スミソニアンが出版している歴史の本を買って読みました。20・21世紀の両世紀にわたるパクス・アメリカーナが世界史をどのように整理したのか、見てみたかったのです。
華麗な歴史グラフィックや遺物の写真を見ていて、一晩たったのにも気付きませんでした。そうした中、困惑してしまう間違いを見つけました。
スミソニアンの『歴史年表(Timelines of History)』の94ページは、このようになっていました。
「西暦370年、日本の侵略軍は韓半島南部の任那に植民地を作った(c. 370 Japanese invading force establishes a colony at Mimana in southern Korea)」
日本でも根拠のないものだと判明した「任那日本府説」を、歴史的事実であるかのようにそのまま記していました。
95ページは「393年、日本の大和政権が韓半島の新羅と百済を急速に制圧していった(The Yamato of Japan overrun Silla a Paekche, Korea)」となっていました。
一部の西側の歴史学者は韓国史について専門性が不足しているのではないか-という考えを抱きました。英国の代表的な出版社の一つでスミソニアンの本も出版しているDKが、英国で2022年に出版した歴史書も、見てみるとやはり多くの問題がありました。
DKの『世界史年表(Timelines of World History)』67ページ、西暦4-5世紀の部分を見ると「西暦404年、広開土、韓半島の新羅の支配者、日本の大和政権の侵略を撃破する(404CE Gwanggaeto, ruler of the Korean state of Silla, defeats an invasion from Yamato Japan)」と書いてありました。
ご存じの通り、広開土王は高句麗の支配者であって新羅の支配者ではありませんでした。しかも404年は、百済と倭による新羅への連合攻撃でした。倭の単独侵略ではありませんでした。
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/03/04/2024030480123.html>>214
古田さんの言葉ををつくづく思いだします。
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日韓歴史共同研究
この研究委員会に参加した古田博司によると、日韓の意見が対立した時に、日本側が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と怒鳴り、日本側がさらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と怒鳴ったという
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9F%93%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%85%B1%E5%90%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6韓国に歴史書はない
>>181
「総督府が朝鮮全土で法令を以て朝鮮語使用を禁止したことはなかった。」
韓国人の学者自身が論文の中で書いている。これが事実です。
終戦に至るまで、日本人によって漢字ハングル混用の新聞は発行し続けられました。
市井において朝鮮語を話すことが禁じられたこともありません。
一時的に学校教育科目から朝鮮語教育が外されたことと、政府の行政機関など公的な場において朝鮮語が使われなくなっただけです。それは戦争の激化と戦局の悪化という非常事態において発生したもので、それを日本統治全体に当て嵌めることは、極めて恣意的な洗脳活動です。
学校教育から外され始めたのは、1941年の国民学校規程施行以降の話で、しかも突然禁止されたのではなく、暫時支障の少ないところから外されていったわけで、仮におよそ1年の間に外された、と仮定しても、学校教育において朝鮮語教育が無くなったのは、約3年間に過ぎません。
それ以外の30年余りの間、日本人は朝鮮語教育に積極的に関わってきたのです。
日本政府は皇民化政策の推進のために日本語の普及に努めていたことは確かですが、朝鮮語の使用を禁じたのは、むしろ皇民化政策に協力している、という評価による利益を得たくて朝鮮人が率先してやっていたこと。
朝鮮語でなく日本語を教えろ、と集団で談判したのは、他ならぬ朝鮮人の両班自身だった。
これは、日本語ができると商売上有利になるため、自分たちの子息たちにいち早く日本語を習得させたかったため。一般大衆が漢字も知らないために、日本語学習において不利になることなどどうでも良かった。
大衆がそのまま読み書きができない状態で、自分たちだけが日本語を習得して朝鮮人を奴隷として働かせることを目指していた、と見てよい。そういう人たちが、韓国の政治を独占してきた。
そして、学校教育制度において、朝鮮語教育が廃止されて日本語教育に置き換わった時期があったことは事実です。学校教育においては、1910年の日韓併合当初から、日本語と朝鮮語の両方が使用され始めた。
漢字も日本語の文字もハングルも、そして日常会話の言語としての日本語も知らない学童に、日常言語である朝鮮語無しに教えることは不可能だった。ですので、殆どの期間において、日本語と朝鮮語の両方の教育が必要だったわけです。>>191
>>俺は今でも当時に赤に染まったのは後悔していない
あなたが東大闘争や安田講堂事件にどんな立場でオミットし、どんな役割を担ったのか知らないし興味も無い。
ただ、その後の世代(現在の現役世代)の一人として言わせてもらうと、ただ
「持て余したエネルギーを得るのに尤もらしいスローガンつけて暴れ回り、社会に迷惑をかけただけじゃね?」
もっと言わせて貰えば
「自分たちの活動を総括せずに、運動から離脱しただけで過去を精算した気になっているくせに、未だに無自覚な反権力思想を捨てず、社会に要求するだけの団塊世代の元左翼が、最も害悪だ」
ってことかな。
情報不足で極左にのっとられた?
良くてせいぜい「主張・要求の理解と支持を求める地道な活動や、相手が呑むことができる現実的な妥協点を見出し、交渉して、可能な限り要求を実現する怜悧な戦略性もなく、支持や支援、連帯を申し入れてきた連中の手を取った結果、相手の方が力が強くて依存せざる得なくなっただけ」でしょ。
もしかしたら、実態は「掲げたスローガンを実現する見込みも立たないまま運動が行き詰まり、かと言って先鋭化して前科つけたり社会を負われるのも怖くなり、どうして良いかわからなくなったから、間抜けに押し付けて自分たちは逃げ出したら、残った連中が煮詰まって過激化した」だけかもしれないしね。任那日本府は実在したのか?
닌나일본부는 실재했는가?
名称としてあったかなかったかにこだわる人がいるが、これはいわば歴史的事実の総称なんですよね。
・新羅・百済の王族は日本に人質を出していた - 신라 · 백제의 왕족은 일본에 인질을 내고 있었다.
・人質の王族は日本の天皇家に火炙りで処刑されることもあるほど、朝鮮の立場は弱かった - 인질의 왕족은 일본의 천황가에게 불화로 처형되기도 할 정도로, 조선의 입장은 약했다
・古代中国や満州人の歴史書等に、日本が朝鮮半島南部を侵略して属国化したと書いてある - 고대 중국이나 만주인의 역사서 등에, 일본이 한반도 남부를 침략해 속국화했다고 써 있다
・むしろ高麗の歴史書(三国史記)にも、日本の侵略に苦しむ記録が書いてある - 오히려 고려의 역사서(삼국사기)에도 일본의 침략에 시달리는 기록이 쓰여 있다
>>216
なので、歴史書は皮肉にも>>211の彼が紹介してくれた高麗が『日本にめっちゃボコられた件』という内容を残してくれていますね。
上記状況が客観的に複数の国家に時代を跨いで記録されているから、2〜7世紀の数百年間は朝鮮半島南部は日本の影響を強く受けていたことが理解できる。
そのガバナンスの中心地とされるのが任那エリアだったから、その統治機構を称して任那日本府と名付けられる事は不自然ではない訳です。
상기 상황이 객관적으로 복수의 국가에 시대를 넘어 기록되고 있기 때문에, 2~7세기의 수백년간은 한반도 남부는 일본의 영향을 강하게 받고 있었다는 것을 이해할 수 있다
그 거버넌스의 중심지로 여겨지는 것이 임나 지역이었기 때문에, 그 통치 기구를 칭해 임나 일본부라고 명명되는 것은 부자연스럽지 않습니다.>>217
つまり、朝鮮半島の日本語教育というのは、日本語を朝鮮の国民全てに習得してほしい(朝鮮語を禁止するのではなく)、という日本政府に対して、奴隷制度が解体されてしまっても、日本語を両班が独占することで、実質的な両班による奴隷支配を続けようとして、日本語普及を妨害しようとする両班がいて、両者の間での争いでもあったわけです。
そのような中で戦争が激化したために、制度として日本語教育を妨害されないように朝鮮語が教科から外された、という視点は、当の韓国愚民には一切ありません。
なぜなら、僅か数年の後に日本が敗戦に追い込まれ、両班による奴隷支配のための洗脳がすぐに開始されたからです。
漢字廃止は、両班の勝利であって、大多数の韓国国民の敗北であったと言えるでしょう。
元の奴隷の子孫である愚民が80年経っても、愚民のままで居続ける理由です。>>1
2011年発見の「諸番職貢圖巻』「新羅は倭に属した」韓国にも真面な歴史学者はいるが都合の悪い史実を言えば社会から抹殺されるからな。
だから徐坰徳みたいな詐欺師しか生き残れない社会。>>224
愚かすぎる考え、というか感性。
「韓半島の歴史上、最も美しい建物」
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/61115142.html>>211アホなのか?縄文時代に鉄製はあったんやぞ‼️‼️
お前ら朝鮮から教わる事など1つも無いわ🤣🤣🤣🤣というか、鉄材料求めて半島南で採掘までしてたからね。
自分とこの歴史の本が世界とは違う・・・
「世界が間違ってるニダ」
挑戦人はこの考えにしかならないから人間になれない>>200
まじめに研究している韓国人研究者自体が自国の史書を否定しまくっているんだから面白いよな
日中の記録と整合性の合わない記述が余りにも多すぎるからw>>211
日本じゃ土豪階級でしか無い海賊連中に内陸部まで荒らされたのでは?
日本本土じゃ20万人規模の決戦中に片手間で奥地まで攻め込める土豪に侵入される高麗最強だよな>>235
そのアカ自身もアメリカに騙された哀れな存在ですけどね。
GHQ上陸時に赤旗を振って歓迎したのは共産党なのは有名な話です。
アメリカは公職追放・財閥解体と併せ、旧勢力の弱体化の為、空席となった権力の椅子に共産党を始め抑圧されていた左翼層を据えた。
で、そんな左翼さんが超反米なのは、戦後すぐに冷戦になっちゃってすぐに公職追放も解除、一気に要らない子扱いされ、梯子を外されたからですね。。
絶対に自分達の椅子は渡さないとレッドパージに抵抗した結果、当時の右も左も分からぬ若者を巻き込んだ一連の混乱がご存じのアレですよ。
旧帝の教授なんて未だにガチガチの左翼おじさんばっかりですから、根が深いですよねぇ。
丁度、アカ狩りの時期に左翼を自称するのが恥ずかしくなったので『リベラル』だの『自由主義』だの自称する人たちが増えましたし、
日本共産党はルーツもルーツなのによく恥ずかしげもなく名前変えずにやってるもんだと感心しますよ。
そう考えると韓国人も恥ずかしい歴史を多少詐称したくなる気持ちもわかりますね。韓国の東北アジア歴史財団理事長「歴史認識、第三者に対する説得が重要…日本右翼との討論歓迎」
「井の中の蛙から抜け出して自分たちの歴史を客観的に見つめることができてこそ真の先進国だ。私たちは正しく、彼らは間違っているというような主張だけをしていては国際社会で第三者を説得することはできない」
東北アジア歴史財団(以下、財団)の朴枝香(パク・ジヒャン)理事長(71)が12日に開かれた就任懇談会で、これまで財団が力を注いでいた韓日、韓中関係の研究をさらに国際的見解へ拡張するとし、このように明らかにした。英国史を専攻した西洋史学者として昨年末に異例の財団理事長(任期3年)に就任した後、3カ月余りかけて組織・体系を整えて開いた席でだ。
朴氏は「財団設立の目的は正しい歴史を確立して北東アジア地域の平和および繁栄の基盤を用意することだが、これまで特に韓日関係では葛藤だけが強調されていた」と指摘した。また「若年世代は既成世代の歴史認識とはすでに違っており、これからは未来に向かって進まなければならない時点」としながら「我々の歴史に対する客観的かつ未来志向的な見方が必要だ」と強調した。
特に来年は韓日国交正常化60周年、光復(解放)80周年を迎えて学術行事を推進し、さらに幅広い声を集めるという意向を明らかにした。「いわゆる親韓派、いつも来る学者だけが来るので行事のための行事になっている」としながら「日本の右翼を代表する人々が来て討論するなら積極的に歓迎する。第三者の見方で正しいか正しくないかを確かめてみるようにしてみよう」と提案した。>>237
むしろ中国の歴史認識に対する警戒を表わした。朴氏は「習近平政府が大々的に『一つの中国』歴史認識を国民に植え付けるためにとてつもない努力を傾けているが、例えば抗米援朝(朝鮮戦争をみる中国側の見解)イシューのようなものに注目している」とした。これに関連し、財団のナム・サング研究政策室長は「習政権の歴史文化政策が歴史研究にどのような方法で反映されているかを先制的に見ていて、関連イシューがある時に対応資料を収集している」と明らかにした。
東北アジア歴史財団は中国の東北工程に対応するために2004年に創設された高句麗研究財団から拡大改編されて2006年教育部傘下の歴史研究機関としてスタートした。日本の独島(トクド、日本名・竹島)領有権主張など歴史歪曲(わいきょく)に対抗して政府政策と対応に資料と根拠を提供する役割を果たしている。関連学術・教養叢書出版も活発で現在まで500冊余りの成果を出した。
朴氏は「財団が米国のフーバー研究所やブルッキングス研究所、英国の王立国際問題研究所(チャタムハウス)のような国際的シンクタンクとして位置づかなければならない」という希望を表明した。あわせて、財団が積み重ねてきた学術成果を広く知らせるために動画コンテンツの強化など大衆広報に尽力するとした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c1f82796c7987d8d0a26b894c73d196fd85528cb>>238
韓国と日本の歴史観は乖離している
韓国と中国の歴史観は乖離している
日本と中国の歴史観は近代を除きほぼ一致している
日本と韓国の歴史観は乖離している
中国と日本の歴史観は近代を除きほぼ一致している
中国と韓国の歴史観は乖離している
日中の共同研究は進行中
日韓個共同研究は終了済み
中韓の共同研究は終了済み
これ以上何をしたいんだ?>>237
むしろ中国の歴史認識に対する警戒を表わした。朴氏は「習近平政府が大々的に『一つの中国』歴史認識を国民に植え付けるためにとてつもない努力を傾けているが、例えば抗米援朝(朝鮮戦争をみる中国側の見解)イシューのようなものに注目している」とした。これに関連し、財団のナム・サング研究政策室長は「習政権の歴史文化政策が歴史研究にどのような方法で反映されているかを先制的に見ていて、関連イシューがある時に対応資料を収集している」と明らかにした。
東北アジア歴史財団は中国の東北工程に対応するために2004年に創設された高句麗研究財団から拡大改編されて2006年教育部傘下の歴史研究機関としてスタートした。日本の独島(トクド、日本名・竹島)領有権主張など歴史歪曲(わいきょく)に対抗して政府政策と対応に資料と根拠を提供する役割を果たしている。関連学術・教養叢書出版も活発で現在まで500冊余りの成果を出した。
朴氏は「財団が米国のフーバー研究所やブルッキングス研究所、英国の王立国際問題研究所(チャタムハウス)のような国際的シンクタンクとして位置づかなければならない」という希望を表明した。あわせて、財団が積み重ねてきた学術成果を広く知らせるために動画コンテンツの強化など大衆広報に尽力するとした。
https://l.smartnews.com/yRdNGhttps://news.yahoo.co.jp/articles/691f70cf0827f3e5635ee2b4abe677d05354c113
「実はヤマト王権は、戦略物資だった鉄を獲得するため、朝鮮半島に進出。強大な騎馬軍団を誇った高句麗と熾烈な戦いを繰り広げていた。」
だって。NHKで今度やる「古代史ミステリー」必見ですな。倭の五王の武(雄略天皇と考えられている)が西暦478年に、中国の宗(南朝)の順帝に朝貢し、漢文体で書かれた上表文を送った。
その上表文で倭王武は、使持節 都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事 安東大将軍 倭国王と自称し、高句麗を除く朝鮮半島全体の支配権を認めるように要求した。
宗は倭王武に対して「百済」を除いた支配権を認めた。
百済は倭国が朝貢するより前に宗(中国南朝)に朝貢していて、宗が百済王に百済の支配権を認めてしまっていたからだった。
また倭王武は上表文で宗に以下のような要望をしていた。
倭国は宗(南朝)に朝貢したいのだが高句麗が道を塞いで邪魔をするので中々行くことが出来ないでいる。
私が兵を率いて高句麗を討てばいいのだが、私の父と兄が相次いで亡くなったので、私は喪に服しているためそれが出来ないでいる。
どうか宗(南朝)が高句麗を討っていただけないでしょうか。
当時の倭国は朝鮮半島全てを支配下に置こうとしていたが、高句麗が強国であったために手を焼いていたのだろう。まぁ、米英に何か言う前に。
韓国は自分の歴史をきちんと事実と照らし合わせ見直す事が先だろう。中身が創作ファンタジーなんだから。まず、1世紀前後で倭国は朝鮮半島南部に進出し、数十年かけて属国化した。中国、満州、朝鮮、日本の歴史的文献から見ても同じ事が読み取れるので、それは明白だと思う。
歴史の不思議として語られるのが、いわゆる日本国内における空白の世紀。
朝鮮南部支配〜白村江の戦い敗戦までの数百年間に日本国内で何があったか。
あくまで個人的な解釈だけど、まず1世紀前後において日本の国策として朝鮮半島進出があった。
でなければ軍艦百隻も使って上陸作戦なんか決行なんかしないだろう。
そのことから考えると当時の政治的中枢は九州にあったと考えられ、当時の中国人から見た邪馬台国がそれにあたると予想。
倭国は朝鮮での勢力拡大を目論むも、満州人(高句麗)に勝つことが出来ず、ここで軍事境界線が長らく膠着して徐々に疲弊したのではないか。
そして、その危機感から4世紀頃に九州から畿内に遷都した。これを後に古事記において弱腰に映ることのないよう東征という表現に既存の資料を書き換えたと見る。
要はただの最終防衛ラインの後退に伴う遷都ってだけ。
同時期に国内で内戦の形跡が皆無(戦で負傷した死体が無い)ので謎に拍車を掛けているが、まあ今と同じで海外で戦争してでも国内はのほほんとしてたのだろうね、唐と戦争になるまでは。千年たったら日帝強占期も必死で否定してるかもね
>>246
歴史を見ると、いらない事をして停戦したのに後ろから襲い掛かるなど卑怯なことをして、ぼろぼろな負け戦になり明の怒りを買い、明が衰退する道を作ったのを、なんで英雄にするのかね?
ヘル朝鮮のシンボル?>>211 너 미친 전라도 놈이지?
>>211
だがその国は今や存在しない。韓国人の祖先の国という事実でもない。
高麗と韓国は無関係です。それは何故か?有能か無能かという事だけ。>>252 영국의 인도 총독부 건물을 copy한 것은 맞잖아? 중앙의 dome은 아무 쓸모 없고 採光窓 역할도 못하고?
>>211
高麗は、女真族や契丹族の侵入を許していた国で、かなり弱く、その後は元に占領され、その後征服された国。
契丹は急速に高麗との国境まで版図を広げ、さらに993年から大規模な侵入を行った。高麗はこれに屈し、契丹の属国となる事を誓って赦され、994年から連年朝貢した。1009年に高麗で王が弑逆される政変が起きると、1010年、契丹は不義を正すという名目で介入し、北部諸州を征服した後、首都開城へ迫る。高麗朝廷は将軍の姜邯賛の策により開城を放棄して羅州へ立て篭もるも、契丹軍が1011年1月に開城を攻略すると和を乞うて降伏、契丹軍は開城を焼き払い撤退した。高麗が再び盟約に違反した為、契丹は1013年から1015年まで継続して侵入。契丹軍の侵攻は、高麗が請願によって女真族の土地である江東6州の権利を下賜されていながら度々背いた故である。
遼の聖宗は、蕭排押の敗戦を受けて本格的な高麗征伐を準備していたが、高麗からの「藩属国となり毎年朝貢を怠らない」旨の謝罪を受け容れ、1020年謝罪による和睦を許した。1022年以降、高麗は契丹の年号を用いて朝貢の義務を果たした。
1104年の反撃では女真軍に敗れ略奪を受けている。女真は1115年に金を建て、1125年に高麗の宗主国である遼を滅ぼし、その為高麗は金へ服属し、1126年に朝貢。
その後、モンゴルが侵攻、占領。朝鮮王は大量の女性や奴隷を元に朝貢している。
いや、高麗のへりくだりっぷりは確かに凄いと思うけど。「かつて北東アジア全体が考慮を恐れていたという事実を知りませんか?」というのは皆目ありませんね。朝鮮ってイジメられすぎて、今の韓国人が形成されたんだろうな。
なんか惨めな民族だよな。>>255
それは合っている。
ほんの僅かな時を除いて、土下座外交で自国民の女性や奴隷を相手に渡してこびへつらっていた歴史の国なので。日本人が韓国人に謝罪するべきことは特になにもないんだけど、
敢えて一つ挙げるとしたら倭国時代、朝鮮半島南部の小国群をボコボコに虐めたことで、
それ以降の2000年間、中国人とモンゴル人と満州人の中で、そのボコられキャラクターが定着しちゃったことだな。
その原因を作った日本は、逆に内向きに時間を過ごしたから、朝鮮半島を見下して奴隷にするような感情が薄れていたんだよね。
最近になって韓国人が蒸し返すまでは。
日清戦争の原因は、朝鮮を独立させなかった清国に対して日本が怒ったからだし。
その時点で日本は朝鮮の実態があまりにもしょぼいことを文化的に忘れていたように思う。
今から思えば、清国からしたらこんなしょぼい奴らが自立独できるわけ無いのに、日本は国際法とか持ち出して朝鮮独立とか何ムキになっているのか?という感じだったかもね。チョッパリ バカヤロ!
チョーセン ヘイト チョーセン サベツ ヤメロ!韓国で人気の近現代史書、愛国心を心地よくあおり、総選挙の民意と重なる部分も
『(あなたにいちばん近い)このごろの歴史:近代』という歴史書が売れている。著者のファン・ヒョンピル氏は、高校で歴史教師を務めた後、教育テレビやインターネットで、大学や公務員受験のための歴史を教えてきた。大衆的な歴史レクチャーを目指してYouTubeを始め、4年余りで100万人以上がチャンネル登録した。
本書では、興宣(ホンソン)大院君が執権した1863年から、「庚戌(こうじゅつ)国恥」と呼ぶ1910年の日韓併合条約締結までを扱う。韓国はこれまで、「明に仕え、清に頼り、日本に屈服し、さらにアメリカに頼る事大主義のDNAが、消えることなく続いてきた」と説く。左派を自任する著者は、歴史を語りながら「分断、売国、独裁を追従する勢力」への痛烈な批判を展開する。
2023年3月、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が慶応大学を訪問したことを挙げ、「福沢諭吉は日本を代表する帝国主義者であり、極右の象徴的な人物だ。そこで、韓国蔑視論者の岡倉天心の言葉を引用して、演説した。正常な韓国人なら、腸(はらわた)が煮えくりかえりそうなことだ」。
日本人らに殺害された閔妃(ミンビ)を、「明成皇后」として持ちあげる風潮には反対を唱え、「閔妃の貪欲(どんよく)さと横暴さは、朝鮮(時代)でも、他に比較する例のないほどだ。しかし国母を引きずりおろすのは、朝鮮の民でなければならなかった」と、日本の非を責める。
著者は、民衆が主体となって、腐敗した朝鮮王朝に立ち向かった東学農民運動(甲午農民戦争)を、高く評価する。だから著者の携帯電話番号の末尾は、20年余り変わることなく、これが起きた年の1894(甲午年)だという。
歴史好きはどの国にもいるが、韓国ではとくに、近現代史への関心が高い。近い過去は現在とつながる問題と考える人が多いためだ。政治家同士の論争でも、近現代史の人物が取り上げられることが多い。韓国の右派と左派は、どちらがより愛国的かを競い、互いを親日的だと罵倒するのが常だ。
加えて著者は、私財を投じて映画制作にも挑むと宣言している。タイトルは『独立戦争』。はたしてそこに、日本の姿はどう描かれるのだろうか。
https://l.smartnews.com/WytYq世界で朝鮮人だけが言っていることがおかしく、殊歴史に関しては南の方が北よりももっとおかしい
一々話を聞いてやることが悪い貴方はその時代に生きていましたか
過去の事は分かりません、その物的証拠は有りますかスレッド本文にある「広開土王は新羅の支配者」を否定するのならば、好太王碑と同時代の文献等をもって検証するのが適当。
当然、宋書の夷蛮伝を思い浮かべると思うのですが...
ですが、宋書の夷蛮伝には、倭国伝や百済伝、高句麗伝はあっても新羅伝は存在すらしません(笑)
歴史書ではないのですが...
「善徳女王」と言う韓国ドラマに登場する、新羅の「美室(ミシル)」と言う名の貴族女性がいるのですが、実在した証拠はありません。
このミシルさん、韓国人さんが大好きな「花郎世記」と言う突然発見されたらしい、原本が確認できない偽書と思われる文章に登場するのみ。
全ての韓国人さんとは言いませんが、韓国人さんの語る歴史談義は、創作ドラマの影響をかなり受けていると思います(笑)>>262
普通の国は記録や証拠を提示して歴史を語るが、韓国は記録も証拠も無いのを利用して歴史を語る
米英の歴史書は間違いだらけ「広開土王は新羅の支配者」「日本が韓半島南部に任那日本府を設置」
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