人種的差別撤廃を日本が提案していた

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    • 1名無し2017/10/23(Mon) 20:20:53ID:E5NTc1MjQ(1/6)NG報告

      黒人奴隷の悲惨な光景はネットでも見ることができます。黒人運搬方法も荷物のように狭い船におしこまれ到着する前に死亡するケースも多数あった

      *「第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、大日本帝国が主張した、
        人種差別 の撤廃を明記するべきという提案を指す」
      日本は第一次大戦で戦勝国であり、ドイツは中国の山東半島も監理下においてた時代。
      *「国が人種的偏見により「帝国の発展」を阻害する動きに出るという危惧もあった」
      *「1919年(大正8年)1月14日、パリに到着した日本全権団は人種差別撤廃提案成立のため、
       各国と交渉を開始した。」
      *「最大の障害」であると見られていたアメリカとの調整が成功し、日本側は提案成立に大きな
        自信を得た。
      賛成[編集]
      大日本帝国 (2票)フランス (2票) イタリア王国 (2票) ギリシャ王国 (1票)
      セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国(後のユーゴスラビア王国) (1票)
      チェコスロバキア (1票)ポルトガル (1票)中華民国 (1票)
      総計11票

      反対または保留[編集]
      アメリカ合衆国(1票) イギリス (1票)ブラジル (1票)ポーランド(1票) ルーマニア王国(1票)
      総計5票
      日本とアメリカはドイツが持っていた山東半島の権益継承を巡って対立していたが、4月28日ウィルソンが日本の主張を支持し、日本に利権が継承された。これを本提案を取り下げる譲歩への見返りであったとする批判がなされたが、両者を結びつけるといった戦術を考慮する必要はなかった」と反論した。

      そして1929年に世界恐慌、1939年第二次世界大戦
      https://ja.wikipedia.org/wiki/人種的差別撤廃提案

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