>>16
今となってはネタだけど、韓国では信じられてたんだよな~>>12
〉給与の換金を米商人に丸投げした為に、
なんかヨーロッパのユダヤ人を連想しちまったわ>>23
朝鮮の農村形態を日本と同じだと思うから、「生産性」とか言い出す(*´エ`*)
江戸時代以前の日本の武士とは、貴種である「下野した旧皇族」である武士と、「村落共同体から発生」した武士の二本立てなわけ。
前者は血統による正統性と権威で地域の棟梁として調整役を果たし、
後者は農村の安全を守りつつ、集団安全保障としては前者に野合して大きな集団を形成するわけさ。
なので、安全と生産、商業活動と物流が地域内では安定する。
堆肥の生産体制、灌漑・水利施設の整備などが進む。
つまり生産性が上がるわけよ。
これが長い間蓄積されていたのが山城や大和などの畿内地方。
機内を制した織田氏が戦国最強と為った一因は、極めて生産性の高い地域を画一的に領したからとも言える。
これに対して、朝鮮では村落=宗族(血族)。おまけに支配者は両班。
生産性が高いと搾取されるので、元々生産性が低い。
土地への愛着もないし、安全も物流も担保されていない。
なので焼き畑農法が主体で、数年もすれば土地が荒れて使えなくなるので流民となり、別の土地へ移る。
(朝鮮末期までこの形態で、併合前の朝鮮は禿山しか無かった。今の北朝鮮は現在も同じ。)
そもそも近代以前の基幹産業である農業のあり方が違うわけ(*´エ`*)
それと、虐殺が「全く」無かったとは言わないさ。従軍した大名でも思惑がそれぞれ違う。
ひたすらサボタージュして戦うのに消極的だった大名もいれば、
積極的に戦場で戦ったり、耳を狩りまくって武勲を後方に喧伝したやつもいる。
一方で僕のご先祖みたいに倭城築城にバイトで参加してた鮮人もいたわけ。
だいたい、中華帝国では最も貧乏なカルト教団が大元の「大明国」と「李氏朝鮮」だぜ。
生産性うんぬを語る時点で、ナンセンス(*´エ`*)それと、日本人は「同じ言葉を話し、同じ文化圏の人間の側だと安全」とか思ってる奴が多いけどさ、
それが通用するのは、日本だけだから(*´エ`*)
特に大陸や半島では、血族以外は信用できない。
同じ民族(民族という概念自体が近代のものだが)ほど危険。
「唐入り」に遭遇した鮮人からしてみれば、搾取してきた階級は敵だし、
カネも仕事もくれる日本軍のほうがよっぽどマシに見えてた連中も一定数いた。
そもそも賤民からすれば、李氏朝鮮がどうなろうが知ったことではないわな。
日本が「唐入り」始める時点ですでに朝鮮は「分断」されてたわけ。
なのでわざわざ李氏朝鮮は賤民に対して
「戦争に貢献してくれたら、常民にしてあげるから!お願い!協力して!」
と布告してるくらいだし。
(戦後、その約束を破るのは朝鮮らしい後日談だけどね)
大前提で、近代以前の国家って「国民国家」ではない、
ということを頭に入れておかないと議論のしようがないわな(*´エ`*)
「日本軍が攻めてきたから朝鮮民族が一致団結して迎撃してた。」
とか、幻想だから。はぁ…
500年も昔の事をグダグダ言う民族の異常性がよ
だから朝鮮土人と付き合っちゃならねえんだよ(追伸)
ま、元々低かった生産性に追い打ちをかけた可能性は否定しないけどね。
ただし「日本軍が鮮人を殺しまくったので、生産性が低下しました」というわけじゃない。
賤民、奴婢からすれば日本軍が来ると、支配者の両班は逃げ散るわけさ。
もはや貧しい土地で春窮に悩まされる必要はない。
賤民や奴婢も逃げ出して、完全な流民になるわけ。
そいつらは、今度は食物がありそうな場所を片っ端から略奪していくことになる。
略奪された地域の賤民や奴婢も「流民」になる。
負のスパイラルが始まるわけ。
支配者と非支配者を完全に分断した、固定された社会である半島ではそういう事が起こるわけよ(*´エ`*)
それと、秀吉の「唐入り」後のことを調べてみると良いよ。
むしろ、戦後のほうが朝鮮は悲惨だぜ。
両班による、賤民・奴婢に対する大弾圧が始まる。
「裏切り者には死を」は、何も19世紀末のことだけじゃない。>>28
これよ
https://kaikai.ch/board/96944/
朝鮮征伐、明征伐の時の民兵の活躍?あと、大名の「やる気」の問題かと思われ。
近江で3万石もらうのと、
全羅道で20万石もらうのと、
どっちが良い?(*´エ`*)
僕なら前者かな。
ま、後者を選ぶ人間もいるだろうけど。
大名ごとに「やる気」の温度差は大きいと思うよ。_人人人人_
> 賤待 <
 ̄Y^Y^Y^Y ̄>>35
400年前のご先祖様に、朝鮮から渡来し、最終的には立花様の元で苗字帯刀を許された一人の鮮人がいた。
それだけの話(*´エ`*)
僕が「韓国人のアイデンティティ」を持つ必要があるのかね?
逆に聞きたい。まあ、鮮人にも極稀に半島の価値観である「恨」を捨てられる者もいるのだろうさ。
逆に朝鮮の人間のような「恨」を持つ日本人は、割とカイカイでは見かけるけどね(*´エ`*)
彼らは僕のことをやたらと「在日」認定してくる(笑)そもそも1948年に成立した「韓国」は、「唐入り」の時代にかすりもしてないんだが(*´エ`*)
韓国人のアイデンティティって何よ?>>35
それに400年も経てば、親戚なんて大量にいるんだけど。
70年以上前にブラジルに移民した遠い親戚もいれば、アメリカの日系4世もいる。
京都、東京、九州、沖縄、旭川にもいる。
君は、僕の一族が朝鮮・中華式の「宗族・血族」を日本に持ち込んで
400年以上維持してるとでも思ってるわけ?(*´エ`*)
まあ、そんな家系のやつが日本に全くいないとは言わないけどさ。
渡来人を「祖先の一人」に持たない日本人って逆にどれくらいいるの?>>39
「貿易」は20世紀の造語。
貿易の概念はアジアに置いてそれ以前には存在しない(*´エ`*)
使用できるとすれば「交易」。
交易と貿易は違う。
勉強するように。>>38
それはこのチンにでも言ってくれい
http://www.chin-jukan.co.jp/history.html
慶長三年(1598年)、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征(慶長の役)の帰国の際に連行された多くの朝鮮人技術者の中に、初代 沈 当吉はいた。
薩摩の勇将島津義弘によって連行された朝鮮人技術者達(製陶、樟脳製造、養蜂、土木測量、医学、刺繍、瓦製造、木綿栽培等)は、見知らぬ薩摩(現在の鹿児島)の地で、祖国を偲びながら、その技術を活きる糧として生きていかねばならなかった。>>39
それと国家主導の「組合」制度って、世襲・固定化・税徴収のためのものだから。
要するに中世の「ギルド」(*´エ`*)
文明度の低さをアピールしてるようなものだ。
それと「"民間""貿易"」(どっちも20世紀の造語)。
基本、交易商って海賊と兼業だから。
江戸期の日本国内における交易商は「商人」だけど、大陸や半島の商人は「純粋な商人」じゃないし。
精々ソマリア沖で暴れてる連中と同程度なんだけど、それって誇る内容なの?>>44
まあ、完全に間違いではないんだけどね。
ただそこに至る要因は違うんだけど。
基本、モンゴル人や満人が朝鮮を信用してないから、色々押し付けてるんだよ(*´エ`*)
朝鮮が自身で生み出したものなど、何もない。>>46
まあ、一言だけ言うなら。
「お前らは、僕ら渡来系を祖先に持つ日本人とは無関係。勝手なことをほざくな。」
だね(*´エ`*)
宇喜多様や立花様、その家臣たち、周囲にいた人々には恩義を感じ、尊敬と敬意を払うけど、
今の韓国人には1mmも関係ない話だ。プライベートな話だが。
僕の生家では、今も八丈に向かって白米の膳を供える。
本来なら江戸八丈の稲葉に向かって供えるべきだろうが、
ご先祖様はそれを知る前に亡くなってしまったからな。
受けた恩顧は400年経っても忘れていない(*´エ`*)
「恨」の連中と一緒にされては困る。日本、中国、ヨーロッパも商売を穢れると言っていた
日本の歴史に関して言えば、奈良時代から江戸時代まで米本位の経済体質だった(笑)つまり日本経済の根本原理は律令体制(笑)それで時代にそぐわなくなった(笑)
お金を借りても返さないから、商業賤待とやらになったんじゃないだろうか
結局は人間の信用の問題だろう>>54
日本は、年貢の換金を
諸藩は蔵元
幕臣は札差or蔵宿
がやってた。
給与は定額だけど、米収穫は年によって不作等で変動するもんだから、換金して足りない分は、札差から借金する事になる。
その借金の利息が年18%、これが大きい。
借金の担保は俸録米だから、商人はそれで財政的に台頭していく事になる。武士はそれで財政的に貧しくなる。
(一例)
千葉の佐倉11万石の堀田家は譜代大名だが、日光東照宮の本坊修繕で借金が13万両。
そして1811年、ひ孫の代になると借金が22万1160両に膨らみ、財政破綻。
そこで藩主の堀田正愛(まさちか:16歳)は蔵元の石橋弥兵衛に相談して、石橋が藩の破産管財人になる。
正愛は、自身も家来にも、倹約を徹底して食事も極貧。
20歳に蔵元の勧めで、豊前の小笠原家の嫁を貰うが、極貧生活の為に嫁に実家に逃げられる。その6年後に正愛は肝臓の病気で26歳で死去。
蔵元商人が、藩の年貢の歳入、歳出に指図をして、貸した金を取り返すという時代になってる。
幕臣クラスでも例外ではない。>>57
うーん、それを全部括るのか。だと程度問題かね。朝鮮の特殊性を比較できたら面白いが400石の旗本で大番組で、森山孝盛という人物がいた。
彼は次男だったので、家督相続したのは34歳の頃。
10年近く伊勢屋という蔵宿商人を拠点にして、毎年20両を借金して(贈答目的)、出世活動をしていたが、
1784年45歳の時に、ようやく小普請組の組頭になって300俵の加増。
森山はその祝挨拶の開こうと、その開催費用250両の借金を伊勢屋に頼むが、断られる。
伊勢屋にしてみれば、45歳で小普請組の組頭では返済出来ないだろうという判断。
困惑してる森山だったが、
しばらくすると、和泉屋という別の蔵宿商人が得意先の旗本から森山の情報を聞きつけて現れる。
和泉屋「私が引き受けますよ」と、伊勢屋の借金180両と運転資金70両を貸した。
その後、森山は御徒頭1000石に抜擢され、目付にまで異例の昇進を果たした。
侍の出世が、18世紀の日本商人には投機対象になってた。>>57
両班以外を全て卑しめたのが問題では?>>62
いや、主旨がよう分からないもんでさ近代以前の日本の「商」って、そもそも固定した階級でもなければ独占業種でもないんだけどな(*´エ`*)
海で商いしてる連中は海賊と兼業だし、貨幣を扱ってるやつは日本では寺社だったし。
補足で、戦国末まで日本では貨幣は輸入していた。
本願寺・比叡山・高野山・興福寺などは平戸経由で明国の貨幣を輸入し莫大な富を得ている。
米を売る農家も「商売」してるわけでしょ?
じゃあ、仲卸してる連中は物流を担ってるわけで、そもそも「商」にラインなんて引けないわな。
「士農工商」なんて言葉も元々儒教用語。
明治以降に江戸時代の社会構造を解釈するために使われたのが最初だし。
明治政府としては、江戸時代は"悪"だと印象操作するため。
中華・朝鮮の儒教文化の弊害を知り尽くしていたので、それとリンクさせたわけ。
で、儒教文化ではどうだったかと言えば、中華はそもそも商売で成り立っている。
漢人の国だった明国は別にしても、「唐」にしても「元」にしても異民族による帝国。
漢人みたいな文明ではないので、普通に商売してるからねぇ。
で、自ら「漢人」と名乗っていた両班がいた朝鮮はどうだったか。
働かない、走らない、頭を使って指示を出すのが「両班」。
今で言えば、起業するだけの才能もない、定形の業務をこなすのが得意な「官僚」みたいなもの。
彼らからすれば、働いてる時点で「侮蔑」の対象だし、金儲けまでしてたら嫉妬しか無いでしょ。
考えるまでもないよ(*´エ`*)そもそも、農村から発生した「武士団」に「商い」に対する差別意識なんて無いからねぇ。
自衛するにも刀や鉄砲、武具が必要。
それら村落では生産できないものを、余剰生産品を「売る」事で入手してたわけで。
「武士団」を被官化したり、国人衆を経由して統制していた戦国大名や寺社は、
商業活動を行う有力な人間には「座(地域で独占的に商売する権利)」と呼ばれる特権まで与えている。
日本と朝鮮では、環境が違うんだよね。世界中で古代、中世は、商業は卑しいといっていた
商業賤待をしたのは李氏朝鮮だけか?
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