>>279
何を言ってるのか不明。
翻訳不可能。
済州島が流刑地で海賊の拠点だったことは、朝鮮の資料にもあるだろ。신라구라는 이름도 분명히 있고 어떤 외국인이 지도에 낙서하는 동영상을 봐도 열도에 왜라고 똑똑히 명시되어있는데, 애초에 제주도는 10세기 정도까지 반도의 영향권도 아니었고 왜구가 어느 지역 해적이든 간에 조선인이란 호칭과 같이 병기되기에는 시간대가 안맞는다는 것
>>1
2013年にサッカーの起源は朝鮮半島などと言ってる民族が歴史を語るの?>>1
韓国人に聞く気はないが、任那倭府って呼称ならどうだろうか?日本の国号はまだなかったともめてるらしいが>>268
弥生土器・土師器と言う風に、同時代の日本列島と同じ土器を使ってるので日本人ですw>>279
前期倭冦は倭人で、後期和冦は倭人と漢人と半島人だよ。>>288
まあ、トップからしてシャーマンに指示を仰ぐような国だし、それを選んだ連中のオツムなど推して知るべし、だね>>279
「世宗実録」(1446年)に、倭寇は日本人が一割か二割で、他は日本人に成りすました朝鮮半島人と書かれてる
シナでもそうだが、王朝後退期の高麗時代朝鮮半島人が生きる為に、日本人の振りをして略奪したのが事実>>287
しかしなぜ書庫隠滅されなかったのだろう?朝鮮人はそんなに素晴らしい民族だったのに、
なぜ北朝鮮は世界最貧国なの?
そこを研究しないのか?>>292
シャドーボクシングするのは趣味じゃないんだけど、金製耳飾と違って甲冑は威信財であるとともに武威の象徴でもあるからねぇ
倭系短甲は在地系の板綴系甲冑と入れ替わるように出土してる
加羅や百済は日本が影響力を及ぼしてたり、出兵した場所と一致するし、倭系甲冑の出土した古墳からは他の副葬品から明らかに倭国の武将と言える古墳もあるし朝鮮人と歴史を論じても仕方が無い。
奴等は「都合のよい歴史」しか信じないし、
幾ら「物的証拠」や「古文書」に書かれていても無視。
だから朝鮮半島南部の「前方後円墳」も
何と形状を変えたりして誤魔化そうとする。
朝鮮人に「学問」は向いていないから、
論じる相手と認めるべきではないね。
朝鮮人にとって「歴史は妄想」なのだから。>>297
日本と韓国の違いは日本の子供は小さい頃から三国志や三国無双等からはじまって24正史や漢文を覚える秀才が現れることである。
私の友人も13才の時に中国が大好きで白居易の長恨歌を現代語訳していたりと驚いたものだ。
韓国の場合、漢字教育に力を入れることが難しいのでよほどの富裕層でないと日本の漢字教育や中国史等への好奇心は理解出来ないだろう。>>297
ゴミチョン必死の無関心アピールワロタwww>>286
그럼 여기서 질문!
1. 왜국은 어째서 자국의 속국이었던 신라를 6세기 초반까지 공격하였는지?
2. 왜국이 신라를 공격하는 와중에 또다른 속국이었던 백제는 어떻게 신라와 동맹을 결성했는지??
3. 백제는 어떻게 자신의 종주국 군주에게 바치는 七支刀에 “侯王에게 준다”라는 글귀를 새겼는지??>>303
補足すると画像の中にはあんたの言うような縦長板(釘結)板甲はない한반도에서 前方後円墳이 발견된 지역은 전라남도 서남해안지역, 즉 마한지역이다. 한편 임나는 낙동강 서쪽유역에 있었다.
>>312
六十五年秋七月、任那國遣蘇那曷叱知、令朝貢也。任那者、去筑紫國二千餘里、北阻海以在鷄林之西南。
「日本書紀」、スジン天皇65年
任那がソナカシツチ(人名)を使者として朝貢してきた。
任那は筑紫から二千余里北の方角に海を隔てたところにあり、鶏林(新羅)の西南にある
任那の北に海があるとは書かれていない。歴史は宗教じゃないんだからさ、信じるとか信じないとかいう話ではないんだけど。
<神皇正統記>을 보면 神功皇后의 三韓 정벌 기록에 고구려/백제/신라가 神功皇后에게 복속했다는 것은 그동안 三國을 三韓으로 칭했던 것에서 비롯된 오해이므로, 사실 神功皇后는 三國이 아니라 신라만 정벌했다는 주석이 달려있다. 그마저도 《일본서기》에서 三國을 三韓으로 칭한 기록과 중국 사서의 내용을 요상하게 뒤섞어 辰韓/馬韓/弁韓을 통틀어 신라로 칭한다고 잘못 기록하였다.
卌九年春三月、以荒田別・鹿我別爲將軍、則與久氐等共勒兵而度之、至卓淳國、將襲新羅。時或曰「兵衆少之、不可破新羅。更復、奉上沙白・蓋盧、請増軍士。」卽命木羅斤資・沙々奴跪是二人不知其姓人也、但木羅斤資者百濟將也、領精兵、與沙白・蓋盧共遣之、倶集于卓淳、擊新羅而破之、因以平定比自㶱・南加羅・㖨國・安羅・多羅・卓淳・加羅七國。仍移兵西?、至古爰津、屠南蠻忱彌多禮、以賜百濟。
- 가야를 정벌하여 임나일본부를 세운 세력이 백제 장수와 그의 군사들이라고 <일본서기>에 적혀 있다.
冬十一月丁亥朔甲午、遣津守連、詔百濟曰「在任那之下韓、百濟郡令・城主、宜附日本府。」幷持詔書、宣曰「爾、屢抗表、稱當建任那、十餘年矣。表奏如此、尚未成之。且夫任那者爲爾國之棟梁、如折棟梁、詎成屋宇。朕念在茲、爾須早建。汝若早建任那、河內直等河內直已見上文自當止退、豈足云乎。」是日、聖明王聞宣勅已、歷問三佐平內頭及諸臣、曰「詔勅如是、當復何如。」三佐平等答曰「在下韓之我郡令・城主、不可出之。建國之事、宜早聽聖勅。」
- 왜왕이 임나에 요구사항이 있으면 백제왕에게 요구해서 간접적으로 얻어내려 하지, 직접 요구를 하지 못하고 있다. 왜국이 府를 통해 임나를 직접 통치하였다면 전혀 그럴 필요가 없었다.質問をおこなって韓国人がいるがまず、中国の正史からの引用であるならばハングルではなく当該箇所の漢文を提示したほうが日本人は質問の意図を理解しやすい。
>>312 の質問でも筑紫という単語を理解していないのを考察すると漢字を理解できない可能性がある。
日本人へのネガティブな意味、意図での質問とするならば、南朝の質問は中国人へするのが
より正確ではないのだろうか。
使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事安東将軍倭国王
もし「百済」が含まれていればわかりやすかった文だが、
日本側へ人質を送る百済、日本列島へ侵略できなかった百済、日本側へ亡命して天皇から百済氏、領地を賜った事を考えると百済王の将軍意がはたして上だったのか学者に聞いてみたい。
大分前に北魏と高句麗の係争地帯を正確に判断する事が難しい等、例を挙げたことがあるが歴史では正確に理解できる事と出来ない事が多いのは私個人、議論が出来て面白いと考えている。
新羅も百済も正史を後年に残す事が出来ないほどの弱小国であり、中国の秦が強大になれば他の6国が合従を用いて秦と接したり、斉や楚等が強大になれば連衡で他の国に対抗したように新羅は倭国や後年の唐に対して誠実ではなかったのかもしれないのもロマンである。>>311
レスをよく読んでくれないかなぁ…
あんたの言う板甲と(倭系)短甲は別物なの
短甲の祖型は弥生時代の同形態の木甲があるから日本で発生したものに間違いない
古墳時代になって現れるフレームに金属板を取り付ける方式の短甲(帯金式甲冑)も日本独自の形式
まず、縦長板甲は他の地板綴系甲冑の祖形でも なんでもなくて単なる一方式というのはお分かり?>>322
향후 일본이 한반도에 출병했다는 것을 부정하는 중거가 되지 못할 뿐, 從拔城까지 추격해서 왜군을 몰아내었으니 최소한 400년까지 한반도에 있었던 일본세력은 축출되었다는 증거가 될 수 있다.
무엇보다도 서기 4세기 중반부터 6세기 초반까지 계속 임나를 일본이 통치하였다는 주장을 반박할 수 있다.>>313
そもそも「任那日本府」の記述自体を根拠に倭王権の半島南部での活動を論じてる人間などほとんどいないのだから、
日本府をどうこう言ってイチャモンつけたところでどうなるものでもなないんだがな
その上で言うが、「任那」というのは元々金官加羅のことで、日本国内で百済新羅以外の朝鮮半島南部地域の総称として使われるようになり、現地及び国外的には金官加羅の呼称として細々と使われていただけのこと。
これは以前にも書いた
>・任那は「金官加羅」のこと、加羅は「大伽耶(高霊加羅)」とみてよい。
「新羅鳳林寺真鏡大師宝月凌空塔碑」に「諱審希俗姓新金氏其先任那王族…遠祖興武大王(金庾信のこと)」とあり。三国史記強首伝に「對曰、臣本任那加良人」とある。
金庾信はご存知の通り金官加羅の王族の出であり、これを任那と読んでいたことが分かり、また「任那加良(加羅)」の名称もあったことが分かる。
一方日本書紀で加羅諸国のの有力国である大伽耶(高霊加羅)を「加羅国」と呼んでいた記録があり、当時の加羅諸国の最有力国であるから加羅は大伽耶と考えて差し支えない。
近肖古王が半島南岸まで百済の領域を広げたというような言説は神功皇后の三韓征伐の記事を我田引水的に解釈したものであり根拠薄弱。
同様、半島南部の三韓の小国家については殆ど位置が明らかでなく、辰韓・馬韓の残存勢力が残っていても不思議でない。
というか5世紀ぐらいまでは栄山江流域の馬韓勢力が残存していた可能性が高い。
要は個別の国名がどうこうというのではなく倭国王は「新羅・百済を含めた高句麗以外の朝鮮半島南部すべて」の対外的な地名をもって軍事的支配権を主張しているということである。>>1
朝鮮半島は 紀元前1万年前から5000年前までの間、無人だった
日本から縄文人(倭人)が進出して、古代朝鮮人を形成した
長浜浩明氏の本により>>1
正直どうでもいい>>325
インターネット、グーグル翻訳等が発達し、以前は本でしか得られなかった知識や翻訳を、誰でも接する事が出来る時代である。
しかし韓国への愛情や帰属意識と理解したとしても、任那日本府の否定、百済、新羅を倭国や大和王権よりも完全な強大国と信じている韓国人が多いのは驚きである。
プトレマイオス朝のアレクサンドリア図書館やアッバース朝のバクダードの書庫のように既に破壊されしまったか、またはそもそも十分な編纂がされなかったのか不明だが、可能性は無いに等しいが百済、新羅の正史が完全な形で現存していたら日本書紀ではわからない様々な内情が理解でき、歴史学会やカイカイ歴史でも盛り上がっていただろう。
百済も新羅も亡命先に日本を選択し、技術者や高官、王族が天皇の下で働いているの考えると意向や影響は避けられなかったと考える。
일본인들은 진심으로, 임나일본부설을 믿는거야?
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