「平和の祭典」とはかけ離れた状況にあった76年前の東京を振り返り、「あの日、空は真っ赤に燃えていました」と語る一人の在日朝鮮人に話を聞いた。
「あの日」とは、太平洋戦争末期の1945年3月10日、東京大空襲があった日のことだ。一夜にして約10万人もの人々が犠牲になったが、その中に多数の朝鮮人もいたことを覚えている人は今、どれぐらいいるだろうか。当時、被災地域に住んでいたとされるのは約5万人 (朝鮮銀行の調査)。彼らが東京の下町にいた理由は日本による朝鮮の植民地政策に直結する。
当時を語ってくれたのは、東京大空襲で妹2人を失った在日朝鮮人2世の金栄春(キム・ヨンチュン)さん(86)。9歳だった金さんは空襲のその日、本所区(今の墨田区)から千葉県に疎開中だった。東京にいた父母や2人の妹が心配でたまらず、滞在先の寺から東京方面の空を見て不安な一夜を過ごした。
「空襲の時に人種なんて関係ない。日本人も朝鮮人も同じようにやられたんです」
被害実態は不明
朝鮮人被害の実態は、戦後76年を迎えても死者や被災者数など不明な点が多い。1941年当時、空襲で大きな被害を受けた地域には約5万人の朝鮮人がいたという資料はある。
明らかな民族差別
一方で、市民の中では亡くなった朝鮮人たちを追悼する動きが続いている。金さんが毎年参列している、朝鮮人犠牲者追悼会がその代表例だ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/85692
10万人死亡の東京大空襲で“多くの朝鮮人”が犠牲になっていたことをご存知ですか?
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