発端は意外にも大層な領土主権論ではなく、50年前の東海(日本名・日本海)での「魚の争い」だった。当時韓国政府が漁業現代化政策を推進して東海の漁獲量が急増し、1977年を基点に韓日の漁獲量が逆転した。大和堆漁場と北海道海域など日本漁民の主力海域に韓国漁船が大挙進出し、島根県の漁民に独島周辺水域での操業権は生計にかかわる問題へと本格的に拡大した。
対立は1999年の新韓日漁業協定締結により一層激しくなった。独島周辺はどちらか一方の領海と確定していない「中間水域」と設定され、島根県漁協など利益団体が「この水域の漁場を事実上韓国が独占しており自分たちが操業できない」として露骨に不満を示したことだ。
地域政界はこうした住民たちの反韓感情を活用した。「竹島領有権確立」を政治的スローガンとして前面に出し始めたのだ。2005年2月23日に島根県議会で超党派議員35人が「竹島の日」を制定する条例案を提出し、3月16日の本会議で処理した。
こうして指定された「竹島の日」は当初は地域行事にとどまっていた。だが2012年末に第2次安倍政権が発足してこの行事が中央政治の真ん中に立ち始めた。政権奪還に向け保守右翼有権者結集に向け極右公約を乱発した安倍首相の利害関係がかみ合わさってだ。安倍首相は朴槿恵(パク・クネ)政権発足直前の2013年2月、自身の公約通り竹島の日に「次官級政務官派遣」を強行した。中央政府官僚の初の行事出席だった。
就任3日前に日本がはばかることなく領土挑発をした形に朴槿恵大統領は安倍政権に深い不信を抱くことになり、韓日関係は2015年12月28日に韓日間で慰安婦合意が結ばれるまで冷え込んだ。地域漁民の経済的不満が地方政治に続き中央政治と結合し外交的対立に進化したのだ。日本はこれを基点にさりげなく政務官派遣を事実上定例化した。
今年高市首相が「閣僚級に格上げ」という既存の公約の代わりに「次官級維持」を選んだのは実利的判断に従ったとみられる。首相再選出で支持基盤を固めたが、韓日と韓米日協力関係を継続する必要が大きいという計算だ。
その一方で日本の外相が例年行事のように13年にわたり繰り返す「竹島は日本の領土」という主張は今年も繰り返された。
毎年繰り返される韓日関係の信管「竹島の日」…始まりは「魚の争い」
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