【目を覚ませ韓国】大東亜戦争で日本人とともに戦った朝鮮の人々 今や事実と全く逆のことを教える韓国の学校

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    • 1名無し2017/12/16(Sat) 12:41:46ID:IxNzM2MTY(1/1)NG報告

       韓国はことあるごとに自国を「第2次大戦の戦勝国である」と主張し、学校の教科書でも「韓国人は連合軍の一員として日本と戦った」と教えている。だが、事実は全くその逆である。

       日米開戦に至るまで、朝鮮の人々は日米交渉を固唾をのんで見守り、米国の一方的要求に切歯扼腕した。「米英撃つべし」の声が日増しに高まり、1941年12月8日、真珠湾奇襲が報じられると、彼らは内地の日本人に勝るとも劣らぬほど熱狂し「聖戦完遂」に立ち上がったのだ。
      (中略)
       こうして大東亜戦争が始まると、特別志願兵募集に朝鮮の若者が殺到した。42年には、採用数4077人に対し、25万4273人が応募している。適齢期の健康な男子の大半が志願したことになる。朝鮮は儒教国家であり、応募するには父母、親族の許しが必要であった。大東亜戦争へ対する朝鮮民族全体の圧倒的な支持があったことがうかがわれる数字である。
       このような高倍率を突破して合格した青年たちは、当然ながら優秀であり勇敢だった。38年に志願兵第一期生として入隊した崔慶禄(チェ・ギョンロク)はニューギニア戦線で一個小隊を率いて米軍に切り込みをかけ、全身に被弾した。

       部下の出田上等兵に担がれて後退し、新兵当時から彼に目をかけていた参謀長の小野武雄大佐がこれを発見した。「彼を死なせては陛下と朝鮮人民に申し訳がたたん」と叫んで手厚く後送し、ようやく一命を取りとめた。(=出田上等兵はその場で絶命、小野大佐も戦死した)

       崔慶禄は戦後、外交官となり駐英、駐日大使などを歴任している。駐日大使着任時には、天皇陛下に信任状を奉呈する際、通常10分のところ、かつての大元帥陛下と切り込み隊長は40分にわたって話し込んだという。万感の思いがこみ上げたのではないだろうか。

       大東亜戦争で、朝鮮の人々はよく戦った。軍人と軍属合わせて合計24万人あまりが前線に赴き、アジアの植民地を解放するために日本人と生死をともにしたのだ。

      http://www.zakzak.co.jp/soc/news/171215/soc1712150003-n1.html

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