「関東大震災朝鮮人虐殺、責任どころか調査もせず…人間として恥ずべきこと」

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    • 1名無し2023/09/01(Fri) 16:09:03ID:cyNDUyNTI(1/2)NG報告

       「朝鮮人虐殺にまともに向き合わないことは、人間として恥ずべきことです。二度と(あのようなことを)繰り返さないために語り続けていきます。それが今を生きる私たちの責務です」

       「追悼のはじまりは、大震災から40年たった1963年です。朝鮮人虐殺の事実をきちんと調査して記録に残さなければならないという運動が、関東の各地でありました。日朝協会なども調査班を作り、約10年間、遺族や目撃者に会って資料探しに取り組みました」。証言や資料が集まるにつれ、日本政府の隠ぺいによって曖昧だった当時の惨状が明確になった。取り組んだ人たちは、恐ろしい歴史を記憶して何の罪もなく殺された朝鮮人を追悼しようということで意見が一致した。

       1973年に大震災50年を迎え、大々的な募金を通じて追悼碑を作った。「今の雰囲気からは信じられませんが、追悼碑を作る際、東京都議会の自民党・公明党・社会党・共産党など各党の幹事長が代表委員として参加しました」。朝鮮人虐殺追悼碑は東京都に寄贈され、都立横網町公園に建てられることになった。その過程で市民団体は、追悼碑の内容について、東京都とやむを得ない妥協もすることになった。追悼碑の最初の行には「一九二三年九月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言飛語のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました」と書かれている。当初、市民団体が推進した碑文には「官憲によるあやまった策動と流言飛語」と表現され日本政府の責任を明確にしたが、最終的には「主語」が省かれることになった。

       「東京都は追悼碑の碑文の内容に関与しました。東京都の小池百合子知事が碑文の一部の内容を問題にして、2017年から7年にわたり追悼文を送らないでいるのはとんでもないことです」。宮川さんは語気を強めた。「表向きは個々の行事に追悼文を送らないと言っていますが、朝鮮人虐殺という歴史的事実を認めたくないのです。過去の日本の恥ずべき歴史と向き合いたくないのでしょう」

      https://japan.hani.co.kr/arti/international/47697.html

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