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1931年9月31日、柳条湖で南満州鉄道の路線が何者かによって爆破される(柳条湖事件)。
これを機に日本国の広東軍が動き出し、瞬く間に満州全体を制圧する(満洲事変)。これが1932年に清の最後の皇帝・溥儀を元首とする日本の傀儡国家、満州国建国につながっていく。
※中国は、柳条湖事件を日本が侵略を始めた日と今でも認定している。
無法地帯だった満州は日本が入ってからは治安がかなり安定した。さらに、日本は満州のインフラ整備を徹底して行い、農業に力を入れたので住みやすく豊かになった。そのため中国や朝鮮などから多くの人々がここに移住してくるようになった。
こうして満州は日本にとって北の脅威からの防波堤となり、日本の生命線となるのである。
ところがイギリス、フランス、ロシアは満州の発展を見て、このままだと自分たちの利権が奪われると考えるようになった。
さらに、東アジアに利権を持っていなかったアメリカも、満州を狙うようになる。
1931年、満州事変や満州国についての調査を命ぜられたリットン調査団が入り、その結果、国際連盟によって日本の行為は侵略行為であったと断定される。
しかし、日本は白人たちのように現地の人々を皆ごろしにして侵略して土地を取ったわけではなかった。欧米諸国が、自分たちがしていることを棚に上げて日本を非難したため、日本は憤慨して国際連盟を脱退。その結果、日本は世界から孤立してしまうのである。
その後、欧米による日本包囲が強まり、広東軍と小競り合いを続けていた支那軍閥や蒋介石国民党に対して莫大な資金と武器の援助が開始されることになる
1937年7月7日、盧溝橋事件(北京の近くにある橋)が勃発。支那事変の始まりとなる。
日本は支那事変の講話仲介をアメリカに依頼したが、アメリカはこれを拒否した。
アメリカによる日本バッシングが始まり、支那軍閥や国民党に武器と莫大な援助を開始する。イギリス、フランス、ロシアも援助を始める。
欧米による蒋介石国民党に対する援助は援蒋ルートと呼ばれ、米国は総額21億ドル(今に換算すると20兆円ぐらい)の援助を行ったと言われている。こうして国民党に際限のない軍事資金が流入したため日本との交戦が延々と続き、日本は莫大な戦費で疲弊していったのである。
何度も平和条約を結ぶも、ことごとく破られる。満州では日本人に対する迫害と虐殺が続いた。
太平洋戦争に日本側の責任を担うべきの人は?
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