文 在寅が朝鮮半島の平和についてガンジーに言及している。
俺は、ガンジーは最も尊敬する思想家だ。
俺がガンジーを尊敬する理由は欲望を乗り越え、中でも憎しみという欲望を乗り越え、愛と赦しの大切さを説いたこと。それがあって初めて平和が成立すると思う。
文 在寅はガンジーを冒とくしている。文 在寅はガンジーを引用する資格がない。
文 在寅大統領は戦争の被害を受けた世代でもないのに、戦争の加害をした世代でない日本の戦争責任を追及している。
加害者と被害者の地位は永遠に相続されると言っているようだ。
これでは、国家間の和解なんて成立するわけない。
どうも、韓国内でも似たことをやっていて、戦争中に親日だった人の責任を追及していて、その子孫の責任も追及しているとのこと。
ガンジーの思想の重要な部分、憎しみを乗り越え、愛と赦しを行うということから完全に外れている。
こんなガンジー思想を冒とくする文 在寅と日本は関係改善をするのは無理だと思う。
韓国との関係改善は無理だとあきらめ、韓国以外の国との関係構築に努めるのが日本や世界の人権と平和を守り、人種差別や全体主義に反対するのに有効。
ガンジーを冒とくする文在寅
文在寅はつくづく最低でひどい人間だと思う。文大統領は同日午後、国連本部で開かれたマハトマ・ガンジー誕生150周年記念行事での演説で、「『平和への道はない。平和こそが道なのだ』というガンジーの教えは、国連の精神や朝鮮半島平和の羅針盤になった」とし、「恒久的な平和時代を切り開いている韓国人にとって、ガンジーは知恵と勇気を与える偉大な師匠だ」と述べた。文大統領はこれに先立ち、何度も「平和こそが唯一の望み」だと述べ、朝鮮半島和平プロセスへの意志を強調してきた。彼は同日、国連総会の演説でも、「南と北、国際社会が参加し、非武装地帯を国際平和地帯にしよう」と提案した。
1946年にインド東部で大規模な宗教暴動がありました。独立の間際だったのですが、カルカッタを中心にヒンドゥーとムスリムが衝突したのです。この暴動によって、双方に多くの死者が出ました。ガンディーはカルカッタに駆けつけ、「死に至る断食」を始めます。
ある日、ガンディーのもとに一人の男が血相を変えてやってきます。彼は、ガンディーに向かって言います。「自分はムスリムだが、自分の大切な息子をヒンドゥー教徒に殺された。それでもあなたはヒンドゥー教徒を赦せと言うのか」と。
ガンディーは「そうだ」と言い、次のように言いました。「あなたはこれから、孤児になった子どもを自分の息子として育てなさい。その子どもはムスリムによって殺されたヒンドゥー教徒の子どもでなければなりません。そして、その子をヒンドゥー教徒として育てるのです。その子どもが立派に成長したとき、あなたに真の赦しがやってくるでしょう。
このガンディーの思想や行動に大きく心を揺さぶられ、ここにこそ「憎悪の連鎖」を断ち切る大きなヒントがあ思いつつも、ガンディーがここで「真の赦し」といっていることの深い意味がわからず、「獄中からの手紙」を読み返してみようと思い立ちました。これが今回の企画の発端でした。そして、ガンディー思想の優れた読み手である中島岳志さんの解説のおかげで、この疑問が少しずつほどけていきました。ガンジーはアパルトヘイトは容認してたんやで
ガンディーにとって重要なテーマは「赦し」だった。憎悪の反復は、最終的には何も生み出さない。怒りを超えた「赦し」によってこそ、次の平和に向かって進むことができるというのだ。このようにガンディーの「非暴力」思想は、単に暴力を否定するだけのものではない。「怒りや敵意を超えろ」というメッセージが込められている。攻撃的な言葉で敵を攻撃し、声を荒げることも暴力にほからなない。ガンディーは敵対する人々に対しても、「祈り」「断食」といった自己変革を伴う運動によって、相手の心を動かし、高次の対話につなげていこうとするのだ。第三回は、ガンディーの非暴力思想に込められた深い意味を読み解いていく。
危険なほど密集したインド人居住地にアフリカの黒人たちを移住させることに抗議して、イギリス人当局者に書簡を送った。遺憾なことに、彼はくだんの抗議文の中で南アフリカの社会的矛盾を例示するカフィア(kaffir)という言葉を使ってしまった。それは、通常、白人たちが黒人に侮蔑の念をこめて使うニガー(黒ん坊)を意味するものであった。この差別用語「カフィア」を使った抗議文こそ、ガンディーを南アフリカ黒人差別主義者として論難する根拠となり続けたものである。本論文は、そういう誤解を招いた問題の書簡を社会的にも歴史的にも正当な論脈の中で考えなおし、「ガンディー」即「人種差別主義者」という偏見を正すために書いたものである。
批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
* * *
米国で奴隷の子孫への補償を求める声が高まっているとの記事を読んだ。アフリカから強制連行された奴隷が独立前の米国に足を踏み入れたのは、1619年。今年で400年となり、節目を期に議論が高まっているという。
奴隷制は忌まわしい過去である。リンカーンによる奴隷解放宣言から1世紀半、公民権運動からも半世紀が経つが、いまも米国にはさまざまな格差や差別が残り、その原因は遡(さかのぼ)れば奴隷制に帰着する。社会全体としてその過去に直面すべきだ、との訴えは正当だろう。トランプ政権下での白人至上主義の復権も背景にある。
とはいえ、個別補償が解決になるかといえば、判断はむずかしい。奴隷制は1世紀以上前に廃止されており、生存者はおらず遺族の確定は困難だ。拙速な議論は分断を深めるだけにも思われる。
近年、歴史的事件について、被害側(被害者だけでなくその遺族や子孫など)による責任追及や補償の要求が世界的に強まっている。グローバリズムや多文化主義の進展、SNSの普及などがそれらの声を後押ししている。日本もまた韓国とのあいだに論争を抱えている。
人間は悪を犯す。それを記憶し未来に生かすことは不可欠である。加害者の反省と被害者の救済は絶対に必要だ。
けれども、その追求はどこまで遡行できるだろうか。世紀単位の過去について、先祖がいかなる加害にも関わっていない集団などあるだろうか。人々を加害側と被害側にわけ、後者の訴えを無条件に支持することがいまの「リベラル知識人」の流行だが、それはときに思考の怠惰にも見える。被害側の権利要求は新たな憎悪につながることもある。歴史はそんな皮肉に満ちている。
加害側は加害を忘れる。あるいは忘れたふりをする。被害側はその忘却を阻止するため、要求を次々と過激化させる。いま世界中で起きているのはそのような悪循環だが、そこで本当に求められているのは「加害側が害の存在を記憶し続けていること」だ。加害側がその責務を果たさないかぎり、悪循環はとまらない。知識人はその記憶の道こそを考えねばならない。
※AERA 2019年9月30日号ガンジーと韓国人は似ているかもしれない。
ガンジーは若い頃SEX夢中に成り、親の葬儀に遅刻した事が有る。
その後ガンジーは心を入れ換え立派な政治家に成った。
韓国人にそれが真似できるかな!俺はガンジーは完全でないことは知っている。完全な人間なんているわけない。
韓国の恨みの感情は代々受け継がれるうえに、半年複利で利子まで付くんやでwww
東浩紀 Hiroki Azuma on Twitter: "世界的に最近は被害者(とその子孫)の権利要求がどんどん激しくなっていて、リベラルな哲学はそれを後押しする感じになっているが、その行き着く先はイスラエル的暴力だと思う。大事なのは加害者(とその子孫)が加害を記憶し続けることであって、被害者側に無限の権利を付与することではない。"
戦争の被害というが
旭日旗掲げて朝鮮半島攻めた事は一度もない
世界大戦の前に、すでに保護してたからなこれはパレスチナ解放を訴えるユダヤ人(確か)フィンケルシュタインが言ってたんだけど、ガンジーが「非暴力ができないのなら、渾身の力を込めて一撃を下すべきだ」と言っていたそうだよ。非暴力とはすごく難しいもので、矛盾を孕んでいるのを知っていたのかもしれない。
文災害はガンジーが助走つけてブン殴りに行くぐらいの馬鹿。
でも、パヨクって非暴力なんじゃないの?
>>11
やってもいない加害行為を「おまえの罪だ」と言われて、謝罪を強要され賠償金まで要求された。
「濡れ衣だ」と反論し、相手の主張の矛盾点を指摘したら、「おまえは自分の罪を反省していない」と糾弾された。
犯していない罪まで自分の罪として記録する謂われは無いよ。>>15
左翼が暴力を否定するのは、自分に向けられる可能性のある暴力だけだよ。
自分が他人に対して向ける暴力には極めて肯定的だよ。>>10
知らなかった。
「恨」はトイチで増えると思ってた。>>1
韓国を北朝鮮にして
共産独裁政権を作りたいから
それでいいんだよ
南北は戦争してるんだ
酷すぎてアメリカにも捨てられようとしてる>>8
でもガンジーは裸の姪っ子と同衾してたんだぞ>>7
奴隷解放と
国・民族・宗教対立は、話が違う
移民・難民・不法移民も【奴隷とは違う】
中に入れなければ問題にならない
入れるなら相当の覚悟と法整備が必須だし
共産系・朝鮮人のような侵略者は、日本にいらない
ガンジーを冒とくする文 在寅
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