まぁ冒頭から直接でごめんなさいですが、
韓国では東京裁判で裁かれなかったっていうわけで戦犯ではない。という意見と、
裁判で裁かれなかっただけ、確実な戦犯の行為をやらかしたから戦犯だ。
という意見があります。聞くまでもないと思いますけど、ここの日本人や、普通日本人はどう思いますか?>>631
訂正もれ
元が図 → 元画像ベトナム人の証言
旧サイゴン市内には韓国軍専用の飲食施設があったそうです。
そのひとつが、市の中心部・フーニャン区の「ホンハーホテル」に店を構える「ハンクォック・クラブ(韓国クラブ)」だ。
しかし、その実態は「クラブとは名ばかりの韓国軍慰安所のようなもの」(近隣住民)だったという。
付近でヘアサロンを営むゴー・ヴァン・タムさんが語る。
「店では15~20人の若いベトナム人女性が韓国兵の相手をしていました。
クラブで女性をピックアップし、上階のホテルに連れ込むシステムです。
彼らは子供ができないよう、女性たちにピルを飲ませて行為に及ぶため性病が蔓延していたそうです。
性病が元で命を落とした女性もいたと聞いています」
避妊に失敗し女性が身ごもった場合も責任を取らず、韓国兵がそのまま帰国してしまうケースも相次いだ。
そうしてできた子供は「ライダイハン」と呼ばれ、ベトナム戦争終結後も困窮と差別の中で生きることとなった。
ベトナムには最大で2万人のライダイハンがいるとも言われている。
当時、同ホテルの裏手に住んでいたホアン・ティ・バック・トゥエットさんは、欲望をぎらつかせる韓国兵に、得体の知れない恐怖を感じたという。
「ホテルの近くにある倉庫で、軍服を着た韓国兵たちが番号札を付けた女性を並ばせていたことがありました。
何をするのか遠目に様子を窺っていると、彼らは福引の抽選機のようなものを持ち出した。セックスの相手を選ぶゲームをしていたのです。
番号で選ばれた女性は、韓国兵に手を引かれどこかへと消えていきました。彼女たちがどのような女性だったのかは分かりませんが、このようなことをする韓国人がとても、怖かった」 そうです。
ベトナム戦争終結から40年。
サイゴンからホーチミンへと名前を変えたベトナム最大の都市は近年急速な発展を遂げ、今や戦争の面影は残されていない。
しかし、韓国軍がこの地で行った恥ずべき行為の数々は人々の記憶に深く刻み込まれています。>>609
いや、チョッパリが悪いのではなく。
ネット掲示板をうろつき廻っている、君のような寄生虫が一番悪いのだよ。天皇制とか説明して無理。
似非国家無文化偽装韓国人には
天皇制とか歴史ある事には無縁な国。
見た事も感じた事もない事を
どんなに説明しても理解出来ないよ。
何せここ数年の代々大統領が約束したことを
次の韓国大統領は、前の韓国大統領及び
政府の行いを自国の都合で無かったことにする
直近の歴史すら重んじない非国際国。自称国際国家。
直近の政治=一歩一歩の歩み=歴史だと認識出来ない。
だから、新しい韓国大統領になる度に建国していることになる。
そんな信用も歴史も無い奴と、誰が真面目な話や約束をするかね?>>1
朝鮮人は、人類ですか?法的には無罪だが。
>>638
そうだな。
まずはお前が首を差し出して詫びろ。>>635
たぶんだけど。
神道と結びつきが強いし、世界的に見ても理解できる人はほとんどいないと思う。>>642
戦犯。
ああ、朝鮮戦争でもベトナムでも鬼畜の朝鮮人のことか。>>645
お前個人の見解の戯言なんかに意味は無い
お前自信がICCの見解があると言ったのだから
さっさと交付文書持ってこいおっ、KINGは今日も完全論破か。
無敵の だな。>>1
天皇を権力を持つ王だと勘違いしたまま自らの眼球を抉り鼓膜を破るような奴とは、どんな交流も成り立たない。
『完全論破』とか、「自分は相手の話を聞く耳持たないし、成長もしない無類の馬鹿です」なんて発言を良く言えるな、自分なら恥ずかしくてできねーわ。>>645
お前は早く首切って半島で土下座して来い。
・君のバカの問題であり私の責任ではない。しかし、恐ろしい事に天皇陛下はこんな糞な朝鮮人もひっくるめて、毎日毎日人々の安寧を祈っていらっしゃいます。
>>645
昨日も今日も出勤は15時台。
その前は酒飲んで午前3時。
12時間、間違えたのか出勤時間(笑)>>642
国際人権規約違反♪
2 この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障することを約束する。に抵触 惨めな願望を喚く馬鹿は哀れv>>645
全て法的根拠の無い妄想♪
妄想で論破と泣き叫ぶ馬鹿は滑稽だな♪>>1
1の質問に対する解答
昭和天皇は、「戦犯」ではないことは明白です。
軍事裁判の終了により、戦争犯罪については一事不再理として終了です。
戦犯とは、戦争犯罪者、即ち「戦争犯罪」を犯した者を指します。
戦争犯罪とは、戦時国際法に違反した罪、即ち交戦法規違反のことです。
1945年まで当時の戦時国際法として、確立している罪は多くはなかった。
国際法の法源は、条約(文書化された国際合意)、国際合意、国際慣習法ですが、ハーグ陸戦条約(1899年。その後1907年に一部改訂)が明確な国際法法源です。
ハーグ陸戦条約では、
第3条1項では「毒、または毒を施した兵器の使用」を禁じ、また、第3条5項では
1. 「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」を禁じているので、これらに違反する行為、
2. 捕虜について定めた同条約第2章から「捕虜の虐待」(第4条違反)、傷病者について定めた同条約第3章から、ジュネーブ条約に反する行為、
3. 戦闘について定めた同条約第2款から、「武器を放棄して白旗を掲げた者」に対する殺傷行為
etc.
などが「戦争犯罪」でした。
大日本帝国(日帝)は、第1次世界大戦の勝者であり、国際連盟(1920年)の常任理事国だった日本は、当然、ハーグ陸戦条約が適用されます。>>1
日本軍の行為には、確かに、戦争犯罪は少なからず有りました。
例えば、「死の鉄道」(タイ-ビルマ間鉄道)建設のための捕虜などの酷使などが有名です。その際、当時は日本国民であって志願して軍属となった朝鮮人が「Korean Guard(コリアンガード)」と呼ばれ、日本兵以上に残虐な捕虜監視者だとして恐れられ(中国でも、日本兵以上に残虐な高麗棒子と恐れられましたが。)、その大半は極東軍事裁判でB,C級戦犯として処罰されました。
日本軍のうち、内地人、とくに悪名高い「憲兵」は、内地人、朝鮮人、台湾人という国民だけでなく、占領地でも暴虐で、現地では禁忌とされる頭部に対する鉄拳制裁、平手打ちをする悪癖があり、憎しみを買っていましたが、その他には、「人道」という心理的ブレーキが有りました。
朝鮮人が内地出身兵士や台湾出身兵士と違って、この心理的ブレーキが欠けていたのは何故か、興味深い気質であったと言えます。
また、占領地における強姦・強盗も戦争には付きものですが、日本兵もインドネシアでのオランダ人女性の拉致・集団強姦などが有りました。
※ 朴 裕河教授が正しく指摘しているように、慰安婦問題は、内地出身者、朝鮮・台湾出身者、外国人の3つを分けて考えなければなりません。慰安婦とは、内地人(21歳以上)、朝鮮・台湾出身者(17歳以上)で、国から公娼許可を受けて公娼営業をする者を言うのであり、兵士が勝手に拉致・強姦したオランダ人などを含みません。
しかし、極東軍事裁判では、特殊性が有りました。
ポツダム宣言(1945年7月26日)で、「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。」とされ、日本は、これを受諾して降伏したからです。>>1
日本が降伏した後、連合国により極東国際軍事裁判所条例が定められ、その第5条で
A. 平和に対する罪
B. 通例の戦争犯罪
C. 人道に対する罪
が定められて、裁判が行われました。
B級戦犯以外は、当時、国際法としては確立していなかったものです。
法としては、近代法の大原則である「罪刑法定主義」は、犯罪として処罰されるためにはその行為が行為当時に法によって犯罪として規定されていたことを要するという「刑罰不遡及の原則」も含みます。
上記のA級は、近代世界の共通理念である不遡及の原則にも罪刑法定主義などにも反するものです。
そのため、極東軍事裁判(東京)でも、ラダ・ビノード・パール判事はこの条例の定義を適用せず、被告人全員の無罪を主張しました。また、それ以前に何人かの判事は、近代法の正義に反するとして、裁判を拒否して辞任・帰国していました。
しかし、ポツダム宣言により突きつけられた条件であり、日本はこれを受諾したので文句が言えない、というだけです。
したがって、日本が戦争に勝利していれば、全く、逆になる性質のものであり、法理論としての「犯罪」とは言い難い性質のものです。
●以上から、昭和天皇は「戦犯」=「戦争犯罪者」でないことは明らかです。
したがって、昭和天皇を戦犯だというのは、誤りです。
質問者>>1が論じようとしているのは、「戦犯」ではなく、単なる「戦争責任」なのだろうと思われます。それは、法的なものではなく、道義による観念ですから、論じる人の価値観と事実認識によって、十人十色です。
日本でも、昭和天皇に戦争責任が有る、いや、無い、と盛んに論じられました。
その議論は、「戦争責任」の定義もなく、どのような規範に違反したのかも度外視した、言わば、奔放な素人論議ですから、帰一するところが有りません。
ただし、その「戦争責任」を論ずる前提として、大日本帝国憲法の下での「天皇の地位と権限」を知らなければなりません。
もともと、明治時代になる以前には、天皇には、武士に対して「征夷大将軍」の名称を付与する以外には、国の政治のついての実力・実質的権限はなく、「旗印」として利用されていただけでした。>>1
明治時代になって、大日本帝国憲法が制定され、「天皇は統治権を総覧する」(第4条)と規定されましたが、天皇の権限は、「天皇は公共の安全を保持し又は其の災厄を避ける為、緊急の必要により、帝国議会閉会の場合に、法律に代わる勅令を発する。」(第8条1項)ことができるけれど、それは「帝国議会が閉会」しているときに限られ、しかも、帝国議会が開催されたときにこれを廃止できると規定されています(第8条2項)。
天皇は法律を裁可し、その公布及び執行を命ずる。」(第6条)と規定されており、天皇の拒否権は規定されていなかったのです。
そして、「国務各大臣は天皇を輔弼し、其の責任を負う。」(第55条1項)とされ、「全ての法律・勅令、その他、国務に関する詔勅は、国務大臣の署名を要する。」(同条2項)とされていて、天皇は、自分の判断だけで命令を出す権限が無かったのです。
そして、天皇には、戦地での独自に得ることができる直属の調査機関を持っていなかったのです。
軍は、天皇直属の機関でしたが、それも、大臣を通してのみの情報であり、東條英機その他の国務大臣を通しての情報です。
以上のとおり、「戦争責任」は、法的には、全て政府と議会の責任になります。
法的ではない、情緒的な責任論議は、人それぞれの考えであり、「正解」「正答」は有りません。
それは、人それぞれが、形式もない自由散文詩を書くようなものです。レスが伸びたと思ったら王コロがラリってたのかよ。
また新たな読書感想文か?>>660
論破(笑)
屑は主張レベルまで屑。
早く証拠出せ、嘘吐き。>>660
S級の馬鹿だな。>>663
ご参考
小学館新書
新版 パール判事の日本無罪論
このA級戦犯を裁くために開かれたのが極東国際軍事裁判(東京裁判)である。この時、11人の判事の中で唯一人、「被告人全員無罪」を主張したのが、インド代表判事のパール博士だった。博士は東京裁判を「勝者が、敗者だけを裁く急ごしらえの法律をつくり、これを過去に遡って適用した違法裁判である」と断じたのである。
パール判決はその後、世界中で評価され、マッカーサーも「あの裁判は間違いだった」と認めている。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09825305
他にもTVでも放送してたと思う。そっちは11人の判事がどう結論をだしたかも検証してたと思う>>665
『新版 パール判事の日本無罪論』の著者の田中 正明は、全く信用になりません。
wiki 田中正明で確認してもらえればわかりますが、
『松井石根大将の陣中日記』を加筆してまで改竄し、
また1966年に蒋介石にあって会談した内容を2000年になってから、つまり蒋介石が死んでから『南京事件などなかった』と蒋介石が言っていたと主張する。
要するに、何でもありの捏造男です。資料的価値などありません。
裏を取りたいので、『また、それ以前に何人かの判事は、近代法の正義に反するとして、裁判を拒否して辞任・帰国していました。』が具体的に誰でどういう経緯なのか説明をお願いします。>>660
天才の癖に酒飲んでパチンコ(笑)
挙句に、別ID使って、同調者がいる旨を装う幼稚さ。
天才なんだから、提示された問題ぐらい解けんだろ。
こういう馬鹿が日本に居ると思うと、在日は居るだけでと思うわ。>>665
>他にもTVでも放送してたと思う。そっちは11人の判事がどう結論をだしたかも検証してたと思う
検証・戦争責任:読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/special/70yrs/#l_top
直接関係ないが、ネットで読めるし、まず妥当な解釈だと思う。チョツパリの負けw
天皇陛下で遊ぶな。
長文コピペ貼ってる日本人の基地外がふつーに気持ち悪い
正義は必ず勝つのだよw
>>672
ああ、なるほど。
だからお前はいつも負けるんだな少年「戦争で家が焼けちゃった」
昭和天皇「えっ?」
少年「焼けちゃった」
天皇「そう。本は無事?
よく勉強しなさいね。 」
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/6003919.html>>674
????
ただの馬鹿でいいのかなw
なにしたいのかさっぱりわからん>>1朝鮮人が戦犯‼️‼️
>>674
昭和天皇は本を読んで勉強して日本を再生させる様な人間になりなさいとおっしゃられたのであろう。
その後80年代には日本は世界第二の経済大国になったw
昭和天皇は戦犯ですか?
679
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