無念にもBC級戦犯になった朝鮮人、日本はなぜ補償しないのか

27

    • 1名無し2025/04/02(Wed) 14:50:29ID:k1OTc1ODg(1/1)NG報告

      「無念にもBC級戦犯になった朝鮮人、日本はなぜ補償しないのか」

       1日ハンギョレの取材を受けた朴来洪会長はこう述べた。

      同進会はこの日、東京の衆議院で「『同進会』70年の歩みを聞き、外国籍BC級戦犯者問題の早期立法解決を願う集い」を開催し、「日本の軍属として戦争に動員され、『戦犯』となった朝鮮の青年たちは、死刑となったり服役したりした」として、「日本政府はなぜこの問題に目をつぶるのか」と訴えた。

       朴会長の父親のように「朝鮮人BC級戦犯」たちが烙印を押されて生涯を過ごしたのは、日本の植民地強制動員政策によるものだった。第2次世界大戦の最中だった1942年、日本は東南アジア戦線で連戦連勝して、多くの連合軍捕虜を捕らえた。日本の軍部は、日本人軍属の手間を減らすために、最前線の捕虜監視員として植民地朝鮮の青年3000人以上を動員した。戦争が終わると、彼らは捕虜監視員から戦争犯罪人になった。連合国による軍事裁判では、日本軍BC級戦犯は5700人近くに達したが、それには朝鮮人148人(23人死刑)が含まれた。このうち、朝鮮人捕虜監視員だけでも129人だった。非人道的な捕虜政策を作り、朝鮮人に捕虜監視を強要したのは日本の軍部だったが、戦争後、日本政府は彼らの責任を負わなかった。

       悲劇はこれで終わりではなかった。祖国から彼らは「対日協力者」「戦争犯罪者」として非難された。戦犯刑務所から釈放された後も、故郷に戻れなかった。しかも日本は、彼らを1952年のサンフランシスコ平和条約に伴い「日本国籍を喪失した」という理由で、福祉や援助の対象から除外した。遠い異国の地での生活苦のために、自殺したり精神病棟で最期を迎えたりする事例もあった。「朝鮮人戦犯」の一部と遺族ら70人あまりは、1955年に「同進会」を結成した。最後の朝鮮人BC級戦犯被害者だった同進会の李鶴来(イ・ハンネ)前会長は、生前に出した著書『韓国人元BC級戦犯の訴え: 何のために、誰のために』で、「私の頭の中には、死んだ同僚たち、特に死刑囚がいます。故郷を離れて日本軍の捕虜政策の末端を務め、『日本軍戦犯』になって死んでいった同僚たちの無念を少しでも晴らすことが、生き残った私の責務」だと訴えた。

      https://japan.hani.co.kr/arti/international/52820.html

レス投稿

画像をタップで並べ替え / 『×』で選択解除