- 『日東壮遊歌』とは、江戸時代の1763年から1764年にかけて来日した第11次朝鮮通信使(目的は徳川家治(在職1760年〜1786年)の将軍襲職祝い)の一員(従事官の書記)として来日した金仁謙(当時57歳)の著書で旅行記である。 
 その中から名古屋と江戸についての記述
 ●1764年2月3日 名古屋
 街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。 凄い。
 自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ…この旅で最高だ。
 中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
 朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。
 人々の美しさも最高だ。
 特に女性が美しい。 美しすぎる。 あれが人間だろうか?
 「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、
 美しさを失うだろう。
 (帰路にて)
 名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。
 我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、
 頭を左右に必死に動かしている。
 ●1764年2月16日 江戸(東京)
 左側には家が連なり、右側には海が広がっている。
 山は全く見えず、肥沃な土地が無限に広がっている。
 楼閣や屋敷の贅沢さ、、人々の賑わい、男女の華やかさ、城壁の美しさ、橋や船…。
 全てが大阪や京都より三倍は優っている。
 この素晴らしさを文章で表現する事は、私の才能では不可能だ。
 女性の美しさと華やかさは名古屋と同じだ。
「寿司女は最強だ」と18世紀の朝鮮人が認めていた
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