古代韓国の地図を作ったので韓国人に見てもらいたい

189

14940
  • 1名無し2018/02/07(Wed) 01:46:11ID:AxMDIyNjY通報

    これは今から千八百年ほど昔、三国志魏志東夷伝に伝えられるところの三韓と倭、すなわち今でいう日韓の姿である
    この時代の倭の女王卑弥呼が通交を求めた話が三国史記にも記されており、韓国人にも無縁の歴史ではないだろう
    当時これらの地域には合わせて108もの国々の名前が記録されているのだが、その場所のほとんどは現在では不明となっている
    しかし私はとある法則に従い、それらがどこにあるのかを突き止めることに成功した
    そのやり方は追々説明していくとしてまずは全ての比定地のリストを以下に示したい

    ~馬韓~
    爰襄国(원양국) 黄海南道甕津郡
    牟水国(모수국) 黄海南道海州市
    桑外国(상외국) 黄海北道兎山郡
    小石索国(소석색국) 黄海南道延安郡
    大石索国(대석색국) 開城特級市
    優休牟涿国(우휴모탁국) 仁川広域市江華郡
    臣濆沽国(신분고국) 仁川広域市富平区
    伯済国(백제국) ソウル特別市
    速盧不斯国(속로부사국) 京畿道平沢市振威面
    日華国(일화국) 京畿道安城郡陽城面
    古誕者国(고탄자국) 京畿道安城市竹山面
    古離国(고리국) 京畿道南楊州市榛接邑
    怒藍国(노람국) 江原道原州市
    月支国(월지국) 忠清北道陰城郡
    咨離牟盧国(자리모로국) 大田広域市儒城区
    素謂乾国(소위건국) 忠清北道報恩郡
    古爰国(고원국) 全羅北道南原市
    (以下続く)

  • 1402018/02/24(Sat) 00:49:24ID:YxMDkzMTI(65/92)NG通報

    なお三国史記巻37の「完山(一云比斯伐,一云比自火)」という記述は誤解で書かれた誤りで
    新羅の拡大に伴って「下州」が比斯伐(慶南・昌寧郡)→大耶(慶南・陜川郡)→完山(全北・全州市)と移動していったために混同した結果だと、>>110の論文には書いてある

    ちなみに比斯伐/比自火は「比自㶱(ヒシホ)」として日本書紀中に神功皇后が平定した任那の七つの国のうちの一つとして登場している
    「㶱」は上古日本の文献において朝鮮半島の地名・人名に使われる文字で、通常は「ホン」と読む
    「本(*pə̌r;上古音/*pɯːnʔ/)」という音符を火の意味の「블 pɨr(→불)」に充てているとしたら、(>>51で言った)「汶」が「文(*mər;上古音:/*mɯn/)」という音符を水の意味の「믈 mɨr(→물)」に充てた証拠ともなりうる

    倭と三韓の国の総数には解釈の違いにより複数の説があるが、108国説をとったのには二つの理由がある
    一つは108が仏教における煩悩の数であること、もう一つは丁度半分の54国が馬韓で残りを辰韓12国・弁辰12国・倭30国で占めると綺麗な分かれ方になるということ
    どうやら楽浪郡を支配していた公孫氏は儀礼的な意味合いを持って108の朝貢国を認証した様だ

  • 1412018/02/24(Sat) 05:10:09ID:YxMDkzMTI(66/92)NG通報

    卑離國 *pɨri
    「庇仁縣,本百濟比衆縣,景德王改名,今因之」(舒川郡庇仁面)
    「卑離 *pɨri」を「比衆 *pitsjuŋ」「庇仁 *pizin」に対応すると考える
    「卑離」とは>>138に書いたように「村」の意
    他にも前に別の単語が付いた「〇〇卑離國」が現れるが、ここだけは単独
    日本書紀に登場する神功皇后の三韓征伐の際百済が攻め取って領土としたという「比利(ヒリ)」はこの場所と思われる
    全州から庇仁までの海路での道のりは80㎞強で、船速を3ノット(時速5.4km)だと14.8時間かかる計算となり、南の海陸交通の拠点・莫盧国から北の大勢力・伯済国や帯方郡・楽浪郡へと向かう航海を行う際、最初の停泊地となる可能性が高い
    http://flood.firetree.net/?ll=36.1791,126.5160&zoom=12&m=5&type=hybrid
    5m水位を上げた当時を想定した海岸線で見ると、岬の北側は入り江となっており、波風を凌ぐ投錨地にぴったりだ

    古卑離國(占離卑國) *kɑ̌pɨri
    「潔城郡,本百濟結已郡,景德王改名,今因之」(洪城郡結城面)
    「占離卑」は誤りで正しくは翰苑にある「古卑離」であるという説をとる
    「結 *kjer」「潔 *kjer」を「길다 ki(r)-(長い)」に近い語として”存在している年数が『長い』”という意味で「古い」とし、「古卑離」を「古い村」と解釈する
    「已」は「己 *kɨ̌」を書き誤ったもので「城」の百済語、日本語の「キ(城) kɨ̌」とは全く同じ発音と意味を持つ
    さらに「領縣二,新邑縣,本百濟新村縣,景德王改名,今保寧縣,新良縣,本百濟沙尸良縣,景德王改名,今黎陽縣」という文章が潔城郡の記述には続いており、2つの領県はどちらも「新しい」という意味を含む(沙尸 *sjas>*sal>새 sai=新)
    郡の中心地「結已/潔城」が「古」であり、「新村/新邑」「沙尸良/新良」の二県が「新」であるとする対比が成立する

    >>139
    やはり意訳の存在に気づいておらず音読みの呪縛から抜け出せないでいますね
    「釁」なんて複雑な字で音を記録するのはありえないといぶかしむ所から始めないと

  • 1422018/02/24(Sat) 16:57:31ID:YxMDkzMTI(67/92)NG通報

    支侵國 *kitsʰim
    「任城郡,本百濟任存城,景德王改名,今大興郡」「支潯縣,本只彡村」(礼山郡鳳山面)
    以上の巻36と巻37の記述が同じ地を指しているという確証は存在しない
    しかし「任 *njím」を韓人の首長の称号「にりむ(主/王) *nirɨ́m」、「支潯 *kisim」「只彡 *kisjem」を同様に首長の称号「きし(吉士/君/王) *kis」であるとすれば両者は結び付く
    この国名は日本書紀中の百済記逸文に「支侵(ししむ)」という名で現れ、阿花王(阿莘王)が貴国(倭国?)に無礼を働いたために奪われた領土の一つであるという
    (百濟記云、阿花王立无禮於貴國。故奪我枕彌多禮、及峴南・支侵・谷那・東韓之地。是以、遣王子直支于天朝、以脩先王之好也。)

    狗盧國 *kǔrɑ
    「靑正縣,本百濟古良夫里縣,景德王改名,今靑陽縣」(青陽郡青陽面)
    「良」は口訣に従ってranと読み、「古良夫里 *kóran-purǐ」の「古良 *kóran」と「狗盧 *kǔrɑ」が対応する
    「골 kor(谷)」と関係がありそうだが、「靑(青)」からは日本語の「クラ(暗) kura」も連想できる
    >>129で示した「戶路 γǒrɑ́」の菁州の「菁」は「すずな(蕪)」「부추꽃(ニラの花)」の訓があるが、ここも「골」らしき国名なので、(「クラ(暗)」=青の意味で)単に「靑(青)」をデコレーションしただけの文字である可能性がある

  • 1432018/02/24(Sat) 18:30:53ID:YxMDkzMTI(68/92)NG通報

    卑彌國 *pɨmi
    「淸音縣,本百濟伐音支縣,景德王改名,今新豐縣」(公州市新豊面)
    「伐音支 *pərɨmki」の「伐音 *pərɨm」が「淸音(清音)」に対応しているのは「清」の「빨다(洗う、中期語ではᄲᆞᆯ다 spʌ́rta)」という訓を用いて(*spʌ́rɨmと)写し取ったことによる
    卑彌呼(卑弥呼)と名前が被っているのは、ここが倭人の女酋長(媛〈ヒメ *pimje〉=日女〈ヒルメ *pirumje〉)によって治められていたからと思われる
    小国に分かれて争いを繰り返す韓人を平和に治めるために外部(倭)から既存の利害関係のない者を統治者として招いたのだろう
    日本書紀の雄略天皇が高句麗に敗れて首都漢城を失った百済に久麻那利(熊津)を与えて復興させたという記事で任那四県の一つ下哆呼唎(あろしたり)の別邑(わかれのむら)とあるのが実は熊津の近傍にあるこの国だったのかも知れない(久麻那利者、任那国下哆呼唎縣之別邑也)

    監奚卑離國 *kamγepɨri
    「馴雉縣,本百濟甘買縣,景德王改名,今豐歲縣」「其買縣(一云林川)」(天安市東南区豊歳面)
    「甘買」「馴雉」の間は一見すると何も関連がない
    しかし「監奚 *kamγe」というヒントを介すると意味が見えてくる
    すなわち、「監奚 *kamγe」の音は「甘買 *kammʌj」に対応し、類似した単語「까마귀(烏、中期語では가마귀 kamagui)」は「雉」と同じく鳥であり、ただのカラスを「馴雉(キジを馴らす)」という食糧生産として有用な行為に変えて縁起良く県名を美化したものと思われる
    「其買 *kəmʌj」は「甘買」の字から筆画を足したら作れるが、音も似通っている
    「其 *kə」を日本語の「コ(木) kə(キ(木) kɨ̌の被覆形)に同じ、「買 *mʌj」を扶余諸語で「水(川)」の意味(「믈(물)」「ミヅ(ミズ)」の系統)だとすると「林川」と意味が繋がる
    「豐歲(豊歳)」との関連は少し苦しいが、「其買 *kəmʌj」の「買」を同じ川の意味の韓語「내 nai」(日本書紀で記録された「川」の韓訓は「ナレ *narje」)に置き換え「거내 kə-nai」としたものが、更に「낳 nah(年齢、現代語では나이)」と訛って「거낳 kə-nah」とし「大いなる歳」という意味になるところを「豐歲(豊歳)」と漢訳したものだろうか

  • 1442018/02/25(Sun) 03:57:07ID:ExNjg1NTA(69/92)NG通報

    古蒲國 *kɑ̌bɑ
    「熊州,本百濟舊都,唐高宗遣蘇定方平之,置熊津都督府,新羅文武王取其地有之,神文王改爲熊川州,置都督,景德王十六年,改名熊州,今公州」「熊川州(一云熊津)」(公州市)

    「古蒲 *kɑ̌bɑ」を「곰 kǒm(熊)」「クマ(熊) kuma」と比較する
    一番目の母音が少し違うが、北史百済列伝には百済の都の名が「固麻 *kɑ́mɑ」または「居拔 *kəbot~*kʌ́bot」とあるため方言差の範囲と思われる

    「내 nai(川)」「ᄂᆞᄅᆞ nᴧrᴧ(津)」は同系の単語で、「내 nai」が百済語として記録される「ナリ(津) nari」の成れの果ての様である(他に任那の地名で「クマナレ(熊川)」というのも出てくる)

    なお、スサノオが子孫たちのために、韓国に行って金銀財宝を取ってくるための船を造るための木やその他の用途の様々な種類の木を自分の体の毛を抜いて生じさせて与える説話が日本書紀(第八段一書第五)にあるのだが、その最後でスサノオは「熊成峯(くまなりのみね)」という地に入り、そして根の国(死者の世界、古事記では「根堅洲国(ねのかたすくに)」とも)に行ったという
    (然後、素戔鳴尊、居熊成峯而遂入於根国者矣。 )
    名前の読みが同一であることと韓国へ行く船の材木の起源説話であることからして、「熊成峯」とは百済の2つ目の首都「熊津」のことであると断定する
    根堅洲国に実在の土地のモデルがあったとすれば、それは百済に違いない

  • 1452018/02/27(Tue) 04:24:19ID:EyODcwMjY(70/92)NG通報

    致利鞠國 *tɨ́risγɨγ
    「石山縣,本百濟珍惡山縣,景德王改名,今石城縣」(扶余郡石城面)

    この国名も連声があったことを想定しなければうまく当てはまらない
    すなわち *tɨ́risγɨγは[tɨ́risʰɨk̚](トゥリスク/드리슥)と発音し、「珍惡 *tɨnak」と比較する
    tɨ́r(≒돌 tór/石) + i(繋ぎの母音) + s(指小辞) + γ(名詞を示す語尾)=小石
    と解釈するべきだろうか

    古代朝鮮語研究会の論文をによると「珍惡(珍悪)」の解釈は以下の通り
    https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=23722&item_no=1&page_id=13&block_id=83
    >訓倍されて「tor」であり、「悪」はその昔が「ak」 であるため、「珍悪」はそれぞれ訓音倍されて「torak」(돌악)、あるいは[k]末音だけを取って「tork」(돍)としても見なされる(辛党絃1958:77、愈昌均 1961;25)。
    > 同じ見解として、都守熙(1976:5)はこの「珍悪」を「turak」と訓音借さ れたと言っており、李基文(1961:37)は「悪」(ak)を接尾語として見なし、現在全南地方の方言である「tok」(독)がその残影を見せていると言った。その 他、金完墳(1971:72)も「tur」あるいは「tul」と解読している。 一方、梁柱東(1942:153,154)は二字共に音借である「ca-ak」(자악)とし て見て、「小石」(礫)の義と解釈した。

  • 1462018/02/28(Wed) 03:44:50ID:YzNDYyNjQ(71/92)NG通報

    兒林國 *nirɨm
    「任城郡,本百濟任存城,景德王改名,今大興郡」(礼山郡大興面)
    百済・任那の首長称号「にりむ(主/王)」
    短縮されて「任 *njim」となり「存」は訓読して「잇 is(있다の古形잇다の語幹)」として「任存城」は*njimiskorと読んだものと思われる
    また「大興」という高麗時代の地名は「興」の訓であっただろう「닐다(起こる;現代語では일다)」の語幹「닐 nir」が*nirɨmの前側と一致するので(更に前に「大」を付けて縁起良くして)採用されたものの様だ

    駟盧國 *sœ́srɑ
    「金馬郡,本百濟金馬渚郡,景德王改名,今因之」(益山市金馬面)
    ハングル表記すると「斯盧國 *sœrɑ(新羅の前身)」と同一だがこちらは-s-が挟まる
    「駟 *sœ́s」は新羅語では「金(金色)」を意味する「徐(셔)」と属格の「ㅅ」とを合わせて「金の」と解釈
    「盧 *rɑ」は「松浦 matura←松 matu + 浦 ura」に比定される「末廬國 *matrɑ」の「浦」の部分に含まれているため、これも倭語とみる
    合わせて”金の浦”と解釈し「金馬渚」と推定する(なぜ「馬」が挟まってるのかはよくわからない)

    內卑離國 *nos-pɨri
    「澮尾縣,本百濟夫夫里縣,景德王改名,今因之」(群山市澮県面)
    「夫夫里 *pupuri」の「夫里 *puri」が「卑離 *pɨri」にあたるところからの比定だが、これは単に「村」を意味する普通名詞なので、はっきりとここがそうであるという根拠は示すことができない
    馬韓の要衝・莫盧国(全州・完山)の近傍にあるために「內(内)」と付いたものか
    ただ朝鮮語日本語いずれにも「内」の意味でpuに近い単語はない
    もしかすると「앞 aph(前;中期語では앏 arpとも綴る)」ならば「夫」の訓にできそうな「아비 api(父;現代語でいう아버지)」と似通っているので「夫夫里」は音訓混合して*apupuriが正解なのかもしれない
    「澮」は”溝、用水路”または”川”を意味し、その「尾」であるから”河口”、すなわち錦江の河口の土地である
    (なお古代において錦江は「熊川(くまなり *kuma-nari)」と呼ばれており、現代朝鮮語で相当する単語を組み合わせると「곰내」となる。「錦(금) kɨ̌m」は「곰 kǒm(熊)」の音写)

  • 1472018/02/28(Wed) 03:52:48ID:YzNDYyNjQ(72/92)NG通報

    少し訂正
    ×*apupuri
    〇*apapuri~*apipuri

    ap(前・南/夫) + a(繋ぎ母音) + puri(村/夫里)
    または
    api(前・南/夫) + puri(村/夫里)

    「앞(古くは압や앏とも)」には「南」の意味もあったので「夫夫里」は錦江の河口の南側の地という意味になる

  • 1482018/03/01(Thu) 02:54:48ID:U2NzA2Mzg(73/92)NG通報

    感奚國 *kǒmγe
    「咸悅縣,本百濟甘勿阿縣,景德王改名,今因之」「甘蓋縣,本古莫夫里」(益山市咸羅面)
    「感奚 *kǒmγe」が「甘勿阿 *kamɨra」「甘蓋 *kamkái」「古莫 *kǒmak」「咸悦 *hamjer」に対応

    萬盧國 *mʌ́r̥rɑ
    「沃溝縣,本百濟馬西良縣,景德王改名,今因之」「歸化縣,本麻斯良」(群山市沃溝邑)
    「馬山縣,本百濟縣,景德王改州郡名,及今並因之」「邁羅縣」(舒川郡韓山面)
    『南斉書』巻五十八 列伝第三十九の百済国条「建武二年,牟大遣使上表曰」以下の部分に登場する「辟中王」の領地、扶余宮南池遺跡より発見の木簡の邁羅城にあたる
    錦江河口南側の沃溝と対岸に跨っていたものと考える
    */r/が連続して前の方が無性化した/r̥/となり[s]に近い音となり、「萬盧 *mʌ́r̥rɑ」が「馬西良 *mǎsjeran」「麻斯良 *masran」「邁羅 *másra」となったことが想定される

    辟卑離國 *peγpɨri
    「金堤郡,本百濟碧骨縣,景德王改名,今因之」「辟城縣,本辟骨」(金堤市)
    「辟 *peγ」が「碧 *pʌik」「辟 *pʌik」に対応する
    ”村”の意味の「卑離 *pɨri」が”城”の意味の「骨 *kor」と入れ替わった
    日本書紀において、三韓征伐の際、百済の肖古王が倭の使者・千熊長彦(ちくまながひこ)と盟約を結んだ場所「辟支山(へきのむれ)」と思われる

  • 1492018/03/02(Fri) 03:43:01ID:A3Mjk4NzY(74/92)NG通報

    いったん海を越え、地域のセンターたる「莫盧國」から出た順路と交差して南の対岸に渡った先の「辟卑離國」以降の馬韓の国々は倭人の影響が強くなっており、日本書紀に記された地名がいくつか登場する

    臼斯烏旦國 *γǒsyatár
    「珍原縣,本百濟丘斯珍兮縣,景德王改名,今因之」「貴旦縣,本仇斯珍兮」(長城郡珍原面)
    「臼斯烏旦 *γǒsyatár」と「丘斯珍兮 *kʰustɨnhe」「仇斯珍兮 *kustɨnhe」「貴旦 *kústán」で発音が類似(百済語・高句麗語の漢字音には音節末に-sがあったと考えた方がよく合致する)
    日本書紀に登場する倭が百済に割譲した四県の一つ、「上哆唎(おこしたり) oko-si-tari」であると考えられる

    一離國 *iγri
    「井邑縣,本百濟井村,景德王改名,今因之」(井邑市)
    板橋義三の高句麗語論文曰く「**wir(*uyir[未]乙~*uir[於乙]);'spring,source(原);well(泉井)'」
    また高句麗の将軍・淵蓋蘇文(またの名を泉蓋蘇文)を日本書紀では「伊梨柯須彌(伊梨柯須弥/いりかすみ) *iri-kasumi」としていることから、"泉、井戸"を*iriの様に発音したことが判明している
    「一離 *iγri」は異音による環境異音によって[ijri]と発音されて「井」に充てられていたようだ

    不彌國 *pəmi
    「武靈郡,本百濟武尸伊郡,景德王改名,今靈光郡」「牟支縣,本號尸伊村」(霊光郡霊光邑)
    倭の「不彌國」と同名だが卑弥呼と具体的な関連があるのかは不明
    ただし卑弥呼をモデルとして後世に作られた日本書紀における神功皇后の説話でそれらしき地名が登場する
    それは百済の肖古王と王子・貴須(くるす)が軍隊を率いて倭の軍勢に会いに来た時に降伏した四つの邑の一つ「布彌支(布弥支/ホムキ)」である
    「不彌(不弥) *pəmi」と「布彌支 *pómuki」「牟支 moki」「武尸伊 *mǔsi」とを対応させる
    また「號(号)」の訓は「브르다 pɨrɨ-(呼ぶ;現代語では부르다 )」であったと想定し、前の一音節だけを採ったとしたら「號尸伊」は*pɨsiとなり、「武尸伊」に近くなり頭子音は「不彌」「布彌支」と一致する

  • 150名無し2018/03/02(Fri) 16:46:34ID:A0MzIxNDg(1/1)NG通報

    なんかすごいスレだ。

  • 1512018/03/03(Sat) 22:44:49ID:U3ODkxMTQ(75/92)NG通報

    どんどん進めて行きますよ

    狗素國 *kǔsɑ́
    「古阜郡,本百濟古眇夫里郡,景德王改名,今因之」「古沙夫里郡」「平倭縣,本古沙夫村」(井邑郡古阜面)
    「古沙 kǒsjǎ」に国名が対応
    日本書紀にも「古沙山(こさのむれ)」として登場
    「古眇夫里」の「眇(めう→みょう・べう→びょう/묘)」は「沙(しゃ・さ/사)」とは音が大きく異なるが字形は類似しており「古沙夫里」の書き間違えと分かる
    唐朝熊津都督府の「平倭」県は白村江の戦いにおいてこの地で倭を打ち負かしたことを記念してつけられた様だ

    捷盧國 *tsʰeβrɑ
    「壓海郡,本百濟阿次山縣,景德王改名,今因之」(務安郡押海邑)
    「壓(圧)」ではなく字形の類似した「厭」なら「아처 atsʰə」という古訓があり、また三国遺事巻3にも新羅で「厭」を「異次 *ítsʰ」と訓読した記録がある(或作異次 或云伊虐 方音之別也 辞云厭也)
    これらが「阿次 *atsʰ」に結び付く可能性が高い
    しかしのちの郡県名と馬韓時代の国名とはあまり似ていない(子音/tsʰ/一つのみが共通)
    周囲に他に近い名前の郡県は見つからなかった
    「捷 *tsʰeβ」が百済語「セマ *sjema」、朝鮮語「셤 sjə̌m→섬(島)」、日本語「シマ(島) sima」ならば海上の島々であることを示している事となる

  • 152名無し2018/03/03(Sat) 23:20:46ID:AzMTYxNTE(1/1)NG通報

    >>151 스레주. 정말 볼수록 감탄이 나옵니다. 나는 한국인으로서 반성하고 있습니다. 오늘날 당신은 한국인들보다도 더 고대 한국사에 관심을 가지고 이렇게 깊은 관심을 가지고 있는것에 감사합니다.

  • 1532018/03/03(Sat) 23:31:18ID:U3ODkxMTQ(76/92)NG通報

    牟盧卑離國 *morɑpɨri
    「務安郡,本百濟勿阿兮郡,景德王改名,今因之」(務安郡務安邑)
    「勿阿兮 *murahje~*morahje」と前半部分が一致
    「勿 *mur~mor」は「믈 mɨ́r(水;現代語で물)」に充てられる字で、この地が海浜にあることを示す

    なお有力な候補として信じられている「毛良夫里(高敞縣,本百濟毛良夫里縣,景德王改名,今因之)」は「牟盧卑離」ではありません
    >>117さんがよいヒントを教えてくれたのでそれを証明できる理論が作れたので以下に示します

    「毛良夫里縣」の「毛」は音を取って"mo"と読むのではなく訓の「털 tʰər(毛)」から"tʰə"で読む
    すなわち「毛良夫里」は「モリャンブリ/모량부리」ではなく「トランブリ/터란부리」と読むのが正しい
    こうすると「高敞縣」の”高い、山”の意味の高句麗語「達 tar」に近い発音となる
    「高」の訓は「높다 nopʰ-(高い)」だが、実は「敞」にも「높다」の訓がある(ほかに一般的な方の訓に「시원하다(涼しい、爽やか)」、日本語での訓は「たか-い(高い)」「ほがら-か(朗らか)」「ひろ-い(広い)」、本来の中国語では”広い”という意味しかない)
    百済時代と統一新羅時代の両方の県名に意味のつながりが想定できるので「毛」を”tʰə”で読むのは”mo”と読むよりも妥当といえる

  • 1542018/03/04(Sun) 00:43:37ID:A4NDgzNTI(77/92)NG通報

    >>153言い忘れがあったので補足
    毛良夫里県には巻37の方でも「無割縣,本毛良夫里」とあり、「無割」は”割らない”なので片方だけではなく二つ両方とも揃っているという意味をとりうる
    という訳で>>31で書いた"二つ"を意味する「豆肹 tuhɨr(トゥフル/두흘)」が短縮されて「毛 tʰər(トル/털)」になったという仮説を提唱する
    これを支持するかの様に、>>134で示した百済木簡の数詞の”二つ”も「矣毛皀」で、「毛」の字が用いられている(自分は「矣毛皀」の発音を*ǐtʰərγ(イトルグ/이턹)と復元した)

    つまり
    初め”二つの村”という意味で韓語の「毛」の訓を借りて「毛良夫里(トランブリ/터란부리)」と名付けられた地名があった
    百済が滅ぼされた時、唐の漢人たちはその意味を聞いて「無割(割らない)」と解釈した
    その後同地は新羅に接収され再びもとの「毛良夫里」の名で呼ばれるも、景徳王の時代には本来の地名の意味は忘れ去られ、百済語で”高い村(*タランブリ/다란부리)”だったのだろうと誤解されて「高敞」と名付けなおされた
    と、こういうことになる

    >>152
    これはこれはどういたしまして。
    古代の朝鮮半島の歴史を復元しようとすると、倭人の影響・支配はなかった筈とか、高句麗と新羅は同じ韓国語を話す我々の先祖みたいな、そういう願望で滅茶苦茶な事をいう人もいると思います。
    ただ、そんな事をすると全体像に矛盾が出てきてしまうので「桓檀古記」みたいなグロテスクな偽物の歴史が出来てしまいますね。
    でもここに来ていただいてる韓国の方たちはそういうタイプではなく、自説の精度を高める上で重要な意見もいただけていますから、こちらとしても感謝しております。

  • 155名無し2018/03/04(Sun) 01:23:49ID:ExOTgyODg(1/1)NG通報

    >>72
    卑弥呼の時代なら、なおおかしい。
    当時の大阪湾はもっと内陸に入り込んでる。
    今の上町台地が港の突端にある岬だった。

    飛鳥・奈良時代は今の京阪天満橋駅あたりが港。
    そこから大阪城(NHK大阪放送局&大阪府警)前を抜けると、
    難波宮大極殿に出る(645年に孝徳天皇遷都、686年正月に全焼。大化の改新があったのが難波宮)

    今の大阪城のあたりも古代~森ノ宮辺りが町。京橋あたりは、水際。
    そこから奥は、河内湾(→後の河内湖。仁徳天皇が治水に力を入れた)。
    河内湾は、野崎や四條畷のあたりまであった。門真市と寝屋川市の間の弁天池公園や深北緑地が、河内湾(後の河内湖)の名残。

  • 1562018/03/04(Sun) 01:29:56ID:A4NDgzNTI(78/92)NG通報

    >>155
    なら地図のベースにした海岸線で合ってますよ
    http://flood.firetree.net/?ll=34.7464,135.5852&zoom=11&m=5

    海水面+5mをベースにした海岸線は四条畷市域まで入り込んでるし
    弁天池公園も深北緑地も水の底

  • 1572018/03/04(Sun) 06:22:48ID:A4NDgzNTI(79/92)NG通報

    臣蘇塗國 *nirɨ́m-sɑdɑ
    「牢山郡,本百濟徒山縣,景德王改名,今嘉興縣」「徒山縣(海島也,或云猿山)」(珍島郡郡内面)

    この国は鳴梁海峡を挟んで珍島の一部と花原半島とにまたがっていた
    「蘇塗 *sɑdɑ」とは韓伝曰く馬韓の国々において主邑とは別に建設される”別邑”でその中に大木を立てて鈴や鼓を吊り下げ 鬼神を祭っているという(ソッテの原型だと言われている)
    この「蘇塗」とは実は、上古日本語で狭い場所であることを意味する接頭辞「サ(狭) sa」と体言に付いて連体修飾語を作る上古語「ナ na」(「の」に同じ)が組み合わさって出来た「サナ sana」、すなわち”海峡の土地、対岸と向かい合う岬”を指す言葉が変形したものと思われる
    (「蘇奴國 *sɑnɑ(徳島県南部)」や「姐奴國 *tsjɑ̌nɑ(鹿児島県薩摩地方)」にて使用。朝鮮語にも同根らしき「ᄉᆞᅀᅵ sʌzí(間;現代語では사이)」という単語がある)
    そして”蘇塗”の”鬼神”とは天孫降臨の際にその道案内をしたという神、猿田彦(さるたひこ)だった可能性がある
    というのも日本書紀によると猿田彦の身体的特徴の一つに長い鼻があるのである(天狗の原型だともいう)
    猿田彦の鼻はもしかすると、海に突き出した岬・半島の象徴であるのかもしれない
    奇しくも猿田彦の行った先は伊勢の「狭長田(さなだ)」といい、"sana"の音が含まれた地名で、しかも海峡に面した志摩半島の付け根にある(「華奴蘇奴國」に比定)

  • 1582018/03/04(Sun) 06:24:53ID:A4NDgzNTI(80/92)NG通報

    >>157続き)
    これがどう「牢山」「徒山」に結びつくかと言うと以下の通りである
    まず巻37に記載された県の別名「猿山」の「猿」は日本語なら「サル sarû」と読む
    ところが朝鮮半島には野生の猿は生息しない(>>87参照)
    そのためこれは自動的に音読みされて「원 wən」、もしくは上古音から変化したと考えると*wʌrという発音だったと考えられる
    *wʌrならば、「牢」の訓と考えられる「우리 urí(檻、動物の小屋)」(日本語の「ヲリ(檻) *wə́ri」に酷似する倭韓共通疑惑単語)や「徒」の訓である「무리 *murí(群れ)」(おなじく日本語の「ムレ(群れ) *múre」に酷似する)と音が近い
    (辰韓伝の「相呼為徒(お互いを”徒”と呼び合う)」という記述は実は「무리(群れ=徒)」と「우리 uri(我々)」が似ていて聞き間違えられた事によるのだろう)
    また、鳴梁海峡は別名ウルトルモク(울돌목;”鳴き回る首”)と呼ばれるのでこの中の「울 ur」(「울다 ǔr-(泣く・鳴く)」)もまたそこから来たものと思われる

    要約すると倭語の「狭な *sana "海峡の(土地)"」が「蘇塗 *sɑdɑ」と訛り首長の称号「ニリム(主/王) *nirɨ́m」と合成されて「臣蘇塗國」として記録、「サル(猿) sarû」とも呼ばれたものが漢語に基づいた「猿 *wʌr(ウォル/월)」と言い換えられ、百済時代には「무리(徒)山」、統一新羅時代に「우리(牢)山」と改名された(「嘉興(美しく起こる)」はおそらく「닐다(起こる;現代語では일다)」と「ニリム(主/王) *nirɨ́m」をかけたもの。>>146「大興郡」に同じ)ということである

    なおこの辺りから倭人の影響力はいよいよ強くなっていき「任那」と呼ばれた倭人の支配地域となる
    倭国が百済に割譲した任那四県のうちの「牟婁(むろ)」は「牟盧卑離國」、「娑陀(さだ)」は「臣蘇塗國」に相当する

  • 159名無し2018/03/04(Sun) 17:10:58ID:I5NDQxMjg(3/5)NG通報

    私にはさっぱり分かりませんが、凄いスレになってますね
    驚くばかりです
    こういう分野は言語学についての知識がかなり必要になってくる分野だと思いますが
    やはり>>1さんは韓国語の読み書きができるのでしょうか?
    それともそこまで韓国語の知識がなくとも行えてしまう分野なのでしょうか?

  • 1602018/03/05(Mon) 03:39:41ID:U5MDc1OTA(81/92)NG通報

    「臣蘇塗國」のあとにどういうわけか「莫盧國」が再び現れる
    馬韓の中に二つの同じ名前の国があるとは考えにくいが、一度通り過ぎた場所に再び戻るというのもおかしな話である
    無視して次の「古臘國」に繋げた方が自然な経路となる
    これは複数の一覧を繋ぎ合わせて国名の列挙されている文章を作ったときに重複に気づかずに書いてしまったと考えるしかない

    古臘國 *kɑ̌raβ
    「碣島縣,本百濟阿老縣,景德王改名,今六昌縣」「葛草縣(一云阿老,一云谷野)」(霊光郡郡南面)
    まず「古臘 *kɑ̌raβ」と「阿老 *arǒ(頭子音が脱落し、最後がaβ→au→oと変化)」「碣島 *kartǒ(この場所は島ではないので訓読みではなく単なる借音、より正確には[kadǒ]の様に発音)」が類似
    それに加え、「草」の訓は「플 pʰɨ́r(現代語では풀)」なので「葛草」も*karpʰɨ́r(カルプル/갈플)と読めて近い
    更に「谷野」も訓読すればこれに似る
    「谷」の訓が「골 kór」であることは言うまでもないが、近い意味で”川”の意味の固有語「가람」も古くは「ᄀᆞᄅᆞᆷ kʌrʌ́m」の他「ᄀᆞᄅᆞᆯ kʌrʌ́r」という言い方があり語根は「ᄀᆞᆯ kʌr」の部分だった様である
    (参考論文:http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/51085/1/aall001005.pdf
    「野」に関しても「들(野原)」ではなく
    「펴다(広げる、開く、敷く)」「풀다(解く、晴らす)」「피다(咲く、開く、広げる)」の類語でそれに近い例えば「피다」の古形の一つである「픠다 pʰɨí-」の語幹がかつて*pʰɨ́rでそれが「野」の訓だったとすると「谷野」は*kórpʰɨ́r(コルプル/골플)もしくは*kʌrpʰɨ́r(カルプル/ᄀᆞᆯ플)と読める

    つまりまとめると「古臘 *kɑ̌raβ」は「葛草 *karpʰɨ́r」「谷野 *kórpʰɨ́r~*kʌrpʰɨ́r」の前の部分をとったもの
    それが訛ったのが「阿老 *arǒ」「碣島 *kartǒ」
    「六昌」は由来がよくわからない

    >>159
    韓国の言葉はごく初歩的な簡単なのしか分かりません
    ネットで調べて勉強しながらやってます
    韓国人の言語感覚でこの解釈は自然なのか、それを教えてもらいたくてここに投下しました

  • 1612018/03/06(Tue) 04:00:56ID:A5NjY4Mjg(82/92)NG通報

    臨素半國 *rɨ́msɑ́pár
    「錦山郡,本百濟發羅郡,景德王改名,今羅州牧」「布賢縣,本巴老彌」(羅州市)

    「素半 *sɑ́pár」は「沙泮州,本號尸伊城」の「沙泮 *sjápʰán」に酷似しているが「號尸伊城」は>>149「不彌國」の「號尸伊村」として使用してしまったので重複になってしまう

    それ以外で順路上にある名前の近そうな郡県名から「發羅(発羅) *parra」を「半 *pár」に当てはめた
    おそらくこれは倭語の「ハタ(旗/幡/機/服) *páta」すなわち布のことである
    これが「錦山」の「綿」と「布賢」の「布」とに意味が繋がる
    朝鮮語で”旗”のことを「깃발 kispar」というが、これも「발 pár(簾)」の前に漢字語の「기 ki(旗;中期語では긔 kɯi)」を足し合わせて意味を派生させたものの様だ
    または「베 pe(布地;中期語では뵈 pói)」も古代には*por~pərの様な音だったとするなら(子音rが弱化してjになる朝鮮語では一般的な変化)関連語といえる

    また「巴老彌 *paromi」もそれらに前方は一致する
    現在の言葉で近い音の単語に「바로 밑 paro mitʰ(真下)」というのがあるが、関係があるかはわからない

    最初の「臨 *rɨ́m」はこれまでも頻出した首長の称号「ニリム *nirɨ́m」の前半が略されたもの
    しかし「素 *sɑ́」はよくわからない
    この当たりは合っているのか自信がない

  • 162名無し2018/03/06(Tue) 07:33:13ID:Q3OTEzMTI(1/1)NG通報

    >>156

    言語からのアプローチをされているので参考になるかわかりませんが、御説の考古学的、地質学的な裏付けの一助になるかも知れません。

    ・河内湾(河内湖)
    https://www.suito-osaka.jp/history/history_2.html

    ・奈良湖
    http://tenrikei.com/sokuhou/sok-0020/

    ・四條畷市蔀屋北遺跡(大型船材が出土)
    http://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/maibun/sitomiyakita2.html

    ちなみに、四條畷市や大東市では貝塚の遺跡が大量に発見されています。上記の蔀屋北遺跡から1~2km南にある大東市の野崎観音には昭和初期まで海から船で乗り付けられた事は、昭和初期のヒット曲でも有名なので全国的にも知ってる老人は多いと思います。

  • 1632018/03/07(Wed) 02:42:07ID:YwMjYwNjY(83/92)NG通報

    臣雲新國 *nirɨ́m-wɨr-siɴ~*nirɨ́m-kur-siɴ
    「祁陽縣,本百濟屈支縣,景德王改名,今昌平縣」(潭陽郡昌平面)

    「臣」はこれまで頻出の通り首長称号の「にりむ(主/王) *nirɨ́m」
    「雲」は音訳ではなく意訳である可能性がある
    「구름(雲;中期語では구룸 kúrúm~kúrum、구롬 kúromまたは구ᄅᆞᆷ kúrʌm)」の頭音「굴 kúr」とするなら、「屈支」の「屈」の音と一致し、「祁陽」の「祁(祈る)」の訓になりえそうな「굿 kus(朝鮮半島特有のシャーマニズム、巫俗の儀式)」とも似る
    「祁陽」の「陽」は川(栄山江)の南にあることを意味しており、「屈 kur」は「골 kǒr(谷)」「ᄀᆞᄅᆞᆷ kʌrʌ́m(川)」に通じる

    また「雲」は漢が朝鮮半島に一時的に置いた真番郡の郡治「霅県」の「霅」と通用する様である
    (下の部分がそれぞれ「云」「言」でどちらも”い-う(言う/云う)”;参考:https://blogs.yahoo.co.jp/pikupopodemi/17986350.html
    「霅」は朝鮮語では「삽 sap」とだけ読むが、日本語だと「こう」「しょう」「そう」「とう」と四種類の音読みが、中国語(北京語)にはshà, xiá, zhá, zhàの四種類の読みがありどう読むのが正解かわからない
    http://kanji.jitenon.jp/kanjip/7999.html
    https://en.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%85
    案外どれも正解ではなく、当時の韓語で雲を意味しただろう*kurの音を「『雲』の現地語での「言」(言い方)」と洒落込んで「霅」の字で読ませたという想像もできる

    すなわち霅県があったのはこの現在でいう潭陽郡昌平面である
    この場所は中国大陸の対岸で最南端に近く、また栄山江を遡って内陸部を支配しようとすれば拠点を築くのにうってつけであるため郡治の所在地として不自然ではない
    つまり「臣雲新國」とは一度滅びた霅県(「雲」)を再興させて首長(「臣」)が治める国(「新國」)にしたことを表現したものとなる

    >>162
    大型船材があれば海外との行き来が想定されますが、年代はいつのものでしょうか?
    奈良湖へは大和川を遡行して直接入ることは可能なんですかね?

  • 1642018/03/07(Wed) 05:00:01ID:YwMjYwNjY(84/92)NG通報

    >>163
    >「祁陽」の「陽」は川(栄山江)の南
    間違えた
    正しくは「陽」は川の北なので
    栄山江の支流・甑岩川(증암천)の北

    百済時代の「屈支縣」の「支」はki(キ/기)と読むべきか口蓋化したtsi(チ/지)と読むべきかが判断がつかない
    もしtsiなら「臣雲新國」の「新 *siɴ」に通じないこともないが、
    ”北”の意味ならkiと読んで「위(上)」の古代での形と考えられる日本書紀に登場する韓語「オコシ(上) *okosi」から*(u)giという祖型を想定して「屈支」は「*korgi(コルギ/골기)」と読んで”川・谷の北”を意味したと解釈しうる
    (「南」を「アリシヒ *arisipi」とも読みこれを「아래(下)」の古形とみることからの類推)

    高麗時代の県名「昌平(明るくて平ら)」はあまり関係が無い様だ
    あえていうなら「祁陽」の「陽」からの連想で「昌」を使ったか

  • 1652018/03/08(Thu) 01:22:22ID:EwODUzMDQ(85/92)NG通報

    如來卑離國 *njeroγpɨri
    「陵城郡,本百濟尒陵夫里郡,景德王改名,今因之,領縣二」「尒陵夫里郡(一云竹樹夫里,一云仁夫里)」
    「如來卑離 *njeroγpyri」と「尒陵夫里 *njǐrɨŋpuri~*njǐrəŋpuri」とで類似
    *njeroγpɨriは連声して[ɲeroŋbɨɾi](ニェロンブリ/녜롱브리)と発音されたと考える
    「如來(如来)」は仏教とは関係なく、首長号「にりむ *nirɨ́m」の変形した「尒陵」を音写した
    「仁夫里」の「仁 *njin~zin」、「陵城」の「陵 *rɨŋ~rəŋ」はそれを略したもの
    「竹樹夫里」の「竹樹」は訓で「대나무 tai-namu」と読めば*nirɨ́mと似てなくもない気はするが関連は薄い

    楚山塗卑離國 *tsʰjʌ́sjʌrdɑpɨri
    「鐵冶縣,本百濟實於山縣,景德王改名,今因之」(羅州市南平邑)
    「楚 tsʰjʌ́」と「實於山」の「實於(実於) *tjərə」および「鐵冶(鉄冶) *tʰjərjǎ」とを比較
    合っているのかは確証がない
    「塗」はおそらく別邑の「蘇塗」のことだろうと思われる

  • 166名無し2018/03/08(Thu) 04:34:30ID:E3MDgwMzY(1/1)NG通報

    翻訳が滅茶苦茶の予感

  • 167일본인2018/03/08(Thu) 12:16:09ID:Y4ODE5MDQ(18/18)NG通報

    >>166
    솔직히 말해서 Google 번역으로 읽기 힘들다.

  • 168労働者の責任ではない、税務調査で経営にメスをだって2018/03/15(Thu) 18:23:41ID:U2MTM5NTA(8/9)NG通報

    これ出版するレベルじゃないの。
    出版社の人見てない?

  • 169キツネ様信者2018/03/16(Fri) 01:13:21ID:YyNjM5OTY(1/1)NG通報

    ど〜でもいい糞スレッドのせいで、このスレッドの存在全く気付かなかった。

    >>167日本人でも難しい。

    このまま沈ませたくないので、あげ〜。

  • 170名無し2018/03/16(Fri) 20:56:48ID:kyMjc3MTI(4/5)NG通報

    たぶん専門的すぎて答えられる人は少ないと思います。
    自身でブログを作って誰でもいつでも見られるように公開してみてはどうでしょうか?

  • 171名無し2018/03/17(Sat) 05:30:03ID:kyOTQzMDI(1/1)NG通報

    ブログで公開したあとは、図解で補足を交えて情報を整理してamazonかappleで電子書籍として出版した方がいいと思う。たしかISBNコードは簡単に取得できたはず。

  • 172초속 9cm2018/03/17(Sat) 05:46:12ID:IxMTkwNDg(1/1)NG通報

    뭐지, 이 터무니 없는 스레는..
    너무 굉장하구나.
    이런 건 본 적도 없고, 생각해 본 적도 없어서
    평가나 판단의 범위를 넘어 서 있다.

    일단, 스레주의 연구열에 탄복.
    내용의 과학적 검증, 그런 거 몰라요.
    그럴 능력 없고.

    이 지도의 의미에 대해서 생각해 보는데...역시 머리에 한계를 느끼구나.
    누가 건담에 비유해서 설명해 주세요.

  • 1732018/03/17(Sat) 22:36:17ID:Y2MTg0NDY(86/92)NG通報

    ちょっと中だるみしました
    再開してきましょう
    完成度がまだまだなので最初に列挙した部分から変える部分も出てきます

    >>168
    全て書けたら高句麗語とか邪馬台国関係のプロの研究者にも見せたいですね
    参考にした論文書いた人とか

    >>171
    全部書き終わったら整理してどこかでまとめて公開したいと思います
    今時だと何形式のファイルがいいですかね?
    電子書籍って無料配布されてるソフトで作れるんでしょうか?

    >>172
    吏読が使われなくなり訓読みの文化が消えてしまったせいで一般の韓国人は漢字を音読みするしかできなくなってしまい三国時代の地名の意味について直感的な理解ができなくなってしまった
    ガンダムでいうところの黒歴史ですな

  • 1742018/03/17(Sat) 23:26:39ID:Y2MTg0NDY(87/92)NG通報

    翻訳がめちゃくちゃになってるのに対して行を開けると別言語と認識させる境界ができるようなので試してみます

    ◆◆◆◆
    一難國 *iγnar [ìŋnàr]
    「珍島縣,本百濟因珍島郡,景德王改名,今因之」(珍島郡珍島邑)

    珍島のことを百済時代には因珍島と言った
    「因珍」は*intɨr(インドゥル/인들)と読んで、一難 *iγnar [ìŋnàr](インナル/잉날)から変化したもの

    ◆◆◆◆
    狗奚國 *kǔγe [kǔγɛ̀]
    「馬邑縣,本百濟古馬旀知縣,景德王改名,今遂寧縣」(長興郡長興面)

    日本書紀に「古奚津(コケイノツ)」として登場する
    済州島に比定される忱彌多禮(トムタレ)を攻めたときの出港地点

    「旀」は「彌(弥)」の異字体であり、古馬旀知は*komamiti(コマミティ~コマミディ/고마미디)と読む
    「古馬 koma」とは「곰 kǒm(熊)」のことだが、同時に大きな動物全般を指していたと考えられる
    そうすると「馬邑」の「馬」の意味も理解できるし、日本語でも馬のことを「コマ(駒) koma」とも呼んでいた理由にもなる

    「旀知 miti」は>>25で言った”川”の意味の「彌凍 mitoɴ」と同じもの
    遂寧の「遂」には”やりとげる、なしとげる”という意味があるので、目的の事物にたどり着くという意味では「道(ミチ) mítí」や「및 mitsʰ(~および)」「및다 mìtsʰ-(及ぶ;現代語では미치다)」とはもしかしたら関係しているかもしれない

    「奚」はこれ単独では意味を為さないが、部首を書き加えて「溪(渓)」とすれば谷川の意味となり、上記とは意味が一致する

  • 175DD2018/03/18(Sun) 01:59:21ID:MyNDc5MTY(1/1)NG通報

    학술대회가 열렸구만.

  • 17612018/03/18(Sun) 03:07:34ID:E2Nzc2ODQ(88/92)NG通報

    不雲國 *pəwɨr[pə̀ùr] (~*pəkur)
    「寶城郡,本百濟伏忽郡,景德王改名,今因之」(宝城郡宝城邑)

    「忽 *hor」は"城"の意、
    なので「伏忽 *pukhor」と「寶城(宝城) *pǒhor」は同一の言葉である
    「不雲」はそのまま*pəwɨr[pə̀ùr]と読んでも近いが、「雲」を「kur(クル/굴)」と訓読みすると(>>163参照)、*pəkur(ポグル/버굴)となってより近くなる

    ◆◆◆◆
    不斯濆邪國 *pəsœpɨrjɑ
    「栢舟縣,本百濟比史縣,景德王改名,今泰江縣」(宝城郡筏橋邑)
    「分嶺郡,本百濟分嵯郡,景德王改名,今樂安郡」「分嵯郡(一云夫沙)」「分嵯州,本波知城」(順天市楽安面)

    「不斯」と「濆邪」の二つの地域からなる合体地名
    「不斯 *pəsœ」は「比史 *pis」「栢舟 *petsu」、「濆邪 *pɨrjɑ」は「分嵯 *pɨrtsʰi」「分嶺 *pɨrrjeɴ」「夫沙 *pusja」「波知 *pati」それぞれに対応
    高麗時代の郡県名の由来については不明

    ◆◆◆◆
    乾馬國 *karma~γʌrmǎ
    「谷城郡,本百濟欲乃郡,景德王改名,今因之」(谷城郡谷城邑)

    「谷城」の「谷」の訓を「골 kǒr」または「ᄀᆞᆯ kʌr」とし(>>160参照)、「乾馬 *karma」は「ᄀᆞᄅᆞᆷ kʌrʌ́m(川/現代語で가람)」に相当するものと考える
    「欲乃」の「欲(ヨク/욕)」は「谷(コク・ヨク/골・욕 )」に余計な部首を書き加えただけのもので、もし発音が同じだとすれば「谷」は*jok(ヨク/욕)という珍しい方の読み方(「吐谷渾」の時だけ使われる)で読んだことになる
    さもなくば「谷乃 *koknə̌」を間違って書いたのだろう

    日本書紀に登場する百済が献上した七支刀の材料とした鉄の産地である「谷那(コクナ) *kokna」が「谷乃 *koknə̌」に相当しそうだが、その場所は百済の西にある川を七日以上遡ってたどり着く(臣国以西有水、源出自谷那鐵山、其邈七日行之不及)とあるため、地理知識の錯誤があったと考えなければ成立しえない

  • 17712018/03/18(Sun) 07:10:34ID:E2Nzc2ODQ(89/92)NG通報

    楚離國 *tsʰʌ́ri
    「天嶺郡,本速含郡,景德王改名,今咸陽郡」(咸陽郡咸陽邑)

    馬韓最後の国
    これは三国史記の地名とは関係がなく、当地にある「智異山」の古名である「地理山(디리산)」の「地理 *tírǐ」に対応する
    この考え方だと智異山の南北東西どの土地にも当てはめられそうだが、国々が地理関係の順番に言及されていっているという説を採用しているので、馬韓53番目の「乾馬國」と辰韓1国目「己柢國(已柢國)」の間となるここに候補地が限定される

    ついでに咸陽郡の由来について考察してみる

    「咸」は「含」と同じく「함」と発音することから、咸陽の「咸」は「速含(속함)」の略されたものとわかる
    「陽」は川の北側、もしくは山の南側を指す

    咸陽の市街地の南には渭川(위천)がある
    しかし「渭」は固有名詞にのみ使われる意味を持たない漢字であり、これを固有語だととらえれば渭川とは単に”上の川”という意味なので「咸」「速含」とは結び付かない

    咸陽の北には白巌山(백암산)が存在する
    おそらくこいつが「速含(속함)」の正体だろう
    日本語で「白」は「シロ」または「シラ」と読み、新羅の都・徐羅伐の「徐羅」とはその別名である金城の「金」に対応しこれらは関係があるということは以前にも述べた
    「白巌」もまた、本当は頭だけこの新羅語なのか倭語なのか釈然としない固有語で訓読して「*sjəγam(ショガム/셔함)」のように発音したのではないだろうか
    それが訛って「速含 *sokham(ソカム/속함)」となり、更に略されて「咸 *ham(ハム/함)」になり、その南にある郡なので「咸陽郡」というわけである

  • 178名無し2018/03/18(Sun) 18:13:00ID:kxOTY5NDA(9/9)NG通報

    >>176

    七支刀(ななつさやのたち)に刻まれている、銘文の表・裏(369年説を採っている方の翻訳)です。

    泰和四年□月十一日丙午正陽造百練釦(鋼?)七支刀□辟百兵宜供候王□□□□作(以上表)、先世以来末有此刃百水慈(済)王(?)世子(?)奇生聖音故為倭王旨造傅□世(以上裏)となり、表には、「泰和四年(東晋海西公の太和四年、369)某(正か四か五)月十一日の純陽日中の時に、百練の鉄の七支(枝)刀を作る。以って百兵を辟除し、候王の供用とするのに宜しい。某(あるいは工房)これを作る」と記し、裏には「先世以来未だ見なかったこのような刀を、百済王と太子とは、生命を御恩に依存しているが故に、倭王の御旨によって造った。願わくはこの刀の永く後世伝わるように」


    『日本書紀』によれば、神功皇后52年九月丙子の条に、百済の肖古王(生年未詳 - 214年)が日本の使者、千熊長彦に会い、七支刀一口、七子鏡一面、及び種々の重宝を献じて、友好を願ったと書かれている。 

    「臣が國の西に水有り。源は谷那の鐵山より出づ。其の彡止貌きこと七日行きて及らず。當に是の水を飮み、便に是の山の鐵を取りて、永に聖朝に奉らむ。」乃ち孫枕流王に謂りて曰く、「今、我通ふ所の、海の東の貴國は、是天の啓きたまふ所なり。是を以て、天恩を垂れて、海の西を割きて我に賜へり。是に由りて、國の基永に固し。汝當善く和好を脩め、土物を聚斂めて、奉貢ること絶えずは、死と雖も何の恨みかあらむ。」

    日本書紀(720年)は、百済滅亡(660年)後、白村江の戦い(663年)が終った後ですから、事実とは違うセンチメンタルな表現になったんじゃないでしょうか。亡き百済の古都の熊津、《白村江(錦江)》を西の川に見立てて、百済を偲んだ表現かも知れないと思いました

  • 179coolieinblue2018/03/19(Mon) 00:01:12ID:k0OTU2NTU(1/7)NG通報

    일본은 이런 의미 없는 연구를 하면 누가 돈 주는 사람이 있는가?

    한반도의 역사를 보면 삼한과 삼국의 역사에 전혀 연결고리가 없다는 것이다.

    대가야(금관가야)의 유물을 보면 왠지 돌궐(突厥族) 냄새가 난다. 돌궐족이 고대 브리야트족을 노예로 삼아 왔을 수도.

    삼한의 주축 민족인 전생인류(Neanderthal)가 즉 인디언들이 지금의 만주지역에 살다가... 철기문명을 습득한 부여족 말갈족등에게 대부분 죽임을 당하거나, 노예로 살거나, 아니면 인간이 살수 없는 한반도 남쪽으로 도주한 것이다. 물론 저족(氐族)들이 그 이전에 한반도에 살았을 가능성을 배제할 수 없다.
    그 이후 한반도에는 일부 한족 저족 선비족등의 패주민 들이 들어 온 것이다.
    돌궐족들이 弁辰지역에 들어와 전생인류(Neanderthal)들을 노예로 삼아 근근히 생명을 부지하고 있었고..
    마한지역서는 氐族들이 Neanderthal을 노예로 삼아 생활하고 있었다.
    여진족이 들어 오면서 변진 지역의 돌궐인 왜인들을 몰아낸 것이 한반도 역사의 발단이다.

    지금의 한국인은 조선 이전의 역사와는 아무런 관련이 없다.

    우리 아버지가 Roman roads를 채찍을 맞아가며 피흘려 건설했다고 말할 수 있는가?

    나의 문화유산답사기???????? 왜인들 중국인들이 만든 것을 책을 써서 왜 돈 벌려고 하는가?
    범죄자 심리이다.


    石窟庵만이 유일한 한반도인들의 유산이다. 선비족은 그래도 이 땅에 눌러 앉아 살았쟎는가? 물론도망갈 곳이 없었겠지만.

  • 180coolieinblue2018/03/19(Mon) 00:10:07ID:k0OTU2NTU(2/7)NG通報

    왜인들 돌궐인들 백제 멸망이후에 전부 섬나라 일본으로 도망갔다. 일부는 노예들을 이끌고 탈주했을 것이다.
    즉 한국인의 많은 사람은 neanderthal의 유전자가 prevail하고 있다는 것을 말하고자 한다. 15%정도? 인간과 원숭이의 중간. 머리가 나쁘다. 범죄형이 많다. 뉘우칠 줄을 모른다.

  • 181coolieinblue2018/03/19(Mon) 00:14:50ID:k0OTU2NTU(3/7)NG通報

    일본인들에게는 5% 정도 되는 것 같다. 세계에서 제일 적을 수도.

  • 182名無し2018/03/19(Mon) 00:50:27ID:U3OTg2MDg(5/5)NG通報

    >>179
    これは決して意味のない研究ではないと思う。
    もし古代の朝鮮の国々の地域が特定されれば古代史にとって、大きな意味を持つと思う。

  • 183coolieinblue2018/03/19(Mon) 01:20:44ID:k0OTU2NTU(4/7)NG通報

    >>182
    언어로 어떤 민족의 root를 추적하는 것은 말이 안된다. 수십년 전에 어떤 인도학자에서 밝혀지지 않았는가?

    본인은 언어에 대해 잘 모르지만 모든 세계언어가 놀라울 정도로 공통적인 root를 가지고 있슴을 보았슴. 원숭이에서 부터 시작된 것임. 민족을 결정하는 root가 아님. titles, entries 임. 언어로 민족을 추적할 때는 그 민족의 특징(characteristics)를 같이 고려해야 한다. 이 겨우 100% 일치가능.

    영하 40도 이하, 여름에는 늪지로 돌변 적어도 두달간은 공기가 반 모기가 반인 곳에서 살다가... 지금의 연해주 만주지역으로 내려 온 사람들이 한국인의 조상이다.

    그 후 다른 민족을에 쫓겨 지금의 한반도 중남부로 도망 온 것이다. 농경 목축 수렵 모든 것이 불가능한 지역으로 왜 왔겠는가? 죽지않기 위해 피신한 것이다.

    역사를 이야기할 때 신기한 것을 쫓으면 안된다. 사마천(司馬遷)이 2100년전에 하신 말씀이다.

  • 184coolieinblue2018/03/19(Mon) 01:23:06ID:k0OTU2NTU(5/7)NG通報

    참고....
    시베리아 툰드라 지역에 살다가 남하했을 것임. 일부는 알래스카로 가고.

  • 185coolieinblue2018/03/19(Mon) 01:48:52ID:k0OTU2NTU(6/7)NG通報

    본인은 언어에 대해 잘 모르지만 모든 세계언어가 놀라울 정도로 공통적인 root를 가지고 있슴을 보았슴. 원숭이에서 부터 시작된 것임. 민족을 결정하는 root가 아님. titles, entries 임. 언어로 민족을 추적할 때는 그 민족의 특징(characteristics)를 같이 고려해야 한다. 이 겨우 100% 일치가능.
    =>

    본인은 언어에 대해 잘 모르지만 모든 세계 언어가 놀라울 정도로 공통적인 root를 가지고 있슴을 보았슴. 원숭이에서 부터 시작된 것임. 민족을 결정하는 clue는 언어가 아님. 언어는 tiltes, entires에 불과함. 언어로 민족의 원류를 추적할 때는 그 민족의 특징(characteristics)를 같이 고려해야 한다. 이 경우 100% 일치가능.

  • 186coolieinblue2018/03/19(Mon) 02:02:08ID:k0OTU2NTU(7/7)NG通報

    titles, entires => title, entries

    만취상태임을 용서해주시길 바랍니다.

  • 18712018/03/19(Mon) 02:52:14ID:Y3MzY5MjI(90/92)NG通報

    吏読辞典を読んで調べていたら>>177に追加訂正すべき情報がでてきました

    「白」は吏読では謙譲の動詞「申し上げる」や謙譲の助動詞「~いたす」の意味でつかわれており(上古日本語の「マヲス(白す)」とほぼ同じ)、動詞としては「ᄉᆞᇕ다 sʌrβ-」、助動詞としては「ᅀᆞᇦ다 zʌβ-」といった
    動詞語幹「ᄉᆞᇕ」は時代が下って弱化すると「ᄉᆞᆯ오」となった
    したがって、「白巌山(백암산)」は本来「ᄉᆞᆯ암山」であり「ᄉᆞᆯ암 sʌrγam(サルガム)」が訛って「속함(速含) sokham(ソカム)」となった可能性が高い

    >>178
    ふむ確かに、半島西海岸にあり川が東から西に流れることが一般的な百済地域において「国の西」に川があるという状況は限られてきます
    泗沘のことを百済の「国」だとするなら錦江がその西にあり、その上流は南方へ向かって山奥を流れていて源流が分かりにくい
    谷那が欲乃であるというのは確定ではありませんが、錦江の最上流であると誤認する程百済王都から遠く離れて地理情報があやふやだったという事はありえます

    >>179-181
    完全に趣味の自由研究
    論争が終わることのない邪馬台国と卑弥呼の問題に対し一つの解決策を思いついた
    倭に関しても三韓に関しても同じやり方が通用することを示さなければこれは完成しません

    あとですね
    ネアンデルタール人は東アジアにはもともと住んでいませんよ
    朝鮮半島における最初の人類は旧石器時代の現生のホモ・サピエンス(に5%程度のネアンデルタール人が混血)
    それも一時無人状態になり、8000~7000年前に日本列島から北上してきた縄文人が実質上のあなたがたのハルモニであり、ユーラシア大陸から南下してきた遼河文明がハラボジ
    突厥なんてテュルク民族の生息地はかすってもない

  • 18812018/03/19(Mon) 14:39:40ID:Y3MzY5MjI(91/92)NG通報

    己柢國(已柢國) *kə̌te
    「居昌郡,本居烈郡或云居陁,景德王改名,今因之」(居昌郡居昌邑)

    已と己の字は形がよく似ており手書きの古代の文章では間違えられることが多かった
    「已柢」なら*jə̌te(ヨテ/여데)と読み、類似した地名は見つけられない
    しかし「己柢」ならば*kə̌te(コテ/거데)と読んで、「居烈 *kərjel」「居昌 *kətsʰjaŋ」「居陁 *kətʰa」(「陁」は「陀」の異字体)と結び付けることが可能

    ◆◆◆◆
    不斯國 *pə̌sœ
    「星山郡,本一利郡一云里山郡,景德王改名,今加利縣」(高霊郡星山面)

    「不斯 *pə̌sœ」とは倭韓共通語彙「별 pjə̌r(星)」「ホシ(星) pə́sí」そのもの
    これが「星山」の「星」の正体である
    「星山」自体は、日本語「モリ(森) *mǝ́rí」と同源らしき「뫼 mǒi(山)」の祖型と合わせ*pəsœ-mori(ポショモリ/버셔모리)と言っていたと考える(*pəsœ→*pjəsə(前の母音が後ろに影響されれ変化し、後ろの母音が弱化)→pjə̌r(最後の/s/が/r/に変化、後ろの母音が取れて代わりに前の母音が長くなる)、mori→mǒi(途中の/r/が脱落、代わりに母音が長くなる))
    別名の「里山」は字形が似ているために書き間違えた結果生じたものと推察される
    「一利」は「一」を現代朝鮮語の「한」みたいな読み方はせずに”片方”という意味の「짝」の祖型「ᄧᅡᆨ ptsak」に基づいて*ptsari(プツァリ/프차리)と言ったのだと考えれば*pəsœ-moriの縮約されたものと見れないこともない
    「加利」は「加」を「더(もっと、より、さらに、いっそう)」と訓読するのが吏読でのやり方なので、それに従うと*təri(トリ/더리)となる(*ptsariがさらに縮まったものなのかは不明だがなくはないと思う)

  • 18912018/03/19(Mon) 21:49:57ID:Y3MzY5MjI(92/92)NG通報

    弁辰接塗國 *tsjeβdɑ
    「尙州,沾解王時取沙伐國爲州,法興王十一年,梁晉通六年,初置軍主,爲上州,眞興王十八年,州廢,神文王七年,唐垂拱三年,復置,築城周一千一百九步,景德王十六年,改名尙州,今因之」(尚州市)

    尚州にはかつて沙伐国(もしくは沙梁伐国)という国があったという
    元々新羅の勢力圏内にあったが、沾解王の時百済に寝返ろうとしたので新羅が征服したという
    (「沾解王在位 沙梁伐國舊屬我 忽背而歸百濟 于老將兵往討滅之」(『三国史記』卷四十五 列傳 第五 于老))

    本説でこれを辰韓の領域内にあるが辰韓(もしくは辰王)の王権からは独立した弁辰の国々のうちの一つにあてたのも、その記述を反映したものである

    「沙伐」は*sjapər(シャボル/샤벌)と読んで「接塗」の推定音*tsjeβdɑ(チェブダ/졔브다)に対応させる

    ◆◆◆◆
    勤耆國 *kʰɨnpʰɨm
    「嘉猷縣,本近一作巾品縣,景德王改名,今山陽縣」(聞慶市山陽面)

    「勤」は”働く”こと、「耆」は”年寄り”を意味する
    これを訓読して「큰품 kɨ́n-pʰum(大きな労力)」と解釈し(年寄りであるということは年齢が”大きい"ということであり、それまでの働いてきた累計が”大きい”ということでもある)、「近品(근품 kɨnpʰum)」および「巾品(건품 kənpʰum)」に当てはめる
    「품」の古形とアクセントについては確認できなかったが、唇音(ㅁ/ㅂ/ㅍ)に続くㅜは古くはㅡであった場合があることを踏まえ、漢字音の比較から「品」は元々「픔 pʰɨm」と発音したと推定し、「큰품」は古くは「큰픔 *kʰɨ́npʰɨm」だったと考えた

レス投稿

画像をタップで並べ替え / 『×』で選択解除