稲作はどこから来たか partII

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    • 1名無し2022/09/13(Tue) 04:55:07ID:ExNjA2MTY(1/3)NG報告
    • 285名無し2023/02/17(Fri) 22:08:58ID:MxMTk3MDg(1/1)NG報告

      >>284
      だって、遺伝子デート参照とか言いながら人によって言うことが違うからね。日本人と韓国人は遠いと言ったり近いと言ったり

    • 286名無し2023/02/18(Sat) 13:22:41ID:AwOTAwMzg(2/2)NG報告

      >>283NHKだからな。捏造だな‼️‼️

    • 287名無し2023/02/18(Sat) 13:38:20ID:QwMTQ3NjY(2/2)NG報告

      >>1
      稲作はどこから来たかよりも、どう発展させたかが重要。。

      今では日本の米が最高に美味しいのではないか~

    • 288名無し2023/02/18(Sat) 14:14:33ID:Q1Nzc0NDQ(1/1)NG報告

      >>285
      古代のことにそんなに正確なデータがあるのかな?
      諸説あるのは当たり前だと思うけど。

      情報潔癖症かな?

    • 289名無し2023/02/19(Sun) 13:27:38ID:k5MjcwMzI(9/10)NG報告

      水稲耕作って南アジアを見れば解るけど水の多い亜熱帯地方で二毛作、三毛作と行ってこそ本領を発揮する
      水の少ない地方で行われる陸稲は病気や虫害に対する耐性を考慮すると麦作に完全に劣る

      朝鮮地方に無い米を主として作っていた
      朝鮮地方では水稲は気候的問題で主とはならなかった
      イネ科野生種の痕跡まで遡らないと朝鮮半島と日本の大きな共通性は見出せない時点で平地と湿地の少ない朝鮮半島経由が主とは考えられる訳ないだろ

    • 290名無し2023/02/19(Sun) 14:14:26ID:Q2NDQyNzk(2/2)NG報告

      農業とか牧畜ってどっかの超大国が居て教えてやったんだぜ!ってよりは何処国ってか集団も大なり小なり自前でやってた物じゃねーの?そもそも気候から育ててる品種にして大昔は今より更に別物だし
      稲作が何処から来たの?って問いには何処の国も大体トライ&エラーを繰り返して自前で発展させたって答えじゃね

    • 291名無し2023/02/19(Sun) 14:39:17ID:I5MjU5MTY(1/1)NG報告

      >>290
      A村で米を作ってたから、隣のB村も交易等でA村から稲籾を手に入れて、それを試してみる。
      でB村でも稲作出来たら、それを聞きつけた隣のC村が自分の村でも稲作をやる
      そうやってA村→B村→C村→……と陸路で伝播するわけだけど、
      中国南部から朝鮮半島北部をぐるりと村を経由して稲作が伝播するのは寒冷地だから不可能(植物が選抜と突然変異を繰り返して南北に栽培環境に適応出来るのは時間かかる)。

      となると、稲作やってた中国大陸南部から、戦乱の避難民や交易で稲作が伝わるのは半島も日本も条件が同じ。

    • 292名無し2023/02/19(Sun) 21:15:57ID:g2MDkyMTk(1/1)NG報告

      >>291
      気候、土壌を無視すればのお話。
      古代において気候はもっとも大きな条件

    • 293名無し2023/02/19(Sun) 21:30:56ID:Y2MjM4NTM(1/1)NG報告

      朝鮮半島は関係ない

    • 294名無し2023/02/19(Sun) 22:59:03ID:M5OTQwMTQ(7/8)NG報告

      >>255
      ヨーロッパの方が遥かに民族の移動が頻繁に起きているから、民族的に近いのは自然なこと。

      フィンランドは特異的に古くから住んでいる民族が多く残っていて民族移動があまりなかった地域。地形的な要因も大きいし、気候の差もかなり影響していると思う。その代わり、ロシアに分捕られた地域はスラブ系民族が多くなってロシア化した。カレリア共和国は、元々フィン人が住んでいた地域。

      ローマ帝国時代に商人を中心として広域に渡って人が移動していたから、移動が収まって長く続いた所が周囲の地域との差が生まれ、言語や文化において、その差が段々広がってくる。経済が発展した都市ができると、その地域に影響力を持っていた民族が大勢移動してきて植民都市を作ったりしていたので、必ずしも、連続的に民族がつながっているわけでもない。
      ドイツ、オーストリアとオランダなどは民族の移動ないし拡散の結果として言語的にかなり似通っている。
      イタリアは都市国家がたくさんあったことで、深い交流のあった近縁の地域で言語がほぼ似通っていた上、都市国家が統合されてイタリア語が成立。
      スペインは、同じスペイン語と思われやすいが、地域によって、かなり言語が異なる。これは現在のスペインに統合される以前の期間に別々の国が成立していたため。国が成立すると、人の移動が収まるので、その中での異民族交配が進み、特徴ある民族が生まれる。

      各地域の言語は、支配勢力の成立と、それが続いた長さによって大きく変容している。

      英国は島国だが、大陸から何度も異民族が入り込んでいるので、日本とは全く事情が異なる。まず、石器時代から住んでいた先住民、金属文化を持ち込んだケルト人(ブリトン人)、さらに時代が下ってから移住してきたゲルマン人(アングロ・サクソン人)らが地域ごとに異なる民族として住んでいた。それぞれにルーツが異なる民族がブリテン島の中で民族ごとに異なる地域性を保ちながら、統合されたのがイギリス。他にも統合される以前にノルマン人、デーン人、スカンジナビア人などが入って来ており、それらが支配層として定着するなどして、各地域に浸透していった。したがって、言語的にも、様々な影響を受けざるを得ない。民族的には、スラブ系、ゲルマン系、ラテン系(ロマンス諸語派)と大まかな違いはあるものの、その中で個別に見れば民族的距離は、かなり近い。

    • 295名無し2023/02/19(Sun) 23:12:46ID:EzMzYyODY(1/1)NG報告

      そもそも論として朝鮮半島では米が主食であった期間は短いんだよな。
      陸稲・水稲は作付けされてはいたけれど、粟や稗がメインだった。

      ソウルオリンピック前まで雑穀を米に混ぜて食べていたんだから。

      朝鮮半島からもルートの一つであったかもしれないが、遺伝子からすると主流ではなかったと思うぞ。

      ましてや教えてやったなんてレベルでは無いだろうな。

    • 296名無し2023/02/19(Sun) 23:25:10ID:k5MjcwMzI(10/10)NG報告

      厳しい冬に青い芽を出して
      踏まれて踏まれて強く大地に根を張り
      真直ぐに伸びて実を付ける麦になるんじゃ…

      麦は強い、強風吹くだけで倒れて腐る根の浅い稲と一緒にしちゃ駄目
      日本でも小氷河期で寒かった戦国時代は関東辺りから北は麦中心だったんだぞ
      平時ですら日本の小氷河期の関東地方より寒い朝鮮半島で稲作ですって?

      毎年飢饉に襲われますわwwwww

    • 297名無し2023/02/19(Sun) 23:25:12ID:M5OTQwMTQ(8/8)NG報告

      >>291
      朝鮮半島南部には、海洋民族の末裔でである縄文人が日本列島から移住して住み着いていたとしても、伝わる条件が同じとは言い難い。

      長江下流から黒潮に乗って漂流すれば、済州島~対馬~九州西部の当りに辿り着く。
      済州島近辺を経て、朝鮮半島に辿り着いたものもいただろう。

      だが、水田稲作が定着するためには、気候・地形・水の利の全てが満たされる必要がある。
      時代が下っても、米の収量には九州と朝鮮半島では大きな差があったわけだから、先に定着したのは、九州だったと考えるのが自然。

    • 298名無し2023/02/19(Sun) 23:26:53ID:AxNDg5MTY(1/2)NG報告

      米が日本列島に渡ったことは大きく2回あった。まあ学説だが
      ハツカネズミは人間の家に住む動物なのだが、つまり定住者が必要。移動する狩猟生活者にはいない。人間の遺伝子研究もネズミのそれもそうだが、ここ数年の進展は目覚ましくて、インド方面発祥のネズミAは約4000年前に日本にやってきている。中国南部経由。その2000年後に朝鮮半島経由でネズミBがやってきている
      いずれも米と関係している可能性がある

      ちなみに水田は弥生時代から日本で一般的な訳だが、朝鮮半島ではほぼ20世紀までなかった。田植えもなかった。2000年前に既に日本にあった田植え&水田が朝鮮半島には最近まで存在しないのに、2000年前に朝鮮から米作が伝わり、4000年前に中国南部から直播の米栽培が伝わっていた

      朝鮮が先か、日本が先か。なんて話もいいけど、事実を知りたいと言う意味で見る歴史は面白いよね

    • 299名無し2023/02/26(Sun) 06:45:07ID:I3ODQ5OTQ(1/1)NG報告

      日本には、縄文時代中期から、農耕が始まった。最古の稲作は、4000年前の秋田らしい。

    • 300名無し2023/02/26(Sun) 09:52:03ID:IxMTI3MTg(1/1)NG報告

      >>299
      四千年前に、稲作起源の中国長江沿いにいた「三苗」族が夏に敗れて東西南北に四散したらしい。
      稲籾を携え対馬海流に乗って日本列島にも来たんだろうね。
      その後も何度も長江付近で戦乱が起きるたびに多くの中国人が稲籾を持って日本に逃亡して来たと思う。

    • 301名無し2023/02/26(Sun) 10:18:17ID:cwMTYwOTg(1/1)NG報告

      日本の稲作は三千年前に九州北部で始まり、その後稲作は五百年足らずの内に本州最北端の現在の青森県にまで広まった。

      日本の東北地方の稲作は日本海側沿岸の伝播と太平洋側沿岸の伝播は別系統での伝播であり、日本海側沿岸の方が早く伝播した。

      紀元1世紀ころに日本列島が寒冷化したことと、
      青森で稲作が行われていた川沿いの地域が川の氾濫で土砂に埋もれたこと、
      二千年前に太平洋側沿岸の稲作地域が大津波によって大打撃を受けたことで、
      東北地方の稲作は行われなくなってしまった。

      東北地方の太平洋側では海岸から奥まった山に近い地域で稲作が再開されるが、
      青森や秋田などの地域ではしばらくのあいだ稲作は行われなくなった。

    • 302名無し2023/03/04(Sat) 09:54:58ID:Y3MzM5NTI(1/1)NG報告

      ニホンヤモリ 実は外来種
      東北大学の研究チームは古文書の調査と遺伝子解析により、約3千年前に中国から九州に渡来し、日本社会の発展と歩調を合わせるように生息域を東へと拡大したことを突き止めた。
      ニホンヤモリはニホン以外にも中国大陸東北部にも分布するため外来説が有力だったが、詳しい来歴は不明だった。


      3千年前に揚子江河口から稲作を日本に伝えた人たちが乗って来た船にニホンヤモリも居たのだろう。

    • 303名無し2023/03/08(Wed) 07:31:55ID:AxMjA1ODg(1/1)NG報告

      >>252
      インド・ヨーロッパ語族というが、日本と半島はインド人とヨーロッパ人より人種的に遠いのかな?アーリアンというか。肌の色は日本人と朝鮮の方が近いかもだが、言語は史料がないから特定できないだねかね?

    • 304ヨメ@FFT所属シャコパンチ2023/03/08(Wed) 07:41:34ID:kyMDU0MTY(1/1)NG報告

      とりあえず、朝鮮半島にもたらしたのは我が日本国の先人達。寒冷地、そして農産に力入れてなかった朝鮮半島に朝鮮半島でも育てられる稲やその工法をもたらしてあげたのが俺達日本人の先人達さね。

    • 305名無し2023/03/08(Wed) 17:19:14ID:IyMTkxNTI(1/1)NG報告

      縄文時代,4000年前に稲作が行われていたのは、事実です。秋田県から、稲作の跡が発掘されている。

    • 306名無し2023/03/10(Fri) 00:00:01ID:g5NjgzMTA(1/1)NG報告

      インドネシアから

    • 307사이반2023/03/10(Fri) 09:09:03ID:I2MjQwNDA(1/1)NG報告

      중국 남부가 현대 벼농사를 위한 자포니카종의 시작이라고 본다. 한국이나 일본에서 이전 야생벼를 먹은 흔적들이 있지만, 현대 벼농사와는 거리가 멀다.

    • 308名無し2023/03/17(Fri) 16:47:57ID:g0MzQ3Njk(1/1)NG報告

      「二重構造説」により
      渡来人を持ち上げようとする意図
      「二重構造説」は、縄文時代末期から弥生時代に渡来人が大量にやって来たということを前提にしていますが、そもそも、どのくらい大量だったのか、はっきりとしたことはわかっていません。それにもかかわらず、「二重構造説」は北方系の渡来人が先住日本人を急激かつ大規模に変化させたと主張しています。

       さらには、この急激な変化が縄文時代の狩猟採集の生活を弥生時代の稲作生活に構造転換させた証拠であると説明され、朝鮮半島からの渡来人が稲作などの文明をもたらし、弥生の文明開花が可能になったのだという理屈が導き出されます。このように「二重構造説」はそもそも虚偽に満ちており、渡来人を持ち上げようとする何らかの意図が背後にあるのではないかとさえ疑いたくなります。

       すでに縄文時代から、あらゆる系統の民族が漸次的に日本にやって来て、漸次的に多民族間の混血が進み、日本人が形成されていったと見るのが実態に即した捉え方です。特定の地域の特定の民族が日本人を劇的に変えたというような動的な変化などなかったことが最新の遺伝子研究からわかってきているのです。

      https://share.smartnews.com/gAHvd

    • 309名無し2023/03/17(Fri) 23:54:59ID:U1Mjc4Mjk(1/1)NG報告

      稲は、南方系の植物、普通に南から北に広がる物だよね。
      今の朝鮮半島で栽培されている稲は、日本が品種改良して寒冷地の韓国でも栽培できるようにしたもの。
      韓国から日本に伝わったというのなら、元々朝鮮に在った稲は何処に行ったのか?
      ジャポニカ米でなくても、寒冷地に適した稲が存在していた事になるよね。
      だが、そんな物は存在しない。
      故に、普通に考えれば、日本から朝鮮に稲作が伝わったと考えるべきだろう。

    • 310名無し2023/04/18(Tue) 23:41:27ID:E5Njg2NTI(1/4)NG報告

      >>303
      相変わらず願望妄想開陳スレだ。まあいいわ。

      それ貼ったの俺だ。
      稲作じゃないのな。こっちか。全く見に来てなかった。お問い合わせに気付けるわけない。アンカ他にもつけた人がいるな。ソーリー。申し訳ない。
      まともで真面目な質問には内容問わずちゃんと答ないといけないね。
      アーリアンか。そうなるよな。
      折角だからヨーロッパ人とそれにまつわるお話しをちょっとだけ根っこの部分から話そう。端折りすぎて誤解を生むのも何だからそこそこちゃんとやる。びっくりするほどの勘違い馬鹿が寄ってこない程度には堅苦しくならんよう平易な感じで分かりやすく書く。4~5話位になるかな。気付いた時にでも目を通してくれればそれでいい。質問には最後にちゃんと返答する。

      1、ヨーロッパの在来民と農耕
      西ユーラシアでは現在のトルコ南東部及びシリア北部で約11000年程前に農耕が開始されたとされている。
      農耕がヨーロッパに拡散する以前の西ユーラシアは
      ・イラン周辺農耕民
      ・肥沃な三日月地帯農耕民(メソポタミアだ)
      ・東ヨーロッパ狩猟採集民
      ・中央、西ヨーロッパ狩猟採集民
      という大きく分けると4つの人類集団が存在していた。この4集団は遺伝子型も表現型(まあ見た目の事だ)も相当大きく異なっていたようだ。
      その後約9000年前にアナトリア(トルコだ)から農耕民がヨーロッパに拡がって行く。この農耕民はヨーロッパ全土に拡散し在来狩猟採集民と混じりあっていった。
      このアナトリア発の農耕民が話していた言語が印欧語の祖語だったのではないかとする説を「アナトリア仮説」という。
      ところがヨーロッパ全域にはその後別の集団が進出し、ヨーロッパ人の見た目を一変させるイベントが起きる事となる。
      それは5000年程前、日本では縄文時代中期に相当し、気候が安定し東~北日本ではそこそこ規模が大きい集落が出現し始めた頃のお話だ。
      添付画像はイギリス、チェダー渓谷にて発掘された約1万年前の人骨から再現
      通称「チェダーマン」
      縮れた黒髪、黒い肌、そして「碧眼」

    • 311名無し2023/04/18(Tue) 23:46:19ID:E5Njg2NTI(2/4)NG報告

      添付画像はイギリス、ホワイトホークエンクロージャーで発掘された約5600年前の人骨より再現
      通称「ホワイトホークウーマン」
      アナトリア発農耕民由来集団との関連が示唆されている

    • 312名無し2023/04/19(Wed) 00:06:01ID:A0NjMyNjY(3/4)NG報告

      2、ステップからの進出者

      ポントス、カスピ海ステップ(現在のウクライナからカザフスタン辺りにかけての草原地帯だ)を拠点としていた、とある集団がいた。その集団は先住周辺狩猟採集民、アルメニア、イランの農耕民やコーカサスの隣接文化民等々に由来するDNAを有し成立していった集団であった。
      この集団はメソポタミアや先行文化から取り入れた「馴化された馬、車輪、荷車」を更に発展させ馬車を考案し、それによる大量長距離輸送、また「直接乗馬」技術の確立により「高速移動」を実現させ、川(ドン川等)から遠く離れたステップの奥深くまで活動範囲を拡大し、賢い犬を助手に従え多頭数の羊と牛を引き連れた非定住移動式住居による半農半牧生活を営み、メソポタミア等に羊毛を大量に供給していた。

      前スレでアホ話しつつ少し話したがこの集団は、ベンガラを撒き、メイス、戦斧を副葬し、時に荷車と馬が丸ごと共に葬られている「グルガン」と呼ばれる大型墳丘墓群の製作者であり、このグルガンは後の日本の古墳にも系譜として間接的ながらも影響を与えている。
      乳製品等高タンパク質が主だった食生活であったせいか、この集団は高身長であり、また赤や金色の頭髪を有した人間が少なからずいたようだ。
      この集団の文化は現在総称して「ヤムナヤ・ホライズン(広域文化)」と呼称されている。
      その後チャリオット(馬曳き2輪戦車)を発明したヤムナヤ・ホライズン由来の集団はヨーロッパ全土及び北インドへ進出していく。4900年前以降の事だ。
      結果ヨーロッパ全土と北インドに居住する人々の遺伝子と言語がドラスティックに変化していく事となる。

      このヤムナヤ・ホライズン由来集団が使用していた言語が現在の欧印語の祖語だったとする説を「グルガン仮説」というが、「グルガン仮説」が現在では広く受け入れられている。(厳密に言えば修正を加えたグルガン仮説と言うのが正しいが)
      現在ほとんどのヨーロッパ国家で話されている言語は全てヤムナヤ・ホライズン由来集団が話していた言語が祖語であり(但し根っこの祖語自体は彼等より少し遡る)、その言語が方言化していったものだ。所謂印欧語族だ。

      インドにはたまたま昭和の親父さながらの人物記述が残されている。
      「インドラが戦車で乗り付け砦を破壊しアリヤのために土地と水を確保する」
      この集団は自らをアリヤと自称していたようだ。

      後は明日だ。

    • 313名無し2023/04/19(Wed) 07:57:41ID:cyOTUxNjU(1/1)NG報告

      アジア人の肌が薄くなったのはいつ頃だろう

    • 314名無し2023/04/20(Thu) 22:19:58ID:g5NTc4ODA(4/4)NG報告

      時間がない。集中して書く。

      印欧語族発見の顛末は後述するとして、貼った図の具体的事例をちょっと見てみよう。

      3、グレートブリデン島の様相
      あまり小難しくならん感じでいこう。
      舞台はグレートブリデン島周辺だ。要はイギリス周辺だ。
      グレートブリデン島は1066年のノルマン・コンクエスト以降外部勢力の大規模な侵入はない。だからその辺までのお話だ。
      狩猟採集民であったチェダーマン、その後やって来た、世界遺産ストーンヘンジの製作者集団と関連するとされる農耕民ホワイトホークウーマンの地に、ヤムナヤ・ホライズン由来の集団がやって来たのは約4400年前の事だ。イベリア半島(現在スペインとかポルトガルのある半島だ)西岸から北上、またドーバー海峡経由等ルートは一つだけではなかったようだ。
      それ以降ブリデン諸島は数種類の古いタイプの印欧語が話される島となっていく。
      ロンドン、テムズ(川)といった語彙は古いタイプの印欧語由来だ。(ケルト人、ケルト民族といった概念とステレオタイプ的な認識は実態が全く伴っていない為、ここでは使用しない)
      そうこうしているうちブリデン諸島にはローマ勢力がやって来る。キリストが生まれるちょっと前位の事だ。と言っても実態はガリアの傭兵ばかりなのだが、約450年間位ローマ勢力がブリデン諸島に居座る事になる。
      マンチェスター、ランカスターといったような地名はローマの残した残骸である。ラテン語由来だ。
      ローマが去った後、程なくゲルマン集団がやって来る。西暦400年代後半位の事だ。
      ついにブリデン諸島に英語がやって来た。ブリデン諸島の英語の歴史はここから始まる。英語は印欧語ゲルマン語部西ゲルマン語課の所属だ。
      そうこうしているうちヴァイキングもやって来るようになる。西暦800年代位だ。デンマークヴァイキングよりノルウェーヴァイキングの方がモテたようだ。現在ブリデン諸島にはスカンディナヴィア(主にノルウェー)に由来するDNAがより多く残されている。特にブリデン諸島北部オークニーではそれが顕著である。
      尚、更に北にあるアイスランドは現在スカンディナヴィア由来の父系とスコットランド、アイルランド由来の母系という組合せがかなりの割合を占める人間集団で構成されている。ノルウェーヴァイキングとスコットランドのお嬢さんのカップルだ

    • 315名無し2023/04/20(Thu) 22:27:38ID:M1MzI1MjA(1/5)NG報告

      西暦900年代半ばにデンマークとノルウェー南部を無血統合したのは偉大なハーラル1世「青歯王」だが、彼は現在、主にスマホとイヤホンを無線で統合する業務に勤しんでいる。豆知識だ。
      話を元に戻す。
      西暦1066年、フランス国王臣下ノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド王ハロルド2世を倒し、ノルマン朝イングランド王ウィリアム1世として即位する。「ノルマン・コンクエスト」である。ノルマン人がイングランドを征服してやったぜという事だ。
      そもそもノルマンディー公国って何、という話だが、ロロという乱暴者のヴァイキングがフランス国王の足元みてフランス国王にフランス北部の土地の支配を許可してもらって出来たヴァイキングの国である。(ノルマンディー上陸作戦があった辺りだ)
      ノルマン朝ウィリアム1世は正真正銘ヴァイキングの末裔なのである。
      さてそのヴァイキングの末裔たる新国王がブリデン島に持ち込んだのはヴァイキングの酒と娘である。これは嘘である。
      彼が島に持ち込んだのは多くのフランス文化と大量のフランス語語彙である。
      イングランドは実質的にその後数百年二重言語国家であったのだ。支配者層が使用した上位言語はフランス語(及びラテン語)であり庶民の言語は西ゲルマン語課「中英語」、そして辺境地には古いタイプの印欧語話者が存在するといった感じであったのだ。まあ百済みたいなもんだ。
      二重言語であった面影を今に残す例として、
      牛(COW)牛肉(BEEF←仏語由来)
      羊(SHEEP)羊肉(MUTTON←仏語由来)
      みたいなものがある。
      支配者層食文化のおフランス語彙が残ったのである。
      ゲルマン語課所属の当時の中英語は、島に存在した古いタイプの印欧語の要素や、ラテン語の語彙を取り込みつつ、以降フランス語のエッセンスをたっぷり振りかけられ、簡素化しながら近代英語へと変容していく。
      ブリデン諸島の人間集団及び言語は斯様な感じでご近所の影響を多様に受けつつ形成され現在に至っているのだ。
      そしてここに登場したホワイトホークウーマン以降の出演者、出演集団は漏れなくステップの非定住民ヤムナヤ・ホライズン由来集団のDNAを受け継いでる人々である。

      「国家間遺伝的類縁性は地理的距離及び言語類縁性と概ね強い相関性を有する」
      大した文字数も書けない。超端折った内容となったが、感覚的に成程ねー、と感じてくれたら幸いだ。

    • 316名無し2023/04/20(Thu) 22:47:41ID:M1MzI1MjA(2/5)NG報告

      4、印欧語発見の顛末

      「全ての印欧語は単一の先史言語を祖先とする」んじゃないかと思う。
      サンスクリット語とラテン語等ヨーロッパ言語に文法、語彙の極めて高い類似性を見出したこのインド在住法律家の純粋な知的見解は、比較言語学、ヨーロッパ通時言語学の出発点となり、後にグリムの法則等印欧語の音韻対応研究などの成果を産み出すことになるが、その一方で帝国主義時代に突入しつつあったヨーロッパ人達に「稲作はどこから来たか」ならぬヨーロッパ人とは何者でどこから来たかといった自らのルーツ探しにも旅立たせることになる。
      その道程でインド在住法律家の言語学上の知見には、19世紀ダーウィニズムや、ダーウィンの従弟の論説等の生物学的要素が纏わりつくように絡み合ってくる。人種という概念が考案され、アリヤ、アーリアと自称していたらしい北インド、ヨーロッパ人の共通祖語を話していたとされた先史言語話者、そしてその子孫であるヨーロッパ人は背が高く、明るい髪と青い目、健康な肉体と優れた知性を併せ持つ最も優れた1つの人種であると断定されるに至る。そんなこんなで、
      「インド、ペルシャに侵入したアーリアンは混血して堕落したのであり」
      「ヨーロッパ人はアーリアン、その純血性を保たなければならない」
      といったロジックが形成されていく。
      イギリスでは、「劣った人種である黄色人種、黒人は白人が支配指導するのは当然であり、鉄道を敷き、医療を施し、用水路を整備し、教育を授ける事は白人の義務であり、責任であり、非ヨーロッパ人種に対し実施しなければならない利他的事業である。」といった何とも素晴らしい言説が広く認知されるに至る。
      帝国主義の拡大と自然科学の発展は車の両輪の如く関係性であった事は否定出来ない事実ではあるが、背景には帝国主義による植民地支配の正当化という側面があったことは言うまでもない。
      ドイツでは、概論程度を履修してる人であれば誰もが知る超有名人ながらも歴史から抹殺された人、グスタフ・コッシナが登場する。

      「限定可能な考古学上の文化領域は特定の民族と一致する」

    • 317名無し2023/04/20(Thu) 23:00:04ID:M1MzI1MjA(3/5)NG報告

      縄目文土器と呼ばれる土器の地理的分布とゲルマン語を話す地域の重複を根拠に、ドイツ人のルーツが縄目文土器にあるとした上で、それらが出土する地域を自己領土と主張する権利があると彼は仰ったのだ。(彼自身は1931年に亡くなっている。)因みに当時発掘されていた縄目文土器の分布地域とは当時のポーランド、チェコスロバキア、ロシア西部である。
      この言説は第一次世界大戦に敗れたドイツ人のナショナリズムを煽り、ナチスは当然の如く飛び付くよな。
      ナチスはコッシナ学派の考古学的理論を「自らの世界観の教条」とし、「教条理論に基づく他国侵略は学術的見解に担保された正当な行為である」とした。また、ドイツゲルマン民族は最も優れた純血性を保つアーリアンで、その純血性を保つ事を絶対としたのがヒトラーである。結果ホロコーストも「正当性を担保する理論を有する生物学的な帰結的行為」とされた。
      1法律家の言語学上の知見は百数十年間でこのように斜め上方向にすっ飛んで行ったのである。名誉アーリアンという奇天烈な称号を賜った集団も極東に存在したようだ。
      印欧語発見という知見が辿った1つの顛末はこんな感じである。現在に至っても姿かたちを変えマッドなサイエンスであるアーリアン信奉者は欧米ではまだまだ元気である。
      そもそもホモ・サピエンスに純血も雑種も何もあったものではないのだが、前述した通りアーリアンなるものの正体であるヤムナヤ・ホライズン由来集団は雑多な交雑民でありホロコースト対象となったロマ同様、非定住生活を営んでいたのだ。
      尚、コッシナが着目した縄目文土器の分布と拡散は実の所ヨーロッパに進出したヤムナヤ・ホライズン由来集団が大きく関与している。皮肉なことではある。
      歪んだ思想と確証バイアスに基づく言語学、遺伝学、人類学、考古学上知見の稚拙で断片的恣意的流用は、事実からは遠く逸脱し、他者への差別し、貶め、自らの矮小な自尊心、アイデンティティ、願望妄想を満たすためだけの道具としてしか機能しない。」
      という事である。
      現代の研究者にとってこの様な歴史的負債は言うまでもなく基礎的な教訓となっている。
      しかしそういう知識、知性が全く欠落している連中は沢山いる。

      ちょっと小難しくなったな。

    • 318名無し2023/04/20(Thu) 23:20:04ID:M1MzI1MjA(4/5)NG報告

      さて、諸々書いたがお問い合わせにまず1つ答える
      ヨーロッパ全体を俯瞰すれば、南ヨーロッパ集団より北ヨーロッパ集団の方がヤムナヤ・ホライズン由来ゲノム比率が高くなるクラインが存在する。ヨーロッパ全体を一括りにして遺伝的類縁性を日韓と比較するのはちょっと難しい。と言うかそのようなデータの存在を申し訳ないが俺は知らない。しかし下記は返答出来る。

      英集団と仏集団は、日集団と韓集団の遺伝的類縁性より同質性、類縁性が高い。

      英集団と印集団は、日集団と韓集団の遺伝的類縁性より同質性、類縁性が低い。

      アホの玩具にされたくないため論拠資料の添付は控える。
      歴史的経緯を踏まえれば至極当然だろう。諸々書いた内容からも何となく納得できるのではないか。
      因みに日本人集団と最も遺伝的類縁性が高い国民集団は言うまでもなく韓国人集団なのだが、それをどう捉えるかということは各個人の知性とアイデンティティに基づく主観に委ねるしかないという事だ。絶対的尺度など存在しない

      イギリスは近代に於いてインドを植民地支配していたが、その実態はたった数万の兵士と数万人の役人、そして数十万人を超える実業家により3億人のインド人を支配するという重商主義的支配がその基盤となっており、現在においてイギリス植民地支配時のインド地域への遺伝的痕跡はほぼ皆無と言えるものでしかなく、英印の遺伝的類縁性、同質性の顕現主要因はヤムナヤ・ホライズン由来集団の進出時に生じたイベントまで遡るものとなる。人種概念による白人至上主義及びインドに存在するカースト制もまた遺伝的痕跡を残さなかった大きな要因でもあるだろう
      一般論だがそもそも支配期間が短期間かつ、農耕が既に開始され多数の農耕民が存在する被支配地域に於いては、積極的な「入植」と「虐殺」なしには大きな遺伝的変容は容易に生じるものでは無い。元の高麗支配等にも言えることだ。
      1700年代後半オーストラリアに於いてイギリス人の入植が開始される。タスマニアではカンガルー同様ハンティング動物と化したアボリジニが文字通り1人残らず島からその姿を消すこととなる。
      ほんの数十年で当該地域住民の遺伝子も地域言語も大きく変容した極端な事例の1つである。

      尚、ヤムナヤ・ホライズン由来集団のヨーロッパ進出時には疫病の持ち込みがあったことが示唆されている。

      話がちょっとズレたがまず1つ返答した。

    • 319名無し2023/04/20(Thu) 23:28:52ID:M1MzI1MjA(5/5)NG報告

      もう1つのお問い合わせだが、フィンランド語、ハンガリー語は印欧語ではない。指摘の通りバスク語も同様だ。
      バスク語は印欧語話者集団がヨーロッパに進出してきた中、唯一残った先住在来民由来の言語としか考えられないだろう。しかしながら正確なところは俺もよく分からん。

      フィンランド語、ハンガリー語は共にウラル語族であり、印欧語のヨーロッパ進出とは異なる経路を辿り双方共ウラル山脈南方からヨーロッパへ流入した集団の言語とされている。
      しかしフィンランド語、ハンガリー語のヨーロッパへの流入時期は大きく異なる。
      ハンガリー語話者である遊牧生活者マジャール人集団が西方に移動しつつカルパチア山脈を越えて既に印欧語話者で埋め尽くされていた中央ヨーロッパにやって来たのは西暦800年代であり、カルパチア盆地に国家を形成したのは西暦900年代である。カルパチア盆地居住民にハンガリー語への言語交替が生じると共に小規模集団であったマジャール人も遺伝子レベルに於いては時を経る中で地域集団と同化していったものと思われる。
      フィンランド語話者のヨーロッパ流入はハンガリー語より遥かに古く新石器時代~銅器時代まで遡るようだ。フィンランド語話者はそもそもごく近現代に至るまで独自の国家を有した歴史を持たない。フィンランド語話者はその歴史の大部分を両隣の国家に従属する中で、DNAレベルでは長期間を経る過程で周辺集団と同化しつつも独自の言語を有する言語集団としての血脈は保ち続けた集団と言える。

      「金で札買えば天国に行けるなんて言ってるローマ教皇の言うことなんて聞くな。聖書だけを信じろ。」ってルターとか言う男が言ってるみたいだけど、この田舎のどこに聖書なんてあんのよ、そんなのないとなる。作れよとなる。じゃ作るべとなる。
      フィンランド語に限らず宗教改革を契機とした主に北ヨーロッパ各国語による聖書訳出は各国言語の共通語(標準語)形成に多大な役割を果たしている。1500年代のアルファベットによるフィンランド語聖書訳出はフィンランド語話者にとっては恐らく初めて広く行き渡った自国語文字化書籍であり、後の独立運動に繋がる言語集団としてのアイデンティティ形成の萌芽の1つとなり、言語集団としての血脈を保つ大きな要素となったと言えるのではないかな。

      以上、ほんの少しでも広角で奥行きを伴った理解に繋がってくれればと思う。終わりだ。

    • 320正義の味方2023/04/20(Thu) 23:45:13ID:E5NDI1NDA(1/1)NG報告

      >>1
      どこからなんてどうでも良い。
      日本の米は世界一美味しい。品種改良に並々ならぬ努力をした結果だから。
      韓国に品種改良は不可能だろ?そんな知識も無いから。日本米をバカにするな。

    • 321名無し2023/04/23(Sun) 07:11:25ID:g1MTg0NQ=(1/1)NG報告

      >>319
      長文ご苦労さん。中々しゃれた語り口、貴殿只者じゃないニダね?
      〉最も遺伝的類縁性が高い国民集団は言うまでもなく韓国人集団

      これについては修正意見もないかね?

    • 322名無し2023/04/24(Mon) 20:53:41ID:kyOTM2MDA(1/1)NG報告

      鶏はどこから来たのか。
      東南アジアのセキショクヤケイを飼育したもの。
      弥⽣時代に導⼊されたと考えられている。
      ●弥生文化におけるニワトリの継代飼育を初めて実証。
      ●日本列島最古のニワトリの骨の年代(紀元前3世紀~4世紀)を確定。
      ●コラーゲンタンパクの質量分析によるニワトリの骨の同定の有効性を実証。
      唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)から、紀元前3世紀~4世紀の日本列島最古のニワトリの雛の骨。
      The earliest evidence of domestic chickens in the Japanese Archipelago(日本列島におけるニワトリの最古の証拠)https://www.hokudai.ac.jp/news/2023/04/post-1218.html
      紀元前3世紀~4世紀は東アジアにニワトリが導⼊された下限とみなすことができるものでもある。
      記録から紀元前641年までに中国にはニワトリがいたと考えられる。
      導⼊初期に、その性⽐が著しく雄に偏る例は世界的にも類例が知ら
      れていません。このような傾向が朝鮮半島や中国東部など他の東アジア地域でも⼀般的であったのかな
      どの解明も今後の課題

    • 323名無し2023/04/24(Mon) 22:27:04ID:IxNjk0NA=(1/1)NG報告

      >>322
      〉導⼊初期に、その性⽐が著しく雄に偏る例は世界的にも類例が知られていません

      どう言うこと?

    • 324名無し2023/12/24(Sun) 20:26:01ID:M2Mjk0MDg(1/1)NG報告

      「登呂遺跡」日韓で共同研究 3月、静岡で初の国際シンポ 稲作伝来の歴史に迫る

       国指定特別史跡「登呂遺跡」の学術的価値や利活用策を探る日韓初の国際シンポジウムが2024年3月、静岡市駿河区の市立登呂博物館で開かれることが23日までに、市などへの取材で分かった。市や静岡大の研究者が中心となって開催。登呂遺跡より古く、韓国で本格的な農耕文化が始まった遺跡の一つとされる「松菊里(しょうきくり、ソングンニ)遺跡」の調査研究に携わる同国の大学教授らを招き、稲作伝来の起源や発展の歴史に迫る。23年に発見80年を迎えた登呂遺跡を共同研究し、国外に発信する好機とする。

       市や静岡大によると、登呂遺跡に関する国際シンポは初めて。松菊里遺跡は静岡県が友好協定を結ぶ忠清南道の扶余郡に位置し、登呂が1~5世紀ごろであるのに対して、松菊里は紀元前9~4世紀ごろの遺跡で、稲や雑穀が多数出土している。

       国際シンポには、日本側から登呂遺跡の調査研究を行っている静岡大の篠原和大教授や静岡市の学芸員、韓国側から韓国伝統文化大学校(忠清南道扶余郡)の李基星[イキソン]教授や現地の行政関係者が参加する。併せて両国の考古学者らによる国際研究会も開き、日韓の農耕文化研究の最新の動向について意見交換する予定。

       静岡大と韓国伝統文化大は農耕文化の研究に関する交流協定を結ぶ方向でも調整している。17年、同博物館で両学生の交流会「考古学学生会議」が開催された時から協定締結の話は出ていたが、コロナ禍が重なり中断。韓国伝統文化大側からの誘いを受け、篠原教授が23年3月に渡韓し、協議を再開させた。その後、両自治体の担当者も加わり本格的な交流に向けた話し合いを進める中で、国際シンポ開催の機運が高まった。

       篠原教授は「それぞれの国で、本格的な農耕文化の始まりとして代表的な遺跡同士が交流することで、登呂の価値が高められることが大きな意義になる。農耕文化の起源や過程はまだ分かっていないことが多く、共同研究で明らかになることも多いと期待している」と強調する。

    • 325名無し2024/01/08(Mon) 14:11:40ID:A3MDE3NjQ(1/1)NG報告

      吉野ヶ里遺跡日吉神社境内地跡(吉野ヶ里丘陵地区IX区401調査区)
      紀元前2世紀頃 青銅器鋳造技術
      朝鮮半島ではほとんどの鋳型が滑石製であり、これに近い石材(蛇紋岩)を求めた可能性
      銅剣・銅矛鋳型 銅剣鋳型 取瓶または坩堝 2023出土

    • 326名無し2024/01/24(Wed) 21:47:55ID:YyOTg4NTY(1/1)NG報告

      各地域の猫の遺伝情報を統計処理すれば、何年前どこにどの程度の数の猫がいたのか、集団としての歴史がわかる
      弥生時代に渡来していたことが裏付けられているが、その頃はまだ散発的、限定的な渡来とされる。
      いま日本列島に生きている猫たちの祖先は、約900年前の平安時代に、まず九州に本格的に渡来したとされる

    • 327名無し2024/01/24(Wed) 21:53:01(1/1)

      このレスは削除されています

    • 328ラル◆fD66Iu.6WM2024/01/24(Wed) 22:03:17ID:M5MDA4NTY(1/1)NG報告

      色々なルートが有りますね🌾

    • 329名無し2024/01/24(Wed) 22:03:20(1/1)

      このレスは削除されています

    • 330名無し2024/01/24(Wed) 22:09:55ID:E0ODI3MjQ(3/3)NG報告

      >>328
      ルートが1つだけとも限らないし、途中までで途絶えた可能性もあるし、道中に「マウント取りクソ半島ヤクザ」さえいなければ、純粋に学術的に楽しめる話なんだがな。

      「マウント取りクソ半島ヤクザ」は、縄張り通ったらみかじめ料払えと鬱陶しい。

    • 331名無し2024/01/24(Wed) 22:32:13ID:cwNjYwMjQ(1/1)NG報告

      朝鮮半島は人が住んでいなかったので絡むことはない

    • 332名無し2024/01/24(Wed) 23:29:32ID:Q2MDA4NTY(1/1)NG報告

      >>324
      こういうのをカスチョンとやる価値なんか全くないのに、迎合のつもりかやる奴もいるからな。まあ、それをいったら上皇陛下も無駄な種撒いてくれたけどね。シナチョンは地域名に過ぎないんよね

    • 333名無し2024/01/24(Wed) 23:52:34ID:Y4MDgzMzY(2/2)NG報告

      >>326
      >>327
      ハツカネズミの遺伝子研究も割に興味ある話題だよね
      ハツカネズミは人間の家に寄生するので狩猟民族では生育しない(移動生活なので)
      その遺伝子解析では約4000年前にインド地方のハツカネズミが中国南部を経由して日本に来ている。ということは4000年前に狩猟生活から脱却した一群が日本にいた。もうひとつ約2000年前に朝鮮半島経由でもハツカネズミが日本に渡来している
      このことから朝鮮半島経由でもう一つの農耕民が2000年前にも日本に入ってきたことが分かるのだが、問題はその在り様なのだよな
      朝鮮半島では日本併合に至るまで事実上水田が無かった。あったのは陸稲だけ。生産性は原始的なものなのに、陸稲しか存在しなかった
      20世紀に至る最後まで水田稲作を実現出来なかったという事実だけで、いずれにしろ米作に関しての朝鮮は、ほぼ貢献度は無いという話だろう

    • 334名無し2024/01/25(Thu) 01:46:26ID:gyNDI1MDA(1/1)NG報告

      >>328
      朝鮮半島の稲DNAに存在しないDNAが日本の稲に存在しているので②③のルートはあり得ませんね

      日本列島或いは中国大陸から②③へ伝播してないと朝鮮稲のDNA配列の説明ができません

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