日本が略奪した寺内文庫、再び韓国人のもとに展示

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    • 19名無し2021/05/16(Sun) 16:02:52ID:M1MjA5OTY(7/41)NG報告

      >>10

      寺内氏以前に朝鮮統監を務めた伊藤博文氏も、朝鮮の貴重本を日本に大量搬出した人物だ。 韓国併合前の1908年、伊藤は日本本土から専門家を呼び、奎章閣の書庫にあった旧本をすべて封鎖し、『奎章閣暴書目録』(奎章閣暴挙目録)を作成した。

      目録を作成する過程で貴重本は東京帝国大学に移し、朝鮮の歴史について研究させた。 1911年5月15日に宮内府大臣と渡辺千秋が寺内正毅に送った公文書には、こうした内容が盛り込まれている。

      「伊藤博文が日韓関係事項の調査を目的に日本に持ち込んだ朝鮮の書籍が多数あるが、伊藤の死後、この本は宮内省図書料に保管されている。 これは日本の王族および公族の実録編修を参考に図書として必要であり、またこの朝鮮の書籍は日本の帝室図書館にもないものであるため、譲り合うことを望む。"

      1968年、この事実を明らかにした人はソウル大学校中央図書館で働いた司書白麟だ。 白麟は奎章閣資料を整理していたところ、1911年総督府の取調局書類を発見した。 この過程で、伊藤博文が奎章閣から日本に持ち出した貴重本のリストも発見された。

      伊藤が持ち出した66種938冊の中には、国内にない唯一本とタコス本が多数あった。 伊藤氏が持ち出した貴重本は1965年と2011年の2度にわたって韓国にいずれも帰ってきた。 伊藤は1909年に亡くなったが、彼が持っていった朝鮮の貴重本は100年が経ってから私たちに戻ってきた。

      日本による植民地時代 私たちは国だけを失ったのではない。 多くのことを共に失った. 解放後、長い歳月が流れた。 我々は国と共に失ったものをどれだけ取り戻したのだろうか。

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