>>15
その人格者や成功者が、韓国人の盗人や詐欺師だらか問題なんだよ!>>1
儒教の理想のはずの仁がまるで見られないのも支那と朝鮮の面白いところ2500年前の孔子から始まる東アジアの文化である。
薬も毒となる。
朝鮮の朱子学系は、極端にいえば儒教の思想無き習慣では、統治実用品として広く拡散したが、儒教の思想自体は学んではいない、日本の農民のほうが深く知っている。
理屈や感情の構造は朝鮮儒教習慣により庶民にも他の信仰と比べてもっとも影響があった考えられる。
理屈が独特である、社会の中で形式化された理が問題である。>>23
朝鮮がというより、中国は文化大革命で儒教を薄めたから。宗教と思想の違いは
受け取る側の問題だよね
疑問を持って探求するなら思想だし
盲目的に信じたり、強要するならば宗教だ
従って
朝鮮思想は全て「宗教」!儒学は宗教ではない。儒学者は無神論者
>>34
確かに宋学と後醍醐天皇は関係ないかもね
wiki 建武の新政
研究史:1965年に佐藤進一が「後醍醐天皇は宋学をモデルとした皇帝独裁政治を企み鎌倉幕府を滅ぼした」という説を発表し[115]、後には森茂暁もこの説に沿って解説をする等[116]、この独裁君主論は長らく通説として支配的だった[117]。しかし、新田一郎が指摘するように、宋学そのものに君主独裁に直接的に結びつく内容は存在しない[117]。小川剛生も、難関な哲学体系である宋学と討幕運動を結び付けるのは、飛躍がありすぎるとしている[118]。宋学の一つである朱子学が曲解されて、上下の身分秩序を重んじる名分論に発展したのは、多くは山崎闇斎ら江戸時代の学者の産物である[119]。また、佐藤は宋学を勉強するうちに宋の独裁政を学んだのだと主張するが、史料的根拠がない上に、そもそも(名前から誤解しやすいが)宋学は宋の国学ではなく、宋学が中華王朝を支える学問になったのは、後醍醐天皇が1339年に崩御してから30年近く経ってから成立した明(1368–1644年)の代からである[117]。思想だけではなく、法制の側からも、1990年代からの研究の進展により、後醍醐天皇は鎌倉時代末からの流れに沿って中央集権化を徐々に進める傾向ではあったものの、独裁制と名付けられるほど特徴的なものではなかったことが示されている[117][120]。>>1
子曰くとは、目上の人であり先生である、
先生の言うことは常に正しい、嘘を言うはずがないし
それを責められることもない、
だから、社会はどんどん嘘ばかりになっていく、儒教ってより
もともと、朝鮮人の価値体型があって
それに呼応して、「朝鮮式の儒教」にローカライズされただけだろ?
慣習や価値観は、民族性だ。儒学は宗教でないと思うが
>>34後醍醐は、チンギス・ハンみたいになりたかっただろう.世界史で後醍醐に似た人物は、チムール、イワン雷帝、最近では,スターリン。醍醐とは鋼鉄と言う意味,後醍醐自身,生前に後醍醐と名乗った。チンギス・チムール、スターリンも鋼鉄と言う意味だ
宗教とは人の生き方を教え諭す教義だよ。
日本人は日本人として生きるように教え諭されて育つ。日本人教だね。
神や超常現象的なものはその教えに説得力を持たせるための装置だね。
日本人教のそれはお天道様だね。
儒教は生き方と言えばそうだけど、そこに人の生き死にまであるのかな?
そういう覚悟が無いから朝鮮は人として駄目なんだよ。>>1
儒学というのは、日本の用語。
社稷を祀るところから孔子の思想は始まっていて、社稷を祀るというのは道教と異なる中国人の風習を基にしてるので儒教となる。
忘れちゃいかんのが、身分制度で、孔子の嫌う怪力乱神ってのは、後に道教となってゆく庶民レベルの信仰。
一方で社稷を祀るのは、支配階級の信仰。
儒教の本質は、地産を無限と考える等、かなり非科学的、かつ独善的なものであり、晏子によって排斥されたのも、管仲の頃から地産を有限と考えて、上田、中田、下田にわけて考える斉の国の政治家から見れば、現実を見ずに宗教的な葬式や祭祀等、無駄金を使うなど害毒でしかないから。
自然に対する態度がキリスト教と共通するので、キリスト教による中世の停滞と前漢武帝時代から清に至るまでの儒教による中国の停滞は根が同じ。
ある意味、今、韓国が李氏朝鮮に戻ろうとしているのも、本質的なところで儒教の悪い部分を
属国意識から来る精神的勝利で磨きあげた朝鮮儒教の影響。韓国人の言う「儒教」ってのがどれだけ本来の「孔子の教え」
から遠く歪んでしまっているかを彼らは知らなすぎる
知らずにやたらと「非礼だ!」とか騒ぐのがおかしい
白川静の「孔子伝」とか、中島敦の「弟子」とか
韓国人にこそ読んでもらいたい
小説の「陋巷に在り」も相当面白い。酒見賢一って
ラノベの祖の一人だと思う
アニメ化したらいいのにとずっと思ってる本質は、どんなものでも例外無く腐るということ。
仏教でもキリスト教でも神道でも政治制度でも教育制度でもバナナでも水でも。
しかし現実では、何故、朝鮮人が腐っていて日本人は腐って無いのか?
この問の答は難しい。
残念ながら私にはよくわからない。
それが朝鮮人だからとしか言えない。儒学は、宗教より、道徳
유교는 이슬람처럼 여자 얼굴을 볼수 없게 만든
이슬람이다
유교 이슬람은 흑인 종교다日本人が 韓国の儒教をみて おかしいと感じるのは、
韓国の儒教が 朱子学で、
日本の儒教が 陽明学だからだと思うよ。>>44
読んでみたが、難しすぎる
基礎知識が全くない上に、書き下し文の意味がわからない
たぶん十分の一も理解できない
孔子は一家の巫女の私生児で儀礼に詳しかった。礼には仁(優しさ)が必要と考えた。思想的にはもともと反貴族の立場で、亡命を繰り返した。
同時期の思想に墨家があり、墨家は技術者集団で反戦で義を重んじた。
孔子の仁と墨家の義の違いは何かといえば、墨家の子供が悪事を行い父親はその子を処罰するように差し出した。これが義。孔子は父親なら子供をかばえという。これが仁。
孟子は、孔子の仁と墨家の義をまとめ?仁義とし体制迎合的な思想として広めた。
と、とりあえず表層だけ理解したが、やっぱり理解できていない
儒教を国教としたのは中国の後漢でもそうであって、朝鮮だけではないらしい自分勝手で我儘な考えの教えだよな
家畜民族の朝鮮人には朝鮮儒教がお似合い。
>>53
>>54
何度も言うがお寺にお墓があるのは、儒教の影響だよ
もともと、お寺は修行の場所。お墓を管理するところでないね
wiki 葬式仏教
葬式仏教(そうしき ぶっきょう)とは、本来の仏教の在り方から大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の形骸化した日本の仏教の姿を揶揄した表現である。
釈尊の葬送に関する記述として次のようなものがあり、葬儀否定論者の根拠ともされる。
釈迦は弟子に死後の遺骸の処置を問われた際に、僧侶は遺骸の供養等考えず真理の追求に専念すべきだ、供養は在家の信者がしてくれる、と答えたとされる。
そもそもバラモン教では手厚い葬儀を人生の通過儀礼と重視していたので、それに対し仏教教団は業思想を背景に火葬、土葬などで簡素に葬儀を行っていた。 インドから中国へと伝播し民衆へと教化が行われるうちに、漢民族の道教や儒教に由来する先祖供養の民間信仰と習合した、仏教の葬送儀礼が日本に伝わった。例えば位牌は、儒教の葬礼に用いられる神主(しんしゅ)が変化されたものだと考えられている。>>19
今の朝鮮人そのものだなww当時の外国人達の記録で科挙試験が賄賂収集所になって誰も勉強なんかしていなかったことは知られている。
朝鮮の儒学は朝鮮人が朝鮮するための言い訳の道具に過ぎない。孔子と「儒教」は別だ(*´エ`*)
孔子を知りたければ、論語を読め。
四書五経なんぞカルトにすぎない。う~む、もう少し儒教史を踏まえた議論をした方が良いんじゃないかなあ。
最近出た『漢帝国―400年の興亡』渡邉 義浩・著(中公新書)は、漢帝国史と謳っておきながら、実際には儒教国教化の経緯を中心に記述されており、春秋三伝の位置づけなどを踏まえ、儒学がどのように儒教へと変容していったかが示されているし、『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか 日本と中韓「道徳格差」の核心 』石平・著(PHP新書)では、朱子学まで含めて、孔子の原思想と儒教がいかにかけ離れたものであるかを示している。どちらも新書レベルだから、気楽に読めるよ。というか、このレベルの記述が理解できないのであれば、そもそも儒教についてについて語るべきではないな。
残念ながら、このスレッドでは「宗教」という概念を曖昧にしたまま、それぞれが思うところを語っているので、まるで議論が成立していないね。同様に、儒教についても、その中身の歴史的変遷を踏まえないと、まるで話がかみ合わなくなるよ。
>>1
> 一般的に宗教と言えば多くの場合、神や仏の存在、魂の不滅、天国や地獄などが語られていると思います。
そういう宗派もあるというだけで、神仏などの超越者や天国地獄などの要素が「宗教」の必要要件ではないよ。実際、元々の仏教には特定の仏とか、天国地獄という観念は存在してない。それらはすべてバラモン教など他宗教の影響で後から持ち込まれたものだ。
さて、朱子学は新儒学と呼ばれたり理学と呼ばれたりすることもあるように、道教や仏教の影響を受け、あるいは対抗するために、従来の儒学を踏まえ、なかなか壮大な宇宙論や形而上学を展開しているところに特徴があるんだけど、一方で宋朝以降の皇帝絶対体制を擁護するような世界観を提供している。そこでは名分論、華夷秩序論などが展開され、為政者にとっては甚だ都合のいいものなので、明朝以降は公式の教学として科挙に用いられた。ただし、中国において、朱子学以外の儒学解釈が禁止されたわけではない。あくまでも科挙の試験内容が朱子学に沿っているというだけだ。つまり、中国では朱子学は公式な儒学典籍解釈とされただけで、宗教と呼べるほどドグマ化、自己絶対化がなされたとは必ずしも言えない。
そんな朱子学が朝鮮に入って性理学と呼ばれ、先鋭化し、宗教化していった過程は、初期李氏朝鮮史を参照してくれ。>>61
そもそも「宗教」を定義付けするのが無理。
100人の宗教学者がいれば、100の定義があるのが「宗教」。
語句の定義も出来ない時点で・・・・。
まあ、タイトルの時点ですでに破たんしている(*´エ`*)>>61
離れた図書館に所蔵がありましたので読んでみますシナ大陸における漢の時代並みの古代人
それが残っているのが儒教に染まった大韓民国何だよね
三国志正史だけでも読み解いて儒者の記録を見ると嘘を繰り広げレッテル張りして相手を引きずり下ろし、党争を行い、奴隷と儒者と蛮族で差別しまくってる
現代の韓国人とそっくりなんだわ>>64
漢代の中華に失礼だよ。
孔子の論語と「儒教」がかけ離れたのは、秦代の法家の台頭もある。
儒教は法家思想の影響をかなり受けてる。
法家の思想を簡単に言ってしまえば「力は正義なり」。
「権力者には徳があり、故に正義である。正義の行う事こそが法である」
法家が退けられると、法家の思想を取り込む形で発展したのが儒教。
孔子の教えから、かけ離れる形で、その後朱子学等に発展していく端緒だよ(*´エ`*)>>59
ずれているのはいつもお前だ>>61
『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか 日本と中韓「道徳格差」の核心 』石平・著(PHP新書)
遠く離れた図書館から借りるのが面倒だったので、結局、書店で買って読みました。
良い点?
秦は『法家思想』で厳しい法律で国民を縛った。漢は『儒教』で厳しい道徳で国民を縛った。と考えるとわかりやすいか?
孔子から朱子学までの儒教の変遷が分かりやすい。で朱子学までの『儒教』を批判し、孔子の『論語』を持ち上げる
欠点
朱子学から陽明学の部分は、さわりだけ押さえているが、陽明学を解説すると儒教は「悪」と言うことにならなくなるので、著者は逃げたのか?
そもそも、論語自体が改ざんされているという説があるが、そこもスルー。著者に都合が悪いからか?
『第四章 朱子学を捨て、『論語』に「愛」を求めた日本』という章を作りながら、解説している日本人は伊藤仁斎だけ
確か、論語で孔子が喪に服するのを3年と決めていて、弟子が1年でいいのでは?と言ったら孔子が怒ったという話
弟子の顔回が亡くなって孔子が涙を流したときに、弟子が葬儀で涙を流すのは親族だけではなかったのですか?と聞いたという話
などが白川静の『孔子伝』に書かれていたと思う。
そういうメンドクサイ話もこの著者はスルー
『論語』はつまみ食い程度で読めばいいのかもしれないが、実践しようとすればいろいろな決まりごとがうっとうしいと思う。その辺が孔子が諸国に受け入れられず、亡命をし続けた原因かとも思う。>>61
『漢帝国―400年の興亡』を図書館から借りて読みました。
『項羽と劉邦』から『三国志』までの間の知らない部分が埋められた感じ
儒教的には曹操が悪人で、劉備が善人扱いされるのがわかる。
これから曹操を中浸透した三国志を読み直すのも面白いかも>>29
神がいないとはいってない。神について語らないだけ。結局、朱子学の性理学がよくわからないので『朱子学と陽明学』小島毅を図書館から借りて読んだ
前段階として、孟子の性善説があって、そこから朱子学は派生した考え方をする。
そしてすべての人間には『理』がありそれは『天理』とつながっているとする。そこに『気』という仏教でいえば煩悩みたいなものがあり、それを正しくコントロールするには『礼』が必要である。として朱子学はそういう体系の書籍をまとめて、座学で学ぶべきとした。
それに対して、陽明学は前半は朱子学と同じだが、そういったものは座学ではなく人の心を探求することで習得できる。実践から学べるとした考えかたらしい。
朱子学の祖先霊の考え方
『祭祀にあたっては君が精神をひたすらに集中させて相感じるようにする。祖先は流れを受けた気なのだから、感じることができるのだ』
『ここで子孫の側が誠と敬とを尽くすならば、祖先の気はここにいる。一つの苗に由来しているのだ。木が枯れても、その脇に新しい根が生えてくるようなもので、この気を正しく受け継いでいるのだ』
そのままの自然崇拝の考えみたいだ光圀の水戸藩は朝鮮のように儒教を取り入れて仏教を弾圧したようだ。
光圀の葬式も儒教形式で行われている。
水戸藩と言えば、『大日本史』の編纂
日本史なのに、漢文で書かれ、南朝の滅亡で『大日本史』は終わっている。
完成したのが明治に入ってから・・・
中国の儒教の考えで日本の歴史解釈をし直したものらしい。
それまでは、北朝も南朝も正統と考えられていたが、南朝のみを正当とする。
実際は、尊氏と関係なく持明院統と大覚寺統の対立はそれ以前からあったし、後醍醐天皇は大覚寺統の傍流で中継ぎとして即位したらしい。
そういう儒教的解釈は、三国志で魏と蜀がどちらも正統と考えられたのが、宋の儒教的解釈によって蜀のみ正統とすることも行われたらしい。
水戸学(儒教と結びついた神道)の明治維新後の影響として、それまであった神仏習合の考えと廃仏毀釈で弾圧
南北朝の争いの後、安国寺を建てて勝者敗者の両方を祀ったのを、維新後の靖国神社では皇軍側は祀るが幕府軍側は祀らないどころかまともな埋葬も許さない
とか
『国体』の言葉は、宋の名臣として知られる欧陽脩が書いた上奏文
『今の大臣たちは国体に思いをはせることもなく、私的な恩義をたてることだけを考えている』
『いずれも君主としての徳に欠くことあり、国体にかかわる』
として使われており、日本の儒学者がそれを取り入れた
(それ以前にも、中国で『国体』が使われているが意味が違う)
『英霊』幕末の水戸学者の藤田東湖が、宋の文天祥を英霊と詠んだ漢詩『和文天祥正気歌』が元となっている。(中国では『英霊・英魂』は古くから使われている)
『維新』 儒教の『詩経』からの引用儒学は別に宗教ではないだろ。宗教なのは朝鮮儒学。
水戸学的『理気論』の解釈
天地(世界・宇宙)には唯一正しい道理『理』がある。これは場所が中国だろうが日本だろうが、宋代だろうが今だろうが変わらない。人間世界の道理としての根本にあるのが、君臣・父子・夫婦のあいだの差別的秩序=人倫である。
したがって、臣下たる者は、自分の君主に絶対的忠誠を尽くし、いざというときには生命を捧げなければならない。これが人たるものの『理』である。
一方、人は気によって構成され、生命活動を営んでいる。若いころはその活動が活発で生命力にあふれているが、年をとるとともにしだいに衰え、やがて死ぬ。気は生命の原動力である。通常、人が死ぬと気は散じて天地(世界・宇宙)の中に融け込んでいって、別のもの(生命体であると非生命体であるとを問わず)の気として再利用される。
ところが、不慮の死(君主のための戦死もその一例)で亡くなった場合は、まだ生命力が充溢した状態であるため、気は散じない。とりわけ君主に忠誠を尽くすほどの立派な人物の場合は、もともとすぐれた気によって構成された人なので、その気はばらばらにならず、そのままの形で残っている。
われわれ生者は、理のために死んでいったすぐれた人たちに思いを馳せ、彼らを追悼することによってその人の気をたたえ慰めなければならないし、そうすることによって当該人物の気は落ち着きどころを得るのである。
あくまで、水戸学の理気論の解釈で。一般的な理気論の解釈ではない。>>1
ヨーロッパの若者は教会など行かないし、教会は観光地でしかないんだろ。生き方に迷いに迷っているアメリカでは、テレビ伝導師がいたりして教会に通う人々がいるらしいが。新大陸ではない新大陸で、新国家を自由の名の元に創ったアメリカの自由が迷っているように思う。
儒教と直接は関係ないが、海外の大学では神話などの共通性を偶然の一致とそうでないものを検証し、
宗教や信仰の流れで人や物の流れを見ようとしているものがある。当時の地域文化変化や政治経済的な部分の裏側も推測できる。
北欧、ポリネシア、中東、地中海、日本の神話も世界各地と細部まで同じものもある。
偶然であるなら朝鮮の朱子学でいうなら万物の原理や法則性だとするものなのだろう。
儒教もまた、大陸各地や海洋が狭くなっていた時期に創られたもの、借り物も少なくないのだろうね。
『儒学』という宗教
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