19世紀にもなって染料がないって信じられないんだけど
本当になかったのかね
染色された布は日本か中国の輸入品しかないみたい
明治9年(1876)7月、日本政府は宮本小一外務大丞の朝鮮国京城(ソウル)訪問時の報告
衣服について
朝鮮王(高宗)の衣服は、美絹にして桃紅色の礼服である。胸に袞龍(こんりょう)の如き金襴がある。冠は紅黄色の唐冠に似たものである。
重官は、松葉色に双鶴の刺繍模様ある礼服である。
一般人の服は木綿白色である。富貴の者は「紬(つむぎ)」を用いる。
庶民の場合、男女の服装がそう変わらないように見える。
(かつて黒田全権大臣は釜山草梁において一般男女の区別がついてない。)
染料はまだ無いようである。縞小紋の類はない。赤、紫、橙、黄など、人の目を悦ばす色もない。
婦人などで色のある服も見るが支那か日本から輸入したものである。
近来、日本から外国の染料を輸入しているから、漸次これを用いるようになるだろう。>>31
柔道や空手の道着も、日本人は白にこだわるしな
カラー道着は外人の発想である小便で洗濯してるじゃなかったか?だから黄色になるんじゃないの?
国内で作ってたのかもしれないが
庶民に普及するほど豊富じゃなかっただろうなぁ。
上の方で韓国人が染色済みの衣装持ち出してるが
中国から染料輸入して特権階級だけ染めてたからなぁ〜。
陶器の染料も一緒。
白磁ばっかりなのも合点がいくなぁw>>62
조선시대 염료 논문이다.
한국의류 학회지
http://jksct.or.kr/xml/02213/02213.pdfhttp://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/48894953.html
これを見る限り、朝鮮戦争時代も白チョゴリがたくさん残っているね。日本の統治下り影響か、子供はほとんど洋服。>>66
調べてすらないので調べてみたと書いてある。
薬の材料として栽培していたものは朝鮮でもとれただろうと書かれている
7Pまで読んだが時間が掛かるから止めた。
殆ど資料が無い事は理解した。>>65
英語の部分だけ読んだけどw
染料の材料の植物だけを列挙してもw
そんなもんは、中国の薬学書に書いてあること同じ内容w
植物からの染料の抽出方法や、付着させるための技術の説明がないw
つまり、産業としての説明は?
日本では、独自の染色技術、染料になる植物の品種改良まで近代以前にやってるんだが?w>>65
君、そのレポート読んだ?
他の研究結果を参照して、それらの文献に記述された染料を調べたと前文に書いてあるぞ。
先ずは参照したというレポートの記述内容が正しいのか議論する事から開始しないと朝鮮に染料があったかどうか判断できない。
まあ、前文にすら日本から染料の素材を輸入していたと書いてあるけど。>>65
朝鮮王朝で使用した染料の研究が
李氏朝鮮時代に染料を自給していたことになる
と思うのはなぜ?
そういうことを書いてあるページがあるなら指定して、読むから。
そうでないなら、なんで無意味な論文貼るの?そもそも「韓服」なんて言葉があったのか?
「和服」のパクりだろ?
「韓牛」とか「韓定食」なんて言葉と同様に日本の真似をして最近考えた言葉だろう?>>59
染料はトンスル?w
茶色、黄色は自己生産できるからなw朝鮮の歴史を探究すればするほど、朝鮮人の自己愛を傷つける記録ばかり。
朝鮮人が怠惰と無能と卑怯卑劣が羅列されているだけの自民族史を否認し、栄光に輝く誇らしい歴史であったと嘘捏造で糊塗したくなる気持ちもわからないでもないが、それを自分達だけでは信じ込めないからって、日本人やその他の国々に同意や承認を求めるのはやめろ。>>1
染料が無かったというより、染色技術が無かった。>>5
本当に?本格的な染料じゃなくて、草木染レベルなら、その辺に生えてるもの大抵何でも使えますが。木綿は植物繊維なので染まりにくいけど、きちんと工程を踏めば、茶色や黄色、黒系統なら普通に染められる植物はあると思う。日持ちはともかくとして。
草木染やったことのある人なら大抵の植物が染め物に使えることは知ってると思います。
なので、何で朝鮮があんなに白い服ばかりなのかは私も疑問でした。
染色工程が上手く下層民にまで伝達されていない、あるいは培われていなかったか、日本の奢侈禁止令みたいに上からの圧力で染めるのを禁止されていたのではないかと思うんですが、いかがでしょう。それか、染めに使う為にはそれなりに植物の量が必要なので、寒さをしのぐことが優先で、染めの為に草木の量を用意できなかったか。染色云々よりも、長い属国の歴史で無気力だったから、下水道整備もせず、屋外のそこここに糞尿垂れ放しの国民習慣が定着した。両班(ヤンバン)階級は、自分を中国人と自覚し、下位階級の者達から理不尽な収奪を繰り返し、私腹を肥やし、下位者はどうせ奪われると、無気力自暴自棄になっていた。
併合で、その差別の元である身分制度を無くし、国を近代化させ、少女のキーセン売春を禁止し、凌恥刑等という健丈者の下肢の骨を折り、歩行困難にする残虐刑を禁止した日本人が何故か嘘つき朝鮮人が日本人達が、その残虐行為をやったという自国史にすり替えた。
二度と半島国家とは関わるべきじゃない。>>59
両班って色つきの衣服を着てたんだっけ? その色つきの生地は中国からの輸入みたいだな。そもそも技術がないだろうw
土いじりが唯一認められただけの国 土人だよ。>>79
「その辺に生えてるもの大抵何でも使」う前に、まず全部食ったでしょう。>>70
貨幣経済が無いという状況を考えてみなさい。
人は生きていくために作物を作るしかない、日本や中国では古くから中国の硬貨や米などを通貨として利用して士農工商へと発展したが、朝鮮では工が奴隷なんだ。
士(支配層)農(良民、賤民、奴隷)工(奴隷)商(密貿易と中国の商人)
この形で発展しろという方が無理なんだ。>>85
絹の生産が有ったので染めるための染色も有った。
染料は輸入とされている。
日本のように庶民が経済活動で染色したんじゃなくて、両班が奴隷を使って行っていたので発展しない。奴隷の為に生産性を上げるインフラ整備とかしないからね。>>84
両班は色付き
良民も色付き
何の迷信だ。>>84
イザベラバードの朝鮮紀行を読めばわかるよ。事実は事実として受け止めるべきだ。
なんでもかんでも捏造は良くない。
染色した布は中国から手に入れていたが正解だよな。染料も中国から輸入。
朝鮮半島の歴史として百済や高句麗、新羅には染色などの技術があったのかもしれないが李氏朝鮮時代にそんな技術があったのか?これは疑問だ。
日本の歴史学者と南朝鮮の学者が歴史の擦り合わせをした時、日本の学者が事実と真実を言うと南朝鮮の学者が南朝鮮に愛はないのかとか歴史学者とし良心はないのかなどわめき散らした。
これでは正しい朝鮮半島の歴史は分からんよ。嘘と捏造は本当の歴史ではない。事実の積み重ねが本当の歴史だ。同情するなら金をくれ❗朝鮮人(韓国人)のお言葉です。
>>84
染料がなくても悲しいし、
野蛮な迷信のせいで普及しなかったとしても悲しいな。有るわけないだろう。好き好んで染色する前の衣服を着るわけない。だったら、今でも白衣衣装を好んで着るはず。ドラマもしかり!
>>67
保存方法によっては残ります。現に日本でも鎌倉時代の義経の服とか静御前の服とか残ってますよ。以前吉野のお寺に展示されていた実物を見た時に、当時の日本人は小さかったんだな…と思いましたが、綺麗な着物でした。でも現代的美意識には合わないなーという感じの。
あれも800年前くらいですが。>>3
食うのは死体じゃなくて糞だったらしいが>>82
白い服ばかりなのは存じてます。当時の外国人の評も。だから何故なのかと思ってました。草木染ってそんなに難しくないのになーと。江戸期の四十八茶百鼠」ってすごい
奢侈禁止令に対してのお見事としか言いようのない回答
着物の色・柄・生地に至るまで出された制限に「これなら文句ないでしょ」
って高笑い
素材は「麻」または」綿」色は「茶色」「鼠色」「藍色」「納戸色のみ
そういう縛りに対して出した解がコレとか本当に頭が下がります
ついでに言えば四十八とか百って色数じゃなくて「たくさん」って事です
少し並べてみる
茶系➡︎江戸茶 團十郎茶 利久茶 媚茶 千歳茶 鶯茶
鼠系➡︎江戸鼠 銀鼠 梅鼠 葡萄鼠 黒鼠 藍鼠 錆鼠
藍系➡︎鉄紺 藍 薄藍 納戸色 浅葱 露草色 水浅葱
こういう宝物こそ子供に伝えたい「文化」って言うんだと思う
美術の授業とかで取り入れて欲しい
心底勿体ない李朝は王莽の新みたいな儒教原理主義政治を500年も続けたから、商工業は廃れ多様な思想も無くなった結果、高麗時代よりも大幅に退化してるから、染料が無かったのではなく、染料技術が無かったんだろうな。染料に使う植物は様々な種類が朝鮮半島全土に分布してるから。
贅沢品も知識も貴族の特権。
貴族用は少量なので中華帝国から仕入れる。
庶民は、贅沢品は禁止。文字も禁止。
技術が遅れてたのではない。遅らせてたのだ。염료와 옷에 색깔을 넣는 것을 발명한 것은
4000년 전의 한국인이 발명한 것이다
증거를 내일 게재한다 ㅋㅋ>>64
何気に高麗芸術は謎に塗れているけど色っぽい艶やかさがあるよね
個人的には大好物朝鮮人は、白色以外の色を、浮わついた色と酷評して、精神勝利するからねぇ。
そういう詭弁癖が韓国人には有るから、
外貨準備高は充分にあると喧伝しながら、裏では日本に泣きついて土下座。
さらに「日本の支援は迷惑だった」と、不誠実な行動を繰り返すんだよ。>>1
雑巾民族と呼ぶべ>>102
朝鮮人が4000年前を語ることはあり得ない。
まともな国などなかっただろうに。>>107
1990年 在日韓国人系信用組合の関西興銀が中心となり、「古代の国際交流再現―四天王寺ワッソ」が開催される。谷町9丁目から四天王寺までの谷町筋を交通規制して行われた。
2001年 関西興銀の破綻による資金難で中止、以降3年間中断される。
2003年 民団をはじめ日韓の企業・団体・歴史学者らが発起人となり、民団内にNPO法人大阪ワッソ文化交流協会が設立される[4][5]。
2004年 NPO法人大阪ワッソ文化交流協会が主催者となり復活。大阪府などからも資金援助を受け、場所を難波宮跡に移し、かつてより規模を縮小して開催[6]。以前の祭と区別して「四天王寺ワッソinなにわの宮」とも呼ばれる。この年より、日本人もパレードに参加するようになった。
批判 編集
「韓国起源説」および「民間語源」も参照
日本語「ワッショイ」の語源は古代朝鮮語「ワッソ」(来た)であり、古代朝鮮人が日本に到着して「ワッソ、ワッソ」と喜んだのが日本の祭りの起源であるとの俗説があり、それが「四天王寺ワッソ」という名称の由来ともなっている。しかし、古代朝鮮語はほとんど解明されていない上に [7] 、「ワッソ」という形態が使われはじめたのは16世紀以降である [8] 。このため、古代朝鮮語の「ワッソ」が日本の「ワッショイ」の語源であるとする説には言語学的根拠が欠けており、学術的価値のない民間語源のひとつに過ぎない。また、自民族優越主義に基づいた韓国起源説のひとつであるとの批判もある [9]。 しかし、テレビ・新聞等では「ワッショイの語源はワッソである」という俗説が事実であるかのように報道されることもあり [10][11][12][13][14][15][16] 、日韓の歴史教材にも取り上げられている。저울과 染料를 4000년전에 한국인이 세계최초로 발명했다
다만 옷에 세계 최초로 사용한 염료다
留記: 丸熊虎史
檀君扶婁 기원전 2238년
癸卯三年九月下詔民編髮盖首
癸卯 3년 9월 조서를 내려 백성들로 하여금
服靑衣斗衡諸器悉準於官
푸른 옷을 입게 하였다. 쌀 되와 저울을 모두 통일하도록 하였고,
布苧市價無處有二民不自欺遠近便之
머리카락을 땋아서 목을 덮도록 하고 베와 모시의 시장 가격이 서로 다른 곳이 없으며, 백성들 서로 속이지 않으니 어디서나 두루 편했다.
朝鮮には染料がなかったのは本当なの?
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