私が最初日本に着た時、兵卒の制服を見て驚いたものだ。
それはとてもだらしなく見え、軍隊式のきりっとしたところが欠けていた。
彼らが招集される事になった時、こんなだらしなさが勤務にまで影響するのではないかと心配したものだが
それは戦争が起こって日本軍人の完全かつ機敏なる事が証明される事になるであろうとは全く思い及ばなかったからである。
さて、いよいよ戦争勃発の時がきた、
しばらくの間、遠いところで戦争の危機が迫りつつあるのを感じてはいたが、ある晩それが始まったことを穏やかに告げられた時、私はたいへんびっくりした。
日本では重要なニュースは号外によって報道される事になっており、新聞を抱えた売り子はひっきりなしに鈴を鳴らしながら往来を駆け回るので、それを聞きつけた熱心な読者はすぐに家を飛び出して買い求めるのである。
戦争が始まってからそれが終わるまで、号外の鈴はいつも鳴り続けていた気がする。
次に思い出すのは(略)急に馬車が止められて数人の兵隊が教練を受けているのを待たされた事であった。
それは十名足らずの小人数だった。恐らく通りから外れているので教練の場所として選ばれたのであろう。
毎日のように方々の路上で、一生懸命教練をしているこのような分隊をみかけた。
市電の激しく往来している通りで、彼らは調教をするので、通行人にとってはこの上なく危険なやり方だったが、どんな場合でも状況に合わせて自由に馬を乗り越せない騎手を見た事がなかった。
明治時代の日本を知ろう『明治日本見聞録』エセルハワード 面白い部分を少し書いて行きます
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