30日午後、ソウル市中区の崇礼門(通称:南大門)を出発し、光化門広場に向かう「2017王室護衛軍パレード」の一行。
徳寿宮王宮守門将交代儀式の特別行事の一環として行われた今回のパレードは、朝鮮国王と伝統護衛軍のりりしい姿を再現したものだ。
朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2017050101109>>2
りりしいか?はともかくとして、楽しそうではあるなw
・・・・右下端の人、死んでたりしてね・・・・>>4
守ってほしいの?守るべき王室を排除したのはお前ら自身なんだが、いいのか?
南朝鮮の王室???
なにそれ?カイカイでも皇室を馬鹿にするやついたけど
現実は、、、www>>1
ジョージ・カーゾンが目撃した王のお出ましの姿。
朝鮮宮廷の真髄は、王が時折、威風堂々とソウルの街を通って視察や御陵に渡御する行事で見られた。
朝早くから兵士たちが街を警備したが、このような軍隊は世界のどこにも見られない奇妙な姿をしていた。
道に列を作っている歩兵は大半が地面に横たわって寝ており、人の数より多くの旗を持っていた。
彼らの旧式銃は、鉄製の杵・引き金・金属板がないものが大半であり、あったとしても縄でそれらを縛っているだけだった。
銃剣は曲がっており、錆が生じていた。 歩兵よりもさらに驚くべきは、騎兵隊であった。
彼らは300年前のような古い制服を着ていたが、壊れた兜と槍、厚い皮のベストの上に青銅の飾りをした黒い革の鎧、そして虫に食われたような服などを着ていた。
翻訳元:http://www.ilbe.com/7102249565全州で大韓帝国「皇室のルーツ」を確認しようか
「1897年、高宗(コジョン)は園丘壇(ウォングダン・天に祭事を捧げる場所)で皇帝即位式を行い、大韓帝国を宣言した。朝鮮が自主独立の国家であることを明確にし、列強の侵奪を阻むためのもので、今年はそれから120年になる年だ。
全羅北道全州(チョンジュ)の韓屋村(ハノクマウル)慶基殿(キョンギジョン)内の御真(オジン)博物館が、大韓帝国宣言二周甲をむかえて8月27日まで「皇室のルーツ、全州-肇慶壇(チョギョンダン)・梧木臺(オモクデ)・梨木臺(イモクデ)」展を開いている。特別展は、朝鮮皇室のルーツである全州の文化遺産を広く知らせ、大韓帝国の意味を再確認するために用意された。
は皇室の権威を高めるため皇室聖域化事業を展開した。全州の豊沛之郷(王の故郷)文化遺産のうち肇慶壇、梧木台、梨木臺は皇帝国になった後に作られたものだ。肇慶壇は1899年、朝鮮王室の始祖である李翰(イ・ハン)の墓地があると伝えられる徳津(トクチン)公園周辺の乾止山(コンチサン)に造成された。1900年には李成桂(イ・ソンゲ)が高麗末に南原(ナムォン)の荒山大捷(ファンサンテチョブ)をおさめ帰省の途中に全州に立ち寄り宴会を行ったという梧木臺に碑を立てた。梨木臺は李成桂の4代先祖である李安社(イ・アンサ)が生まれ育った所で、高宗が親筆で碑を立てた。
展示遺物は、拓本、古い写真、祭具類、黄龍袍(ファンニョンポ)、大韓帝国で使用した暦である明時暦、大韓帝国の文書、皇室街の写真など約50点だ。中でも梨木臺移築図面は初めて披露された。全州~南原道路を拡張し、梨木臺の碑を道路脇に移転したが、この時の設計図面だ。梨木臺の碑と碑閣に関する情報、移築に関する全般的な内容が記録されていて研究上の価値が大きい。展示を準備する過程で博物館側が発見したものだ。
学芸士のシム・サンヒ氏は「朝鮮王朝の発祥地としてのみ理解されていた肇慶壇・梧木臺・梨木臺を、大韓帝国史という新しい側面から眺める機会になるだろう」と話した。
ハンギョレ
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/27210.html服装や鎧、武器なども何時もの
ファンタジーでしょ
韓国には歴史学者や歴史マニア居ないのか?>>1
韓国の皇室はアパート住まいって聞いた気がするんだが今もそうなんだろうか。
王室護衛軍パレード
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