司馬遼太郎によれば

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    • 1典塔2017/06/27(Tue) 21:08:02ID:k2NDY1NzU(1/21)NG報告

      『朝鮮は、統一新羅が中国を本場とする儒教を七世紀から受け入れ、十四世紀末に李氏朝鮮が徹底的に受容して、中国以上の儒教国家となり、それも宋学という強烈な観念論で国家と社会を成立させた。このため朝鮮には二十世紀初頭になるまで貨幣がなかった。貨幣がない以上、商品経済はなく、かろうじて農村に古代的な物々交換があったにすぎない。
      日本は異なっていた。
      室町時代から旺盛な商品経済の世になり、江戸期になって充実し、ついに封建制の底に無数の亀裂を生じさせ、制度そのものが維持困難なほどの段階に立ちいたる。

      商品経済の社会は、人間をずいぶん変えてしまうものらしい。
      何よりもものの認識が変わる。物を単に物と見ず、質を見、数量的にとらえ、またその変化に関心をもち、物を中心に置いて前後左右の人間関係を考えてゆく。
      さらに、かつての社会では人間がカズノコのようにかたまって個が存在しにくかったのに対し、個が成立するようになる。
      江戸中期以後の知的奇人の多くが非士族階級から出た。たとえば南部八戸にあたって共産社会をとなえた安藤昌益は町医であり、大坂にあって人文科学的思考を確立した富永仲基が醤油の醸造業者であり、また嘉兵衛の蝦夷地ゆきより半世紀遅れてこの地に入り、風俗と地理を精査した松浦武四郎は伊勢の農民出身であった。』
      と書いている。
      まとめると、当時の朝鮮人はカズノコ

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