明治時代の鉱山案内文にも当時朝鮮人が動員されて仕事をしたという説明はない
明治時代の案内文????
今月9日、韓国・中央日報の記者が佐渡金山を訪れた。
前略
明治以降に作られた道遊坑の遺跡はかなり長い。比較的広く整備された坑道が1.5キロメートルほど続く。地面には当時鉱物を積み出した鉄道の跡が残っていて、「(明治時代)欧米から導入された先進的鉱業技術で金は生産量が大幅に増加した」という案内音声が流れてきた。
現在観覧可能な佐渡金山の遺跡の大部分は明治時代以降のものだが、日本政府は「江戸時代の佐渡金山」に期間を限定してユネスコに推薦書を出した。戦争物資を生産する場所として使われた鉱山の「暗い歴史」を隠そうとする狙いだ。
中略
現在造成された佐渡金山の遺跡からはこちらでつらい思いをしながら働いていた朝鮮人の痕跡を探してみることはできない。明治時代の鉱山案内文にも当時朝鮮人が動員されて仕事をしたという説明はない。ただ鉱業機械展示場の壁の一方に掲示されている「佐渡金山近代史年表」で「朝鮮人」という単語を発見することができた。「昭和14年(1939年) 労働動員計画で朝鮮人労働者の日本動員が開始」「昭和20年(1945年)9月 敗戦によって朝鮮人労働者が帰朝」--たった2行だった。
https://japanese.joins.com/JArticle/287734
https://japanese.joins.com/JArticle/287735
これが中央日報の記者の限界、実態?
論争の佐渡金山、朝鮮人徴用の痕跡はたった2行だけ
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