今月20日はソウルにある独立門をたてて120周年をむかえる日でした。
独立門は我が国初の洋式建築物で、我が国の自主独立精神を知らせようと作られました。
驚くべきことに日帝強制占領期の朝鮮総督府は多額のお金を入れて独立門保守工事を行い、文化財指定しました。
朝鮮を植民地とした日帝がどうしてこの様なことを行ったのでしょうか?
1895年「清日戦争」で清国は敗れ、朝鮮は自主独立国家であることを広く知らしめなければならないと考えました。
このために迎恩門を壊してその場に独立門をたてる募金運動を行ったそうです。
1910年我が国が日帝に国権を完全に奪われて、日帝は独立門を「朝鮮が清国の属国から脱して日本の影響下に入った」という意味に利用しようとしました。
それで朝鮮総督府は独立門保守工事を行い文化財指定して管理しました。
独立門は日帝強制占領期間が長くなり、日帝からの独立を象徴する記念物に意味が変わって行きました。
独立門は私たち民族の胸の中に自主独立の象徴物として今も残っています。
http://newsteacher.chosun.com/site/data/html_dir/2017/11/27/2017112700361.html
韓国人「独立門は日帝時代を経て抗日独立の象徴になった。名実共に日帝からの独立の象徴になった。」
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