多分韓国には食べ物に感謝をするという概念がないんだろう。
セキフェ、初めて聞いたが、なぜそれをそうして食べようと思ったのだろうか?韓国人「マグロを食べに行ったら、生マグロの解体ショーやってた」
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/29645845.html
韓国人「マグロを食べてきた」
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/28705601.html
韓国人「韓国では高級魚だが、日本ではあまり食べられない魚について調べてみよう」
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/52148566.html>>37
高知県🎵
皿鉢料理(さわち)美的感覚は人それぞれだからまぁ仕方がないかと
>>26
扇形状に5、6枚ごとに盛り付けしてあるのは、理由があって、
例えば、料亭で40人ぐらいの団体の場合、
一つのテーブル4~5人が座って、この盛り付けの刺身を共有する訳だけど、
最初に自分の小皿に均等に、自分の取り分だけを、あらかじめ分けれるようにしてるのも、理由の一つ。
その場合は、15の盛り付け方に近い時もある。>>2
生ゴミ?w>>1
いつも思うが、朝鮮人の刺し盛りって鍋物に入れる具材って感じだよね。
『韓国人「3人で食べてもお腹が破裂するという評判の韓国式刺身の盛り合わせがたったの2900円!」韓国式刺身の盛り合わせをご覧ください 韓国の反応』
http://blog.livedoor.jp/sekai minzoku/archives/55265993.html(スペース削除)
鮪の無い刺し盛りってどうよ?>>51
これは大トロの部分じゃなく、
スジの部分だと思う。
一般的なマグロ屋に行くと、
固いスジばかりの部位を輪切りにして、
サシが入った様な見た目にして客を騙す。
知らずに食うと、「ゴリッ」。
一気に食欲が無くなる。
あと、ツマに見える部分も、プラスティック。
とにかく、知らずに行くと変なもん食わされる。鮮人には理解できないだろうね
刺身は包丁の入れ方で味が変わるって事には
バカ舌鮮人にはお似合いなだよ>>26
残酷な盛り付けっすなぁ…刺身丼?そんなものは無いし、朝鮮式は残飯丼だし、比較対象の鉄火丼の鮪も筋ばかりで安物だな。
『韓国人「日本式刺身丼vs韓国式刺身丼、文化の違い…」』
http://kankokuno hannou.org/blog-entry-16130.html(スペース削除)
>何処かの韓国人15
「韓国式刺身丼はとても良いですね…青陽唐辛子にざくざく刻んだニンニク、ごま油をたっぷり入れてこそ美味しいです。」
↑何で刺身に胡麻油なんだよ?>>45
일본은 위생 문제로 육회를 못 먹지??ㅋㅋㅋㅋ
역시 미개국가는 다르구나>>63
저건 배달 회잖아
왜 배달 음식하고 식당 음식하고 비교하는거야? ㅋㅋㅋㅋ以前は韓国人は日本人の事を生魚を食べる土人
と呼んでたんだけどね
朝鮮時代じゃなく韓国がね
世界に刺身や寿司の人気が出始めていきなり食いついてきた
いつもの韓国人
主義主張をコロコロ変えて恥ずかしくないのかな
子孫ではなく現在の韓国人が刺身や寿司を食べる事を野蛮だと言ってたんだよ>>1
こんなもの知りたくもない。錆止めか塗装してるんじゃないんだから。大体、南朝鮮式~ってやめろよ。独創品を作れよ。
『韓国人「日本人が知らない最強に美味しい『韓国式寿司』がコチラ‥」 韓国の反応』
http://blog.livedoor.jp/sekai minzoku/archives/55822283.html(スペース削除)
>写真だけ見てもよだれが出るね
↑えーっ?こちとら酸っぱいもの(胃液)が上がって来るよ。又聞きになるので、間違えていたらご指摘願いたい
そもそも、刺身を日本人が好むのは、日本人独特の味覚的特徴である「旨味」への感度が関係している
魚は新鮮なものより、適正な処理で熟成させた方が「旨味」成分が増すそうだ
余談だが、
日本の寿司屋は、この旨味を増加させる適切な処置が各魚毎季節毎にさだめられている
新鮮な生魚を酢飯に乗せれば、旨い寿司
そう考えているようでは、本物の寿司と、寿司の旨さを理解できていないことになる
話を戻すと、
調理法が未発達の時代には世界中で生食が行われただろう
そして、食中毒や寄生虫で多くの人がなくなり、生食は忌避され、野蛮なものとされた
しかし、「旨味」を感じ取れる日本人は生食の中に、食の可能性を見出だしてきた
つまり、刺身という食文化は、「旨味」と直結して発展してきた
だから、「旨味」への感度の少ない朝鮮半島で刺身という食文化が発展することは可能性は低い
盛り付け方が美しくないことも、未発達さの好例といえる>>74
否、朝鮮人が擦り寄って来るから追い払うだけ。他国のお笑いまで覗き見して被害者意識を爆発させる朝鮮人には敵わないよ。
『【悲報】韓国人「日本人が韓国文化を侮辱!」日本のお笑い芸人が『韓国式土下座』をして日本人が大爆笑!」 韓国の反応』
http://blog.livedoor.jp/sekai minzoku/archives/55884569.html(スペース削除)スラッカン包丁だったけか。
あんな形状の包丁で、刺身が捌けるわけがない。
昔の朝鮮の包丁の形状でも嘘だと分かる。>>74
350年前から、朝鮮人ストーカー行為を受ける日本人が可哀想♪
350年前から、朝鮮人羨望嫉妬ストーカー行為を受ける日本人が本当に可哀想♪美的感覚が全く違う。
YouTubehttps://youtu.be/0_3AqqUBoW8>>74
日本のサイトに来て何言ってるんだ?
このストーカーが(笑)韓国出身の呉善花氏が何かの番組で語っていたが、
韓国人は食事の満足感は食物を咀嚼し胃に収まるときに感じるそうだ。
盛付けや食器の美しさなんてのは余り気にかけない、面倒くさいだけ。
食器も丈夫さが大切なので、仏具のような金属製の碗に盛る。
おかずも、色んなものを同じ小鉢に入れて、ただ並べるだけ。
高級店でもメラミン食器が多用されるが、乱雑に扱っても壊れないから
韓国人に料理の美しさを求めても無駄。腹に収まりゃ満足らしいから
そういう文化らしい小料理屋さんに行けば、今だったら紅葉かな、菊かな、季節を演出して客をもてなす。
朝鮮人には分かるまい。>>83
むしろ食えないもん乗せるな!と噛み付くに1000ウォン。>>82
青磁を作ってたのは、現在の韓国人ではない。当時、南部に住んでいた人々らしい。
>高麗では、11世紀 - 14世紀に、宋から伝わった技術により朝鮮南部で青磁が作られた(高麗青磁)。明の格古要論には、価格は安く質は雑窯の下とある>>1
何この汚いのw>>87
x)最もらしい
〇)尤もらしい(もっともらしい)
変換をさぼってしまいました。「刺身」ではなく「生魚を好む国は日本位?」というのは、NO。海に面した地域なら、他でも食べたりします。
南米ペルーの『セビチェ』は16世紀頃にスペイン人が南米大陸に持ち込んだレモンやライムを用いたマリネ料理と、現地の魚介類を組み合わせたものであります。
東南アジアの『ラープ』も生魚をハーブやスパイスで和えたサラダで、16世紀頃からこれは地元食の進化なのかヨーロッパの影響かは分かりません。
ハワイの『ポケ』なんかは、日本人移民でできた丼ものですが、今や立派なハワイ食ですよね。イタリアでも「カルパッチョ」なんかは新しい料理ですね。元は19世紀末にイタリアのヴェネツィアにある高級レストラン「ハリーズ・バー」で考案された肉料理だったのだが、1980年代に日本が魚で作り、逆輸入されてます。
ただ、他にも海に面して漁業をしていた地域であれば、猟師なんかは船の上で生の魚は食べていたのは幾つかあります。特にエスキモーだとアザラシ・セイウチ・クジラ・トドなどの生食は知られていますが、サケ・マス・ニシンなども生食されていたりしますね。生魚は極寒の環境で生き延びるために不可欠な栄養摂取ですし、エネルギー補給にもなります。なにより、自然で保存出来て傷みにくいという環境もありますので。
でも、韓国のものは明確に中国でも膾料理であり、韓国の膾料理は元々はこの中国からの影響ですね。そして切り身についても分かっていて、日本統治時代に日本から朝鮮半島に教えたもので、それは「刺身」だが。それが結局は身に付かず、切り身も料理も『フェ(膾)』と表現される。
日本統治時代まで生魚料理って朝鮮人はほとんど食しておらず、煮る・炙るをするか、後は塩漬けしてカチカチにした保存食があったぐらいですね。>>89
「膾」が中国から韓国に伝わったのは、時期もどんなものかも大体分かっているのですよね。
中国では「膾」は春秋時代には既にあるが、その後の秦の時代などでは生肉の膾は少なくなり魚をもっぽら使うようになる。明代になると次第にその習慣が失われるようになり、清代には一部の地域を除き生肉を膾にして食べる習慣は失われている。現代では中国東北地区にある満州族やナナイ族の一部村落で食べられているもので、朝鮮半島の「ユッケ」はこの地域の肉膾から来たものであり、そこから独自の発展はほとんどしていない。朝鮮半島には三国時代に、中国の中央では既に廃れた肉膾が地方には残っていて、その遅れた文化が中国より伝わったものですね。
また素材は生肉とは限らず、家畜の肝臓や内臓に火を通して野菜類と和えたフェもある(つまり、基本的に他国の食文化を模倣し、そのまま使っているというもの)。
韓国では「ユッケが日本に伝わり肉の生食がされ始めた」という俗説があるが、やはりこれも嘘である。
日本にも(たぶん)中国から伝わって来た『膾』があり、奈良時代には既に食べられているのは文献から分かっている(たぶん、というのはそれ以前から食べていた可能性もあるからだ。日本で「膾」の文字は古事記や日本書紀の時代から見られ、生肉を細かく刻んだものを指しているが、音読ではなく訓読で、「なます」の語源は「なましし(生肉)」とも「なますき(生切)」が転じたとも言われており、中国読みとまるで違う日本独自の語彙を持っているので中国から来たとは断定できないのだ。
また、室町時代には魚介類や獣肉に限らず、酢を用いた和え物全般を指すようになり、野菜や果物だけを用いる「精進なます」が生まれている。お正月に食べる「紅白なます」なんかが代表例ですね)。
と、膾や刺身1つとっても、日本と韓国では文字通り歴史の重みや記録が違う、独自発展性が違う。
というか、最近の韓国人は「生肉」と「膾」の違いも判らず、生肉(つまり肉刺し)を「ユッケ」として食べてたりしますね。>>90
ちなみに韓国人は「ユッケ」は「육회」で独自の言葉だと思っているようだが、「육회」は「肉膾」ということで、「肉」は広東語のイェール式で「yuk」、「膾」はピンインで「kuài」になる(ハングルも本来は「・회」と書く)。
つまり、「ユッケ」も外来語(中国語)である。
朝鮮時代でも生肉の切り身を食べるという習慣はある(別の名で呼ばれる)し、それを炙る『膾炙』という食べ方もある。
ちなみに「炙る」というので、これは基本的に火に直接当てる焼き方で、焼肉のような食べ方は見つかっていない(出てくるのは日本統治開始後)。>>72
刺身盛り合わせ、お寿司盛り合わせ、お肉盛り合わせ、野菜盛り合わせ、果物盛り合わせ、お菓子盛り合わせなどは素晴らしいです。
太極旗バスターの名に掛けて、太極旗を無くそう✨️>>66
鯵の開きも、天日干しをして熟成させると数段旨くなる。(旨味の元になる分解されたアミノ酸の量が増える)
スーパーで冷凍のアジの開きを売っているが、旨味が全然違う。
ちゃんと天日干しをして冷凍にする必要がない(要冷蔵)鯵は、手間がかかっている分値段も高い(通常2~3倍)が仕方ない。
海外長期出張から帰ってきて、直ぐに食べたいのが、鯵の開きと卵かけご飯。
刺身は、都会なら海外でも冷凍マグロやサーモンが食べられるから、帰ってきてから最初に食べる刺身はアジのたたき。飢え死にが常態化した国は、とにかく腹を膨らます量に拘る文化になる。当然、盛り付けの美しさより、沢山盛り付ける事が重要視される。
日本は金があっても食にしか贅沢できない江戸時代があったんで、食に付加価値を付けるべく美しさを求めた。1906~1909年に日本人が訪れた記録、1925年発刊の村田懋麿『朝鮮の生活と文化』に、どんなふうに魚を食べていたかが書いてあるのですよね(国会図書館の無料アーカイブで見る事が出来ます)。
肉も下級層が口にできるものではなく、上流社会で主家や客が来ると肉を食べられるぐらいで、
・牛肉の味噌汁(肉湯)
・鋤焼(『肉蒸』という料理の事で、「牛肉を芹や葱など野菜と一緒に鍋に入れ、苦醤油に水を混ぜて煮た料理」)
・肉脯(牛の乾肉)
・肉膾(生肉の膾)
といったものが食べられていた事が記録されている(ただ、牛肉が食べられると出てくるのも遅く、1890年前後から)。だが、よっぽど大きく豊かな大両班の家でなくてはそんな肉の食事も出てこない、というか元々、朝鮮では肉食はあまりされず、魚食も少なく、穀物と野菜がほとんど。
中流以下では肉はめったに食べられるものではない
・野菜の味噌汁
・清汁に漬物
・焼海苔(板海苔を焼いたものではなく、バラ海苔を焼いたもの)、焼昆布、貝類、塩辛く硬い干し魚
といったものが食事で、やはり肉を一般的に食べられるようになったのは日本統治下からのようで、魚についてはここにあるように「塩に漬けて塩辛くしてカチカチにした干し魚」というのが一般的。日本のような切り身の文化は日本統治前にはまだない。
ちなみに米も王族や両班が食べるもので、それも豆を混ぜて嵩増ししたもの。常民以下だと、粟や稗の穀物類を食べる。米を一般的に食べるようになったのも、日本統治になって、米を増産してから。>>94
それは合っていますね。
ただ、モンゴル料理の影響から宮殿料理で肉を盛るなどもあります(ただ、モンゴル料理のは放牧明的で豪快で美味しそうに見えるのに、韓国のは貧相で美味しそうに見えないのですよね。たぶん、無駄に豪勢にしようとして、本来のそういう料理にある民族的な豪快さは無くしてしまったからでしょうが)。
そして飢えですが。
1つは李氏朝鮮末期から大韓帝国時代の飢え貧困があります。
この時代は土地は荒れ果て禿山ばかり、農業は3年に一度は不作と言う状態ですね。農業も、灌漑設備がないので、畑や他に種を撒いてほったらかし。それだけでも収穫量は少ないと判るのですが、撒く時期や収穫する時期を少し間違えるだけで大変な事になったようです。
日本統治で、土地調査以外にも土壌改革(肥料を使う)や農業技術、さらに灌漑設備を施行するので、3年ほどで収穫量を倍にしているのですよね。日本統治のおかげで豊かで安定した生活を送れるようになります。穀物や野菜だけでなく、ジャガイモやサツマイモ、豆類と全てが大幅に収穫できるようになるのですね。
もう1つは、韓国の李承晩政権時代で、その頃の韓国では農業政策はほぼ無策に等しかった。農業政策だけでなく、畜産業も壊滅的になります。
インフレ抑制の一環として米価は低価格に抑えられたものの、結果として農業従事者の収入の低下・不安定化を招き、春窮農民(朝鮮で「農民が春季の食糧端境期に食糧に窮し,山野の草根や木皮を食べて延命した状態」を指す言葉)が増大化することになった。この時期には春窮農民が農業従事者の半数に達していたとある。こうした経済政策の無策もあって、韓国経済が解放・分断・戦争の過程を経て、1953年から1955年における一人当たりの実質所得がほぼ1910年代の水準にまで後退。これが1940年代のレベルにまで回復するのは1965年まで待たねばならなかった(つまり、日韓請求権協定で日本が約11億ドルの経済援助を行った年、ただし分割で行っているが。すなわち、実質は国民は貧困していたままである)という状況になっている。
ーーこれは、アメリカからの支援は効果的に使われていなかった事や、韓国政府の腐敗を証左するものでもあるが。
その為、「視覚で楽しむ」というのが育たず、量で空威張りするような料理になった、という感じですね。>>89
唯一の例外が、牡蠣(かき)らしい。
これは切り身で出したりしないので、刺身の類とは異なりますが、中世以降の日本では牡蠣を生で食べる習慣が無かったらしい。(漁村では食べられていたかもしれないが、城内において生で牡蠣を食べたという記録が見つかっていない)
縄文時代の貝塚から、牡蠣の殻がたくさん見つかっていますから、古代から牡蠣を食べていたことは間違いない。昔は生で食べていた人が多かった可能性もありますが、今のところ詳細は不明です。
しかし、地中海沿岸では、牡蠣を生で食べる習慣があり、開国された後、その生食文化が伝わって日本全国に広まったものらしい。
西洋における牡蠣の生食文化は、ローマ帝国の時代には既にあったらしい。
魚を一般的には生で食べなかった(漁村を中心として限定的にはあったが調理の仕方が日本と異なる)欧州で例外的に牡蠣を生で食べていた一方、日本ではそれ以外のものを生で食べていた、というのが面白い。
韓国で食べられている生ガキは、日本でしたら「加熱用」としてしか売れないものでしょう。日本人は、韓国で生ガキを食べるのは避けた方が良さそうです。>>95
それ(日本統治による朝鮮半島における農業改革)まで、僅かしかなかった米の収量が劇的に増えて、日本にも輸出できるようになり、米問屋の貿易商として大儲けして財力を蓄えたのが今のサムスンの前身である「三星商会」。
日本の農民が、朝鮮から安い米が大量に入ってくることで米の価格が下落する、と輸入反対運動を起こしたほど。
なぜか、韓国人はこの時代に日帝が収奪した、と教え込まれているが、朝鮮の農民から米を買い上げたのは、殆ど朝鮮企業であって日本人や日本企業ではない。
不当に安い価格で買い上げられたことで「収奪」というのであれば、収奪したのは朝鮮人であって日本人ではない。
しかも、収量を劇的に増やしたのは、日本の税金を湯水のごとく使ったからであって、大きく捉えるならば、日本の農民が朝鮮全体から収奪を受けていた、という構図。
日本人が朝鮮人を養う必要がなければ、日本人による大規模なブラジル移民、ペルー移民、アメリカ移民などは発生していなかっただろう。>>99
記録データを見ると、別に収奪をしていないんですよね。
というか、収奪していたのは日本が増産させる前の時代に、米などを諸外国に売っていた両班なんです。
日本統治前から日本統治中の生産量のグラフを添付しますが、マイナス方向が米の輸出で、黄色が中国以外で、ピンクは日本です。主に中国に輸出していましたね。
日本が税収や技術を収奪されていた、というのに同意です。>>100
いえ、「城内では」は合っていると思います。
私も一般的な料理としての記録は知っていますが、城内についてまでは聞いた事がまだないですので。
やはり新鮮でなくては危ないですしね。
というので、養殖カキを船で大阪まで売りにやってきていたど根性な広島人が、江戸初期にはいます。「江戸時代中期には徐々に大阪以外の都市にも販路を広げ単に牡蠣を打って(殻を開けて)販売するだけではなく、そこで試食をさせるようになり、それが船の上に座敷を設け牡蠣料理を食べさせるようになった」とあるので、新鮮なものを食べたというのはありそうです。
幕末には牡蠣船で牡蠣を料理して食べさせることが流行したと言われています。
明治時代に入ると瀬戸内海沿岸はもとより九州や日本海沿岸までも進出し、船を沿岸に固定して水上料理店となって営業しており当時は数百隻に上ったと云われているそうです。
食べる所から見ても、ちょっと裕福な庶民や武士が楽しむ感じですかね。>>100
あと、朝鮮総督府の統計データから分かるのですが。
牡蠣も朝鮮ではあまり食べてなかっただろうな、という事もありますね。牡蠣の養殖を日本統治下で進め増やしていますが、それ以前では養殖などされていなかったようですので。
日本統治下の1920年に朝鮮総督府が出した『朝鮮語辞典』で「酢牡蠣」が出てきています。まぁ、どうやら日本が持ってきた食文化っぽいですね。
【日帝残滓】”刺身” 美的センスが全く無しぬ
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