日本人はどうなのか良く分からないが
韓国人は「同じ民族」に属したら自国歴史に、
中国人は「同じ領土内」に属する場合自国歴史にする傾向がある。
それで韓国と中国の間の歴史紛争は二つの観点が重なる部分で起きる事が多い。今も韓国人と中国人は相手の歪曲を正して我が歴史を守ろうって使命感(?)で激しい戦いを続けている。
しかしこの戦いは始めから間違ったんじゃないだろうか?
タイトルの「我が」という修飾語が韓国人(もしかすると中国人にも)に持つ意味は格別だ。
「我が」は単純に我々を意味することのみならず自分が属する集団の自尊心と気象を表すことであるためだ。
それで「我が」にいつも付くまた別の修飾語は「誇らしい」だ。
個人的に歴史のどの部分が誇らしいと思うこともできるが、自国の歴史が本当に誇らしいかどうかは別個に、学問の領域に属する歴史に麗々しい修飾語を付けてそのイメージのために国家間「歴史戦」まで起こす理由は一体何なのか?
誇らしいならそれでいい、他国の歴史を卑下する理由はまた何なのか?
俺は韓中歴史界の紛争が歴史を宣伝の道具にだけ思う両国政府および国民の認識のためだと思う。
解決策は歴史を客観的な事実に認めて「我が歴史」の概念を思い切って捨てるのだ。
それとも互いの自尊心と国民情緒だけ傷ついて何も解決されないだろう。
日本にはこういう「我が歴史」の概念があるか?
「我が歴史」の意味?
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