"私は88歳です。 もう事実を話したいです。"[チェギホ谷大学客員教授]
私は1923年生です。 もう韓国を危害度、日本のためも事実を話したいです。 それは相当の覚悟が必要です。 生命の危険も覚悟しています。 しかし、これは私の使命なのです。
私はソウルに住んでいました。 そして、たまに平壌(ピョンヤン)や東京に行きました。 その当時の韓国人は日本人以上の日本人です。 劇場に行ったら映画の前に戦争のニュースがありました。 例えばニューギニアで日本が勝った映像が流れると、拍手と万歳の嵐です。 私は映画を好み、、東京でも行きましたが、日本人は冷静ました。 しかし、韓国人は全員が狂ったように喜んでいました。 それが普通の姿でした。
日帝統治に対する客観的な事実
174
ツイートLINEお気に入り
117
52