>>186
お前は馬鹿か?
建物は江戸時代でも、創建はもっと古い。 www>>186
お前と豚の遺伝子の差より、お前とアフリカ人の遺伝子の差の方が遥かに小さい。
お前とアフリカ人の遺伝子の差は、大変小さい。>>186
お前は、都合が悪い指摘からは逃げる。
www- 191名無し2022/06/15(Wed) 16:16:29(1/1)
このレスは削除されています
>>180西城秀樹(李乙龍)
日本名:木本龍雄、1975年12月 帰化>>162
その説は、あくまで当時日本という国号が外国に周知されていなかったことを示すものでしかないよ。
文中の日本は、単に太陽の沈む方角という意味で日本と言ってるに過ぎない。
この墓誌に日本という単語が使われているからと言って、それを日本が貸用したという証拠には全くなっていない。日本という単語は、当時東方を指す言葉として一般的に使われていたことを示す程度だ。
少なくともあなたが何度も引用している教授は、百済が日本という国号を作ったという意味では話していない。>>1
テレビ番組で、じゃんけんの起源が韓国と主張した韓国人がいたな。普通に考えたらインターネットが助長させたんじゃないか。
南朝鮮の一般市民が、自国の文化を対外的に考察できるようになったのは、軍事政権から文民政権に移行した1990年代から。
それまでは、軍事政権下において5000年の歴史を学び、自国の文化の優良性を学び、優れた文化や伝統は日本によって破壊されたと信じていた。
しかし、実際に自由に海外の文化を知りえるようになったのは、南朝鮮で無料のインターネット普及してから。
そこで朝鮮人は、自分たちの文化が日本や中国の真似事であり、歴史など何もないことに気づく。しかしアイデンティティーを崩壊させないために、国家的な暗示をかけているのが今。
アイデンティティが崩壊すると火病を起こして現実逃避するか、自殺してしまう。
5000年の歴史はあった。文化も芸術も真似事ではなく、すべて朝鮮のオリジナル(起源)だと、何とか整合性(屁理屈)を見つけている最中。
そして、嘘でも何でもいいから、朝鮮の文化として海外に発信して、既成事実を構築しようしている。K-食品、K-POPもその一環。
つまり韓国起源説の始まりはインターネットが普及した2000年以降からです。韓国の起源説は
たぶんビッグバンの3日前に始まった- 198名無し2022/06/15(Wed) 21:24:22(3/6)
まあ、韓国起源そのものが皆無ですから...
「韓国人は嘘つきであると、ある韓国人は言った」、この様なパラドックスに陥るのが韓国人。
韓国人の提起する起源説に、正解はないのです(笑)そもそも、自国の歴史がしっかり記述され分かっていたら、
他国(日本)起源なんて、自国の歴史と整合性がないから、主張できないと思うんだよね
逆に言えば、韓国の歴史はスカスカで、いくらでも他国起源を入れる余地があるほど、歴史がないってととだよね>>198
檀君神話
東明聖王神話
首露王神話
朴赫居世神話
昔脱解神話
金閼智神話
三姓神話(耽羅建国神話)
高麗開国神話
朝鮮開国神話(竜飛御天歌)
嘘つきだと神話多いよな両班の娘であるザチョンビが幾多の試練を乗り越えた後、神の息子であるムンドリョン(「ドリョン」は朝鮮語で「若様」という意味)と結婚する話。ザチョンビは穀物を持って地に帰って来たため、農業の神になった。
wwwwwwwwwwwwソルムンデハルマングは朝鮮神話に登場する創世神(「ハルマング」は朝鮮語で「老婆」という意味)。朝鮮半島の人格神であると同時に女神であり、頭が天に着くほど背の高い巨人である。海に落ちて溺れ死んだとも、9人の息子のために粥を作り、その粥に落ちて死んだとも言う。済州島の女神で、他の地方では麻姑などと呼ばれる。
海に落ちて溺れ死んだwww全ては今の韓国は我ら「日本」が創造しました。以上!
感謝されるどころか謝罪しろとかとやかく言われる筋合いはない!>>10
韓国は以前からも植林技術が無かったので桜は日本が起源で大正解!>>198
三国史記・新羅本記 文武王十年十二月 倭國更號日本 自言近日所出 以爲名(670年)
新羅は遅くとも670年には『日本』を字面で認識している
三国史記は成立が遅いので偽書と言われたりもするが、高麗の正統性を主張するために、その解釈はともかく、対外的な出来事の有無に関してはある程度整合性が取れていると見られているトンスル의 기원은 조선 반도가 맞다.
한국 기원설은 아마 노태우 대통령 말기 전국 교직원 노동 조합이 생겼을 때부터 나왔다.
トンスル이 한국 기원이라는 주장도 그 때부터 나왔다.>>198
>日本書紀は4世紀に任那日本府という言葉を生み出したから信用ならない
違います。日本書紀原文では任那日本府という言葉はありません。「海北弥移居」とか「任那官家」とか呼ばれていました。
任那日本府という用語自体は、近代につけられた呼称に過ぎません。
また歴史書というのは、基本的に虚実が入り混じっているものと見なければいけません。
いくつか間違っている部分があるからと言って、信用に足らないから使い物にならないという姿勢は考古学の姿勢ではないでしょう。
他の資料と照らし合わせながら、真偽を判断していけばいいのです。
自分は、客観的に見て日本という国号が大宝律令発布以前から広まっていたかは、今のところわからない、と思っています。
少なくとも、海外においては一般的に認識されていなかったのであろうことは旧唐書や祢軍墓誌ではっきりしていると思います。日本国内は分かりません。
墓誌に日本と書かれているから日本の国号の起源まで百済にあるとかいう嘘ははっきり否定しますよ。
祢軍墓誌の「日本」は明らかに国号ではなく単に方角です。
同時に記されている新羅や高句麗も国号を用いてないで、別の用語を使うことでぼかしているのです。
当時の「日本」という語は、唐では方角の東方を表す言葉として認識されていた。ただそれだけです。
そして「日本」が国内において使用されていたかどうかは、これとはまた別の話です。>>198
20年早くても、その時百済は滅亡していたのであった…w
「御宇日本天皇」は高句麗や百済の使臣に対して示された語。新しい造語である「天皇」だけでは意味が通じないため、「御宇日本=日本を統治する」を冠したものと考えられる。従って、「天皇」の語は「日本」という国号と不可分であり、「天皇」号が普及する過程で同時に国号「日本」も一般化されていったと考えるのが妥当。そして飛鳥池遺跡出土木簡の存在から、その使用は677年以前に遡れる。人類の起源は、韓国nida
あれも、これも、それも、世界の全ては韓国起源nida
言っとけよwww基地外国民ども
i>>198
放置しようと思ったのですが一応(笑)
現代韓国人が百済人祢軍墓誌を提示する等、何の冗談かとも思いますが...
>日本で登場する日本表記より少なくとも20年早いのが百済夫人の礼軍墓地石。
>百済夫人の墓地席に登場する日本は百済を指す。
原文の解釈は様々ですが、該当箇所の読みは概ね下記の通りです。
「時日本餘噍 據扶桑以逋誅(時に日本の餘噍は扶桑により誅から逃れる)」と、なります。
※「逋」は「逃げる」「逃れる」の意。
祢軍は百済人で構成されていましたが、皇軍(天皇の命を受けた軍)なのですから日本軍と解釈され、記述されても、矛盾はありませんよ。
そもそも、当時の日本列島を大和王権が完全に掌握していたとの考え方が間違っています。
この墓誌に記される「扶桑」や、後の中華正史である旧唐書の「日本国は倭国の別種なり」がその論拠と言えます。
日本=百済とする最大の矛盾は...
扶桑に逃れた百済が、その大恩ある扶桑と、皇の統治される大和を討てる筈が無いのです。
加えて書きますが、日本の天皇は「姓」がありませんから、中華由来の易姓革命も成立しません。>>212
쓰레기보다 못한 전라도 출신 재일- 214名無し2022/06/16(Thu) 10:15:02(4/6)
このレスは削除されています
- 215名無し2022/06/16(Thu) 10:16:18(5/6)
このレスは削除されています
- 216名無し2022/06/16(Thu) 10:17:48(6/6)
>>216
>つまり百済が倭国を併合したという意味でも解釈可能ではない。
百済が倭国を併合したという意味でも解釈は不可能と、可能性を否定していることに
自分で書いていて気づかない?>>214
「日本武尊」のことか?『古事記』では 「倭建命」とも記され、どちらも「ヤマトタケルノミコト Yamato-Takeru-no-Mikoto」と読む。「ヤマト Yamato」の発音に『日本書紀』は「日本」を、『古事記』は「倭」を宛てたというだけに過ぎず、「日本」の語が使われているからと言ってその実在を直ちに否定する理由にはならない。系譜上では14代仲哀天皇の父とされており、少なくとも『日本書紀』は実在の人物として扱う。雄略天皇はその6代の後裔となる。
任那の侍とは一体何のことか? 先にも書いてくれた方がいたが、「任那日本府」は史学研究上の用語であり、『日本書紀』には「在安羅諸倭臣等」と書かれているに過ぎない。
当時の文明水準で製作された石碑には「渡海」と書かれているw>>215
>>216
やはり...
韓国人らしく、見事なパラドックスに陥りましたね(笑)
私は>>199で忠告したのですが...
貴方にも分かり易く、簡単に説明しますね。
前述の通り、「日本餘噍」、現代語訳は「日本の餘噍(百済人)は」と、なります。
これを、貴方の身近な事柄に例えると、「韓国の北朝鮮人は」と、なります。
「韓国の北朝鮮人は」
「韓国の北朝鮮人は」
「韓国の北朝鮮人は」
貴方の思考論理のパラドックスを御理解頂けましたか?
「日本の餘噍(百済人)」
先ず、原文をありのまま読み、関係する文献等と矛盾が無いかを調べ、真実を探求するのが歴史考察ですよ。
確認できる史料から、概ね矛盾の無い考察が>>211です。
根拠不足で証明出来ない歴史考察は「推論」であり、推論を一般化する行為は「空想」と同義ですよ。>>1
何故韓国起源説とアフリカ中心主義は似てるのか
何も無いのが同じだからかね?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/坂上田村麻呂黒人説
坂上田村麻呂黒人説(さかのうえのたむらまろこくじんせつ)は、平安時代の武官であり、征夷大将軍として蝦夷征討に功績を残した大納言坂上田村麻呂が黒人だったという風説である>>1
朝鮮半島とするとかなり昔からあるけれど。
最近の様に酷くなっているのは、李氏朝鮮時代かな?
●朝鮮半島が中国の文明の発祥地であるとする説
朝鮮半島が中国の文明の発祥地であるとする説は、李氏朝鮮時代に始まり、大韓帝国時代にも続いた。この説は、朝鮮半島が中国の古代王朝の故地であるとし、朝鮮半島の先住民が中国の文化を創造したと主張する。
李氏朝鮮時代の学者である 李珥 や 朴趾源などが著した『 東国通鑑 』や『 朝鮮王朝実録 』などの歴史書に記されています。また、大韓帝国時代の学者である 朴正煕や 金富軾などが著した『 韓国史 』や『 韓国史論 』などの歴史書にも記されています。
こういうのが李氏朝鮮時代からあります。
まぁ、つまり漢や元に蹂躙されており、仏教文化を開かせた高麗から、それを蹂躙し儒教を恣意的に政治に利用した李氏朝鮮時代で、上下関係をしっかり決める中。元により「王」という地位もなくなった清の属国と言う地位に精神的勝利を求め始めた、というのが起源説が酷くなった要因ではないかと思います。>>220
それはあるでしょうね。
本来なら連なる歴史と言うのがあるものですが、自身で捨てていった、元などには全身で尻尾を振り国民を差し出してきた、という歴史がありますからね。
「誇るべき歴史がない」
から、箕子朝鮮という架空の国を、そして檀君朝鮮というファンタジー妄想創作神話を作るのでしょうね。そもそも、朝鮮族とはまったくその時代と関係なく、14世紀になってやっと出来上がった民族なだけに。クリスマスツリーは韓国起源。
言い出したのは10年くらい前か?
相当症状が進んでた。>>1
日本は韓国の技術と文化を盗んだと言い始めた頃が濃厚です。
本当の事は逆なんで韓国起源なんてものは絶対存在しません。
強いて云うなら韓国起源は「嘘」ですね。韓国の歴史学者は全滅w
韓国はあと50年ぐらい市民団体を禁止したほうがいいと思う>>224
『東国通鑑』巻1「檀君朝鮮」には、檀君朝鮮を中国の黄帝よりも古い王朝と記述し、朝鮮半島が中国文明の発祥地であることを主張する記述が存在してるんです。内容は『"檀君王儉,始都平壤,號曰朝鮮。……是時,中國尚未有君,故號曰古朝鮮。"(檀君王儉は、平壌に都を定め、朝鮮と号した。……この時、中国にはまだ君主がなかったので、古朝鮮と号した。)』というものですね。
『朝鮮王朝実録』の世祖実録14年1月甲子条に、檀君朝鮮を中国の黄帝よりも古い王朝と記述し、朝鮮半島が中国文明の発祥地であることを主張しているものですね。
内容は「"我東方之人,自古有聖賢,制作文字,垂訓後世。……我東方之学,本自羲農,至于堯舜禹湯,文武周公,其道一也。……我東方之君子,所以尊周公,以其道合乎堯舜禹湯之道也。"(我が東方の人の間には、古くから聖賢がおり、文字を作り、後世に教えを伝えた。……我が東方の学問は、もともと羲農から始まり、堯舜禹湯、文武周公に至るまで、その道は一つである。……我が東方の君子たちは、周公を尊ぶのは、その道が堯舜禹湯の道に合致しているからである)」というもので、今、流行りの『漢字は朝鮮が作った論』なんかがここらから始まっている訳です。
まぁ、ここら辺も韓国の歴史書ですから後年に改ざんされている恐れはあるのですが。この李珥という人がなかなか面白いと言うか、頭が回る人物だったようで。
『東国通鑑』は、李珥が朝鮮王朝世宗大王の命を受けて編纂した歴史書ですが、この書物の目的は朝鮮半島の歴史を中国王朝中心ではなく、朝鮮半島中心で記述することで、朝鮮民族のアイデンティティを確立することにあったようですね。
そのため、李珥自身はは檀君神話を信憑性がないと考えていたにもかかわらず、『東国通鑑』巻1「檀君朝鮮」では朝鮮半島の建国神話として檀君神話を記述してるんです。これは、朝鮮民族の起源を中国とは異なる独自のものとして強調するためだったと考えられるものなのですが。
李珥は「檀君神話は儒教の教えと矛盾している」と、信憑性を否定してるんですよね。また、檀君朝鮮は中国の歴代王朝と比べて文明レベルが低かったとして、朝鮮半島が中国文明の発祥地であるという説にも否定的な見解を示しているんです。
ようは、王命だからと筆の先を舐めて書いたものなんです。
本来の儒教では、唯一の神である天帝を崇拝することが重視されていますので、複数の神が登場する檀君神話は異教として排斥されるべきものと考えてはいましたが、元(モンゴル)が去るまで蹂躙され続けた半島で、その後も中国の属国だというので、民族アイデンティティを持たせるためにしたようです。
が、どうも効き過ぎたようで。
李珥の死後、朝鮮半島では民族意識の高まりとともに檀君神話が再評価されるようになり、檀君神話が高麗時代の一然著『三国遺事』(1280年代成立)に作られた創作ファンタジーとも教師も分かってもおらずに、現在では朝鮮半島の建国神話として学校で教えているんですよね。>>229
李珥自身はちょうど朝鮮出兵の時代あたりの人で、明ですね。また、李珥は『東国通鑑』の序文を書いているので纏めた(編纂した)のは確かなのですが、『東国通鑑』の中身自体まで書いたかは不明で、「1484年に『東国通鑑』はできた」とあるのですが李珥の生没年と合わないですし、「1484年」も説の1つで1520年説や1530年説(それでも李珥-1536年生-と合いません)と色々ある書物です。
李珥は檀君神話などに否定、檀君について考証し荒唐無稽と「檀君の首出文献稽うる無し」として、檀君を否定していますね。
また、李氏朝鮮の「朝鮮」という国号は高麗から簒奪した李成桂が1393年に明の皇帝洪武帝から下賜されたものですし、権知高麗国事から正式に明に「朝鮮国王」として冊封(君主が臣下に対して爵位名号を与える事)を受けたのは1403年。
また、国号が「朝鮮」という二文字なのは、中国の冊封体制に、李氏朝鮮の君主は外臣であり、一文字の国号を持つ内臣より一等級格下の処遇を受けていたというのもあり、自身らの正当性を何かに求めたかったのでしょう――捏造起源説を色々と作ってまで。
まぁ、李氏朝鮮の太祖である李成桂自体の出自や活躍も色々怪しい所があり、クーデターや高麗王族虐殺などあって、正当性に欠けるから持ち出しているのだろうな、ってところは。今の韓国と同じだよねー、というのでしょうか。
この時代って、正当とすべき高麗王族を殺害してる上に、モンゴル人・契丹人・渤海人・漢族・女真族の移民族が混ざっていて、正当性が皆無となっている時代ですからね。仏教文化も弾圧し尽くしており、文化的にも自分たちで壊した時代ですし。起源も何も、建国から76年しか経っていない。下らん。
>>230
〉一文字の国号を持つ内臣より
そんなの多かった?倭も一応は一字だけどさ。半島のは一応三韓がそれ扱い?6年前のスレか
> 韓国起源説
で、朝鮮人があれだけ大騒ぎして
結局、何が残ったの?
キムチの起源だって、中国なんだろw>>233
新羅と韓国を同一視するのもね…
韓国起源説そのものの起源はいつごろですか?
235
ツイートLINEお気に入り
17354