日本人が所有する飛行可能な唯一の零戦が資金難で危ない。飛行可能な状態で維持するには部品代や整備士の人件費、格納庫の駐機代などで年間三千万~四千万円が必要だが、資金不足で身動きできない状態が続いている(輸送費やパイロットの人件費などがかかるため)。万が一、資金不足で飛行可能な状態が維持できければ、貴重な日本の宝はきっと失われてしまうだろう。
ちなみに日本で旧軍機が飛行できない理由は以下の通り
・旧軍機市場がない → 海外などに部品を特注でコスト増
・旧軍機に精通した整備士とパイロットがいない → 海外などから招聘するのでコスト像
・戦争反対派の批判 →金があれば飛べるが、批判を恐れてスポンサーがいない
ご意見・ご感想などをご自由にどうぞ。クラウドファンディング(Crowdfunding)で資金調達できないものだろうか。
零戦の生みの親でもある三菱重工の名古屋が、批判があっても勇気を持って、維持管理するのが望ましいと思います。
アメリカで管理・保管してもらうのが一番。
設備も整っているし。
日本では数年後に廃品になるだろう。こういうのは欧米は羨ましいよな
なんだかんだ陣営関係無くレストアするところがあって
そういや、何年か前に新品のパンター納屋か何かで発見されたろ?
あれどうなった?>>2
初飛行の時にはクラウドファンディングで目標の二千万円(最終的には2300万弱)を達成したようですが、それがピークみたいですね。維持管理は非常に地味な世界なので魅力に欠けるのかもしれません。アメリカでも大戦機ブーム以前は資金難(そもそも保存する発想を持っている人が少数だった)に苦しんでいました。>>6
現在進行形で募集中だそうです。展示会やテスト飛行ではある程度の人が集まりました(自分も行きました)が、やはり寄付の話題になると否定的な返事が多いそうです。零式は確かに時代の主役だった。
が、戦後70年以上経つ零戦に「飛べ」と言うのは酷ではないのか?
飛ぶ為に内部の様々な部品を交換してもなお、かつての天空の覇者の姿をありのまま伝えることが出来るのか?>>11
実物が動く、これに勝る感動はないでしょう。これは零戦だけでなく他の航空機、鉄道、自動車などにも共通することです。クラシックカーや蒸気機関車は部品をとっかえひっかえで百年前の代物がまだ動いたりしています。人に例えるならば、歴史や社会のあり方が違っても日本人が日本人であることと同じです。
すべてが同じでなければ本物ではない、と思われがちですが、実際の零戦でも戦況によっては交換用の部品がなく整備士の自作であったり、違う会社(場合によっては英米)の部品を転用した場合もあります。大切なのは見る者が感動するかどうかで、やはり実際に見た側としては感動も言葉にできません。それにそういう気持ちが日本人の心に通じて、日本がもっと良い社会になるならばやる価値はあるでしょう。>>12
四式戦闘機「疾風」 唯一現存機体の里帰り記録
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln/FR047P.html
「日本に本機を譲渡したドン・ライキンス氏は、このことを聞いて憤慨し、譲渡したことを悔いているとのことであった。」
これを読んで悲しくなりました。
製作元のメーカーが保証しない限り
三億円を出したプロジェクトの主催者がいなくなったら、同じ運命になるでしょう。飛ばせる状態を保つって条件ならアメリカで管理した方がいいでしょ。
個人で飛行場と飛行機を持つ金持ちもいるし、愛好家も多い。
裾野が全く違う。日本の気候はメタルの保存に向いてない上に
傷んだメタルを修復できる技術者もいない
空調のきいた博物館で展示するならともかく
動態保存するのは他国より条件が厳しい미화하는
>>18
現実として日本に里帰りさせたのは個人の力です。これは財閥の経済力ではありません。そして、初飛行も数多くの有志の人たちの援助で成功させることができました。それも各々は個人です(いくつかのグループの方もいらっしゃいました)。
では、この個人はなぜできたのか? これはそれぞれが共通の理念を持っていたからです。日本人としての大切にしたいと思うものがある、という気持ちが生み出した結束です。結局はそれが少人数しかいないだけなのです。
日本人として大切にすべきものを守ることができない、それはしょうがないことです。しかし、一つのことがそうなれば、二つや三つでもどんどんと破壊されていくでしょう(実際、されているように感じます)。その時にも「世の中には無理なことがある」で済ませられるならば、最後には日本の形をしただけの抜け殻ができあがってしまうはずです。
カイカイchは「日本人としてこれだけは譲れない」と考える日本人が多い場所と思っていましたが、どうやら違うようですね。少し残念です。>>24
>「日本人としてこれだけは譲れない」
零戦が象徴したものや時代について確固たる信念がある、ことでしょうか。それは日本の技術力であったり、日本の強さであったり、個人によって細部は異なるかもしれませんが、特に保守や愛国の理念を持っている人なら理解できるはずの考え方です。青森県の三沢の航空科学館を見学したことあるけど、
超面白かった。
そういうとこに集められないのかな。>>9
防衛省に寄贈すべきに賛成。
防衛省は過去の名機を積極的に収集して整備しつつ展示すべきと思う。
自分たちの歴史なんだから。動態保存ではなく博物館で展示するのがベターでしょう
日本車は長持ちすると言われていますが
旧車に乗り続ける人々はごく一部です
政策でもそれを推奨していないので
当然整備できる人も多くないです
日本は動態保存という文化が育ちにくい国です
政策で保護されている文化財とは真逆ですね>>28
せつこー!
行けるなら今月中に、ここに行ってくるといいね。
http://www.car-airmuseum.com/
靖國の零式艦上戦闘機52型は、ここからの寄贈品だよ。れいしきかんじょうせんとうき
ゼロじゃないよレイだよ。
皇紀2600年制だよ。- 33名無し2021/05/05(Wed) 20:38:25(1/1)
このレスは削除されています
私は一式戦と二式単座の方が好き。
前に竜ケ崎飛行場で飛んだの見に行って、8mmビデオw撮ったがな
そんなの防衛省の仕事じゃないだろ。
ただでさえ少ない防衛予算を実利のない用途に使ってどうする。
企業だって同じだ。自社の展示館に安置するくらいならともかく、動態保存なんか無理。
精神やら情やらの象徴として守りたいなら民間・個人がやるしかない。
それができないのであれば今の日本にとってそれだけの物でしかないと言う事。
文句があるなら自分でクラウドファンディングでもサブスクコンテンツでも立ち上げて、資金を集めて提供すれば良い。
魅力的な企画であれば俺も出資はするよ。奇跡の戦争秘話】重慶上空で「戦火を交えた宿敵」と再会した“零戦パイロット” 58年の時を経て再会
今年(2021)5月、104歳の誕生日を迎えた元零戦パイロット三上一禧(かつよし)は、いまからちょうど81年前の昭和15(1940)年9月13日、第十二航空隊の一員として、いまや伝説的ともいえる中国大陸・重慶上空の零戦のデビュー戦に参加した。中華民国空軍のソ連製戦闘機に対し、一方的な勝利をおさめたこの日の零戦搭乗員は13名、三上氏以外は全員が故人である。大戦初期の「無敵零戦」神話の始まりとなった空戦に参加した男たちのその後の運命とは――。
4年近くにおよんだ零戦の戦い
零戦隊の漢口基地への帰還を待って、午後7時、支那方面艦隊より報道発表がなされた。
昭和15年9月13日、夕日に照らされた漢口基地で、零戦初空戦の戦果を報告するため整列した搭乗員たち。周囲に人の輪が広がっている
〈中支艦隊報道部〇〇基地九月十三日午後七時發表
海軍航空部隊は本日前日に引續き重慶第卅五次晝間攻撃を實施域内要人宅を爆撃せり、この日我が戦闘機隊は敵戦闘機廿七機を捕捉敵首都上空に於て之を殲滅せり、我方全機歸還せり〉
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87178- 39名無し2021/09/13(Mon) 09:24:28(1/1)
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里帰り零戦に危機!? 反日勢力の陰謀か!
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