略
判事は法律と良心に従い、独立して審判を行う人物だ。明らかになった事実に基づき、偏見や歪曲(わいきょく)なく法理判断を下すことが判事の義務であり基本姿勢だ。告発の是非に関する判断も同じだ。ところが、司法のトップである大法院長が「各界の意見」を聞き、告発の是非を判断すると言って、責任を転嫁している。「判決も各界の意見を聞いて下すのではないか」と言われても仕方がない。
朝鮮王朝時代の儒学者、李珥(イ・イ)は、ちまたに広まる「浮議」(うわついた議論)に警戒すべきだと指摘した。多数意見である「衆論」と理知にかなう「正論」は異なる。明らかになった事実によって、正しく判断するのが判事だ。ところが、現在の司法はいわゆる「司法ポピュリズム」に陥ってしまったようだ。金院長は昨年、人事聴聞会を控え、「31年間裁判一筋だった人間の水準を示したい」と述べた。その水準がこの程度であれば、失望を禁じ得ない。
http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2018060801868>>2
無理言うな。>>2
中国属国時代に、独立時代に、日本属国時代に、米国属国時代を経てなお、無理なんだから無理。
日米中が総出で取り掛かって無理なんだから、無理。
次はイギリスかドイツかロシアに投げたい>>1
えっ!?今頃気づいたんですか?www>>2
それができたら朝鮮人じゃないよ。>>1
儒学は為政者が愚民を操るための政治理念なのに、それが民衆に儒教として根付いている韓国は、民主制を用いても衆愚政治にしかならない。司法関係者も「韓国人」だ。
あまり無理な事を言ってはいけない。
ちなみに、大統領も官僚も全て「韓国人」なので、ご覧の有様ですwww
韓国司法のポピュリズム
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