ハングルを制定し、韓国語の正書法の基礎を確立した等々の業績で偉人の少ない半島史の中でも有名な方です。だが本当に名君だったのでしょうか?韓国人の評価を教えてください。
★朝鮮時代の小説『洪吉童伝』のWiki記述は下記です。
朝鮮王朝第4代世宗の時代、庶民は圧政に苦しんでいた。(略)さらに正三品の官服に身を包んだ洪吉童は白昼堂々馬で役所に乗りつけ、権力に媚び諂う官僚を徹底的に嘲弄する。国王は洪吉童の力を認め、兵曹判書(国防大臣)に任命しようとするが、洪吉童はその要請を断って、部下とともに新天地を求めて海を渡り、栗島(ユルド)国にたどり着き、その地の王族を征服して、やがて身分差別のない理想郷を作り上げた。
★自国の女を中国に貢ぐことに尽力したようです。以下Wikipediaの記述
朝鮮の少女たちを貢女として中国(明)に捧げるために『進献色』という機構を設置した上に、処女進献を避けるために民衆の間が幼い年齢で早婚させることが流行すると即座に王族など高位層を除いて民衆のみに早婚禁止を実施した、また中国から来た使臣が1〜2か月かかる貢女を選び出す期間は半島全土に婚姻禁止令が下され選抜対象となった未婚女性は恐怖に震えた。 太宗は「処女を隠した者、針灸を施した者、髪を切ったり薬を塗ったりした者等選抜から免れようとした者」を罰する号令も出している。 朝鮮王朝実録には李氏朝鮮時代でも世宗の治世が明に対する処女進献は最多と記録されている
世宗大王は果たして名君だったのか?
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