- >>930 
 源義経と源頼朝の父は
 金の5代皇帝、完顔雍(生年1123年)なんだな?
 それなら
 完顔雍=源義朝
 で良いんだな?(笑)
 平治の乱は誰と誰が戦ったんだ?(笑)
- 悪源太義平は源義朝の長男 
- >>935 
 一次資料で家系図ってあるのだが(笑)
 「韓国昔ばなし」では検証しないと(笑)
 お粗末!
 それで(笑)
 源義経と源頼朝の父は
 金の5代皇帝、完顔雍(生年1123年)なんだな?
 それなら
 完顔雍=源義朝
 で良いんだな?(笑)
 平治の乱は誰と誰が戦ったんだ?(笑)
- このあと 
 日本史、金史、モンゴル史
 モンゴルの侵攻にあった中央アジア、イスラム国家の歴史
 と
 まだまだ聞くことあるから(笑)
- また、深夜か早朝かな?(笑) 
- >>940 
 正解は別のところで、堂々めぐりでしたわ(笑)
- ローマ帝国を滅ぼしたアッティラ(406?-453)が高句麗の広開土大王(374-412)である! 
 アレクサンダー大王の部下将軍がバクトリア王国ウズベキスタンに大夏を建国、
 その後孫ギリシャ人が陝西省に北夏を建国。
 高句麗(=北魏)がローマ·ギリシャの中国の北夏を滅亡させる(夏、407年-431年)、
 その北夏 都の統萬城はローマ·ギリシャの建築である!
 西ローマ帝国(395年–476年)
 アッティラ(=広開土大王)がイタリアのローマに進軍して完全に征服したのは西暦452年で
 西ローマ帝国の滅亡は476年であった
 平氏が高句麗の広開土大王(=アッティラ)で、
 源氏がローマ皇帝だった
- ローマ帝国を滅ぼしたアッティラ(406?-453)が 
 高句麗の広開土大王(374-412)である!
 キジル壁画のトハラ人( 大夏)の服は
 ギリシア·ローマ人の服に似ていて
 ロシア人の中世貴族の服にそっくりだ
 アレクサンダー大王の末裔、419年、Helian Boboが建設
 ウズベキスタンのバクトリア王国(大夏国)が
 中国陝西省に北夏(統萬城)を建設
 ギリシャのアーチ型の建物と同じ
 統萬城の壁画
 髪型と服がギリシャ人の典型的な姿だよww
 >>>
 アレクサンダー大王の末裔、
 バクトリア王国(大夏国)と後燕の始皇帝の秦氏は
 127県の百姓を率いて日本へ帰化ww
 わあ、4万人のロシア人のギリシャ人たちが
 日本に来て八幡宮を作ったのww
- 万里の長城と匈奴について調べてみた?  YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=_MonrqC6kiE YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=_MonrqC6kiE
 夜だからそれっぽい曲を添えてあげようかな
- >>947 
 「漢王朝の武帝がパルティアの通貨文化を模倣して作ったものである可能性がある」
 原文網址:https://read01.com/M2Mdmd7.html
 ちょっとググったほうがいいよ…
- >>949 
 はい、バクトリアの場所確認しようね(笑)
 海から遠い大陸の中央部は乾燥して、人が暮らすには厳しい環境になる
 (中学生の地理(笑))
 バクトリアはその乾燥地帯の西側
 ユーラシア大陸の西側の国家から見れば、バクトリア地方までが、統治するに値する利益が出る土地
 それに、イミナり君の説だと
 アレクサンダー大王はインド征服してヒマラヤ越えしたんだよね?
 その説はやめたの?または、異なる時間軸のアナザーワールド的な話?(笑)
- おまそれ中国の地図全然時代ちがうじゃねーか!って書こうとしたら>>948にもう書いてあったw 
- 超時空江戸幕府に続いて超時空アレキサンダー大王w 
- >>951 
 八咫鏡って、伊勢神宮にあった御神体一枚と、皇居にあったレプリカの三枚なんだけども
 どちらも一般公開されてないんだよね
 「ギリシャ文字ガー」とか、どっからそんなエセ情報を拾ってきたの?wwwww
 しかも伊勢神宮は過去に三回も火事起こしてて、八咫鏡は焼失してるんだよね
 (伊勢神宮にいま置いてるのは作り直したやつ)
 皇居のレプリカも火災で三枚とも焼失してて、いまは金属片とか燃えた残骸しか無い
 誰も現物見たことないはずなんだけど
 ギリシア文字は誰が公開したの?wwwwww
- ここも終わりにしたいので 
 あと50位なにか言えんの?
 韓国人が考える歴史を書き換えるに値する「証拠」って、この程度ですよー
 って、スレ主の発言を見事に証明してくれるイルミナ君
 「韓国昔ばなし」は面白くて、私は好きなのだが(笑)
- >>956 
 なんでもかんでも超時空に解き放つK妄想の威力wwww
- >>958 
 そもそも、八咫の鏡にその文字が本当に書かれていたと、どう証明するの?(笑)
- 画像検索かけたら竹内文書とか日ユ同祖論がでてくるな。 
- たけうちもんじょwww 
- また、明日の朝かな?(笑) 
 今度は何処の話を蒸し返してくるのかな?
 朝鮮熊がアレクサンダー大王によって、チベットに島流しになるあたりかな?(笑)
- やばいwwwwww 
 竹内文書wwwwwwwwwwww
- ちなみに八咫の鏡の話も蒸し返し(笑) 
- 今回初出?は、ここだけ 
 ローマ帝国を滅ぼしたアッティラ(406?-453)が
 高句麗の広開土大王(374-412)である!
 でも、言い張ってるだけで何の証明もしてないので相手にせず(笑)
 生まれた歳が近いというのが根拠なのかな?(笑)
- 年齢違いすぎwwwwwwwww 
- ヨーロッパと韓国と日本の同じ動物の発音! 
 Dog 犬の発音!
 韓国語 = Kae (=Cae)
 イタリア語(ローマ語)=Cane
 ルーマニア語=Câine
 ブルガリア語=Kuche
 ハンガリア語=Kutya
 エストニア語 = Koer
 フィンランド語=Koira
 日本語= Inu
 カザフスタン語 = Ït
 アゼルバイジャン語 = Ït
 ヨーロッパの犬の言語の発音は
 韓国語はイタリア語(ローマ語)とバルカン半島と
 フィンランド語に似ているし、
 日本語はカザフスタン語とアゼルバイゼン語に似ている
 やはり
 源氏はヨーロッパのイタリア語(ローマ語)と
 バルカン半島の末裔であり、
 平氏はカザフスタンの高句麗系の末裔だった
- >>970 
 言語体系もっと勉強してください
 バカすぎます
- 韓国人の白人コンプレックスが丸出しだなw 
 格好悪いなw
 アジア人であることに誇りを持てよ。
 大体の白人は馬鹿だぞ。
 そもそも遡る期間を自分達で決めて、起源を探ることに何の意味があるんだ?
 地球人全員アフリカがルーツでいいだろ。
- >>974 
 君は会話が出来ない人なのかな?
- ペルシャの史書 (Tarikh-i-Arba' Ulus) 
 すべてのトルコ人とモンゴル人の始祖は高句麗のOghuz Khaganであり
 父親は高句麗の乙支文徳(Alaili Han)だった
 トルコ語で古代の発音は、オグ ズはkho gu r、つまり、高句麗の王なんだ
 Alaili Hanの子孫がタタール·ハーン=(高句麗の大對盧 王)
 Tatar 「タタール8カン」8王の名前
 1タタール·カン-泉子遊
 2ボコ·カン- 泉太祚
 3アリンザ·カン-泉蓋蘇文(=淵蓋蘇文=伊梨柯須彌) 券24 天豐財重日足姬天皇 皇極天皇 参照
 4アダリ·カン - 泉男生
 5アドシズ·カン-泉男建 ➡Shad Tutukカン= カザフスタンのErti川に国を建てる
 ウラル川とアラル海でKimaks
 6オルドゥ·カン-泉男産
 7ボイドゥカン- 泉獻誠
 8スユンジ·カン-泉福順
- トルコ人の始祖、 Oghuz Khan 
 ペルシャの史書 (Tarikh-i-Arba' Ulus)
 すべてのトルコ人とモンゴル人の始祖は高句麗のOghuz Khaganであり
 高句麗の乙支文徳 将軍(Alaili Khan)の曾孫だった
 トルコ語で古代の発音は、オグ ズはkho gu r、つまり、高句麗の王なんだ
 乙支文徳 (525年 ?) Alaili Khanの子孫が
 泉子遊 タタール·カン=(高句麗の大對盧 王)と
 弟モゴル カンMogol khan ➡Kara khanカラ カン ➡Oghuz Khan (595年 ?) (トルコ人の始祖) kho gu r =高句麗
 Tatar 「タタール8カン」8王の名前
 1タタール·カン-泉子遊(545 ?)
 2ボコ·カン- 泉太祚 (568-631)
 3アリンザ·カン-泉蓋蘇文(593-665)(=淵蓋蘇文=伊梨柯須彌) 券24天豐財重日足姬天皇 皇極天皇 参照
 4アダリ·カン - 泉男生(634-679)
 5アドシズ·カン-泉男建(635년- ?) ➡Shad Tutukカン= カザフスタンのErtis 川 Иртыш 川に国を建てる
 ウラル川とアラル海でKimaks
 6オルドゥ·カン-泉男産
 7ボイドゥカン- 泉獻誠
 8スユンジ·カン-泉福順
- トルコ人の始祖、 Oghuz Khan 
 ペルシャの史書 (Tarikh-i-Arba' Ulus)
 すべてのトルコ人とモンゴル人の始祖は高句麗のOghuz Khaganであり
 高句麗の乙支文徳 将軍(Alaili Khan)の曾孫だった
 トルコ語で古代の発音は、オグ ズはkho gu r、つまり、高句麗の王なんだ
 乙支文徳 (525年 ?) Alaili Khanの子孫が
 泉子遊 タタール·カン=(高句麗の大對盧 王)と
 弟モゴル カンMogol khan ➡Kara khanカラ カン ➡Oghuz Khan (595年 ?) (トルコ人の始祖) kho gu r =高句麗
 Göktürkは(552-745)
 高句麗の乙支文徳将軍の曾孫の
 Oghuz Khanの四男、Gök khanの国
 615年、Göktürkは高句麗と連合して
 中国の隋の王、楊廣を捕虜にした
 結局、Göktürkは高句麗の領土なのだ
 領土はヨーロッパの黒海から中央アジア、満州まで
 高句麗の韓国の領土だった
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