台湾南東部・台東県東河郷の山中で日本統治時代に植えられたコーヒーの老木が残されていることが分かり21日、記念の石碑の除幕式が行われた。台湾では2000年以降、コーヒーの栽培が再び広まっており、一部は日本にも輸出されている。地元の人々はこれを機に台東のコーヒーの知名度を高めたい考えだ。
同地では1931(昭和6)年、キーコーヒーの前身「木村商店」が農園を開拓したが戦後、放棄されていた。2016年、同社の柴田裕(しばた・ゆたか)社長が付近の農場視察の際に偶然、老木が残されていると聞き、地元の人々とともに保存に動いた。
発見時、周囲は雑木林のような状態で、通常高さ2メートル程度に枝切りする木は約8メートルにまで育っていた。コーヒーの木は一般の農園では20~30年で植え替えるため、樹齢約90年の老木は「非常にめずらしい」(同社)という。
台湾では日本統治時代に総督府がコーヒー栽培を奨励し、1942(昭和17)年に栽培面積は1000ヘクタールを超えた。台湾産のコーヒー豆は皇室にも献上されたとされる。だが、戦後の台湾ではコーヒーを飲む文化はなく、53年には5ヘクタールまで減少した。
転機となったのは99年の集集地震(台湾大震災)だ。震災で被害を受けた農地で、付加価値の高い作物としてコーヒー栽培が奨励され、現在は1150ヘクタールまで広まっている。
台湾産の豆はフルーティーな香りとさわやかな口当たりが特徴という。一部は日本にも輸出され、産地ごとの特徴を楽しむ消費者に選ばれている。
老木の保存はキーコーヒーが来年、創業100周年を迎える記念事業の一環でもあり、式典には柴田氏も出席した。柴田氏は「創業者の夢を台東の皆さんがつないでくれて感激している」と感謝の言葉を述べた上で、「この歴史的な瞬間を新たな里程標にしたい」と抱負を語った。台東県の饒慶鈴(じょう・けいれい)県長(県知事)は「これを機に台東のコーヒーのブランドを確立していきたい」と話した。積弊清算される国じゃなくて良かった。
かつて日本が植えた木、日本ブランドを上手く活用しているね。
どっかのキチガイと違って世界が見えている。一方、韓国に持ち込んだ茶の栽培は歴史歪曲されて数百年の伝統となり、羊毛業は消滅し、海苔の養殖は起源主張が始まっている。
韓国なら切り倒されて
「無理矢理コーヒーを植えられたニダ」
って大騒ぎしそうwww
台湾と韓国の民度の差を見せつける事案だね日本が台湾の方達を苦しめたことを反省すると共に深くお詫びし、
そして現在、友好的な付き合いをしてくれてることに心より感謝します。
有難う台湾。>>10
確か東京に自分でコーヒー育てて、いれているコーヒー屋があった。
自分、マンゴとかパパイヤ作ってみたいんだけどね。
コーヒーは飲まんのよ、実は。この木から増やして台湾産コーヒー豆として売って欲しいw
ありがたい 過去から未来への
道の繋げ方が 明るく温まります。
国同士 民同士こうありたい。>>13
盆栽いいですね。
やってみたいけど難しそうだし、何しろ時間かかりそう。
生きてるうちに、モノになりそうじゃないもの。
マンゴは成田でも作られてるし、できないもんじゃないみたいよ。>>1
韓国だったら引っこ抜かれてるな
「収奪」の為あるいは「民族精気抹殺」の為に植えた木だのと解説が付いて#大好きだよ盆栽
#だって室内だもん
#仲良く盆栽ぜ
#今更嫌盆栽なんてダサすぎる
#向かいあおう盆栽認識
#語り合いたい盆栽認識朝鮮では、戦前に地域朝鮮人の為に尽くした日本人に対してその業績と感謝の言葉を刻んだ石碑がたくさん作られた
戦後、朝鮮人たちはその石碑を壊して撤去したり、コンクリートで碑文を覆って何の石碑か分からない様にしている
朝鮮人の民族性には反吐が出る思いだ>>1
さすが台湾
アメリカから戦闘機も買うことができたし着実に対中国共産党の政策ができていますね。
靖国参拝も毎年正装で参加してくれているし
日本統治の物を大切にしてくれていて
今回のコーヒーの木も民間レベルでの友好の実をたくさん実らせるでしょうね。
日米台の時代到来>>21
多肉というと、リトープスとかですか?
自分も作りましたよ。
栃木にある専門家から一鉢買って。
見事失敗しましたけど。笑
自分はとりあえずマンゴですね。
台湾とかマンゴジュースとかおいしいらしいし。台湾や他の東南アジア諸国を見ていると、こういう人たちに対しては過去の日本の悪かった部分は素直に反省し今後も多いに協力しなければいけないって思うのだ
韓国に対しては、だったら金返せやって気分になる
それが人情日本人は韓国の反日を批判する材料として台湾の親日を利用する時がある
自分たちに都合の良い時だけ台湾を賞賛せず絶えず台湾を気にかけるようにしなければダメだ
彼らも日本人の都合の良い考えを見透かしているからね>>1
【神回】台湾の総統とYouTubeコラボしました。
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=rX3WXL89Hys韓国人 ゾウのウンコでコーヒー作るnida
たしか開発したんだよね。台湾じゃ戦前植えた紅茶が育って
美味しい台湾紅茶として売り出されてる。これが常識的な人間の行動
台湾人を見ると、洗脳教育をされた韓国人の異常性がよくわかる
21世紀になっても、子供に憎しみを教育する野蛮な未開国
それが南北朝鮮
朝鮮はアジアの癌だよ>>5いや、お茶に関しては、それは間違いよ。
【伝説】
首露王の妃である許黃玉がインドで茶の種子を持ってきたという伝説があるが不確定。
【確認できる記録】
『三国史記』…828年12月に大廉が茶の種子を唐から持って来て智異山に植えたという記録が最初。
『高麗図経』…「土産茶、味似苦渋不可入口」(高麗産の茶は、苦く渋くて、口に入れることができない)
『三国史記』『三国遺事』…大部分が僧侶にまつわる話であって、寺院を中心に喫茶が儀礼と関係して用いられていたと確認できる程度。
『宣和奉使高麗図経』(宋の使者、徐兢の記録)…高麗の喫茶法が確認されるが、記述が不十分で、半島の喫茶法は明確でない(※宋では抹茶は使っていない)。
李氏朝鮮時代…仏教弾圧で、喫茶の風習も衰退するが、慶尚道慶州府、全羅道羅州牧、南原都護府などで茶が生産。王宮では贈答用の「天池団茶」「青苔銭」という固形茶が限定的に製造されていた。他に記録に登場する高級茶は中国産。
『朝鮮王朝実録』…中国明王朝の使節を迎える際に、茶を用いた儀礼(茶禮)が行われていた様子が確認され、明の楊鎬が“南原の茶は高品質”と言った記録もある。
清国への朝貢物品(1637年~1645年)に茶千包が含まれていたものの、途絶えた事から茶葉の産出量が少なかった事が伺える。
【朝鮮の“茶”は茶ではない】
半島で、茶葉を用いた喫茶の習慣は上流階級や一部の寺院のみのもの。
朝鮮半島で「茶」と言う場合は、中国・日本などで言われる「茶」ではなく、木の根などを煎じた薬湯や、果実を湯に浸した物を指す(『朝鮮歳時記』に、中国で茶の新芽を意味する「雀舌」が、杉など他の植物の新芽を指している用語もある)。
1876年7月、宮本小一外務大丞の京城での記録…“朝鮮には緑茶は無い。干した生姜の粉と蜜柑の皮を干した物を煎じて「茶」としている”。
1894年~1897年イザベラバード『朝鮮紀行』…朝鮮には茶はなく、柑橘類を溶かしたものを飲む風習があること紹介。本当に有難いことです。
未来を見て、共に歩める相手がいるのは、心強いです。>>33
どっかに植え替えた、と報道されてたはず緑茶もウーロン茶も紅茶も木は同じ。知らない人もいるので一応。ウーロン茶は半発酵茶、紅茶は醗酵。清で買ったウーロン茶が運ばれてるうちに紅茶に。なんで紅茶は英語でブラックティー。
>>36
間違った。有効→友好台湾旅行行くとかなり親切にしてくれます。
マジに台湾旅行最高!
治安もかなりいい
たまにおごってくれる (笑)귀여워 대만
>>38
治安がいいから日本旅行に近い安心感があるんだよね。
あと食べ物の美味しさ。
駅の階段で転んだ時にお婆さんに「大丈夫?」
って日本語で言われたのはいい思い出w>>4いやほんと、普通はこうなんよね。
「古いコーヒーの木が見つかったぞ!」「ええ!すげえな!!ちょっと飲ませてくれー!」で、ちょっと苦いなとか美味いなとかで交流がはじまるのが普通なんだよ。
なんで常にこっちが上だか下だかが発生すんだよ めんどくせーんだよ韓国人台湾が本当に大好き💕
>>1
戦時中大変な思いをしただろうにね
こうして歴史の中の出来事を良きものとして記憶してくれてありがとう
だから台湾は共に歩きたいと思えるんだ
戦後70年たっても「日本の蛮行を知らしめる!」と泡を吹いて世界中に吹聴して回っているどこかの国と大違い
どこかの国だったら、このコ─ヒ─の木は「日帝の残骸だ!引っこ抜け!燃やしてしまえ!」で息絶えたろうね>>45
当然、キムチで何でも治るnida台湾を一つの国と認める活動をしよう。中国の懸念??日本が中国ごときに顔色伺う理由がない。習近平肝いりの一路一帯でさえ、今や日本がなければ信用全く無しのペテン事業だし。
>>27
ちゅんちゅんは俺と付き合ってんぞ
台湾で日帝時代に植えられたコーヒーの木が見つかり、記念碑が作られる
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