宝物第326号忠武公李舜臣長剣は日本刀ではない、らしい

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    • 1名無し2022/08/16(Tue) 09:32:26ID:kwODkyMDA(1/1)NG報告

      https://www.donga.com/news/Main/article/all/20140609/64103379/1
      宝物第326号に指定された忠武公、李舜臣(イ・スンシン、1545~1598)の長剣2振りはもしかしたら私たちの歴史で最も重要な刀剣だ。朝鮮刀剣自体が残っているのが珍しいうえ、倭乱の波風で祖国を守護した象徴性まで加わり民族の胸に自負心としての位置を占めた。実物ではないが、ソウル光化門に立つ将軍の銅像の腰周りをずっと守ってきて大衆によく知られている。

      今年は1594年に長剣が製造されて7周甲、420周年をむかえる年。しかし、国民的愛を受ける宝物なのに実体は詳しく知られていない。むしろ世間に様々な説が乱舞して誤解を受けている。ところが最近、文化財庁顕忠祠管理所が出した戦時図録「民族を生かした二振りの刀剣、忠武公長剣(8月31日まで)」に載せられたイ・ソクジェ京仁(キョンイン)美術館長の‘李忠武公長剣分析—聖雄の刃物、その俗説と実体」を見ればこれまで気がかりだったことをかなり解くことができる。

      まず忠武公長剣が日本刀という見解は事実でない。単に必要によって日本刀様式を一部受け入れただけだ。朝鮮は壬辰倭乱勃発前まで200年以上、平和な時代を過ごした。このため長い戦乱を体験した日本のように刀剣文化が発達せず短くて細い刃物が普遍的だった。だが、実際に正面対立するとすぐに優秀な武器の必要性を痛感した。それで長くて強い日本刀を受け入れたのだ。

      李館長は「倭軍が鳥銃を前面に出して攻め込むとすぐにこれに対抗して朝鮮も鳥銃を生産して対抗したのと同じ論理」と説明した。当時、義兵長クァク・チェウ(1552~1617)とクォン・ウンス(1546~1608)の長剣も日本刀の刃をまねた。それでもイ・スンシン長剣が私たちのものといえるのは他の様式は大部分、朝鮮式だからだ。刀の柄と鞘の形、装飾や模様、革ひもも全て韓半島で自生したりかなり以前に中国から渡ってきて土着化した方式だ。

      実際は火縄銃も刀も鹵獲したもんだろうね

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