ね
献上品だろ当然ながら元々中国の様式でございます
>>1
日本の立場では、新羅や百済は属国だとしていたので、朝貢における献上品として受け取っていたんだと思う
その代り、それらの国が攻められたら、軍を出して助けた
受け取った献上品 = 王の証拠
こんな感じ>>1
「新羅、剣」で検索してみたけど、
新羅の僧が日本で草薙の剣を盗んで、新羅に持ち帰ろうとした話しか出てこなかった。
結局、風雨がひどくて道に迷って戻って来たそうだ。
他は当時の朝鮮半島の国からの献上品が神社に奉納されてるとかいうのが一つ二つあった。
新羅で鉄鉱石が採れたという話も聞かないし、新羅の剣が特に優れてたということでもなさそうだな。
やっぱり日本で新羅の剣が特別人気だということは無かったんじゃないかな。献上品は当然大事にされただろうけど。그런 것은 학교에서 들어본 적도 없는데??
>>20
これがスレヌシの言う新羅のナイフなの?>>1
「非常に人気あった」等との感情に訴える記述で止め、且つ、その根拠を示さない韓国内の歴史の記述は、読み手に対し、書き手の意図通りの脳内反応を形成することを策謀したものです。
この手の「感情に訴える記述」に深く関わっても、時間の無駄かと想いますよ。南朝鮮で編まれた「韓国史」は、統治者の意図に沿う記述とすることで成立していますので、それ自体が「負の遺産」そのものなのです。>>46
でもみんな朝鮮人の刀じゃなく、中国の刀だと信じていたよ。
昔の古道具屋は詐欺ばかり…>>46
10万円以下のをたくさん見てきたが何だったんだろうねぇ。>>49
日本の田舎の人は中国の古い刀だと信じていたんだよ。ハングル書いてないからね。もちろん模造品を額に入れて朝鮮人が販売したんだよ。
デザインをパクった土産物だと理解すれば良い。朝鮮人も中国の刀だと言って売ったんじゃないの?>>28
ざっくり言うと、古代から中世あたりの日本では慣習的に中国製のものを「唐~」と言ってたんだよ>>19
燕の国の鉄斧・鉄鍬が和の国の主力兵器だぞ1882年初版~9版 ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』より抜粋
すべての準備が整った西暦202年10月、この勇猛な女王は肥前の海岸から出航し、無事に新羅の海岸に上陸した。新羅王はそれまで九州の未開な部族しか見たことがなく、この東国から来た精強な軍隊と巨大な船団を見て大いに驚愕した。恐れおののいた新羅王は、直ちに服従の意を示した。彼は自分の手を縛って女王に拝謁し、自分は日本の奴隷であると宣言した。神功皇后は自分の矛を王宮の門に立て、新羅王の服従のしるしとした。彼女は門に「新羅国の大王は日本の犬なり」と書いた。この伝えを
『19世紀に目覚めた日出る王国は、隠者の王国にかつての自分を見出し、何世紀も前に朝鮮が日本にしてくれたことをするために、隣国に喜んで手を差し伸べたのである。』
これは朝鮮人による歴史の塗装作業の良い見本である。つらい現実には国産塗料を塗りたくり、黄金に見せかける。さらに後世の事件に対しても、公的な虚飾が巧妙に施され、敗戦すら輝かしい勝利に変えられる。
<抜粋ここまで>
>>1
子供の頃っていつの話?
1911年アメリカで「隠者の国」というフレーズは、朝鮮の代名詞として有名になった。
そんな最近まで、韓国がまだ隠者してたとは大草原
신라칼이 일본에서 인기였다는 것이 사실인가요?
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