どうしても朝鮮半島経由を主張したいのであれば、当然だけど、中国東北部、少なくとも遼河下流地域で3000年前から稲作が普及していたことを論証する必要がある。米という象形文字由来の文字が存在する以上、少なくとも3000年前に黄河中流域で稲という作物が知られていた可能性は高いが、広く栽培までされていたかは疑問。なぜなら、コメの方がムギよりも栄養価が高く、多くの人口を養えるため、もしそんな早くから黄河流域で稲が栽培されていたならば、当然そちらが主力作物になっていたはずだからだ。実際には、現代でも黄河以北は麦作が中心であり、まして農業技術が未発達だった時代に、現在の河北省一帯、遼河下流域でイネが広く栽培されていたと考えるのは難しい。
つまり、結論としては、稲作、特に水稲栽培が朝鮮半島で伝わったとする説は相当無理があると言わざるを得ない。農具のいくつかが伝わった可能性は十分考えられるが、せいぜいそこまでだろう。>>1
愛国心に酔ってるだけの馬鹿か。中二病は大概にしとけよ。
稲作は、中国南東部あたりが起源。米の遺伝子が7種類程あって、中国では全て揃っている。
日本は3種類。南方系の米のみ。対馬暖流を使って、中国の長江下流域から直接伝播したり、中国南部から島伝いに伝播したりした。と考えられている。
(朝鮮半島からの伝播は、近年の遺伝子解析により2000年頃に否定された。昔は有力な説だったので、日本の教科書には今も載っていたりする)
朝鮮半島は6種類で、中国から陸伝いの伝播(一部は、黄海経由)だと言われている。
ジャポニカ米と言う名前をつけたのは、
アフリカイネ(Oryza glaberrima)
アジアイネ(O. sativa)ーーー インディカ(O. sativa subsp. indica)
L__ジャポニカ(O. sativa subsp. japonica)・・長江流域で栽培化。
L__ジャワニカ(熱帯ジャポニカ)・・インドネシア(ジャワ島)、アジアの熱帯地域、中南米で主に栽培。沖縄では泡盛の原材料だった。>>30
朝鮮半島南部→日本(九州北部)説は、2000年頃には主流から外れた。
外れた理由は、遺伝子解析。発掘された米の遺伝子が逢わなかった。
日本と韓国の共同研究で、双方の国の考古学者には常識になっている。
但し、物や文化の伝播は1ルートととは考えにくいので、非主流ながら伝播説を唱える学者はいる。
・紀元前5,6世紀には呉・越を支え、北上した戦争遺民がもたらした(2008年池上説)
・支石墓を伴った全羅南道の小さな集団が水田稲作を持ち込んだ(2007年広瀬説)
・風張遺跡(八戸)から発見された2,800年前の米粒は食料ではなく貢物として遠くから贈られてきた。(2002年、佐藤説)
考古学の世界では、書籍学者が10年かけて構築した説を、発掘結果が一日で覆すのはよくあること。
近年は、遺伝子解析結果でも覆るようになった。
書籍学者が70年以上かけて構築した説は、発掘された米の遺伝子解析結果が否定したのが1900年代後半のこと。当時は大騒ぎだった>>36
遺伝子解析とプラントオパールは大きいよね。
遺伝解析は稲と人をトラッキングできたのと、
プラントオパールは、腐敗消失してしまう米をトラッキング出来るので
20世紀と今では見えているものが全然違う。>>1
なぜか、って日本より朝鮮の方が先なんて決まりは最初からどこにも無いが。それまで、何を主食にしてたん?中国米か…
中国米より美味しかっただけの話でしょ。
また、起源説だね。主食は、米、タイ米、中国米だったん?
そば粉や、木の実、きな粉を主食に食べてください。
体にいいですよw>>34
これは現在の文化にも名残がるよね。
中国で北京と上海と言えば東京と大阪より仲が悪い。
北京人は「米を食うのは上海人。」と揶揄して言えば、上海人は「北京には麺(餃子等を含めた小麦食品)しかない。」と自慢気味に言う。
所で上に中国もジャポニカ米って有るけど世界何処でも中華料理に出て来る米はパサパサパラパラだよね。
映画なんかでも碗を持ってそういう米を掻き込むように食ってるし。韓国人は日本の米食べなくていいよ、福島県産の米通販で取り寄せで毎日美味しく頂いてますから
わざわざ放射能不検出って検査結果のコピーもつけてくれるし
韓国人には出来ないことでしょうね
インチキハラルの大韓民国、マトモじゃないよね当時の朝鮮は水耕栽培という概念すら無かっただろ。
全人口が2000万もいなかったのは、それだけ当時は食べさせる技術も無かった。
日本人が統治したら、20年で爆発的に4000万以上に人口が膨れ上がったのが証拠だ。
日本が栽培技術に高度な物を持っていた証だ。
しかも全人口を食べさせて余裕まで出来たので日本に輸入まで始めた。
サムソン会長はそれで財を得て今のサムスンがある。起源の話を優劣に結びつけるのが朝鮮の発想であって、日本人はそれに巻き込まれてはいけない。
言えることは、
戦前から朝鮮の米作りは、日本の方法を学び、日本の米の品種を栽培するようになった。そして、今では、戦後のコシヒカリ等の日本の品種を植えている。
それは、イチゴなどの果物や野菜や果樹もほとんど日本の品種です。桜もソメイヨシノという、日本で人工的に作られた品種を大量に飢えています。長江(揚子江)下流域からちょっと沖の海に出れば
日本に向かって黒潮が秒速2.5mの速さで流れている
これは時速にすれば9㎞になる
九州の福岡までの900㎞弱を黒潮に乗っただけでも
100時間、つまり4日と半日でたどり着く
風を上手く使えば時速15㎞ほどになるだろうから
60時間、2日と半日でたどり着ける
長江(揚子江)下流域の稲作民が海路で日本へ渡り、
稲作を伝播させるのはそれほど難しい事ではなかった滋賀県の稲部遺跡の建物は西暦200年頃と考えられ、大型倉庫がある。
鉄製品工房は5mほどの小型建物が30ほど、青銅製品も製造。
各地の竪穴建物は倉庫を中心にして建てられるものがある。倉庫には稲があり作物などを備蓄、同時に祭事を行う施設だったと考えられる。
建物の構造は2000年前の建物と同じではある。楽浪や中国大陸各地の文化と共通するものもあり、流通は日本全国、半島、大陸まであることがわかる。>>10
赤米は天皇も植えているのに失礼だな。>>12
조선시대에 비료의 종류나 용도마다 명칭도 여러가지 있었는데, 당시의 일본인이 단편적인 관찰만 하고 기록한 것을 보고 날조하는구나.>>12
중국위 강남농법이 조선에 전래되었을 때가 이미 15세기 무렵이다.>>1
六衛府さん @yukin_done の Twitter からですが:
https://twitter.com/yukin_done/status/780813685555994624
併合前の朝鮮の米は古代米の赤米で、
石も混入して等級外の扱いでしたが、
総督府が「早生神力」「穀良都」「亀の尾」「陸羽132号」
などの内地品種と作付技術を朝鮮半島に投入。
一気に一等米となって内地の農家を脅かすまでに成長します。
「亀の尾」の4代目子孫が戦後の「コシヒカリ」になります。>>51 >>1
六衛府さん @yukin_done の Twitter からですが:
https://twitter.com/yukin_done/status/572676955264270336
朝鮮米と聞くと価格が安そうに聞こえますが、
昭和9年11月の米価(玄米1石)は内地米より高く、
商品作物として内地に移出され高価で販売されていた。
・内地米→21.11円
・朝鮮米→22.30円
・台湾米→18.95円>>52 >>1
六衛府さん @yukin_done の Twitter からですが:
https://twitter.com/yukin_done/status/781023988482990080
伝統的な韓定食には赤米(韓国人は黒米と言うらしい)が付いてくるのは当然のことだと思います。
併合後に寒さに強い稲の品種改良種を朝鮮半島に持ち込んだのは内地の日本人で、
現在の韓国の白米が日本の物と大差がないのは偶然ではなく、
日本の品種がベースになっているからです。
#韓国人が認めない話>>53 >>1
六衛府さん @yukin_done の Twitter からですが:
https://twitter.com/yukin_done/status/823115303097769985
現在の韓国人が食べている食味が良く、
収穫量が多い白米は日本内地の品種がルーツで、
大正期以降に爆発的に普及しました。
大正元年の内地銘柄は
総作付け面積の3%でしたが
昭和9年には83%に達しました。
先達の研究の賜物です。
※朝鮮興業株式会社三十周年記念誌 昭和11年 国立国会図書館 蔵>>54 >>1
六衛府さん @yukin_done の Twitter からですが:
https://twitter.com/yukin_done/status/855923069944119296
朝鮮における内地優良種の普及状況。
「亀の尾」の4代目交配子孫が戦後の「コシヒカリ」になります。
「稲の優良種 普及状況」 昭和2年稲作は朝鮮半島経由ではありません。
稲という亜熱帯植物が大陸から朝鮮北部を経由して日本に来るには膨大な時間のかかる品種改良が必要です。
稲作は中国の雲南省辺りで始まり海路で日本に伝えられたと考えられています。
焼き物(磁器)は中国へ献上するために中国の技術導入で朝鮮半島で作られ始めました。
この工人が秀吉の朝鮮出兵の時に日本につれてこられて日本の磁器作りが始まりました。
そして日本での待遇の方が良かったので(日本は職人を大事にする土壌があった)朝鮮半島へ帰るのを拒否し日本に残りました。
漢字は中国で生まれ朝鮮半島経由で日本に伝わったと考えられています。
遣隋使、遣唐使はいても朝鮮半島に文化を学びに行ったということはありません。
危険を犯してまで中国にいっていたという事実は朝鮮半島には学ぶべきものがそれほどなかったということだと考えられます。「Türk テュルク突厥」
Göktürks (Outdated)
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=uRqs9JM58cg
朝鮮半島の古墳の金細工など埋葬品で突厥文化と共通する物がある。
突厥の埋葬文化は多様性があり伝統を混合させたもの。>>1
歴史的に米をよく食べていたかどうかは、変な話だが、餃子をご飯のおかずにすることに違和感を感じるか、感じないかの違いになって現代に伝わる
中国人は日本人が餃子をおかずにご飯を食べることに違和感を持つというが、実際には違う。北京などの北部は違和感を持つが南部は持たない。北部は粉食である。従って餃子の皮が既に主食なので、そこにさらにご飯粒があると違和感を持つ。例えば自分の場合、お好み焼きにライスを付ける関西人が理解出来ない
歴史的に言えば中国というよりは、中国北部の影響下にあった朝鮮半島ではお米はそもそもさほど食っていたものではないし、お米は日本からでしょうね>>7
より正確には「結球白菜」ね。
それまで朝鮮にあった白菜は、結球するものではなくて、大きさも小さかった。
だけど、これがキムチ漬けに使われなかったか、と言えば、そうではない。
イメージとしては、こんな奴(画像)。これは山東菜と呼ばれるもので、実際には、山東菜と青梗菜の中間くらいのものだったらしい。
日本で中国大陸の広範囲(山東省~満州)にあった品種をできる限り集めて、それらを掛け合わせるという膨大な作業を行い、その中から選別していくという品種改良によって、結球白菜を作り出し(中国にも山東省のごく一部に結球白菜があったが、日本にこれを持ち込んで育てても、結球しない場合が多かった)、更に大きくなる品種を作り出した。これを朝鮮半島に持ち込んで、栽培させることにより、収量がもの凄く増えて、多くの人が食べられるようになった。>>56
遣新羅使、遣渤海使もありましたけれど、主に外交関係を結ぶことによる情報収集が目的で、遣隋使や遣唐使とは意味合いが違いますね。つい最近の浦項以前にも海の近くの釜山や川の近くの江南どすら毎年台風の影響であれな事になってるし、治水に関する知識や技術の積み重ねが無い=大規模な水田の運営はまずやった事がないんじゃない?
中国の歴史でも経済や食料事情が良くなるのは運河と蘇州や杭州といった穀倉地帯が開発されて南部に追いやられてるのに以前より経済力の増した南宋以降だし>>39
あったとしても②と③が最悪でも百年以内には辿り着けるルートであるのに対して、①は最速でも千年以上は掛かるであろう地獄の道。生来のものぐさで創意工夫のできないKoreanが狩猟はそこそこに農耕文化を生み出すとは、まず考えられない。しかも寒冷地の半島は稲作に適しない環境で、品種改良もできないKoreanが大規模に稲作をしたとは考えられないのだ。
半島米のDNAでも調査すれば日本帝国の改良米ばかりだろうさ。古代において日本列島から半島南部に進出した人々がいた可能性があるとしている仮説。
「伽耶(かや)」古墳において、日本人に特徴的な縄文人DNAを多く持つ人々が埋葬。
Northeastern Asian and Jomon-related genetic structure in the Three Kingdoms period of Gimhae, Korea
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.06.004
島々・半島間を航行した縄文人集団が存在したことを伺わせる遺跡や骨や土器や黒曜石はある。
韓国の欲知島 Yokchido 遺跡出土の女性人骨DNAが95%縄文。
新石器時代中期、紀元前3500―2000年と推定。九州と朝鮮半島で、
黒曜石や貝製品などの交易が縄文時代にあったことは考古学的な調査で既にわかっている、
DNA分析で証明できたことは大きな結果で。また、従来この縄文時代の日韓交易が男性を中心とした漁猟集団が行ったと考える研究者が多いが、
欲知島遺跡の縄文系人骨は女性、男性と女性が両方この交流に参加したことがわかる。
欲知島 以外の二箇所の韓国新石器時代の遺跡のサンプルも、10 ―20% の縄文系DNAを持ったことが解明。
半島ではこの縄文系DNAが少なくて6000年前までに遡る。
これは九州などの縄文文化との交易によってできたか、元々縄文系のヒトが半島にいたかどうかは今後の研究が必要とする課題。
https://www.eurekalert.org/news-releases/934103?language=japanese- 66名無し2022/10/05(Wed) 20:19:19(1/1)
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馬鹿チョンコロナ
>>44
寒い処の水耕栽培は寒冷地用の米が無いとね
半島の昔の米つくりは陸稲>>58
日本人は食い物の改良が好きだからね
戦国時代までの米は半島と似たような米だけど
江戸時代中ころに入り旨い米が作られるようになる、それ以前の米は白米とお新香じゃとても食えない代物
代わりに江戸患いになるw>>39
北回りルートは、多分コメそのものを辿らずに、農器具だけを追っかける研究をした人の仮説なんじゃないかな。
製鉄技術は、南方経由じゃなくて、北回り。
ただし、半島の東側は元々関係なくて、朝鮮半島の南部から西部にかけて居住していた縄文人や倭人たちが、半島の西側経由で持ち込んだもの。
縄文人が東部の鉱山を探し当てて製鉄を始めるまでは、朝鮮半島に製鉄技術なんて無かったのだから。
縄文人は土器を作る文化を持っていたから、高温で鉱石を溶かして鉄を取り出すことが可能だった。
縄文人は、半島西岸を南北に行き来しながら、中国内陸部の文明と接触し、鉄器を手に入れた。
そして、居住地域であった半島南部で鉱山を探し回ったが見つからなかった。
そこで、半島の東岸沿いに北上しながら鉱山を探し回って、江原道北部と咸鏡南道の中腹当たりの海岸近くに鉱山を見つけた。
縄文人は、基本海岸沿いに移動していたから、北朝鮮内陸部の鉱山は見つけることができなかった。
そうして、鉱山の近くに集落を構え、一部の者たちが移住していった。
朝鮮半島最古のこれら2つの鉱山と海岸を結んだ当たりに、縄文人の集落がぽつんと発見されたのは、このため。>>70
縄文人の集落と言っても、遺跡で発見されたわけじゃなくて、その集落の現存する住民だけが、周辺では見つからない、日本人に特有のY遺伝子D2を高確率で有していた、ということ。
朝鮮半島の遺伝子マップで見たのだけれど、論文名を忘れてしまった。
見つけたら、載せたいのだけれど、すぐに見つからなくてごめんなさい。韓国人達は事実は事実と認められる意識改革からだな。スレ主が書いているのは真実、寒冷地の当時の朝鮮半島には米、つまり稲作は育たず、日本の先人達が品種改良したジャポニカ米と呼ばれる米を朝鮮半島にもたらした。
その、俺達日本人の先人達を穢し続けているのがKorean、ならびに中国人。
先人達の子孫である俺達がどんな思いを抱いているのかを、Korean達は考えた方が
いい。本当に、憎悪しかない、赦せないんだ、俺達日本人は。
ただ、掲示板に意見交換位ならあってもいい☝️外交に交易、交流は止めて、掲示板位の個人間位で意見交換位なら。。
つまり、Koreanとは関わってはならない、との認識ね。相手により返レスは言葉選んで書くけど、変なレスしている韓国人には感情剥き出しで返事入れたりもするよ。
俺達☆とりあえず韓国人?貴方達の歴史は悲惨なものではあった、襟を正して生まれ治してみては如何か?最貧国にまた戻るよ?韓国人が理解出来ません、無理💋
4.2-kiloyear event
https://www.nature.com/articles/s41598-019-47264-8
揚子江デルタを襲った4200年前の急激な気候寒冷化、
長江の農耕社会は崩壊、稲作移動、日本列島は狩猟採集で延命。
https://www.researchgate.net/publication/200033583_Climate_change_at_the_42_ka_BP_termination_of_the_Indus_valley_civilisation_and_Holocene_south_Asian_monsoon_variability●稲の遺伝子の解析から、日本の稲は朝鮮半島を経由していないことが判明している。
●発掘の結果から、日本の稲作は陸稲で6700年前、水稲で3200年前までたどれるが、朝鮮半島の水稲は1500年前と考古学でも半島を経由していることはありえない。朝鮮の陸稲は不明。
●そもそも朝鮮半島は稲作に適していないし、主食にしたこともない。
経緯
長いこと日本の稲作は朝鮮半島を経由した、とされているが、これが稲の遺伝子解析から間違っていることがハッキリしています。
水稲(温帯ジャポニカ)の遺伝子を解析するとRM1にAからHの八種類の遺伝子がある。中国にはこの八種がすべてある。八種のうちBが最も多く、Aが次いで多い。朝鮮半島にはこのうち七種があり、そのうちBが無い。日本には八種のうちAとBとCがあり、そのうちBが一番多い。そしてAが次いで多い。つまり日本の稲が朝鮮半島を経由して伝わった可能性はゼロということになる。日本の米農耕は、4000年前の縄文時代の東北地方で始まった
発掘の分析結果では、大豆や小豆の栽培農耕は、日本列島のほうが大陸側よりも早く、品種改良で大型化させている。
狩猟採集の定住期間の影響か。日本の米作りは、縄文人が始めた。少なくとも4000年前には、稲作があった。
百回言えば…
嘘です
遺伝子解析の結果、朝鮮にはB種が存在しないが、日本にはB種が存在する
Koreanが主張するように朝鮮から伝播したのなら、日本にB種は存在しないそれ嘘です
>>1
朝鮮は寒く当時 稲の品種では生育しなかったので水田もほとんどなかった。
日本で発見されて米の遺伝子分析と年代測定からも朝鮮よりも早く日本で稲作が盛んになり、その後朝鮮の南側に日本から伝わったというのが最近の研究で明らかになった。ちなみに日本米が朝鮮に普及したのは併合時代で、日本で品種改良された寒さに強く、甘みと粘り気が強い日本米に朝鮮も変わっている。
韓国になぜか日本が米を伝えていた!!
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