古代韓国の地図を作ったので韓国人に見てもらいたい

207

16245
  • 1名無し2018/02/07(Wed) 01:46:11ID:AxMDIyNjY通報

    これは今から千八百年ほど昔、三国志魏志東夷伝に伝えられるところの三韓と倭、すなわち今でいう日韓の姿である
    この時代の倭の女王卑弥呼が通交を求めた話が三国史記にも記されており、韓国人にも無縁の歴史ではないだろう
    当時これらの地域には合わせて108もの国々の名前が記録されているのだが、その場所のほとんどは現在では不明となっている
    しかし私はとある法則に従い、それらがどこにあるのかを突き止めることに成功した
    そのやり方は追々説明していくとしてまずは全ての比定地のリストを以下に示したい

    ~馬韓~
    爰襄国(원양국) 黄海南道甕津郡
    牟水国(모수국) 黄海南道海州市
    桑外国(상외국) 黄海北道兎山郡
    小石索国(소석색국) 黄海南道延安郡
    大石索国(대석색국) 開城特級市
    優休牟涿国(우휴모탁국) 仁川広域市江華郡
    臣濆沽国(신분고국) 仁川広域市富平区
    伯済国(백제국) ソウル特別市
    速盧不斯国(속로부사국) 京畿道平沢市振威面
    日華国(일화국) 京畿道安城郡陽城面
    古誕者国(고탄자국) 京畿道安城市竹山面
    古離国(고리국) 京畿道南楊州市榛接邑
    怒藍国(노람국) 江原道原州市
    月支国(월지국) 忠清北道陰城郡
    咨離牟盧国(자리모로국) 大田広域市儒城区
    素謂乾国(소위건국) 忠清北道報恩郡
    古爰国(고원국) 全羅北道南原市
    (以下続く)

  • 1582018/03/04(Sun) 06:24:53ID:A4NDgzNTI(80/96)NG通報

    >>157続き)
    これがどう「牢山」「徒山」に結びつくかと言うと以下の通りである
    まず巻37に記載された県の別名「猿山」の「猿」は日本語なら「サル sarû」と読む
    ところが朝鮮半島には野生の猿は生息しない(>>87参照)
    そのためこれは自動的に音読みされて「원 wən」、もしくは上古音から変化したと考えると*wʌrという発音だったと考えられる
    *wʌrならば、「牢」の訓と考えられる「우리 urí(檻、動物の小屋)」(日本語の「ヲリ(檻) *wə́ri」に酷似する倭韓共通疑惑単語)や「徒」の訓である「무리 *murí(群れ)」(おなじく日本語の「ムレ(群れ) *múre」に酷似する)と音が近い
    (辰韓伝の「相呼為徒(お互いを”徒”と呼び合う)」という記述は実は「무리(群れ=徒)」と「우리 uri(我々)」が似ていて聞き間違えられた事によるのだろう)
    また、鳴梁海峡は別名ウルトルモク(울돌목;”鳴き回る首”)と呼ばれるのでこの中の「울 ur」(「울다 ǔr-(泣く・鳴く)」)もまたそこから来たものと思われる

    要約すると倭語の「狭な *sana "海峡の(土地)"」が「蘇塗 *sɑdɑ」と訛り首長の称号「ニリム(主/王) *nirɨ́m」と合成されて「臣蘇塗國」として記録、「サル(猿) sarû」とも呼ばれたものが漢語に基づいた「猿 *wʌr(ウォル/월)」と言い換えられ、百済時代には「무리(徒)山」、統一新羅時代に「우리(牢)山」と改名された(「嘉興(美しく起こる)」はおそらく「닐다(起こる;現代語では일다)」と「ニリム(主/王) *nirɨ́m」をかけたもの。>>146「大興郡」に同じ)ということである

    なおこの辺りから倭人の影響力はいよいよ強くなっていき「任那」と呼ばれた倭人の支配地域となる
    倭国が百済に割譲した任那四県のうちの「牟婁(むろ)」は「牟盧卑離國」、「娑陀(さだ)」は「臣蘇塗國」に相当する

  • 159名無し2018/03/04(Sun) 17:10:58ID:I5NDQxMjg(3/5)NG通報

    私にはさっぱり分かりませんが、凄いスレになってますね
    驚くばかりです
    こういう分野は言語学についての知識がかなり必要になってくる分野だと思いますが
    やはり>>1さんは韓国語の読み書きができるのでしょうか?
    それともそこまで韓国語の知識がなくとも行えてしまう分野なのでしょうか?

  • 1602018/03/05(Mon) 03:39:41ID:U5MDc1OTA(81/96)NG通報

    「臣蘇塗國」のあとにどういうわけか「莫盧國」が再び現れる
    馬韓の中に二つの同じ名前の国があるとは考えにくいが、一度通り過ぎた場所に再び戻るというのもおかしな話である
    無視して次の「古臘國」に繋げた方が自然な経路となる
    これは複数の一覧を繋ぎ合わせて国名の列挙されている文章を作ったときに重複に気づかずに書いてしまったと考えるしかない

    古臘國 *kɑ̌raβ
    「碣島縣,本百濟阿老縣,景德王改名,今六昌縣」「葛草縣(一云阿老,一云谷野)」(霊光郡郡南面)
    まず「古臘 *kɑ̌raβ」と「阿老 *arǒ(頭子音が脱落し、最後がaβ→au→oと変化)」「碣島 *kartǒ(この場所は島ではないので訓読みではなく単なる借音、より正確には[kadǒ]の様に発音)」が類似
    それに加え、「草」の訓は「플 pʰɨ́r(現代語では풀)」なので「葛草」も*karpʰɨ́r(カルプル/갈플)と読めて近い
    更に「谷野」も訓読すればこれに似る
    「谷」の訓が「골 kór」であることは言うまでもないが、近い意味で”川”の意味の固有語「가람」も古くは「ᄀᆞᄅᆞᆷ kʌrʌ́m」の他「ᄀᆞᄅᆞᆯ kʌrʌ́r」という言い方があり語根は「ᄀᆞᆯ kʌr」の部分だった様である
    (参考論文:http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/51085/1/aall001005.pdf
    「野」に関しても「들(野原)」ではなく
    「펴다(広げる、開く、敷く)」「풀다(解く、晴らす)」「피다(咲く、開く、広げる)」の類語でそれに近い例えば「피다」の古形の一つである「픠다 pʰɨí-」の語幹がかつて*pʰɨ́rでそれが「野」の訓だったとすると「谷野」は*kórpʰɨ́r(コルプル/골플)もしくは*kʌrpʰɨ́r(カルプル/ᄀᆞᆯ플)と読める

    つまりまとめると「古臘 *kɑ̌raβ」は「葛草 *karpʰɨ́r」「谷野 *kórpʰɨ́r~*kʌrpʰɨ́r」の前の部分をとったもの
    それが訛ったのが「阿老 *arǒ」「碣島 *kartǒ」
    「六昌」は由来がよくわからない

    >>159
    韓国の言葉はごく初歩的な簡単なのしか分かりません
    ネットで調べて勉強しながらやってます
    韓国人の言語感覚でこの解釈は自然なのか、それを教えてもらいたくてここに投下しました

  • 1612018/03/06(Tue) 04:00:56ID:A5NjY4Mjg(82/96)NG通報

    臨素半國 *rɨ́msɑ́pár
    「錦山郡,本百濟發羅郡,景德王改名,今羅州牧」「布賢縣,本巴老彌」(羅州市)

    「素半 *sɑ́pár」は「沙泮州,本號尸伊城」の「沙泮 *sjápʰán」に酷似しているが「號尸伊城」は>>149「不彌國」の「號尸伊村」として使用してしまったので重複になってしまう

    それ以外で順路上にある名前の近そうな郡県名から「發羅(発羅) *parra」を「半 *pár」に当てはめた
    おそらくこれは倭語の「ハタ(旗/幡/機/服) *páta」すなわち布のことである
    これが「錦山」の「綿」と「布賢」の「布」とに意味が繋がる
    朝鮮語で”旗”のことを「깃발 kispar」というが、これも「발 pár(簾)」の前に漢字語の「기 ki(旗;中期語では긔 kɯi)」を足し合わせて意味を派生させたものの様だ
    または「베 pe(布地;中期語では뵈 pói)」も古代には*por~pərの様な音だったとするなら(子音rが弱化してjになる朝鮮語では一般的な変化)関連語といえる

    また「巴老彌 *paromi」もそれらに前方は一致する
    現在の言葉で近い音の単語に「바로 밑 paro mitʰ(真下)」というのがあるが、関係があるかはわからない

    最初の「臨 *rɨ́m」はこれまでも頻出した首長の称号「ニリム *nirɨ́m」の前半が略されたもの
    しかし「素 *sɑ́」はよくわからない
    この当たりは合っているのか自信がない

  • 162名無し2018/03/06(Tue) 07:33:13ID:Q3OTEzMTI(1/1)NG通報

    >>156

    言語からのアプローチをされているので参考になるかわかりませんが、御説の考古学的、地質学的な裏付けの一助になるかも知れません。

    ・河内湾(河内湖)
    https://www.suito-osaka.jp/history/history_2.html

    ・奈良湖
    http://tenrikei.com/sokuhou/sok-0020/

    ・四條畷市蔀屋北遺跡(大型船材が出土)
    http://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/maibun/sitomiyakita2.html

    ちなみに、四條畷市や大東市では貝塚の遺跡が大量に発見されています。上記の蔀屋北遺跡から1~2km南にある大東市の野崎観音には昭和初期まで海から船で乗り付けられた事は、昭和初期のヒット曲でも有名なので全国的にも知ってる老人は多いと思います。

  • 1632018/03/07(Wed) 02:42:07ID:YwMjYwNjY(83/96)NG通報

    臣雲新國 *nirɨ́m-wɨr-siɴ~*nirɨ́m-kur-siɴ
    「祁陽縣,本百濟屈支縣,景德王改名,今昌平縣」(潭陽郡昌平面)

    「臣」はこれまで頻出の通り首長称号の「にりむ(主/王) *nirɨ́m」
    「雲」は音訳ではなく意訳である可能性がある
    「구름(雲;中期語では구룸 kúrúm~kúrum、구롬 kúromまたは구ᄅᆞᆷ kúrʌm)」の頭音「굴 kúr」とするなら、「屈支」の「屈」の音と一致し、「祁陽」の「祁(祈る)」の訓になりえそうな「굿 kus(朝鮮半島特有のシャーマニズム、巫俗の儀式)」とも似る
    「祁陽」の「陽」は川(栄山江)の南にあることを意味しており、「屈 kur」は「골 kǒr(谷)」「ᄀᆞᄅᆞᆷ kʌrʌ́m(川)」に通じる

    また「雲」は漢が朝鮮半島に一時的に置いた真番郡の郡治「霅県」の「霅」と通用する様である
    (下の部分がそれぞれ「云」「言」でどちらも”い-う(言う/云う)”;参考:https://blogs.yahoo.co.jp/pikupopodemi/17986350.html
    「霅」は朝鮮語では「삽 sap」とだけ読むが、日本語だと「こう」「しょう」「そう」「とう」と四種類の音読みが、中国語(北京語)にはshà, xiá, zhá, zhàの四種類の読みがありどう読むのが正解かわからない
    http://kanji.jitenon.jp/kanjip/7999.html
    https://en.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%85
    案外どれも正解ではなく、当時の韓語で雲を意味しただろう*kurの音を「『雲』の現地語での「言」(言い方)」と洒落込んで「霅」の字で読ませたという想像もできる

    すなわち霅県があったのはこの現在でいう潭陽郡昌平面である
    この場所は中国大陸の対岸で最南端に近く、また栄山江を遡って内陸部を支配しようとすれば拠点を築くのにうってつけであるため郡治の所在地として不自然ではない
    つまり「臣雲新國」とは一度滅びた霅県(「雲」)を再興させて首長(「臣」)が治める国(「新國」)にしたことを表現したものとなる

    >>162
    大型船材があれば海外との行き来が想定されますが、年代はいつのものでしょうか?
    奈良湖へは大和川を遡行して直接入ることは可能なんですかね?

  • 1642018/03/07(Wed) 05:00:01ID:YwMjYwNjY(84/96)NG通報

    >>163
    >「祁陽」の「陽」は川(栄山江)の南
    間違えた
    正しくは「陽」は川の北なので
    栄山江の支流・甑岩川(증암천)の北

    百済時代の「屈支縣」の「支」はki(キ/기)と読むべきか口蓋化したtsi(チ/지)と読むべきかが判断がつかない
    もしtsiなら「臣雲新國」の「新 *siɴ」に通じないこともないが、
    ”北”の意味ならkiと読んで「위(上)」の古代での形と考えられる日本書紀に登場する韓語「オコシ(上) *okosi」から*(u)giという祖型を想定して「屈支」は「*korgi(コルギ/골기)」と読んで”川・谷の北”を意味したと解釈しうる
    (「南」を「アリシヒ *arisipi」とも読みこれを「아래(下)」の古形とみることからの類推)

    高麗時代の県名「昌平(明るくて平ら)」はあまり関係が無い様だ
    あえていうなら「祁陽」の「陽」からの連想で「昌」を使ったか

  • 1652018/03/08(Thu) 01:22:22ID:EwODUzMDQ(85/96)NG通報

    如來卑離國 *njeroγpɨri
    「陵城郡,本百濟尒陵夫里郡,景德王改名,今因之,領縣二」「尒陵夫里郡(一云竹樹夫里,一云仁夫里)」
    「如來卑離 *njeroγpyri」と「尒陵夫里 *njǐrɨŋpuri~*njǐrəŋpuri」とで類似
    *njeroγpɨriは連声して[ɲeroŋbɨɾi](ニェロンブリ/녜롱브리)と発音されたと考える
    「如來(如来)」は仏教とは関係なく、首長号「にりむ *nirɨ́m」の変形した「尒陵」を音写した
    「仁夫里」の「仁 *njin~zin」、「陵城」の「陵 *rɨŋ~rəŋ」はそれを略したもの
    「竹樹夫里」の「竹樹」は訓で「대나무 tai-namu」と読めば*nirɨ́mと似てなくもない気はするが関連は薄い

    楚山塗卑離國 *tsʰjʌ́sjʌrdɑpɨri
    「鐵冶縣,本百濟實於山縣,景德王改名,今因之」(羅州市南平邑)
    「楚 tsʰjʌ́」と「實於山」の「實於(実於) *tjərə」および「鐵冶(鉄冶) *tʰjərjǎ」とを比較
    合っているのかは確証がない
    「塗」はおそらく別邑の「蘇塗」のことだろうと思われる

  • 166名無し2018/03/08(Thu) 04:34:30ID:E3MDgwMzY(1/1)NG通報

    翻訳が滅茶苦茶の予感

  • 167일본인2018/03/08(Thu) 12:16:09ID:Y4ODE5MDQ(18/18)NG通報

    >>166
    솔직히 말해서 Google 번역으로 읽기 힘들다.

  • 168労働者の責任ではない、税務調査で経営にメスをだって2018/03/15(Thu) 18:23:41ID:U2MTM5NTA(8/9)NG通報

    これ出版するレベルじゃないの。
    出版社の人見てない?

  • 169キツネ様信者2018/03/16(Fri) 01:13:21ID:YyNjM5OTY(1/1)NG通報

    ど〜でもいい糞スレッドのせいで、このスレッドの存在全く気付かなかった。

    >>167日本人でも難しい。

    このまま沈ませたくないので、あげ〜。

  • 170名無し2018/03/16(Fri) 20:56:48ID:kyMjc3MTI(4/5)NG通報

    たぶん専門的すぎて答えられる人は少ないと思います。
    自身でブログを作って誰でもいつでも見られるように公開してみてはどうでしょうか?

  • 171名無し2018/03/17(Sat) 05:30:03ID:kyOTQzMDI(1/1)NG通報

    ブログで公開したあとは、図解で補足を交えて情報を整理してamazonかappleで電子書籍として出版した方がいいと思う。たしかISBNコードは簡単に取得できたはず。

  • 172초속 9cm2018/03/17(Sat) 05:46:12ID:IxMTkwNDg(1/1)NG通報

    뭐지, 이 터무니 없는 스레는..
    너무 굉장하구나.
    이런 건 본 적도 없고, 생각해 본 적도 없어서
    평가나 판단의 범위를 넘어 서 있다.

    일단, 스레주의 연구열에 탄복.
    내용의 과학적 검증, 그런 거 몰라요.
    그럴 능력 없고.

    이 지도의 의미에 대해서 생각해 보는데...역시 머리에 한계를 느끼구나.
    누가 건담에 비유해서 설명해 주세요.

  • 1732018/03/17(Sat) 22:36:17ID:Y2MTg0NDY(86/96)NG通報

    ちょっと中だるみしました
    再開してきましょう
    完成度がまだまだなので最初に列挙した部分から変える部分も出てきます

    >>168
    全て書けたら高句麗語とか邪馬台国関係のプロの研究者にも見せたいですね
    参考にした論文書いた人とか

    >>171
    全部書き終わったら整理してどこかでまとめて公開したいと思います
    今時だと何形式のファイルがいいですかね?
    電子書籍って無料配布されてるソフトで作れるんでしょうか?

    >>172
    吏読が使われなくなり訓読みの文化が消えてしまったせいで一般の韓国人は漢字を音読みするしかできなくなってしまい三国時代の地名の意味について直感的な理解ができなくなってしまった
    ガンダムでいうところの黒歴史ですな

  • 1742018/03/17(Sat) 23:26:39ID:Y2MTg0NDY(87/96)NG通報

    翻訳がめちゃくちゃになってるのに対して行を開けると別言語と認識させる境界ができるようなので試してみます

    ◆◆◆◆
    一難國 *iγnar [ìŋnàr]
    「珍島縣,本百濟因珍島郡,景德王改名,今因之」(珍島郡珍島邑)

    珍島のことを百済時代には因珍島と言った
    「因珍」は*intɨr(インドゥル/인들)と読んで、一難 *iγnar [ìŋnàr](インナル/잉날)から変化したもの

    ◆◆◆◆
    狗奚國 *kǔγe [kǔγɛ̀]
    「馬邑縣,本百濟古馬旀知縣,景德王改名,今遂寧縣」(長興郡長興面)

    日本書紀に「古奚津(コケイノツ)」として登場する
    済州島に比定される忱彌多禮(トムタレ)を攻めたときの出港地点

    「旀」は「彌(弥)」の異字体であり、古馬旀知は*komamiti(コマミティ~コマミディ/고마미디)と読む
    「古馬 koma」とは「곰 kǒm(熊)」のことだが、同時に大きな動物全般を指していたと考えられる
    そうすると「馬邑」の「馬」の意味も理解できるし、日本語でも馬のことを「コマ(駒) koma」とも呼んでいた理由にもなる

    「旀知 miti」は>>25で言った”川”の意味の「彌凍 mitoɴ」と同じもの
    遂寧の「遂」には”やりとげる、なしとげる”という意味があるので、目的の事物にたどり着くという意味では「道(ミチ) mítí」や「및 mitsʰ(~および)」「및다 mìtsʰ-(及ぶ;現代語では미치다)」とはもしかしたら関係しているかもしれない

    「奚」はこれ単独では意味を為さないが、部首を書き加えて「溪(渓)」とすれば谷川の意味となり、上記とは意味が一致する

  • 175DD2018/03/18(Sun) 01:59:21ID:MyNDc5MTY(1/1)NG通報

    학술대회가 열렸구만.

  • 17612018/03/18(Sun) 03:07:34ID:E2Nzc2ODQ(88/96)NG通報

    不雲國 *pəwɨr[pə̀ùr] (~*pəkur)
    「寶城郡,本百濟伏忽郡,景德王改名,今因之」(宝城郡宝城邑)

    「忽 *hor」は"城"の意、
    なので「伏忽 *pukhor」と「寶城(宝城) *pǒhor」は同一の言葉である
    「不雲」はそのまま*pəwɨr[pə̀ùr]と読んでも近いが、「雲」を「kur(クル/굴)」と訓読みすると(>>163参照)、*pəkur(ポグル/버굴)となってより近くなる

    ◆◆◆◆
    不斯濆邪國 *pəsœpɨrjɑ
    「栢舟縣,本百濟比史縣,景德王改名,今泰江縣」(宝城郡筏橋邑)
    「分嶺郡,本百濟分嵯郡,景德王改名,今樂安郡」「分嵯郡(一云夫沙)」「分嵯州,本波知城」(順天市楽安面)

    「不斯」と「濆邪」の二つの地域からなる合体地名
    「不斯 *pəsœ」は「比史 *pis」「栢舟 *petsu」、「濆邪 *pɨrjɑ」は「分嵯 *pɨrtsʰi」「分嶺 *pɨrrjeɴ」「夫沙 *pusja」「波知 *pati」それぞれに対応
    高麗時代の郡県名の由来については不明

    ◆◆◆◆
    乾馬國 *karma~γʌrmǎ
    「谷城郡,本百濟欲乃郡,景德王改名,今因之」(谷城郡谷城邑)

    「谷城」の「谷」の訓を「골 kǒr」または「ᄀᆞᆯ kʌr」とし(>>160参照)、「乾馬 *karma」は「ᄀᆞᄅᆞᆷ kʌrʌ́m(川/現代語で가람)」に相当するものと考える
    「欲乃」の「欲(ヨク/욕)」は「谷(コク・ヨク/골・욕 )」に余計な部首を書き加えただけのもので、もし発音が同じだとすれば「谷」は*jok(ヨク/욕)という珍しい方の読み方(「吐谷渾」の時だけ使われる)で読んだことになる
    さもなくば「谷乃 *koknə̌」を間違って書いたのだろう

    日本書紀に登場する百済が献上した七支刀の材料とした鉄の産地である「谷那(コクナ) *kokna」が「谷乃 *koknə̌」に相当しそうだが、その場所は百済の西にある川を七日以上遡ってたどり着く(臣国以西有水、源出自谷那鐵山、其邈七日行之不及)とあるため、地理知識の錯誤があったと考えなければ成立しえない

  • 17712018/03/18(Sun) 07:10:34ID:E2Nzc2ODQ(89/96)NG通報

    楚離國 *tsʰʌ́ri
    「天嶺郡,本速含郡,景德王改名,今咸陽郡」(咸陽郡咸陽邑)

    馬韓最後の国
    これは三国史記の地名とは関係がなく、当地にある「智異山」の古名である「地理山(디리산)」の「地理 *tírǐ」に対応する
    この考え方だと智異山の南北東西どの土地にも当てはめられそうだが、国々が地理関係の順番に言及されていっているという説を採用しているので、馬韓53番目の「乾馬國」と辰韓1国目「己柢國(已柢國)」の間となるここに候補地が限定される

    ついでに咸陽郡の由来について考察してみる

    「咸」は「含」と同じく「함」と発音することから、咸陽の「咸」は「速含(속함)」の略されたものとわかる
    「陽」は川の北側、もしくは山の南側を指す

    咸陽の市街地の南には渭川(위천)がある
    しかし「渭」は固有名詞にのみ使われる意味を持たない漢字であり、これを固有語だととらえれば渭川とは単に”上の川”という意味なので「咸」「速含」とは結び付かない

    咸陽の北には白巌山(백암산)が存在する
    おそらくこいつが「速含(속함)」の正体だろう
    日本語で「白」は「シロ」または「シラ」と読み、新羅の都・徐羅伐の「徐羅」とはその別名である金城の「金」に対応しこれらは関係があるということは以前にも述べた
    「白巌」もまた、本当は頭だけこの新羅語なのか倭語なのか釈然としない固有語で訓読して「*sjəγam(ショガム/셔함)」のように発音したのではないだろうか
    それが訛って「速含 *sokham(ソカム/속함)」となり、更に略されて「咸 *ham(ハム/함)」になり、その南にある郡なので「咸陽郡」というわけである

  • 178名無し2018/03/18(Sun) 18:13:00ID:kxOTY5NDA(9/9)NG通報

    >>176

    七支刀(ななつさやのたち)に刻まれている、銘文の表・裏(369年説を採っている方の翻訳)です。

    泰和四年□月十一日丙午正陽造百練釦(鋼?)七支刀□辟百兵宜供候王□□□□作(以上表)、先世以来末有此刃百水慈(済)王(?)世子(?)奇生聖音故為倭王旨造傅□世(以上裏)となり、表には、「泰和四年(東晋海西公の太和四年、369)某(正か四か五)月十一日の純陽日中の時に、百練の鉄の七支(枝)刀を作る。以って百兵を辟除し、候王の供用とするのに宜しい。某(あるいは工房)これを作る」と記し、裏には「先世以来未だ見なかったこのような刀を、百済王と太子とは、生命を御恩に依存しているが故に、倭王の御旨によって造った。願わくはこの刀の永く後世伝わるように」


    『日本書紀』によれば、神功皇后52年九月丙子の条に、百済の肖古王(生年未詳 - 214年)が日本の使者、千熊長彦に会い、七支刀一口、七子鏡一面、及び種々の重宝を献じて、友好を願ったと書かれている。 

    「臣が國の西に水有り。源は谷那の鐵山より出づ。其の彡止貌きこと七日行きて及らず。當に是の水を飮み、便に是の山の鐵を取りて、永に聖朝に奉らむ。」乃ち孫枕流王に謂りて曰く、「今、我通ふ所の、海の東の貴國は、是天の啓きたまふ所なり。是を以て、天恩を垂れて、海の西を割きて我に賜へり。是に由りて、國の基永に固し。汝當善く和好を脩め、土物を聚斂めて、奉貢ること絶えずは、死と雖も何の恨みかあらむ。」

    日本書紀(720年)は、百済滅亡(660年)後、白村江の戦い(663年)が終った後ですから、事実とは違うセンチメンタルな表現になったんじゃないでしょうか。亡き百済の古都の熊津、《白村江(錦江)》を西の川に見立てて、百済を偲んだ表現かも知れないと思いました

  • 179coolieinblue2018/03/19(Mon) 00:01:12ID:k0OTU2NTU(1/7)NG通報

    일본은 이런 의미 없는 연구를 하면 누가 돈 주는 사람이 있는가?

    한반도의 역사를 보면 삼한과 삼국의 역사에 전혀 연결고리가 없다는 것이다.

    대가야(금관가야)의 유물을 보면 왠지 돌궐(突厥族) 냄새가 난다. 돌궐족이 고대 브리야트족을 노예로 삼아 왔을 수도.

    삼한의 주축 민족인 전생인류(Neanderthal)가 즉 인디언들이 지금의 만주지역에 살다가... 철기문명을 습득한 부여족 말갈족등에게 대부분 죽임을 당하거나, 노예로 살거나, 아니면 인간이 살수 없는 한반도 남쪽으로 도주한 것이다. 물론 저족(氐族)들이 그 이전에 한반도에 살았을 가능성을 배제할 수 없다.
    그 이후 한반도에는 일부 한족 저족 선비족등의 패주민 들이 들어 온 것이다.
    돌궐족들이 弁辰지역에 들어와 전생인류(Neanderthal)들을 노예로 삼아 근근히 생명을 부지하고 있었고..
    마한지역서는 氐族들이 Neanderthal을 노예로 삼아 생활하고 있었다.
    여진족이 들어 오면서 변진 지역의 돌궐인 왜인들을 몰아낸 것이 한반도 역사의 발단이다.

    지금의 한국인은 조선 이전의 역사와는 아무런 관련이 없다.

    우리 아버지가 Roman roads를 채찍을 맞아가며 피흘려 건설했다고 말할 수 있는가?

    나의 문화유산답사기???????? 왜인들 중국인들이 만든 것을 책을 써서 왜 돈 벌려고 하는가?
    범죄자 심리이다.


    石窟庵만이 유일한 한반도인들의 유산이다. 선비족은 그래도 이 땅에 눌러 앉아 살았쟎는가? 물론도망갈 곳이 없었겠지만.

  • 180coolieinblue2018/03/19(Mon) 00:10:07ID:k0OTU2NTU(2/7)NG通報

    왜인들 돌궐인들 백제 멸망이후에 전부 섬나라 일본으로 도망갔다. 일부는 노예들을 이끌고 탈주했을 것이다.
    즉 한국인의 많은 사람은 neanderthal의 유전자가 prevail하고 있다는 것을 말하고자 한다. 15%정도? 인간과 원숭이의 중간. 머리가 나쁘다. 범죄형이 많다. 뉘우칠 줄을 모른다.

  • 181coolieinblue2018/03/19(Mon) 00:14:50ID:k0OTU2NTU(3/7)NG通報

    일본인들에게는 5% 정도 되는 것 같다. 세계에서 제일 적을 수도.

  • 182名無し2018/03/19(Mon) 00:50:27ID:U3OTg2MDg(5/5)NG通報

    >>179
    これは決して意味のない研究ではないと思う。
    もし古代の朝鮮の国々の地域が特定されれば古代史にとって、大きな意味を持つと思う。

  • 183coolieinblue2018/03/19(Mon) 01:20:44ID:k0OTU2NTU(4/7)NG通報

    >>182
    언어로 어떤 민족의 root를 추적하는 것은 말이 안된다. 수십년 전에 어떤 인도학자에서 밝혀지지 않았는가?

    본인은 언어에 대해 잘 모르지만 모든 세계언어가 놀라울 정도로 공통적인 root를 가지고 있슴을 보았슴. 원숭이에서 부터 시작된 것임. 민족을 결정하는 root가 아님. titles, entries 임. 언어로 민족을 추적할 때는 그 민족의 특징(characteristics)를 같이 고려해야 한다. 이 겨우 100% 일치가능.

    영하 40도 이하, 여름에는 늪지로 돌변 적어도 두달간은 공기가 반 모기가 반인 곳에서 살다가... 지금의 연해주 만주지역으로 내려 온 사람들이 한국인의 조상이다.

    그 후 다른 민족을에 쫓겨 지금의 한반도 중남부로 도망 온 것이다. 농경 목축 수렵 모든 것이 불가능한 지역으로 왜 왔겠는가? 죽지않기 위해 피신한 것이다.

    역사를 이야기할 때 신기한 것을 쫓으면 안된다. 사마천(司馬遷)이 2100년전에 하신 말씀이다.

  • 184coolieinblue2018/03/19(Mon) 01:23:06ID:k0OTU2NTU(5/7)NG通報

    참고....
    시베리아 툰드라 지역에 살다가 남하했을 것임. 일부는 알래스카로 가고.

  • 185coolieinblue2018/03/19(Mon) 01:48:52ID:k0OTU2NTU(6/7)NG通報

    본인은 언어에 대해 잘 모르지만 모든 세계언어가 놀라울 정도로 공통적인 root를 가지고 있슴을 보았슴. 원숭이에서 부터 시작된 것임. 민족을 결정하는 root가 아님. titles, entries 임. 언어로 민족을 추적할 때는 그 민족의 특징(characteristics)를 같이 고려해야 한다. 이 겨우 100% 일치가능.
    =>

    본인은 언어에 대해 잘 모르지만 모든 세계 언어가 놀라울 정도로 공통적인 root를 가지고 있슴을 보았슴. 원숭이에서 부터 시작된 것임. 민족을 결정하는 clue는 언어가 아님. 언어는 tiltes, entires에 불과함. 언어로 민족의 원류를 추적할 때는 그 민족의 특징(characteristics)를 같이 고려해야 한다. 이 경우 100% 일치가능.

  • 186coolieinblue2018/03/19(Mon) 02:02:08ID:k0OTU2NTU(7/7)NG通報

    titles, entires => title, entries

    만취상태임을 용서해주시길 바랍니다.

  • 18712018/03/19(Mon) 02:52:14ID:Y3MzY5MjI(90/96)NG通報

    吏読辞典を読んで調べていたら>>177に追加訂正すべき情報がでてきました

    「白」は吏読では謙譲の動詞「申し上げる」や謙譲の助動詞「~いたす」の意味でつかわれており(上古日本語の「マヲス(白す)」とほぼ同じ)、動詞としては「ᄉᆞᇕ다 sʌrβ-」、助動詞としては「ᅀᆞᇦ다 zʌβ-」といった
    動詞語幹「ᄉᆞᇕ」は時代が下って弱化すると「ᄉᆞᆯ오」となった
    したがって、「白巌山(백암산)」は本来「ᄉᆞᆯ암山」であり「ᄉᆞᆯ암 sʌrγam(サルガム)」が訛って「속함(速含) sokham(ソカム)」となった可能性が高い

    >>178
    ふむ確かに、半島西海岸にあり川が東から西に流れることが一般的な百済地域において「国の西」に川があるという状況は限られてきます
    泗沘のことを百済の「国」だとするなら錦江がその西にあり、その上流は南方へ向かって山奥を流れていて源流が分かりにくい
    谷那が欲乃であるというのは確定ではありませんが、錦江の最上流であると誤認する程百済王都から遠く離れて地理情報があやふやだったという事はありえます

    >>179-181
    完全に趣味の自由研究
    論争が終わることのない邪馬台国と卑弥呼の問題に対し一つの解決策を思いついた
    倭に関しても三韓に関しても同じやり方が通用することを示さなければこれは完成しません

    あとですね
    ネアンデルタール人は東アジアにはもともと住んでいませんよ
    朝鮮半島における最初の人類は旧石器時代の現生のホモ・サピエンス(に5%程度のネアンデルタール人が混血)
    それも一時無人状態になり、8000~7000年前に日本列島から北上してきた縄文人が実質上のあなたがたのハルモニであり、ユーラシア大陸から南下してきた遼河文明がハラボジ
    突厥なんてテュルク民族の生息地はかすってもない

  • 18812018/03/19(Mon) 14:39:40ID:Y3MzY5MjI(91/96)NG通報

    己柢國(已柢國) *kə̌te
    「居昌郡,本居烈郡或云居陁,景德王改名,今因之」(居昌郡居昌邑)

    已と己の字は形がよく似ており手書きの古代の文章では間違えられることが多かった
    「已柢」なら*jə̌te(ヨテ/여데)と読み、類似した地名は見つけられない
    しかし「己柢」ならば*kə̌te(コテ/거데)と読んで、「居烈 *kərjel」「居昌 *kətsʰjaŋ」「居陁 *kətʰa」(「陁」は「陀」の異字体)と結び付けることが可能

    ◆◆◆◆
    不斯國 *pə̌sœ
    「星山郡,本一利郡一云里山郡,景德王改名,今加利縣」(高霊郡星山面)

    「不斯 *pə̌sœ」とは倭韓共通語彙「별 pjə̌r(星)」「ホシ(星) pə́sí」そのもの
    これが「星山」の「星」の正体である
    「星山」自体は、日本語「モリ(森) *mǝ́rí」と同源らしき「뫼 mǒi(山)」の祖型と合わせ*pəsœ-mori(ポショモリ/버셔모리)と言っていたと考える(*pəsœ→*pjəsə(前の母音が後ろに影響されれ変化し、後ろの母音が弱化)→pjə̌r(最後の/s/が/r/に変化、後ろの母音が取れて代わりに前の母音が長くなる)、mori→mǒi(途中の/r/が脱落、代わりに母音が長くなる))
    別名の「里山」は字形が似ているために書き間違えた結果生じたものと推察される
    「一利」は「一」を現代朝鮮語の「한」みたいな読み方はせずに”片方”という意味の「짝」の祖型「ᄧᅡᆨ ptsak」に基づいて*ptsari(プツァリ/프차리)と言ったのだと考えれば*pəsœ-moriの縮約されたものと見れないこともない
    「加利」は「加」を「더(もっと、より、さらに、いっそう)」と訓読するのが吏読でのやり方なので、それに従うと*təri(トリ/더리)となる(*ptsariがさらに縮まったものなのかは不明だがなくはないと思う)

  • 18912018/03/19(Mon) 21:49:57ID:Y3MzY5MjI(92/96)NG通報

    弁辰接塗國 *tsjeβdɑ
    「尙州,沾解王時取沙伐國爲州,法興王十一年,梁晉通六年,初置軍主,爲上州,眞興王十八年,州廢,神文王七年,唐垂拱三年,復置,築城周一千一百九步,景德王十六年,改名尙州,今因之」(尚州市)

    尚州にはかつて沙伐国(もしくは沙梁伐国)という国があったという
    元々新羅の勢力圏内にあったが、沾解王の時百済に寝返ろうとしたので新羅が征服したという
    (「沾解王在位 沙梁伐國舊屬我 忽背而歸百濟 于老將兵往討滅之」(『三国史記』卷四十五 列傳 第五 于老))

    本説でこれを辰韓の領域内にあるが辰韓(もしくは辰王)の王権からは独立した弁辰の国々のうちの一つにあてたのも、その記述を反映したものである

    「沙伐」は*sjapər(シャボル/샤벌)と読んで「接塗」の推定音*tsjeβdɑ(チェブダ/졔브다)に対応させる

    ◆◆◆◆
    勤耆國 *kʰɨnpʰɨm
    「嘉猷縣,本近一作巾品縣,景德王改名,今山陽縣」(聞慶市山陽面)

    「勤」は”働く”こと、「耆」は”年寄り”を意味する
    これを訓読して「큰품 kɨ́n-pʰum(大きな労力)」と解釈し(年寄りであるということは年齢が”大きい"ということであり、それまでの働いてきた累計が”大きい”ということでもある)、「近品(근품 kɨnpʰum)」および「巾品(건품 kənpʰum)」に当てはめる
    「품」の古形とアクセントについては確認できなかったが、唇音(ㅁ/ㅂ/ㅍ)に続くㅜは古くはㅡであった場合があることを踏まえ、漢字音の比較から「品」は元々「픔 pʰɨm」と発音したと推定し、「큰품」は古くは「큰픔 *kʰɨ́npʰɨm」だったと考えた

  • 190걱정마라.2018/04/29(Sun) 14:10:11ID:kxNTAyOTM(1/2)NG通報

    >>1

    누가 그렇게 위치를 비정했어? 웃음. 한사군은 정작 중국 25사에서는 그 위치가 한반도와 별개로 나오는.

    반박 끝.

  • 191名無し2018/04/29(Sun) 14:16:46ID:MxNTUyNzQ(1/2)NG通報

    >>190
    素直で笑った。けど、反証材料を出さなきゃ誰も見向きもしませんよ?

  • 192名無し2018/04/29(Sun) 14:18:25ID:IzNTE3NzA(1/3)NG通報

    솔직히 내 생각에 한사군은 한반도에 존재하였음이 사실이며, 학계에서도 그렇게 생각하는 사람들이 많다. 학교에서도 한사군이 평안도와 황해도에 있었다고 배웠다.
    그나저다 馬韓, 弁韓, 辰韓의 구분 기준이나 근거가 대체 뭘까? 저렇게 많은 소국들이 각기 존재하였는데 말이다.

  • 193걱정마라.2018/04/29(Sun) 14:20:27ID:kxNTAyOTM(2/2)NG通報

    >>191

    樂浪郡故朝鮮國也在遼東 -한서지리지-

    낙랑군은 요동에 있다라고 나오는. 그리고 뿐만 아니라 중국 25사를 찾아봐도 한사군이 한반도에 있었다는 것은 찾아 볼 수 없다.

  • 194名無し2018/04/29(Sun) 14:20:32ID:MxNTUyNzQ(2/2)NG通報

    >>192
    楽浪郡は現在の平壌、帯方郡は現在のソウルの辺りに置かれていたと日本では教えられているのだが。韓国での教育と合致するか? 興味が有る。

  • 195名無し2018/04/30(Mon) 00:18:47ID:c2NDEwNDA(1/1)NG通報

    >>193

    中国の古代王朝の行政の区域はかなり詳細に分かっていて、古代と現代の地名で場所が確定している土地を除けば、必然的に、漢四郡は現代の北朝鮮と韓国の地域にある事になるんですよ。何しろ、遼東半島までは、周王朝時代から燕が支配していたので。

    満州の方の地名も不確定ですが、倭国が前漢時代には現代の北京、後漢時代には漢四郡と交流を持っていたと漢書や後漢書に記述されているので、漢四郡は北朝鮮と韓国の領域になければ、倭国が満州ルートで漢と交流するというあり得ない事になってしまうのです。

  • 196名無し2018/04/30(Mon) 02:01:15ID:U3NzU5MDA(2/3)NG通報

    >>179
    자신들만의 문화나 나라를 멀쩡히 형성했었던 남의 민족들을 왜 끌여들여?

  • 197名無し2018/04/30(Mon) 02:03:06ID:U3NzU5MDA(3/3)NG通報

    >>180
    한 나라의 백성들이 전부 다른 나라로 이주한다는 것이 말이 되냐?? 지금도 불가능한 일인데?

  • 19812018/04/30(Mon) 14:38:08ID:gzMTIzNDA(93/96)NG通報

    久しぶりに再開します
    めんどくさくなって申し訳ないです

    ◆◆◆◆
    弁辰古資彌凍國 *kɑ̌tsœmitoɴ
    「玉馬縣,本高句麗古斯馬縣,景德王改名,今奉化縣」(奉化郡奉化邑)

    「玉馬」と「古斯馬」とが対応
    「玉」は「구슬 kusɨr」なので「古斯 kosʌ」に近接、「*古資 kɑ̌tsœ」とも近い

    ◆◆◆◆
    弁辰古淳是國 *kɑ̌dyrdi
    「古昌郡,本古陁耶郡,景德王改名,今安東府」(安東市)

    「古昌 kotsjaŋ」「古陁耶 kotaja」を「古淳是 *kɑ̌dyrdi」と同一と看做す

    ◆◆◆◆
    冉奚國 *njemγe
    「慈仁縣,本奴斯火縣,景德王改名,今因之 」(慶山市慈仁面)

    「慈仁 tsʌzin」を首長称号の「主(ニリム *nirɨm)」の転だと考え「冉 *njem」と対応させ、「冉奚」を「主の土地」と解釈する
    「奴斯火」の「奴斯 nos」は倭語の「ヌシ(主) nusi」ではないだろうか

  • 199名無し2018/04/30(Mon) 14:40:50ID:g3NjcwMDA(1/4)NG通報

    このスレッドはもっと評価高くていいと思うのだが、変な工作に埋もれがちでちょっと寂しい。

  • 20012018/05/01(Tue) 07:33:19ID:c1MTgyMzg(94/96)NG通報

    弁樂奴國 *pœ́rraγnɑ
    「高靈郡,本大加耶國,自始祖伊珍阿豉王(一云內珍朱智)至道設智王凡十六世五百二十年,眞興大王侵滅之,以其地爲大加耶郡,景德王改名,今因之」(陜川郡陜川邑)

    「弁辰樂奴國」を描き誤ったとする説があるが、当説では書き誤ったのではなく弁韓の現地語名を転写したものと解釈する
    すなわち、ここが日本書紀のいう「意富加羅国(オホカラノクニ)」つまり大加耶のことである

    「高靈 korjəŋ」「加耶 kaja」は「加羅 kara」に同じであり、「韓(*γar/한 han/カラ kara)」に相当する
    「弁韓」は *pœ́rγar と読み、「弁樂奴 *pœ́rraγnɑ」が短縮されたものと考えられる
    意味は "官職(벼슬 pjəsɨr)+韓(*γar)"だろうか
    「弁(변)」は”冠”という意味なので、もしかすると「벼슬」と関係しているのかも知れない
    (耽羅の君主号「星主(별주)」を見るに、「별 pjər(星)」は村落を意味した古代韓語「블 pɨr(火;現代語では"불")」「벌 pər(伐)」の変種である様に考えられ、これと関係がある様にみえる)

    ◆◆◆◆
    軍彌國 *kormi
    「江陽郡,本大良(一作耶)州郡,景德王改名,今陜州」(陜川郡陜川邑)

    「江陽」は川の北側のこと
    「陜」は「峽」の異字体なのでこれも川と関係する
    川の固有語「ᄀᆞᄅᆞᆷ kʌrʌ́m(現代語では"가람")」は「軍彌 *kormi」に似ている
    「大」を訓の「크 kʰɨ(큰)」とすれば、「大良」は *kʰɨra 、「大耶」は *kʰɨja と読めて、上記とも関連付けられる

  • 20112018/05/02(Wed) 06:34:34ID:I1Nzc0NzY(95/96)NG通報

    如湛國 *njerǒm
    「宜寧縣,本獐含縣,景德王改名,今因之」(宜寧郡宜寧邑)

    これもおそらくは首長号の「ニリム *nirɨm」に基づく
    「宜寧 *ŋɨinjəŋ」および「獐含 *norham」と対応する
    この場合「獐」は訓の「노ᄅᆞ norʌ」(現代語では"노루")に基づいてnorと読む

    ◆◆◆◆
    州鮮國 (*sœma-sɨrhi)
    「泗水縣,本史勿縣,景德王改名,今泗州」(泗川市)

    この国名は訓読すると倭韓共通語から成り立っており以下の様に解釈できる
    ・「州」は中期朝鮮語で”島”を意味する「셤 sjə̌m」の祖型となる古代韓語 *sjəma(日本書紀に「セマ」として記録)、日本語の「シマ(島) sima」にあたり、祖型として *sœma を想定する。
    ・「鮮」は中期朝鮮語で”肉”を意味する「ᄉᆞᆶ sʌ́rh」(現代語では”살”)、日本語で「シシ(肉) sisi」に相当し、祖型として *sɨrhi を想定する。
    「泗」「史」はともに「ᄉᆞ sʌ(現代語で”사”)」と読み(声調は違う)、「水」の訓「믈 mɨr(現代語では”물”)」は「勿(물 mur)」の類音であるため「泗水」「史勿」は「ᄉᆞ믈 sʌmɨr」という地名を写し取ったものと考えられる
    「州鮮」が「泗水/史勿」になるまでに以下の様な変化が起きたと考えられる
    *sœma-sɨrhi → *sʌmazɨrhi(最初の母音が弱化、連濁してsがzになる) → *sʌmaɨrh(最後の母音が脱落、zが脱落) → samɨr(母音連続が解消)

  • 20212018/05/02(Wed) 06:35:05ID:I1Nzc0NzY(96/96)NG通報

    馬延國 (*koma-mitsʰi)
    「熊神縣,本熊只縣,景德王改名,今因之」(昌原市鎮海区)

    これも意訳である
    ただし「馬」と「熊」とを誤解または混同した結果こうなっている
    日本語には馬を指す言葉に「コマ(駒) koma」があり、朝鮮語「곰 kǒm(熊)」の祖型である古代韓語 *koma とは発音が同じ(なお日本語の「クマ(熊) kuma」は同根であると考えられる)
    3世紀当時には日本列島にも朝鮮半島南部にも馬は存在しなかったか、存在していても非常に見慣れない珍しい獣であったた
    どちらも大きな四足獣であるから元来熊を指す単語を馬に援用されていたのかもしれない
    記紀には「天斑駒(アメノフチコマ)」という馬が登場するが日本に馬がもたらされる以前の説話に馬が出て来るのは不自然だ
    天斑駒は説話中で皮を剥がれているが、皮を剥ぐ、すなわち毛皮を使用することが一般的な動物といえば馬よりもむしろ熊、元来は天斑駒の「コマ(駒)」も熊のことだったのだろう

    後半は「延」は”及ぶ”という意味の「및다 mitsʰ-(現代語では미치다 mitsʰi-)」の意訳であり、
    合わせて *koma-mitsʰi となる

    「熊神」というからには檀君に代表される様な熊祖神話の伝わる地だったのだろう
    「熊只」の「只」は現在では「지 tsi」と読むが、上古には口蓋化しておらず吏読では「기 ki」と読んだ
    ただし *koma-mitsʰi が変形したものなら前者で読んで *komatsi とした方が近い

    この国名は2回出てくるので二つの「馬延國 」の間の経路は輪を描いているのだと考えた

  • 203名無し2018/05/20(Sun) 13:55:33ID:g3ODgwMDA(2/4)NG通報

    こんな良スレッドには、改めてgoodをつけるよ。

  • 204名無し2018/07/10(Tue) 15:21:53ID:U0OTkwMDA(3/4)NG通報

    良スレッド

  • 205名無し2018/07/28(Sat) 20:59:32ID:k1MDMyMDA(4/4)NG通報

    定期上げ

  • 206名無し2018/07/28(Sat) 22:59:00ID:k1Mjk2MTY(1/2)NG通報

    東日本の『日高見国』はないのかな?

    しかしアカデミックな内容だ

  • 207名無し2018/07/28(Sat) 23:18:36ID:k1Mjk2MTY(2/2)NG通報

    Y染色体ハプログループの流れではこうなる

レス投稿

画像をタップで並べ替え / 『×』で選択解除