大日本帝国は工業化や戦争によって食料生産をする人員が減り慢性的な米不足になり
米価の高騰により米騒動が起きるようになり、海外からお米を輸入していた
そこで、朝鮮でお米を大量生産して日本に輸入する朝鮮産米増殖計画が1920年代に朝鮮総督府主導で行われ
土地・農事改良事業が行われた
当時、朝鮮で育てられていた元々朝鮮にあった稲の品種では日本では高く売れないので日本産の品種が持ち込まれ
朝鮮固有の品種を栽培すると交雑が起きて商品価値が下がるから栽培しないよう指導された
朝鮮産米増殖計画によって朝鮮のお米は混入物の多いクズ米から一気に最高品質のお米に変わり、高値で取引されるようになったため
品質の悪いお米しか生産できない日本の末端の農民は困窮した
朝鮮の農民は土地・農事改良事業によって出来た借金と高級品になったお米によって
お米は増産できるようになったけど気軽にお米が食べられなくなり、中国北部から安価な雑穀を買い雑穀を食べて暮らすようになった
なので、韓国にお米を収奪されたと言われたら、日本は輸入してお金を支払ってはいるけど農民は借金返済と高級すぎて滅多に食べられなくなってしまったから収奪に近い状況になっていたんだよね(^^;
お米の収奪についてどう思いますか?>>1
WIKIでみたら
1920年、朝鮮総督府は30年計画で耕種改善と80万町歩相当の土地改良を行うことを目標とし、まず最初の15年で2億4千万円の経費を投じて43万町歩分の土地改良を行おうとした。これによって900万石分の米の増産が図られ、うち700万石分を日本本土へ移出することで日本国内の米価が下がり、代金としての日本銀行券が朝鮮銀行に入り、更に半島住民の生活も向上して独立運動が沈静化するという目論見であった。
だが、戦後恐慌の影響もあって最初の数年で計画通りの実施が困難となり、実際に行われた土地改良は9万町歩に過ぎなかった。1926年に「産米増殖更新計画」として改訂して再出発した。改訂計画は今後12年間で残りの目標を実現しようとするもので、その計画には日本政府も協力して斡旋資金2億4千万円を拠出し、更に朝鮮土地改良株式会社・東洋拓殖株式会社土地改良部を新設して事業の実施を促進しようとした。だが、世界恐慌の影響による資金不足で事業遂行が困難となり、更に朝鮮米の大量移入は日本本土の農村恐慌を悪化させるとした世論の批判も登場するようになった。このため、1934年に事実上の計画打ち切りとなった。
この間、土地改良や水利改善によって生産性の向上はあったものの、その反面大地主への土地集積や融資の返済に苦しむ中小農民の苦悩の深刻化、更には日本本土への米の移出増大を達成するため(および不況下での現金収入のため)に却って朝鮮半島における1人あたりの米消費量が減少する(その多くは半島住民の米獲得が困難になったことによる)など、朝鮮総督府の目論見には程遠いものであった。
ボロボロだな、企画倒れした愚策、
これで朝鮮の為になった、
コメの品質をあげた、
云々と上から目線で恩着せがましく
ほざいちゃうネッツウヨさん達の頭の悪さよ
そうやって歴史歪曲で無知と頭の弱い子を騙すのが嫌韓だな
嫌韓とか自覚してる奴、気をつけろ、頭の弱さを晒してるぞ?>>25
そんなに自分の頭の悪さと韓国人の嘘を晒さなくても良いんだぜ?>>25
生き地獄"を生きた李朝朝鮮の農民たち
フランス人宣教師のシャルル・ダレは、
当時の朝鮮王国のがんこな鎖国政策について、こう書いている。
「1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、
国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、
娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもいた。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、
惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、
「どこの道にも死体が転がっている」
と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、
中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、
むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。」
(朝鮮事情・平凡社東洋文庫)>>25
丁若[金+庸]著の『牧民心書』
(中略)
朝鮮農民の間には、
古来から「春窮、麦嶺越え難し」という古諺があるほどだが、
農民は収穫の5割以上が年貢として取り立てられてしまうし、
収穫した米も翌年3月の初めごろには全部、食いつくしてしまう。
そこで、じやがいもや麦のできる6月までの3ヵ月は、
春窮期といわれるのだ。
李朝以来、数百年にわたって朝鮮農民の背負う
歴史的な宿痾(長い間治らない病気)と言える。
それは人ロの9割を占める農民のうちの8割の小作人が、
保存食糧を冬季に食いつくし、麦の収穫期までの間、草の根、干し草、
どん栗、とちの実などで食いつないでいくことである。
極端な場合には、松の木の表皮と木質との間に
ある柔らかい白い部分をはぎとって食用にする。
あるいは五月になると麦の成熟するのを待ちきれず、
穂がまだ青く乳状であるものを、穂先だけ摘み取って粥にして食べたり、
せっぱつまれば種子籾まで食べつくしてしまう場合もある。>>25
李氏朝鮮時代の農民たちの惨状
―――――――――――――――――
『朝鮮』 金達寿 1958年 岩波新書
農村の荒廃はひどく、農民は流民となってさまよい、
そのうえ旱害・水害・悪疫等々もまた相次いでこの国を襲った。
顕宗の時の大飢饉(1671年)は飢えと疫病とによって死んだものは、
前二者(秀吉軍・満州軍)との戦争による死亡者よりも多く、
飢民は墓を暴いて死体の衣をはぎとり、親は子を捨てて道端に行き倒れた。
また、この飢民は変じて火賊といわれる
群盗となるものもあるという状態であった。
こういう災害は李朝の復興期であった英祖の時代にもおこり、
その25年間に疫病による死者5~60万を数えたといわれ、
1812年には飢民の数は平安道90万、黄海道52万、江原道12万、
慶尚道92万、忠清道18万、全羅道69万にのぼった。>>25
『宇垣一成日記 2』 みすず書房 「関釜連絡船」1988年 金賛汀 朝日選書より
(朝鮮総督の日記から)
咸鏡南北、江原道(朝鮮北部)以外にも飢餓に瀕する者少なからずして
僅かに草根木皮によりて露命を繋ぎあるものを聞き、
痛心に堪へずして当路者に糺せば、彼氏曰く、
「朝鮮にては左様の事は珍しくもなく今頃になれば毎年各地に
現はるる事象である。今ひと月もすれば木の葉も出て草も生ずるから
夫れによりて収穫期まで何とかしていく」
とて深く配慮するの様子もなかりし。(昭和7年3月31日付)
―――――――――――――――――
宇垣総督は慢性的に疲弊した農民の生活を安定させるため、
総督府をあげて農村振興運動に取り組んだ。
李朝時代には、このような国家指導者は存在しなかった。朝鮮人の農業はある程度むだが多く、締まりがない。夏の間は除草しておくべきなのにそれがされていないし、石ころが転がったままの地面も多く、また畑の周辺や畦は手入れが行き届いていなくて、石垣が崩れたままになっているのは目障りである。農地を通る小道はかなり傷み、両側には雑草が生えていて、畑のうねはあまり真っ直ぐではない。それでも様々な事から予想していたよりは、概して耕作はずっと良好であるし、作物ははるかに清潔である。家畜はとても少なく、肥料はソウルその他の都市の周辺を除いて殆ど使われていない。施肥をした所は極めて肥沃なのでよく目立つ。
灌漑を必要とするのは朝鮮の主食である米の栽培だけである。一部の米作地を除き、中部朝鮮と南部朝鮮の全域で二毛作が行われており、6月に稲を植え、つまり5月に種をまいておいた苗代から苗を移植して、10月上旬に稲刈りが行われると、土を耕して大麦またはライ麦の種をまき、翌年の5月から6月上旬にかけて収穫する。一般に作柄は極めて良く、これで肥料不足がなければ、大量の収穫が望めるはずである。
(イザベラバード『朝鮮紀行』1898年)
朝鮮は農をもって国の大本となすといえども、現時当国農業界の有様を見るに、その不進歩なること、実に驚くべき程のものあり。
河に堤防の設けなく、故に霖雨秋潦雨降れば必ず水災を免れず。国土樹林乏しきがため、降雨少なく旱災に遭うこと繁く。田に引水用水等灌漑の法なく、耕作地したがって少なく、故に少しく旱すればすなわち失収を常とす。移苗の法は豊公征韓の当時に始まりしとも云い、農家その利を称するも、その法今に至るも全国に普からず、往々移植の労を取らざる者あるをもって、農民の労苦注意の全からざるを知るに足る。しかして肥料の法はほとんど発見せられざるものの如き有様を呈せり。
故に3年に1回の凶作は、実に当国農家の予期するところにして、またその実あるものの如し。またもって当国農業の一般を知るに足るべし。
23年以来、穀物は輸出品中の重要品となれりといえども、大豆がその輸出盛況なるに伴い幾分かその耕作面積を拡めたりと云うのみ、その他に至っては耕作地の如き、肥料用法の如き、耕法もしくは灌漑の利の如きもの、一として旧来の面目を改めしものなし。
(塩川一太郎『朝鮮通商事情』1895年)改めて朝鮮人は哀れだと思いました。
日本が韓国との併合を受け入れてくれたおかげで、朝鮮人は餓死することが激減した。
朝鮮人、よかったね。>>26
わーい、いっぱい釣れたと思ってみたら、
ほとんどお前じゃねーか、きもいなぁ
>>27>>31>>32>>33>>34 とか
無駄に読ませるのやめようぜ
お前の言いたいことは何よ?
で、26の「戦時中の配給制は、日本も日本人も同じ状況だった」
とか、一緒だったから何よ? 日本人は古来より お上の奴隷だ、
常に(今もw)収奪されてるのが定めであり常態化してるだろ
日本も同じだから収奪ではない、なんて屁理屈にもならんよ
年貢(や収奪というより強奪が正確かな)として43~64%を持ってかれてた
これは事実。なにも変わらないよね。馬鹿じゃないの?
あ、ちなみにその収奪、日本では敗戦した後も続き、50年代まで続く
俺らって奴隷だよな、つくづく。今月もまたタバコ値上がりもしたしな、年貢取りすぎほほう…
その割には…
人口が増えたなw
腹ペコで腰振りまくったか?w貴方は最後の5年間と、併合35年間より以前の朝鮮半島の農業による米の収穫量、比較出来るのですか?
>>39>朝鮮半島で1940年から5年間、年貢(や収奪というより強奪が正確かな)として43~64%徴収されたソース出せよ。
4年弱の戦争なのに、なんで5年間の影響を受けたか?
朝鮮半島で日帝により1940年から5年間、年貢の取り立てを43〜53%されたという証拠を出せ。なければお前、ドゲジャな。>>39
国民経済計算とか、統計年報で
1940年までの米による摂取カロリーと1日の総摂取カロリー見たことあるけど
40年以降の資料ってどこにあったの?>>39
ところでキミ、まさか供出を政府が対価を支払わずに年貢のように召し上げたと思ってないよねえ?朝鮮人が近代的で、冷静に話し合いができる民族だったら日本は併合なんかしなかったかもしれませんね。
ところが支配者は国民を奴隷として扱い、国民は嫉妬深く嘘ばかりつく奴ばかり。
隣人が気狂いだったら自分の生活のために何とかしなきゃいけないと思うのが普通です。
現代でも隣人は気狂いのまま。
韓国は日本なんか相手にせず縁切り宣言すればいいのに…。
毎年三・一節を祝ってるうちは日本から離れられない。沖縄ではゴーヤーを作って売ると助成金が入って儲かるから食べずに全部売って
自分達が食べるゴーヤは他見から取り寄せてるとか聞いたから
朝鮮の朝鮮産米増殖計画と少し似てるね灌漑用水路の問題だろw
金がなさすぎて用水路の保守もできてなかったんだろうよw
あと流通
台湾も日本が灌漑用水路を整備して豊かになったしな「日本に統治される前は、朝鮮人の農業は栄えていた。だから日本に統治されてからは農業生産力も減少し収奪された」
→日本人も納得する
「日本に統治される前は、朝鮮人は身分階級もなく現在と変わらない民主主義社会を形成し、日本に統治されてからは、身分差別が発生し劣悪な社会になった」
→日本人も納得する。
「日本人に統治される前は、朝鮮人の人口は最盛期を迎えていて、日本に統治されてからは、朝鮮人の過労死が発生し、人口減少するほど過酷な支配だった。」
→日本人も納得する。
しかし、事実は?
朝鮮人の身分制度→日本が撤廃させた
朝鮮人の農業生産力 →日本が増産させた
朝鮮人の人口→日本が2倍に増やした
韓国人はバカですか?
韓国人は猿以下の知能ですか?>>51
以前、朝鮮総督府の資料を読んだら
元々、朝鮮人は、気候や土地を全く考慮しない作物ばかり作っていたらしく
土地に合った作物を 選定するところから始めたらしいです。
肥料を使う事も、ほとんどしておらず、農業の生産性はかなり劣悪だった模様。
灌漑施設ももちろん無かったのですが、その必要性を説明しても なかなか理解されず、大変だったそうです。
当時の日本人担当者の 苦労が偲ばれる…韓国人は、北朝鮮の政治家選択し、コメの収奪を論じるのか?
FAO北朝鮮の乳児3人に1人は食事できない
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2019/02/13/2019021300687.html食糧収奪、食糧問屋は戦犯企業であり飢えた民族の敵だった。
帝国殖民統治に協力し民族弾圧した反民族行為者。
ヒュンダイは34年に京城の米問屋の京一商会。
38年の三星商会の一族も総統府に協力し大きくなった日帝の貿易会社。
早稲田大学留学で脚気になった、米の食べ過ぎの可能性はある、馬山に協同精米所設立した、朝鮮殖産銀行馬山支店から資金を得て自動車会社買収し物流へ、
元々朝鮮地主一族だが資金不足ではあったが、朝鮮各地の土地事業で土地購入し大地主となった、日中戦争勃発で新しく株式会社三星商会を設立し満州鉄道で満州やチャイナに食糧を輸出し大成功、醸造会社を買収し拡張、砂糖や毛織も生産開始。無慈悲な韓国式戦犯であり反民族の売国奴が蛮行で成功したとされるには十分である。>>39
本当に何でも他人のせいなんだな。
流れを考えればわかるだろうに。
結局は国とか社会を作ることが出来ない人間達なんだよな。
●韓国の対日歴史観を根底から変えるきっかけともなる本が出版された。ソウル大学経済学部教授・李榮薫氏の「大韓民国の物語 韓国の『国史』教科書を書き換える」(文芸春秋)である。
例えば、植民地時代、日本の総督府は1910~18年まで農地調査を行った。そのとき、農地の4割を奪ったというのが韓国での定説で、国定教科書でも教えられてきた。
●だが、李教授らは、土地台帳を丹念に調べ、この通説が事実に反することを証明した。日本が土地を収奪した事例は存在しなかったのみならず、むしろ土地台帳の関連資料が示すのは、総督府が土地所有の制度化において「公正」であったということだそうだ。>>57 さらに続き
●李朝末期には、土地の圧倒的部分は両班が所有し、完全に不在地主化し、耕作民と所有者の間には幾層にも中間的な管理人が介在していた。土地所有に関する権利関係は紊乱を極め、法的裏付けの全くない偽造「文記」(土地売渡書)が横行していた。従って農民の土地所有権を確立するためには、総督府の行った土地調査事業は不可欠なものであった。事実これによって初めて農民の半数以上に土地所有権が確立されたのである。
●「韓国の農民たちはいっそう貧しくなり、土地を失った」のは、「没収した農地を東洋拓殖株式会社など日本人が経営する土地会社に払い下げたり、韓国に渡ってくる日本人に安価に引き渡したりした」結果だという。
●日本人はどうせまた戦争に負けて引き上げるだろうから、今売って金を儲ける儲けておいたほうが得だと考えて土地を売る朝鮮人や、今まで高嶺の花だった衣類や贅沢な消費行動に走る農民が多く、彼らは破産するべくして破産し「いっそう貧しくなり、土地を失った」のである。>>56
この教授が、大戦後の米国式の土地改革の実態を調査すれば驚くだろう、
戦後、米国本土の大地主事業とは異なり、
非民主的な方法で財産保証せずほぼ0円で土地や財産の権利を剥奪し分解された、
農業は非効率化され破壊された。
地方や都会の食糧危機があり改革は行われていた、米軍では日本各地に食糧があったことは
統計調査でデータ化しており把握していたので主要物流を破壊した。日本の米作は失敗して
今はお米を作るとタダ働きになっちゃうケースが多いから困っちゃうね
機械や肥料や農薬でコストが高いから大量生産しないと機械の購入費が赤字になっちゃうし
お米をあまり食べなくなったから作っても余るし困った困った>>38
○韓国
×朝鮮
◎大韓帝国ところで年貢とか文字どうり対価無しで貢ということだぞ?
税の代わりに総督府が年貢で徴収したということかな?
総督府でなく市場で販売したものや契約で取引先に納品したものまで
日本により収奪と考えているなら
馬鹿じゃね?と思う
とりあえず朝鮮人が総督府に納税した実績など提示してみたら?
日本本土でも年貢として徴収とか明治の後半にはしてないと思ったけど
税金でなく年貢という米で徴収とかナンセンスにみえるな>>1
農家が商品価値の高い作物を作り
自分たちは食べないなんて普通のことじゃん朝鮮人にも学習できる奴は居る。
『韓国人「日帝のコメ収奪は歪曲された偽りです」』
http://enjoy -japan-korea.com/archives/7193807.html(スペース削除)
>スレ主の新聞資料は1920~30年代の総督府の統計ですが、1940~45年の日本敗戦直前、気が狂った時はどうだったでしょうか。スプーンや箸さえも持って行ったんですよ。
↑戦争末期は日本人も窮乏生活だった。日本人と同等に扱われたのだ。有り難く思え。>>25
日本語読めない馬鹿がドヤ顔www
内容は日本の計画がうまく進んでないけ話でマイナス要素が出た内容じゃない。
しかし、アホなので文句垂れるM3ODQyMzYであった。>>25
プラス要素羅列
>まず最初の15年で2億4千万円の経費を投じて43万町歩分の土地改良を行おうとした。
>実際に行われた土地改良は9万町歩に過ぎなかった。
>1926年に「産米増殖更新計画」として改訂して再出発した。日本政府も協力して斡旋資金2億4千万円を拠出
>資金不足で事業遂行が困難
>更に朝鮮米の大量移入は日本本土の農村恐慌を悪化させるとした世論の批判も登場するようになった。このため、1934年に事実上の計画打ち切り
>土地改良や水利改善によって生産性の向上はあったもの
・マイナス要素?いいえ、関係ない不景気の内容ですw↓
上で苦しんでるように見せて下で儲けてる矛盾w
>その反面大地主への土地集積や融資の返済に苦しむ中小農民の苦悩の深刻化、
>米の移出増大を達成するため(および不況下での現金収入のため)に却って朝鮮半島における1人あたりの米消費量が減少する- 68名無し2024/09/16(Mon) 08:37:18(1/1)
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朝鮮半島で増産した米を満州で売り、
満州の安いコウリャンを買えた朝鮮人は飢えから救われた。
めでたしめでたし。>>72
日本統治時代を否定するなら、石器時代に戻れば?
抑、ベトナムでの蛮行に対して、目を背けている韓国に日本を批判する資格はないと言っても差し支えないみたいですけどね…>>72
渋沢栄一がいなかったら、
・朝鮮には紙幣が成立出来なかった
・朝鮮には会社が10社も存在しなかった
・朝鮮には各鉄道が乱立していて、運営と統合整理も出来なかった
まず愚かな韓国人は、李氏朝鮮末期の各産業がどのような状態だったのかを知らないと、話にならない。朝鮮の近代化は、天から無料で降ってくるものではない。
朝鮮政府は近代化改革を実行しようとしても、東学党の反乱のせいで国土が荒廃し、朝鮮政府の税収が落ち込み、役人の給与すら遅延している有り様だった事を、現在の韓国人は都合よく見ようとはしない。
お米の収奪と朝鮮産米増殖計画
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