李氏朝鮮末期。
勢道政治の時代だった。
(勢道政治:王の信任を得た人物あるいは集団が政権を独占的に担う状態)
それは1800年に純祖が幼年で第23代国王に即位したときから始まりました。
純祖が1834年に亡くなると幼年の憲宗が即位しました。
幼年の国王の陰で垂簾聴政によって実権を握る安東金氏と豊壌趙氏の二大勢力。
(垂簾聴政:幼い国王に代わって皇后または皇太后が摂政すること)
ないがしろにされる国王たち、国政の私物化によって衰退する李氏朝鮮。
今回の話は1849年、憲宗が亡くなったときから始まります。
承認されたら続きます。
画像は興宣大院君。
※韓国人向けに画像内の言葉を書きます。
※()内は俺が勝手に書く補足的な落書きです。
※*は漫画の欄外にある注釈です。
※今回は大院君を中心とした構成のため、崔済愚(西学(天主教)に対抗した東学(儒教・仏教などを融合させた新興宗教)の創始者)などはカットします。
※俺の勝手な落書きは興宣大院君を大院君と書きます。正確には大院君は称号ですが、現在の韓国では大院君といえば興宣大院君を指すからです。あと、文字数が増えてめんどいからw>>4
出てくるのは次回です。残念ちゃんw
それにしても…ドラマ『明成皇后』
ドラマ自体は見ていないけど、各話あらすじはある程度見ました。
まぁよくこんな風に作れたものだとニヤニヤが止まりませんw1840年のアヘン戦争で、朝鮮政府はどう認識していたのかな?
上海を訪れた日本の侍は、現地の中国人が白人に居留地を作られ、奴隷のように使われてる姿に、危機感を持って、それが日本の維新の原動力になった。
日本より中国の情報が入るのに、朝鮮人は盲目だったのかな?>>26
조선은 전쟁정보를 燕行使를 통해 얻었고, 燕行使는 청나라의 패배를 중화의식에 맞춰 왜곡해서 전달하는 청나라 官報에 주로 의존했습니다. 일본과 달리 조선은 아편전쟁에 대해 별로 대수롭지 않게 생각했습니다.
출처 : http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/03/20/2009032001520.htmlいつもの漫画の人か、韓国の歴史ほとんどしらないから楽しめた
またよろしく日本は敵の船を見て技術力を感じ取り、受け入れた。
コリアンは目の前の勝利で満足して中華秩序に残った。
近代化は運じゃなくて選択の結果。>>31
ありがとう。
正直言って、日本が関係していない部分だからウケが悪いかなと思っていました。
(正確に言えば日本が全く関係していないわけではないのですが。外国船が日本の港を使っていたので)
俺の扱いとして、今回は韓国近代史のプロローグ+エピソード1です。
次回はエピソード2を描く予定ですが、ここでもまだ日本は出てきません。
エピソード3の雲揚号事件(1875年)から日本がたくさん出てくるようになります。(^^)/お待ちしてました♪
よく韓国人が「日本は朝鮮より開国が早いから、発展した」っていうから、朝鮮の鎖国って、日本並みの長さかと思ってたら、百年無いくらいなんだね。
かといって、鎖国しなければ、アメリカの植民地になっていたのかな?大院君は優秀ではあったよ。生まれる時代が悪かったかな。現代なら何らかの形で成功できた人物。
若い頃の大院君は優秀さ故に暗殺を恐れ、王族ながらも庶民とつるんで遊び 安東金氏達に金をせびったりしてたので 貴族連中からは宮乞人(クンゴリン)と呼ばれて嘲笑されていた。
しかし、それも周りを欺くためのバカのフリであった。
大院君は仲の良い庶民達を親衛隊として雇用し、着々と裏で自らの権力基盤を固めたりと したたかであった。
王の摂政になってからは 悪事を働いた中央役人や地方役人を処罰し、地方の民乱を治めるなどの政治手腕も見せた。
若い頃はギラギラしてたが、晩年はすっかり欲が無くなり、孫に依存する爺になってしまった。
後年、勝海舟とも漢文での文通があり、お互いに仲が良かった。大院君が得意とした蘭の絵を手紙と一緒に勝に送ったこともあった。
景福宮の改善にこだわり、税金を浪費したり 時代を考えずに鎖国にこだわりすぎたりと 問題も多い人物だが 自分は割りと好きだ。>>36
조선에도 개항론자들이 있었지만 쇄국론자들과 격렬하게 논쟁할 만한 세력이나 영향력이 없었습니다. 청나라의 베이징이 외국군에게 점령당한 것을 본 조선은 오히려 더더욱 나라의 문을 걸어잠갔습니다. 조선 입장에서 서양은 엄청난 기술을 가진 약탈세력이며, 자국의 통치체제를 위협할 수 있다고 생각한 것 같습니다.>>30
御人好しどころか、無すまれた仏像が返ってきませんよ・・・大院君は西洋の近代銃火器による攻撃に備えるために 麻を掛け合わせた朝鮮オリジナルの新型防弾着を開発した。
そうすれば西洋の近代銃火器は体に貫通しないと思っていた。
しかし結果はさんざんだった。新型防弾着を着た朝鮮兵は 銃弾に当たった瞬間、全身に火が回り燃え上がってしまった。
大院君の判断は あまりに浅はかすぎたと言える。>>37
そうですね。
大院君の全ては肯定しないけど(理由はほぼ同じです)
優秀だったのは間違いないです。
これだけ出来る人を退場させた閔妃ってどんだけ狐なんだよw と思います。>>44
なるほど。参考にします。
ちなみに自分の情報はどこから手に入れたんだろうと、調べてみたらWikipediaでした。
https://ko.wikipedia.org/wiki/%EC%87%84%EA%B5%AD%EC%A0%95%EC%B1%85閔妃一派は、1873年に大院君を失脚させ、日本と日朝修好条約を結んで、近代化路線をとった。
その一環として、日本から軍事教官を招いて、軍の近代化を図った。
これに不満を抱いた旧式軍の軍人たちが、1882年、閔妃一族の高官の屋敷を襲った後、大院君の許に逃げ込んで、助けを求めた。
大院君は、これを権力奪回のチャンスと見て、閔妃一族の殺害、日本公使館と日本人教官の襲撃を命じた。
彼等はその指示通り、日本人13人を虐殺した。
閔妃は宮殿から逃げ出したが、高宗に密書を送って、起死回生の秘策を授ける。
それは密使を清国に送って、軍勢を派遣して貰うよう依頼することだった。
それに応えて、清は3千人を朝鮮半島に送り込み、反乱を起こした韓国軍兵士たちを鎮圧した。
これを機に、清国は3千人の軍勢をそのまま半島に駐留させ、朝鮮を完全な【属国】とした。
大院君は捕らえられ、清国に拉致された。>>48
えぇのよ~^^>>5 고종은 왕족이라도 부르기도 민망한 수준의 방계 일족 ...수백년전 조상이 왕족이라는 이유로 왕이 된 남자
조선의 왕들은 거의 모두 저능아, 오줌싸개, 미치갱이들이 였음.
태조, 태종, 세종... 까지는 女眞人의 遺傳子가 좀 남아 있었던 것 같음.
그 이후로는 아버지 德分에 왕이 된 저능아들이 였슴. (아버지 잘 못 만나서 노예로 태어 났으면 채찍질에 시달리다 破傷風걸려 20세 이전에 죽었을 놈들이였슴)>>19
興宣大院君は、独善的な権力思考だが、朝鮮の開国は国家間の利害に上に成り立っている事を理解していた。無暗に西洋を否定したのではなく、その力を警戒していた。アヘン戦争で清の無残な惨敗は、朝鮮にも衝撃があり、その後の中国は洋務運動に代表される、兵器の近代化は始まった。朝鮮も同様だったが、疲弊した朝鮮経済では十分には対応できなかった。対応できないのは判りつつも、列強への警戒感を解くことはできず、それ故に鎖国堅持した。(外交文書で知りうる範囲は、むしろ為政者としての判断要素が強い。)
閔妃は逆に考えた。列強各国を味方に付ければ、権力は安泰となる。閔妃は、海外勢力を自己の権力の、後ろ盾に利用する事を考えた。
(典型的な事大主義的な行動原理で、後ろ盾になってくれるのであれば、日本、アメリカ、ロシア、力さえあれば何処でも良い。)
しかし、閔妃の浪費と、興宣大院君との抗争は、朝鮮を疲弊させるだけだったので、共に評価できない。それでも興宣大院君の方が、為政者として判断で、国政を担おうとしているのは、まだ救いようがある。
1873年11月に興宣大院君が失脚して、閔妃が権力を持った後に、以下の条約が結ばれる。
-------------
日朝修好條規1876年(江華島条約、朝日修好條規)
朝美修好通商條約1882年
朝獨修好通商條約1883年
朝英修好通商條約1883年
韓露修好通商條約1884年
朝佛修好通商條約1886年
朝墺修好通商條約1892年
-------------
興宣大院君が懸念した通り、すべて不平等条約になります。(朝鮮側が近代的な法規が整ってなかった為に、「片務的領事裁判権の設定」や「関税自主権の喪失」があるが、近代的な法規が整うまで経過的な条項(見直し条件)さえなかった。)
特に「朝英修好通商條約」は、かなり片務的条約であり、当時の国力の差が内容と言える。余談だが、この条約の結果、イザベラバードが朝鮮を訪れる事ができ「朝鮮紀行」を書く事になる。
閔妃は友好勢力となる外国要人を厚遇して、権力基盤を固めた。閔妃の行動原理は、自己の権力が構造的に有利になるのであれば、国家を売る事に躊躇いは無い。 酷い有様だが、安っぽい民族主義的な観点から、悲劇の国母として扱いが、一部で存在する事に驚く。>>53
辛未洋擾ですね、出てきますよ。>>46
솔직히 저 때 무렵부터 흥선대원군의 점점 흑화하는 것 같은데.
점점 민중을 위하기보다는 자신의 권력을 되찾기위해, 민중들과 손을 잡고자 했던 것 같다.>>57
激しく同意する自国の過去を卑下しようが賞賛しようが、次に活かせなければ全く意味ないけどね。
閔妃自身が近代化させる為の行動は全くないです。
まず、列強国はアジア諸国の開港を望んでいた。既に列強国による帝国主義が跋扈しており、海上交易で莫大な利益があり、アジア諸国に自由交易が保障された港が増える事が、経済的権益に繋がる状況でした。特に朝鮮側の「関税自主権の喪失」した不平等条約を締結をセットした開国は、列強国側のメリットしかありません。
しかし、アヘン戦争以後、清が列強諸国の食い物になる姿を知っているので、興宣大院君は鎖国を堅持している。
この状況で、以下のような事件が発生している。(wiki抜粋)
---------------------
斥和碑建設
1868年4月英国商船とドイツ商人オッペルトが忠清道沿岸に来て、朝鮮が開港するよう求めたが、拒否された。そこでオッペルトは、脅迫をしかけ興宣大院君の父、南延君の徳山にある墓の副葬品を盗掘しようと試みるが失敗に終わり、帰路で朝鮮の兵士に鉢合わせ、結果朝鮮から脱出するはめになったが、大院君は激怒し、カトリック迫害、鎖国・攘夷政策を強化し、西洋人を野蛮人として、各地に次のような内容の斥和碑を建てた。「欧米列強が侵犯しているのに戦わずして和親するのは売国だ。」
---------------------
上記の通り状況でした。閔妃にとって、列強が開国を餌に使える事を十分に理解していた。閔妃は列強諸国に近づいて、「>>54」に記載したような、条約の締結を認めた。西欧諸国が閔妃に好意的なのは、開国に協力的であった以外ありません。それ故にイザベラバードの評価も悪くはありませんね。
閔妃は、閔妃自身の権力基盤の強化の為に、これらの条約と共に開国された。そして、朝鮮国内のあらゆる利権を、海外に売り渡す契機になる。当然、海外から学ぶべき事は受け入れて国力を強化させたいと考える開化派は、利権を安易に海外に売り渡す閔妃や、閔妃の言いなりの高宗に対して、国家の存亡に関わる重大事案である事を、何度も直言する。しかし、閔妃はそれらの直言者を疎ましくなると弾圧して、排除した。閔妃は開化派との関係は直ぐに悪化し、政変クーデター等も発生する。
閔妃は、自己の保身により国難を呼び込む。閔妃は、酷い国母だと思うよ。>>59
朝鮮を近代化するためには、
西洋技術の優越を認めるだけでは足りません。
清も西洋技術の優越を認め、洋務運動を進めましたが失敗しました。
ほかのアジア諸国も同様で、近代化に成功したのは日本だけです。
なぜか?
日本だけが 西欧諸国の強さは技術の優越だけではなく その社会体制、
つまり身分の上下にかかわらず政治に参加できること、
だれでも 自由に経済活動に参加できること。
西欧思想に由来することを理解したからです。
大院君は 賢明かもしれませんが、
旧体制に属する指導者で、新時代を開く力のある人ではありませんでした。
そういう意味で coolieinblue氏の批判は当たっています。
日本でいえば 徳川慶喜にあたるのかな?
>>40
勝海舟は思想的には革新的な人で、明治維新への道を開いた一人だけど、
心情的には保守的で、終生徳川家への忠誠心を失わなかった人です。
大院君との相性はよいと思います。>>64
「大院君」と「徳川慶喜」は、政治の表舞台から去った後の行動が、よく似ている。共に、最後は趣味をしながら余生を過ごした。
あまり知られてないが、政治から離れた大院君は、孔徳里の別荘で書画三昧の生活をしていた。勝海舟とも絵を交換する交友関係が続いた。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/jpn323.htm
日本側のエピソードとして、勝海舟が大院君の晩年との交流について以下のように話した。
「大院君(李昰応)も、とうとう死んでしまった。この人については種々の批評もあるが、とにかく一世の偉人だ……。先年同君から二枚の紗に、自から懸崖の蘭を画いて、八十老石道人と落款したのを寄贈せられたから、私は、昨年七月頃であったか、返礼にこの詩を贈った。
世事の半ばは児戯、豈に盲評を作すに堪えんや、長白山頭の月、独り緑江(鴨緑江)の清きを照らさん」 (氷川清話、原詩は漢詩)
確かに旧世代の統治者であった、「徳川慶喜」や「大院君」。 しかし、政治判断に是非があるにせよ、人格的には、好感を持てるエピソードが、いくつも存在しますね。
これは、激動の時代には力不足ですが、それが彼らを否定する理由にはならない。厳しい時代に生まれた為政者だったのだろうね。近代化は、政治体制もそうだけど、教育も重要だよ
国民全般で一定の教育水準を持ってないと不可能
日本はそれを持っていた
開国すれば即日近代化できるなんてナンセンス
今のアフリカ見れば明らかだろ「韓国が嫌いになる」➡「韓国について調べる」
「韓国について調べる」➡「韓国が嫌いになる」
人それぞれどちらもあるだろうけど、"嫌韓"って現象は、(自分含め)"韓国に関心を持つ"という点では変わらないんだなぁという感想(負の感情の方だけど…)。知れば知るほど嫌いになる。
それは、比喩ではない。
調べれば調べただけ、嘘が見つかり日本に対する侮辱が出てくる。흥선대원군....어렸을 때는 그저 나라의 문을 걸어 잠궜다고 비판만 했었다.... 그러나 조선이 결국 개항을 한 이후, 어떻게 되었는지를 보니 단순히 서양문물 수용여부가 문제가 아니었던 것 같다.
戶布제도 실시 - 양반과 상민을 구별하지 않고 家戶 단위로 세금을 부과하는 제도
서원철폐 - 백성들을 사적으로 수탈하던 서원을 상당수 철폐하였다.
비판)
왕권강화를 위해 무리하게 경복궁을 중건하였다. 경복궁 중건 비용을 마련하기 위해 고액의 화폐를 마구잡이로 발행하여 인플레이션을 초래하였다.
흥선대원군의 정책은 어디까지나 기존 통치체제의 프레임에서 벗어나지 않는 정책이었다.>>66
おっしゃるとおり、大院君の晩年は、とても短いです。そして引退後の趣味人の期間も短いです。(2年程ですね。)
何十年も趣味人で権力から身を引いた徳川慶喜と比べるのは、間違ってますね。失礼しました。
ただ、大院君の権力への執着には、色々思う事があり、甲申政変で閔妃が死んだら、早くに引退して、趣味人になれたかな?と思う事があります。
批判的に書かれる大院君の権力欲は、当時の朝鮮の事情を考えると、批判出来ない部分です。大院君は私利私欲による権力欲では無くを、為政者としての国政運用の手段としての権力欲だった点が、閔妃との違いを感じます。大院君が権力に執着は確かにありましたが、朝鮮末期の勢動政治を終結させるためには、より強権を集中させる必要があった。勢動政治の悪政も、朝鮮を蝕むガンであり、国政運用手段としての独裁を行った。
しかし独裁過ぎる手段は反発を受けて失脚します。ある意味で、為政者としの義務はなくなりますが、閔妃が暴走が始まると、それ止める為に、周りに請われて動かざる得ない状況になります。閔妃は大院君が排除した勢動政治と同様に、一族を要職につけて専横をした。大院君時代に要職についた人々を、冤罪を厭わずに排除した為に、要職に就いた一族さえ、閔妃を恐れた。閔妃排除に動いた大院君は、閔妃の排除に失敗し、甲申政変が発生した時は、介入した清は、混乱の収集の為に大院君を幽閉した。大院君は、清に幽閉中は絵を書き、特に蘭の花の絵は清でも評判になった。本来は趣味人としての才能を感じるエピソードですが、清国の役人から「凶宣君」・「凶鮮君」の蔑称され様々な侮辱を度々受けており、静かな生活を与えられる事はなかった。閔妃達がロシアに接近した時は、清の意向で日本やロシア接近を止める為に、朝鮮に戻される。結果的に再度権力を保持するに至るが、国王たる高宗が頼りにする閔妃を排除はできず、権力を握る事で閔妃を牽制し続ける必要があった。やはり、私欲のよる権力欲ではなく、手段としての権力が必要だった。
乙未事変で閔妃殺害で権力闘争は終結しますが、大院君は多くの信頼をおける人々を失った。終結後、苦楽を共にした、妻の驪興府大夫人閔氏が亡くなって以降は、彼も気力を失って亡くなった。
彼が権力に執着したのは、それが無ければ平穏を得れなかったからだと、感じています。>>71
誤)
甲申政変が発生した時は、介入した清は
正)
壬午事変発生した時は、介入した清は
失礼しました。>>73
ナイス表現です。 1000文字書くより、以下の表現が一番ぴったしかと。
「大院君がリーダーとしてのワンマン」
「閔妃は完全に私物化のワンマン」
韓国の学習漫画の大院君と鎖国政策
74
ツイートLINEお気に入り
60
14