なぜ「植村ドキュメンタリー」なのかと聞くと、西嶋監督は「おかしい」という表現を使った。「私は1991~94年にRKB毎日放送と同じ系列の東京放送の韓国特派員を担当しました」。 彼は記者として入社し、2001年にプロデューサーに職種を変えた。日本ではよくあることだという。「特派員の時、植村記者の記事が出ました。私も一緒に『慰安婦』の記事を書いたんです。『挺身隊として連れて行かれた』という表現は私も使いました。ところが20年以上過ぎて、植村氏だけを攻撃するのでおかしいと思いました。4年前、ちょうど福岡に講演にきた植村記者と初めて会い、ドキュメンタリー制作の意思を明らかにして許諾を受けました」
このドキュメンタリー企画案は昨年、日本の国際ドキュメンタリーのピッチングフォーラムである「Tokyo Docs」で共同制作支援対象の15作品にも選ばれた。「日本のオンライン・クラウドファンディングのプラットフォーム『A-port』で4月にファンディングを始め、現在190万円を超えました。8月までに350万円を貯めようと思っています。制作は今年中に終わらせるつもりです」
西嶋氏はプロデューサー時代、日本が犯した戦争の歴史を扱ったドキュメンタリーを主に作った。太平洋戦争時、日本軍のマレーシア・コタバル侵略を扱ったものが代表的だ。「戦争は私が必ず記録しなければならないテーマ。日本にはまだ知られていない歴史があります。日本人のほとんどが太平洋戦争は真珠湾攻撃から始まったと思っているが、防衛省の資料を見ると、真珠湾攻撃より一時間前にコタバルを攻撃しています。しかし、日本が東南アジアで戦争を起こしたという暗い記憶を消すために、コタバル侵略を教えない。ドキュメンタリーを通じて日本が米国と同時に東南アジアでも戦争を起こした歴史を知らせたかったんです。昔から権力者は歴史を自分に有利なように歪曲するから」
http://japan.hani.co.kr/arti/international/33556.html
これが、良心的日本人ってやつ戦争を知らずにぃ~、植村は産まれたぁ~
>>1
植村隆の共犯者じゃねーか!相手は何も云ってないのにわざわざ発掘してくるとか馬鹿じゃないの!
植村擁護なんてあんなの朝日新聞記者の立場を利用してプロ市民の義母と結びついて日本を貶めた最低野郎なんだが。>>1
絵に描いたようなパヨク面w>>1
加害者側が、被害者のふりをする。
どこかで聞いたような話だな。ドキュメンタリーということは、取材中にハニトラに引っ掛かって結婚した所までキッチリやれよ。
どうせ都合のよい部分だけ切り取ってきて編集するんだろうけどwTBS 韓国特派員
香ばすぃなwこんな奴がいるからTBSは反日放送いわれんだろうなw
>>7追記
ああ、そうそう。結婚相手の母親の事も詳しくなwそんなドキュメンタリーを作ったら、逆効果ではないのか?
植村の義母が韓国人で原告団という件にも触れねばならない
そんな当事者家族に捏造記事を書かせた朝日新聞の姿勢または監督責任が再び問われることにもなる
また、当初は韓国政府も済州島住民も慰安婦事案について「否定」の立場を示したことが明らかになれば、韓国国内でも騒ぎが起きる
まあ、どうせ、そのあたりのFactを無視した扇動映画を作るのだろうけど慰安婦問題「捏造記事」とバッシングを受けた元朝日新聞記者が映画に 誹謗中傷に苦しんだ娘もカメラの前で秘めていた思い語る
ネットやSNSで名前を検索すると、「従軍慰安婦問題をでっち上げた捏造記者」「国益を損ねた売国奴」といった言葉が氾濫している。朝日新聞大阪社会部の記者だった1991年8月、元慰安婦の韓国人女性が証言を始めたという記事を最初に書いた人物だ。それから20年以上が過ぎた2014年、「慰安婦捏造 朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」という週刊誌報道を機に、激しいバッシングにさらされるようになった。「捏造」の汚名を雪(そそ)ごうと闘う植村氏や支援者、家族に並走したドキュメンタリー映画「標的」が2月12日から全国で順次公開されるのを前に、西嶋真司監督に話を聞いた。
「植村さんが記事を書いた後、元慰安婦だと名乗り出た金学順(キム・ハクスン)さん本人に私もインタビューして、ニュースで流したこともあります。当時韓国では、『慰安婦』と軍需工場などに動員された『女子挺身隊』とが同義語として使われていたので、植村さんだけでなく、私をはじめとする他のメディアも慰安婦問題の記事に『挺身隊』という言葉を普通に用いていました。でも捏造や誤報だと言われたことはなかったんです」
「バッシングの引き金となった週刊誌報道は2014年で、翌2015年には慰安婦問題日韓合意。日本政府としては慰安婦問題にそろそろ幕を引きたい時期でした。だから政府と論調の違うメディア、特に朝日新聞、その中でも植村さんが“標的”にされたのではないかと僕は感じています」
「植村さんの印象は『強い人』。自分は捏造していないという確信もあってのことでしょう。彼がバッシングに負けていたら、この映画は作れなかった。自分の意思で映画に出てくれた娘さんも、『卑劣なバッシングに怯まない』という本作のテーマにもぴったりの人でした。映画を通して、その声を伝えたいと思ったのです」
「『バッシング』と『自分の意見を言うこと』は明確に違うので、バッシングからは議論も深まらず、何も生まれません。映画を見て、そのことを理解してもらいたい」
https://maidonanews.jp/article/14533276
[インタビュー]「右翼の『植村バッシング』ドキュメンタリーを作るため局を辞めた」
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