満州族や蒙古族は、もともと遊牧文化だから、財産は家畜が主で、成長して自立出来るようになると財産を分けてもらって独立し、
最後に残った子が、親と一緒に生活して家を継ぐ末子相続になるわけよ。少なくとも確か、蒙古族はそうだったと思う。
一方で日本や朝鮮、あとたぶん漢族もだろうけど、農耕文化が定着してたもんだから、財産の柱は田畑や家屋敷であって、これは普通、長男が継承するんだわ。
次男三男は、どうするかと言うと実家に残って居候になりたくなければ、新田開発か都会へ出稼ぎに出るわけね。そうしないと、所帯も持てないわけよ。
そこで広大な開拓地としての満州ってのも意味が出てくる一方、出稼ぎする都会としての側面も持ってるわけね。
確か朝鮮からは、北部の人は満州へ、南部の人は日本へ出稼ぎに出てたんだよ。これは江戸時代に、農家の次男三男が地方から都会へ出て、長家の熊さんとか、八っつぁんとかなったのと構図は同じね。
満州国と韓国の関係について
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