日本韓国の違い
問い:日本と韓国の歴史をどう思うか?
一般日本人の答え:(少し考えてみて)よく知らない、興味もない、回答できない
一般韓国人の答え:(条件反射的に)日本が悪い>>29
韓国人の会話の大半は、ただ甲乙の話をしているだけである>>1
1.1960年代生まれの俺は、任那日本府のことは小学校で習ったよ。
千年以上前のことで、だから何?って言う状態だったね。
2.豊臣秀吉の唐入りは、明軍の早期参戦と兵站の失敗から、朝鮮半島を占領し切れずに終了したと習ったよ。
3.財政破綻していた大韓帝国の、借金を肩代わりする代わりに、大日本帝国の一部とした。と習ったね。
http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/pw/19100822.T1E.html>>1
ここで聞いても意味ないよ
ネット右翼しかいないんだからここは
twitterで聞いた方がまだまし>>29
そう。
スレ主の「ネット右翼は日本で特殊な考え方で普通の日本人はそうではないはず」という気持ちが透けて見えます。>>1
大学行かなかったのは 大学に行きたくなかったのではないと言っているのと同じ。
大学行きたかったけど受験に失敗していけなかったと愚痴を言っているのと同じ。
後から本当は違ったなんて言い訳が通じるのは幼稚園児ぐらい。
本当に大学に行きたかったらその時一生懸命勉強すればよかったという自分の努力不足を嘆いているだけ。
何回受験しても失敗するでしょう。
書き込みの意味が分からないくても構いません。>>36
殆どの日本人が興味がない。>>1
>1本当に任那日本府説を信じますか?
学校ではさらっと習う程度。そのため、信じる以前に「知らない」が多数と思われる。
>2.本当に日本は朝鮮を侵略していなかったと思いますか?
秀吉の時代の話なら「中国を攻めるため、朝鮮半島に『道を通して』と書簡を送ったが聞かなかったので交戦状態になった」と思うだろう。
併合の話なら「植民地化した」で止まっているだろう。
>3.本当に朝鮮が望ん、日本と合併したと思いますか?
上記でも書いたけど「植民地化した」で終わっている。
「武力の強制・侵略」でも「どちらが望んだ・併合」でもない。
そもそも日本と韓国では『韓国併合』で教える厚さが違う。
例えば、韓国人なら100%知っている青山里の戦いや鳳梧洞戦闘は日本人の99%は名前すら知らない。
嫌韓と言われる日本人でさえ知らない人が多い。>>1
一般の日本人で、日韓併合などの近代史も含めて日韓の歴史に興味持ってる人なんて少ないですよ。
任那日本府に関しては、教科書に出てくるんじゃないかな?>>1
大阪の学校教育で習うのを基準にすると
1、基本的に習わない(説の一つとして習う可能性あり、但し担当が日教組系なら確実に習わない)
2、下の画像の風刺画が載る事が多い(日清日露戦争の風刺画)
3、併合したという事のみ載っている感じだったと記憶してる(担当によっては色々刷り込んでくる可能性あり、主に日教組系)2、ちなみに朝鮮出兵なら日教組系以外なら明を攻める為に先ず朝鮮に出兵したと習うが日教組系の先生なら残虐行為を教える(主に耳塚に関する事など)
>>1
信じてる、というか歴史的な事実だもの。
真実なんだから、信じるとか関係ない。ただの史実。
韓国以外の証拠を見比べてみたら、韓国の主張だけが食い違う。
普通はそこで「韓国がおかしい」って考えるもの。
韓国人は何故か『世界が嘘つき』って考えるけども。>>1
1.
古代日本の勢力は韓半島南部にまで及んだという認識だね。
任那日本府についても学ぶが、
古代の歴史なんて 歴史に関心がない人は覚えていないと思う。
2
秀吉の朝鮮出兵については習うよ。
もっとも そんな昔のことについて悪いことをしたなんて、思っている人はいない。
3
朝鮮のことなんて考えていない。
ロシアの南下に対抗するために、朝鮮を併合した。>>1
1本当に任那日本府説を信じますか?
日本書紀だけではなく、中国や朝鮮の史書でも朝鮮半島への倭国の進出を示す史料が存在します。
新羅・百済・伽耶の勢力圏内で日本産のヒスイ製勾玉が大量に出土していたり、
日本列島独特の墓制である前方後円墳が朝鮮半島にあったりと、
日本が経済的、軍事的に大きな影響力を有していたのは疑いようが無いと思います。
2.本当に日本は朝鮮を侵略していなかったと思いますか?
1905年9月4日にこの協定の内容をそっくり盛り込んだポーツマス条約に日本とロシアが調印し、1910年の韓国併合条約て日韓併合は確定し、列強のすべての国が大韓帝国に対する日本の支配権を認めることとなった。この経緯からも、日韓併合に「日韓戦争」や「日本による韓国侵略」が存在しなかった事は明らかです。
朝鮮がロシアに寝返ってしまっては国防的に日本にとっては大きなデメリットになるので、敢えて反日感情を煽る政策をとる理由が当時の日本にあったと考えるのは不自然です。
3.本当に朝鮮が望ん、日本と合併したと思いますか?
望んではいなかったと思いますが、当時の朝鮮はロシアの支配下になるか日本に併合されるかの二択しか無かったのが事実ですから、日本を選んだのは朝鮮です。
日本は当時の朝鮮が納得するに値する出血大サービスをしています。
世界最貧国の一つであった朝鮮王族は、当時世界の列強と肩を並べた日本の王公族として日本国内で天皇家に準ずる地位と皇族と同じ大邸宅を与えられ、土人のように生きた未開な一般人は差別から解放され、
ソウル周辺は日本の地方都市より潤った文化的生活を手にいれています。
当時の朝鮮人が日本信者になったのは、このような日本側の厚遇があったからです。>>36
1 普通に事実としてとらえている。反証が馬鹿朝鮮を除いて今のところない。
2 侵略とはいつのことかな?近代なら、侵略などしていない。
3 当時の朝鮮は国王がいて、統治していたが、その王が、日本に統治をゆだねたのだから、庶民の感情など関係ない。
ちゃんと勉強しろよ。いつまでたっても、まともな人間に成長できないぞ。”日本”では、歴史認識に右翼や左翼は関係しない。
ここの人達を右翼、さらに言うと極右、ネトウヨと君が判断したとしても、
主流な歴史観から大きくズレている事は無い。
左翼というと、中国や共産主義寄りの歴史観になるのだろうか?
中国とは19世紀までの歴史認識はほぼ共通している。
つまり、君が聞きたいであろうこと。
極右日本人の歴史認識と中国の歴史認識は共通している。
違うのは朝鮮地域の学者だけだよ。何故古代の歴史認識が共通しているのかには理由がある。
漢字で理解しているからだよ。
中国との歴史認識問題で、最近の100年以前で問題になることは無いだろ?
あるのは南京事件とかの論争のみだ。
資料や遺跡がある歴史で相違は無いと言えるだろう。
東アジアで唯一違うのはが、韓国の歴史認識だと考えた方が良い。>>1
歴史の授業は好きじゃなかった俺としては、去年まで、
1.興味無い。
2.知らん。日韓併合は知っている。
3.知らん。
でしたね。1.については、一般の人も興味無いと思いますよ。
まぁ、今では日韓外交問題を調べて、韓国のことが嫌いになりましたが。
2.3.については、朝鮮そのものではなく「朝鮮半島をかけて、清やロシアと争った(日清戦争、日露戦争)」と、朝鮮の意思よりも清とロシアとやりあったというのが主な認識でしょうね。
高校で使っていた世界史の教科書(新世界史B 山川出版社 2003年文部科学省検定済)を引っ張り出してきました。
教科書は基本的に、中国や韓国に寄った論調で書かれている(自虐史観と批判されていることもある)ので、こう書かれていますね。
まぁ、教科書を鵜呑みにするかしないかは人それぞれです。290-
[日本の変革]
東アジアに進出した欧米諸国の圧力はやがて日本にもおよんだ。18世紀末からロシア・イギリス・アメリカの船がつぎつぎと近海に出没し、通商と開国を要求して武力衝突が頻繁におこるようになると、幕府は17世紀からとってきた鎖国政策の変更をせまられることになった。その幕開きはロシア使節の北海道来航によっておきた防備問題で、徳川幕府の命を受けた近藤重蔵や間宮林蔵の北方探査がはじまることになった。
当初はヨーロッパ諸国の関心がアジア大陸にあり、また各国の国内事情なども加わって、日本に対する外圧はインドや中国のように激しくなかった。そのため日本はまず、薪水・食糧をあたえて帰国させる方針で応じたのち、1825(文政8)年には異国船打払令(無二念打払令)を出し、中国・朝鮮・琉球以外の外国船を撃退する強硬策をとり、オランダ戦も長崎以外の場所ではその対象になった。しかしアヘン戦争後に東アジア情勢が大きく変化して訪米諸国の進出が拡大すると、日本に対する開国要求も強くなった。1853年にアメリカのペリーが来航して開国を要求すると、国内が攘夷論と開国論とをめぐって激しく対立するなか、幕府は翌54年に日米和親条約、58年に日米修好通商条約を結んだのにつづき、オランダ・ロシア・イギリス・フランスともほぼ同じ内容の条約を結んで開国した。これはすでに衰退していた幕府をさらに動揺させることになり、けっきょくは大政奉還をおこなって、1868(明治元)年に明治維新となった。なおロシアに対しては、1855年(安政元年12月の)日露和親条約によってエトロフ島以南が日本の領土となったのち、さらに明治時代の1875年に結んだ樺太・千島交換条約により、樺太(サハリン)全島がロシア領、ウルップ島以北の千島が日本領となった。明治政府は積極的にヨーロッパの文化を採用して富国強兵をめざすとともに政治体制の整備をはかった。藩閥専制であった政府に対して、その改革と国会開設を求める自由民権運動がおこると、81年には10年後に国会を開設することが約束された。その結果、89(明治22)年にはドイツ憲法を手本とする大日本帝国憲法が発布されたのに続き、翌90年には二院制による議会も開設された。こうして19世紀後半に近代国家としてアジアで唯一自立した日本は、その一方で1870年代に台湾出兵や朝鮮に対する開国要求をおこない、その後しだいにヨーロッパ諸国が展開する東アジアの植民地競争に積極的に参加していくことになる。
[朝鮮の開国と日清戦争]
19世紀始めの李朝では党争による政治動揺や天災などによる社会不安が高まり、1811年に洪景来の指導する農民反乱がおこるなど、国内情勢が不安定になっていた。1860年代にはいり、欧米諸国が朝鮮にも開国を要求するようになったが、17世紀から清を宗主とする冊封体制のなかにあった朝鮮では、高宗の摂政大院君が鎖国主義を堅持して、開国を拒否しつづけた。これに対して日本の明治政府は、日本の挑発行為によっておきた軍事衝突である1875年の江華島事件を利用して朝鮮に開国をせまり、翌76年に領事裁判権などをふくむ不平等な内容の日朝修好条規(江華島条約)を認めさせ、釜山など3港を開港させた。宗主国の清はこれに対抗して朝鮮への統制を強めたため、日清両国の対立が激しくなった。朝鮮国内では、日本に接近して開化政策をすすめようとする閔氏一族に対し、親清派で保守派の大院君を支持する軍隊が1882年に反乱をおこし、日本公使館を襲撃して日本人を殺害した。これを契機に日本から離れて清への依存を強めようとする閔氏らの朝鮮政府に対し、日本の援助をえて国内改革を推進しようとする金玉均らの開化派(独立派)は1884年にクーデタをおこしたが、清の出兵によって失敗した。こうした事件のなかで日清両国の対立はいっそう激化した。1894年に全琫準らの指導する甲午農民戦争(東学党の乱)がおこると、朝鮮政府は清に援軍を求め、これに対して日本も出兵したことから、日清戦争となった。戦いに勝った日本は、翌95年に結んだ下関条約により、朝鮮の独立、日本のへの遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、賠償金の支払い、通商上の特権の付与、開港場における日本企業の設立・営業権などを、清に認めさせた。こうして、日本は結果として大陸侵略の基盤を朝鮮にきずくことに成功した。
しかしこうした日本の動向は、アジア侵略をすすめていた欧米諸国に危機感を生じさせることになった。とりわけ極東での南下政策をすすめていたロシアの危機感は強く、下関条約直後にフランス・ドイツとの三国干渉を日本に対しておこない、遼東半島を清に返還させた。こうしてロシアと日本との対立が深まることになった。また、清はベトナムに続いて朝鮮の宗主権も失うことになり、欧米諸国に日本も加わった帝国主義列強と、清との対立が激化することになった。p312-314
[日露戦争]
義和団事件以後、東アジアでの列強の力関係は大きく変わった。事件を口実に中国東北部に大群をおくりこんだロシアは、その後も撤退せず、さらに華北や朝鮮にも野心を示した。当時朝鮮では、日本やロシアをはじめ外国がきそって利権を手にいれ、また政府内でも親露派と親日派が争う一方、知識人の独立運動、農民の反乱などが絶えなかった。イギリスはロシアの進出に脅威を感じながらも、南アフリカ戦争のため東アジアに力をさく余裕がなかった。けっきょく、イギリスは協力者に日本を選び、ロシアへの対応に迷っていた日本はこれをうけいれて、1902年日英同盟が成立した。この他日本には、ロシアの東北部独占に反対するアメリカ合衆国も味方し、ロシア側には露仏同盟で結ばれたフランスと、ロシアの関心が東に向かうのを歓迎するドイツがついた。日露戦争はこうした国際対立を背景に引きおこされ、開戦後約1年間、日本は東北部で連勝し、ついで日本海海戦でもロシア海軍を破った。しかし、日本の戦力はここでつき、またロシアも国内に革命がおこったため、両国はアメリカ大統領セオドア=ローズヴェルトの仲介をうけいれ、1905年ポーツマス条約を結んだ。
[アジアにおける日本の役割]
日本はアジアで独立をまもり、近代化に成功した唯一の国であった。その理由は、日本はすでに江戸時代から高度の政治的・経済的まとまりをもっていたうえ、明治政府が急速な「上から」の工業化を推進し、富国強兵につとめたからである。とはいえ、急速な近代化には不満や緊張がともない、西南戦争や自由民権運動などがおこった。政府は台湾出兵、江華島事件、日清戦争、義和団事件、日露戦争など対外膨張を続け、それは国民の不満を外にそらせ、結束をかためるのに役立った。しかし世紀の変わり目に、日本の国力は欧米にくらべ、まだはるかにおとっていた。ただ日本に有利だったのはその地理的位置で、わが国は当時分割戦争のおもな舞台、中国にもっとも近く、たとえば義和団事件のとき、ここに1ヵ月以内に1万の大軍(連合軍総数2万弱のうち)をおくって、義和団事件鎮圧に大きな役割をはたし、列強に仲間入りすることができた。
しかし一方、自国の力の弱さをよく知る日本の指導者は、日露戦争にそなえ日英同盟を結び、また戦費のなかばをイギリスやアメリカ合衆国からの借款でまかなった。また日本が勝利をおさめた日本海海戦で活躍した旗艦「三笠」はじめ大型の戦艦は、すべてイギリスで建造されたものだった。そして政府は戦場での勝利にもかかわらず、国力の限界を知ると、賠償金などをあきらめて早期に講和を結んだ。
アジアの新興国日本が、ヨーロッパの大国ロシアに勝ったことは世界を驚かせた。とくにアジアの民族主義者はこれに喝采をおくった。孫文は「日本がロシアに勝ったことは、全アジア民族の独立運動の始まりである」とさえいった。だが日本がこの後すすめたのは韓国の併合や中国東北部への侵略であり、それは独立と解放をのぞむアジア諸民族の期待を裏切るものであった。
[日本の韓国併合]
日露開戦とともに、日本は軍をソウルに入れ、韓国政府への干渉を強めた。その後3次にわたって(1904、05、07年)日韓協約の締結を強要し、外交・内政の実験をうばっていった。またポーツマスの講和に際して、日本は列強に韓国を保護国にすることを承認させた。しかしこれに対し韓国民衆の怒りが爆発し、各地で義兵闘争が燃えあがった。日本はこれを武力でおさえこみ、1910年ついに韓国を併合して植民地にした。>>53-55はp290-293
任那日本府については FACT。
中国、朝鮮、日本に記述された証拠が十数点現存している。
広開土王碑も証拠だが、それ以外に
任那を自分たちの祖先とする碑文が日本と朝鮮に残されている。
これら全てを否定する事は不可能である。>>36
オレ日本人だけど信じてるよ。>>1
知性のある日本人は、朝鮮人の作った捏造史なんか信じていない。
知性のないパヨク日本人の中には、無批判に朝鮮人捏造の歴史を受け入れる人もいる。>>1
1.興味ない
2.侵略の定義がお互いに違うと思うがしていないと思う。
そもそも朝鮮には防波堤以外の用途がない。
3.これは朝鮮側が望んだものと思う。
ただし民意は知らない。
朝鮮のトップが望んで併合をお願いしてきた認識。>>1
そんなことより、
朝鮮人はなんで大和朝廷の影響下を証明する全羅南道・全羅北道の前方後円墳を破壊するの?1.任那日本府説とかいうけど、説ではなく史料に基づいた事実だし、昔は教科書で教えていたからね。
2.時代を特定しないことには回答できない。日韓併合時のことなら侵略ではない。
3.全国民かどうかは知らないが、朝鮮人から併合を望んだのも事実。というか、併合しないでどうするつもりだったのかとwうちの会社、隣の大手企業と合併することになったから!
ええーそうなの!?、マジかこれで一流企業社員を名乗れるな!、どうでもいいけどリストラはないんだなw
日韓併合時の奴隷たちに口ごたえする権限があったと思いますか?>>1
1.任那日本府信じます。むしろ無かったとする根拠は何ですか?
2.日本は朝鮮を侵略してないと思う。 被侵略国なら、朝鮮国王が日本王族となって権力を振るうわけがない。
3.望んで日本と併合したと思う。
当時の朝鮮はインフラすら欧米国に支配された実質的な破産国。
日本は国際連盟常任理事国入り寸前の先進国。
日本は、アメリカから侵略されそうになったハワイ王国からも併合を申し込まれたけどお断りするほどの人気。
一進会じゃなくても併合を望むだろう。
なお、当時、数百人しかいない大韓民国臨時政府に対し、併合推進派の一進会は27万人以上の会員がいた。>>66
×うちの会社、隣の大手企業と合併することになったから!
〇うち超ブラック企業だけど、隣の大手企業と合併することになったから!移動中なので、IDが変わっていたら失礼しますね。
俺は>>32のID:M4NTQxMzEです。
>>39
漢字を読める韓国人もいるのですね!
明治維新前までは、我が国は今の北海道を、蝦夷地(エゾチ)と呼んでいましたよ。
それを内地と同等の価値感がある土地にするために、拓殖し続けてきたのですね。
かつては徴兵制であった旧陸軍の正規師団を、北海道に常設し始めたのは1896年と、かなり遅いのだよ。
徴兵制を導入する前に、まずは鉄道や学校を建設して、同じ価値観を共有できるようにして、農地開拓して受容人口を増やしてね…。
もちろんそれ以前から、志願兵は受け入れていたけれどね。
年代のズレを無視してみてよ。
どこかの半島が、併合された後に似ていない?
https://en.wikipedia.org/wiki/7th_Division_(Imperial_Japanese_Army)2.本当に日本は朝鮮を侵略していなかったと思いますか?
A はい、民族が違いますので、小競り合いは否定しませんが、日本は朝鮮を侵略していません。
隣国でありながら400年以上国同士の交戦の記録が残っていません。世界史上ギネス記録です。
3.本当に朝鮮が望んで日本と合併したと思いますか?
A それは判りません。しかし合併しなかったら朝鮮は「これが国か?」と嘆いたと思います。
当時、宗主国の中国はイギリスなど、欧米に後頭部を殴られ役に立ちませんでした。
辛うじて欧米に植民地支配されていなかった国は、オレンジの日本と朝鮮とタイだけです。
この状況で、日本と朝鮮が共闘して戦わなければ、両国はロシアか欧米の植民地にされていました。>>1
韓国朝鮮にそこまで興味がない。
興味持ってたら韓国人朝鮮人はもっと嫌われてるだろう。■習った当時の感覚。
①、②
・当時はあまり興味なくて自分で調べるようなことはしなかったけど、
東南アジアの日本町みたいなものが朝鮮にもあって日本府は大使館のようなものだと思ってた。
植民地や侵略だなんて全く思いもしなかった。
・日韓併合に関しては、日清戦争で朝鮮を独立させたあとで何年かした後で日本が併合したから、
朝鮮を独立させたのは最終的に朝鮮を取り込むための計画だったんだな、とだけ思った。
戦争したわけでもないし、侵略とは思わなかった。
③
自分の認識としては、そもそも清朝に属していて→日本に変わったから色々と混乱して大変だろうとは思った。朝鮮の人間の気持ちとか、正直そこまで考えなかった。日本の支配下も清朝の支配下も基本的に一緒だと。韓国では、当時の日本式の墳墓を、土木工事で破壊して、歴史を消し去ろうとしているようだ
>3.本当に朝鮮が望ん、日本と合併したと思いますか?
王室や多くの両班は望んでなかったでしょうね。既得権を失うことになりますから。
韓国では売国奴の代表とされる李完用ですが、彼は国際情勢を理解して現実を理解していた人です。
日本に併合されていなければ、ロシアが侵攻して国は無くなっていたでしょうし、ロシアが来なくても
既に国は借金まみれで破産状態でしたから、同じく国は無くなっていたでしょう。
限られた選択肢の中で、やむを得ず決断したと思います。
国民の国家に対する帰属意識は現在程は無かった。ただ支配者が王から日本に変わっただけ。
韓国では教えられていないと思いますが、支配層に反対者が多かった一方、一般大衆、特に下級層は併合
を祝福しました。日本の統治は、言われているような圧政ではありませんでしたから(当時の基準では)。>>1
1.任那日本府という名前はどうなのかは知らないが、三国史記を読んでも魏志韓伝を読んでも朝鮮半島の南部に倭族の支配地域があったのは事実。
2.秀吉の朝鮮出兵の話であればあれは明を支配する目的であって、李氏朝鮮には道を空けろという所感を送ったが、明の属国だった李氏朝鮮はそれを拒否したので制圧したというだけの事。
信長や秀吉について調べれば三国(日本・中国・インド)という言葉が頻繁に出てくる。
秀吉に至っては唐入りという言葉でわかるとおり朝鮮半島など初めから目的としていない。
3.そもそも強制か希望したかという二択自体が間違い。
当時の李氏朝鮮・大韓帝国は財政破たんしていたし、国防力が皆無だった(日本と清が100万規模の戦いをしている時代に大韓帝国軍は9000人)ので、自立し続けるという選択肢は存在していない。
アヘン戦争と日清戦争で清が蹂躙された以上選択肢は、①日本との併合②日本の保護国として成長③ロシアに併合、この3択。
その中で②が第一希望だったが両班の反発で甲午改革が失敗したので、仕方なく①を選択したというだけの事。
日本が強制したとかではなく、少ない選択肢から高宗が何を選ぶか?という話。>>62
そうそう、これが特に韓国人が誤解を持つ原因になっている。
何故か、韓国人は『歴史学会で否定されている』とか『日本の歴史学者も認めている』類の情報に弱い。
何度も韓国人がこれを話すのを見ている。
①こういった間違った情報(拡大解釈)を韓国人の学者が話す。
②韓国マスコミが引用する。
③韓国のネット世論で定着する。
最初の時点で既に間違っているのに、それが広まり定着するパターンは毎回である。
『任那日本府は日本の学会では認められていない。』
↑↑大間違いである。名前がそれではないとなっただけである。>>1
1本当に任那日本府説を信じますか?
韓国に残る古墳などの遺構から日本人が居住する日本人町はあったことは確かのようです。
これが「任那日本府」なのかは不明。
2.本当に日本は朝鮮を侵略していなかったと思いますか?
豊臣秀吉の「朝鮮出兵は侵略行為」だか、日韓併合は当時の国際法と照らし合わせても合法的であり侵略ではない。
3.本当に朝鮮が望ん、日本と合併したと思いますか?
望んでいたかという質問に対しては、当時の一般朝鮮国民は無関心だったと思われる。
日本との合併は、両班政治に嫌気がさした庶民からは歓迎されたが、特権を失った両班は抵抗した。
人民による抵抗や反対運動が余り無かったことから朝鮮国民の過半数は日本との併合に対して否定的では無かった思う。
これに関しては、竹島(独島)領土問題と同じで当時はあのような島に誰も関心を持っていなかった。>>1
一般の日本人は多くが、三問ともイエスだ。>>1
日本人は全部「イエス」だよ。
君は日本人に聞かずに東洋の歴史を学ぶ欧米人に聞くか、若しくは彼らの書籍を読んだ方が良い。そのどれもが「イエス」と言う結論になっているだろう。日韓は当事者同士だが、欧米なら「第三者的視点」で観てるからね。特に併合当時の新聞や各国の反応を詳しく調べなさい。誰もあの当時の朝鮮なんて、援助も保護もしてくれる筈が無い有様だった。アフリカに援助した方が、日本にとっては良かったね。
일본인들의 역사인식은, 넷우익들과 동일합니까?
79
ツイートLINEお気に入り
75
3