日韓で有名な碑文が存在する。 好太王碑文とか広開土王碑文と呼ばれる。
旧日本軍が発見した。その内容が韓国に不利な内容だったため、碑文が破損している部分を日韓両国が論争していた。しかし、これは日本の主張が正しいことが証明された。
ところで、一つ疑問がある。
倭軍は、いったいどのように高句麗まで進軍したのだろうか?
高句麗は朝鮮半島の北部に位置した国で、高句麗に進軍するには新羅か百済の領土を進軍する必要がある。添付した地図でいえば、aかbのルートだ。
cのように海上を通った可能性は、古代の船舶の能力を考慮すると、大量に兵士を海上輸送するのは不可能だろう。よって、aかbに近いルートを通ったはずだ。その場合に、新羅や百済は倭軍を無視していたのか?
倭軍を恐れて城に籠城したのか? 新羅や百済の敵である高句麗と倭軍が戦闘するので、漁夫の利を狙って、あえて倭軍を通らせたのか?
それとも、好太王碑文の書いてる通り、倭軍が百済と新羅を服属させて、堂々と高句麗まで進軍したのか?
果たして、真実はどうだろうか?
倭軍はどのルートで高句麗まで進軍したのか?
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