父の日本名に胸詰まる 佐渡鉱山動員者の子「歴史記憶し日韓友好を」

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    • 1名無し2023/05/02(Tue) 16:51:17ID:IzMjgyMDY(1/1)NG報告

       戦中に新潟・佐渡の鉱山に動員された朝鮮半島出身者の遺族が現地を訪れ、亡き父の足跡をたどった。当時暮らした寮に関連する名簿に父の名を見つけたとき、息ができないほど胸が詰まった。痛ましい歴史をしっかりと記憶し、次代に伝え、日韓両国の友好につなげてほしいと願う。

       佐渡市で4月22日、「韓国・強制動員の証言と交流の集い」が開かれた。市民らの実行委員会が主催し、約70人が参加。佐渡金山遺跡の世界遺産登録をめぐって日韓が対立するなか、実行委側は「反対しているのではなく、登録には、当時の労働実態などについて政府が事実を認め、韓国と友好関係を築くことが不可欠」としている。

       集会に、この遺族の姿もあった。鄭雲辰(チョンウンシン)さん。父雙童(サンドン)さんの帰国から7年後の1952年に生まれ、雙童さんから聞いてきた当時のことを、証言した。

       雙童さん一家が暮らした村には2人の動員が割り当てられており、全員が拒否したためくじ引きで選ばれた。老いた両親、妻、幼子2人と離ればなれになることに、村人たちは心を痛めたという。

       鉱山では銅を掘る作業に従事。十分な食事が取れず、いつも空腹だった。休みの日には食べ物を期待して農家の手伝いに出かけ、ご飯をいっぱい食べさせてもらったという。

       集会の前日には現地を巡り、雙童さんの痕跡を探した。佐渡博物館では、朝鮮半島出身者を収容した寮からたばこ店へ配給のため送られた名簿「三菱相愛寮 煙草(たばこ)配給台帳」の原本を閲覧。雙童さんの名前があるのを確認した。日本の植民地支配下での創氏改名で、「東本雙童」と記されていた。

       集会の最後、佐渡の子どもたちに伝えたいことを参加者から問われ、雲辰さんはこう結んだ。

       「ぜひ韓国の子どもと交流を。同じ人間として互いに人権を大事にする気持ちが平和につながる」

      https://www.asahi.com/articles/ASR517V91R4SUOHB00D.html?ref=smartnews
      またアカヒがw

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